労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

平民社後の社会主義運動

神奈川で『資本論』やマルクス主義の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」の会報「労働者くらぶ」第45号で、明治から大正にかけての社会主義運動について紹介しています。8月と9月の学習会で、幸徳秋水の『社会主義神髄』と平民社の闘いについて取り上げ、その後の社会主義運動についてまとめたものです。日本において社会主義運動が歩んだ困難な闘いについて、正しく(共産党のように「神話化」することなく)理解を深める参考になると思います。

 

 

平民社後の社会主義運動

  

  幸徳秋水の『社会主義神髄』と平民社の闘いについては、8月と9月の学習会のテーマになりましたが、その後の社会主義運動については、まだ議論されていません。そこで、簡単に触れておきたいと思います。

 

 平民社の解散(190510・5)後、幸徳は悪化した健康の回復もかねて米国へ亡命(190511141906・6月末)しますが、米国滞在中に、思想上の大きな変化をします。その表明が、帰国直後の「世界革命運動の潮流」と題する演説です。

 

この演説については、前号の「労働者くらぶ」で紹介しましたが、要するに、幸徳は、いかに社会主義者の議員を議会に送り込んでも世の中は変わらない、労働者自身の直接的な力、ゼネストで革命を起こさねばならない、と言っているのです。

 

幸徳は、米国の社会主義者やロシアの無政府主義者(エス・エル党員)との交流や第2インターの議会主義・改良主義の限界を見聞するにつけ、議会主義への批判を強めていくのです。幸徳は、この思想の変化を、「我ながらほとんど別人の観がある」と述べています。

 

この変化は、これまでモデルとしてきたドイツやフランスの社会民主党のブルジョア的議会主義の腐敗・堕落ぶりに反発するまっとうな革命派の反応ですが、しかし腐敗や堕落を批判するあまり、議会や選挙を利用して労働者の階級闘争を高めていくという革命的議会主義を否定することになりました。

 

 しかし、この幸徳の「思想の変化」は、これまで、普通選挙によって合法的に社会主義を勝ち取ると信じてきた多くの社会主義者に衝撃を与え、ここに、これまでの議会主義を維持しようとする田添鉄二らの議会政策派と幸徳らの直接行動派との対立が生まれるのです。

 

当時は、桂内閣に代わって多少自由主義的な西園寺内閣の時代で、1901(明治34)年の社会民主党の即日禁止後、日本で初めての合法主義的な社会主義政党(「国法の範囲内で社会主義を目指す」としている)である日本社会党(19061281907222)が結成されており、その第2回大会で両派は激突するのです。

 

結局、この対立は、直接行動派の主張を多く取り入れた堺利彦の折衷案が採択され、その後、議会政策派は労資協調の日和見主義を深めていきます。それに対し、直接行動派は、ますます観念的な急進主義を深めていき、幸徳もクロポトキンの『麺麭(パン)の略取』を翻訳したりします。

 

  そこに起こったのが「赤旗事件」(1908622)です。これは党員の山口孤剣の出獄歓迎会で、大杉栄や荒畑寒村が「無政府共産」と書いた赤旗を掲げて示威運動をしようとしたのを警察が弾圧した事件です。

 

この事件の責任を取って西園寺内閣は総辞職しますが、それに代わった桂内閣(第2次)は、社会主義者に対し徹底的に弾圧する方針で臨み、堺、山川、大杉に懲役2年、荒畑は懲役1年半という重刑を課します。

 

このように、発売禁止、裁判責め、罰金責め、監獄責めで、手も足も出なくなった社会主義運動の一部が、絶望感、無力感、権力に対する憤激に襲われるようになるのは当然です。ここから個人的テロに訴える連中が出てきます。          

 

  宮下太吉、菅野スガ、新村忠雄、古川力作が集まり、天皇といえども血を流す人間に過ぎないことを示すために、天皇暗殺の計画をするようになるのです。幸徳の直接行動論は、決して個人的テロを容認するものではなく、幸徳自身「暗殺にては(社会)主義は成功せず」と語っています。

 

彼の直接行動は、労働者の革命的な大衆行動によって「いっさいの生産・交通の機関の、その運転を停止」させることなのですが、しかし、社会主義運動の撲滅の機会を狙っていた桂内閣は、宮下の爆弾製造の事実をつかむと、これを徹底的に利用し、幸徳をリーダーとする社会主義者の天皇暗殺の一大陰謀事件をでっちあげ、全国各地の社会主義者数百人を検挙し、最終的に幸徳ら26人を起訴したのです。

 

幸徳は、赤旗事件を知らされると(高知で療養中)直ちに上京、その途次、新宮の大石誠之助や大阪の森近運平の所に立ち寄るのですが、この3人の間に明治天皇暗殺の共同謀議があったとされたのです。

 

大逆罪は、犯行を企てたというだけで死刑であり、いきなり非公開の大審院が最終審で、一人も証人を許されない暗黒裁判です。これだけの大事件が、起訴からわずか20日間で26人の審理を終わり(19101229)、開けて1月18日に24名の死刑判決(翌日12名が明治天皇のお情けで無期懲役に減刑される)が下されます。

 

そして判決の1週間後には、はやくも幸徳ら11名が処刑されてしまいます(菅野だけ翌日)。この事件は、初めから幸徳を標的にし抹殺しようとした謀略であり、明らかに国内外の批判や抗議(米国をはじめロンドン、パリ等で大きな抗議運動が起こっていた)を既成事実によって封じようとするものでした。

 

  大逆事件によって恐怖した明治政府は、社会主義運動に対していかなる小さな芽もつぶしにかかろうとします。悪名高い特別高等警察(特高)が設けられたのもこの時です。大逆事件は新聞によってセンセーショナルに報道され、社会主義者は、国民から「社会主義者と鮮人などの不逞の輩」と、恐れられるようになり、社会主義や天皇制は、口にするのもタブーになりました。

 

ほとんど唯一、大逆事件を批判した徳富蘆花は、『謀叛論』で大逆事件を「謀殺・暗殺」と書いています。石川啄木は、遺稿の中で「この時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ」と憤りをぶつけています。また自然主義のエミール・ゾラに心酔していた永井荷風は、自分はドレフュス事件のゾラにはなれない、と言って江戸趣味に引っ込んでしまいます。

 

明治の思想界や文壇で、彼ら以外に大逆事件に言及したものは、ほとんどいません。それほど大逆事件の影響は大きかったのです。

 

 大逆事件のあと、社会主義運動や労働運動の「冬の時代」が始まりますが、幸運にも、「赤旗事件」によって獄中にあった堺利彦、大杉栄、荒畑寒村、山川均らは、大逆事件を免れることができました。かろうじて社会主義の灯を守ったのは、堺利彦の始めた「売文社」でした。

 

しかし、明治の終わりから大正にかけて、東京市電のストライキから少しずつ労働運動が復活し始めます。それに刺激を受けて社会主義運動もようやく動き出しました。大杉と荒畑は、弾圧をカモフラージュするために文芸雑誌と銘うって、「近代思想」を発刊します。

 

またこの時代は、憲政擁護運動(第1次)などのブルジョア自由主義運動(大正デモクラシー)が始まりますが、大正3年の第1次世界大戦の勃発とそれを契機とする日本資本主義の飛躍的な発展は、労働運動の急速な発展を引き起こしました。

 

そうした中で大杉と荒畑は「近代思想」を廃刊し、新たに月間『平民新聞』を発刊します。また堺利彦も、新たに「新社会」を創刊(1915)し、マルクス主義やボルシェヴィズムの紹介に力を入れていきます。

 

 こうした中で起こったのが大正6年(1917年)のロシア十月革命です。この時の興奮を、山川は、「ロシア革命の報道が来た時の感激は大変だった。道を歩いている労働者が相擁して泣いた。私自身もじっさい泣きました」と語っています。

 

一方、国内では富山から始まった米騒動は全国各地に波及していくとともに、第一次世界大戦の好景気の反動恐慌で失業者が激増し、労働運動は一挙に高まっていきます。月間『平民新聞』は、アナーキズムにのめり込んでいく大杉栄とマルクス主義を深めていく荒畑寒村との対立が次第に表面化していきます。

 

労働運動の中では、はじめ幸徳らの直接行動論の影響や大杉などの活発な働きかけによってアナーキズムの影響が強かったのですが、ロシア十月革命の影響や関東大震災で指導者の大杉栄が虐殺されたことによって、次第にボルシェヴィキ派が優勢になってきます(アナ・ボル論争)。

 

こうしたなか、コミンテルンの働きかけによって1922年(大正117月)に日本共産党が誕生するのですが、しかし党と言っても理論的にも組織的にも準備のない、数十人の非合法グループ(堺利彦を委員長、荒畑寒村、山川均も含む)にすぎず、翌年の主要メンバーの検挙で壊滅してしまいます。

 

 一方、当時左翼陣営の理論的指導者とみられていた山川均が、共産党結成と同じ月に「無産階級の方向転換」という論文を発表します。

 

ここで山川は、「無産階級の前衛である少数者は、資本主義の精神的支配から独立するためにまず思想的に徹底して純化した。そこで無産階級の第二歩は、これらの前衛たる少数者が、徹底し純化した思想を携えて、はるか後方に残されている大衆の中に、再びひき返してくることでなければならぬ。……『大衆の中へ』は、日本の無産階級運動の新しい標語でなければならない。」さらに社会主義運動は、「大衆の当面の利害を代表する運動、当面の生活を改善する運動…を重視しなければならない。」と主張しました。

 

確かに、平民社後の労働運動は、直接行動論の影響で、急進的なサンディカリズム的傾向(これは大杉らのアナーキズムに引き継がれる)を強く残しており、克服されねばならなかったのですが、しかし山川の主張には、労働者の階級闘争を指導するマルクス主義の立場に立った前衛党を結成するという認識はありません。

 

「無産者階級の前衛たる少数者」といってもプロレタリアの前衛党ではなく、単に革命的な活動家グループでしかありません(その意味では、幸徳の「志士仁人」と大して変らない)。また「当面の生活を重視する運動」は、労働運動を、単なる生活改善、改良主義の運動に向かわせるものです。

 

山川の理論は、しっかりした綱領や規約を持った前衛党の意義や役割を否定し、日常の生活改善を目指す、労働者の自然発生的な闘いに追従したものでした。この方向転換論の延長線上に「共同戦線党」論も出てきますが、しかし山川の共同戦線党は、労働者や農民、都市の小ブルジョア等の反ブルジョア的な諸勢力を集める合法政党でしかなく、労働者階級の前衛党ではありません。

 

山川は、このような合法無産政党を、マルクス主義用語で粉飾し、革命的な意義があるかのように語ったにすぎません。無産政党各党は、離合集散を繰り返し、最後に社会大衆党として実現しましたが、この党は、日本帝国主義のお先棒を担ぎ、労働者大衆を戦争協力に駆り立てていったのです。

 

 コミンテルン(共産主義インターナショナル)の要請に従って、1926(大正15)年12月に共産党は再建されますが(堺、山川などは不参加)、このときの再建理論になったのが、福本イズムです。福本和夫の「分離・結合」論は、政治運動や労働組合運動、文化運動の中に、分裂主義やセクト主義を持ち込み、コミンテルンからは、極左偏向主義等と批判されますが、その後も共産党内で影響を持ち続けることになります。(K

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内10月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

10 23 日(水)18 時30分~20 30 / 県民センター703 号室

・第6篇「労働賃金」第 17 章~第 20

◆「資本論」第2巻学習会

10 9 日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

・第3篇「社会的総資本の再生産と流通」第 18 章~第 19

◆マルクス主義学習会 ―― 幸徳秋水「社会主義神髄」続き

10 16 日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

・今回は、「平民社」以後の社会主義運動について討論します。

労働者くらぶのブログ
『資本論』を読む会 横浜 (fc2.com)

 

新たに参加される際には事前に確認してください。急な変更などあります。

連絡先)Tel080-4406-1941(菊池)

労働者くらぶ Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

 

日米軍事訓練に対する与那国島住民の反発

728日~87日に実施された日米軍事訓練「レゾリュート・ドラゴン(不屈の龍)24について、沖縄で闘う仲間から投稿がありました。紹介します。

 

日米軍事訓練に対する与那国島住民の反発

 

南西諸島で実施されている日米軍事訓練は、年ごとに濃密に密接にどこまでも高まる気配を見せつつある。海つばめ(第1480号)は「加速する日米軍事同盟の一体化」、2+2「統合軍司令部」を新設という一面トップを掲げた。その内容は新たに「統合軍司令部」を新設し、米軍・自衛隊の連携強化を図り、米の核に依存した「拡大抑止」を推進することを明らかにした。

 

そのことの一端が離島防衛を想定した訓練「レゾリュート・ドラゴン(RD24」であり、728日~87日に実施された。89日の沖縄タイムス記事(「だまされた」 住民反発 与那国 軍備増強 目の当たり)で示された、人口約1700人の与那国町での訓練に対する住民大衆の反発から、いかなる教訓を得ることができるかを確認していこう。

 

どこまで行くか日米訓練 

 

報道の記事では、陸海空の従来領域に宇宙、サイバー、電磁波の新領域を加えた陸自の「領域横断作戦(CDO)」と小規模部隊を島嶼部に分散させる海兵隊の「遠征前方基地作戦(EABO)」との連携が確認されたとしている。

 

大分県の日出生台(ひじゅうだい)演習場では、日米の共同調整所を開設した机上訓練、輸送機からの物資投下などの訓練、対着上陸作戦では、島嶼部への侵攻を試みる敵に対処する想定で、敵の航空機、艦艇を撃破する訓練を行ったとしている。

 

沖縄県内の訓練では、各駐屯地などでのミサイル発射機の展開、物資や患者の輸送訓練を実施し、与那国町に初めて海兵隊の最新型の対空レーダーを空自のC輸送機で搬入し、台湾に近い関係上、中国軍の無人偵察機にたいする警戒・監視体制の強化を図る訓練を行った。

 

 それらの訓練に留まらず、これからも米陸軍のミサイル部隊や電子戦能力を統合した「マルチドメイン・タスク・フォース(MDTF)」を前線に機動展開して、ミサイルで戦う作戦構想であり、22年に奄美大島での日米共同訓練で使用した高機動ロケット砲システム「ハイマース」も、南西諸島でも展開されるとタイムスは予想している。

 

 日米訓練から見えてくるものは、巨大な軍事力を持つ中国軍隊に対し最大限の抑止力を持つとするならば、日本国家・自衛隊が米国等の同盟国との連携を謳うとしても、さらなる日米の連携とともに、日本独自の軍事力を強める方向に突き進むことは避けられないであろう。

 

そのことは、日本において巨大な軍需産業を育成することに繋がり、それは軍需独占企業の利益に繋がり、それはまた戦争体制の維持強化に繫がり、まさに軍事体制の国家に成り上がるかも知れない。とするなら、沖縄の元大学教授の知識階級が好む「素晴らしき憲法」「素晴らしき民主主義」の説教も現実の動きによって、木っ端みじんに砕かれるということになるであろう。

 

住民の「だまされた思いだ」という言葉から導かれることは何か

 

 沖縄タイムス記事での与那国の住民が発した「だまされた」との声を紹介しよう(前掲の沖縄タイムス記事参照)。沖縄の方言で言う「わじわじ」(恐怖や怒りで震えるさま)しながら、「信じられない」という言葉として発せられたのだ。

 

 最初に米軍・自衛隊の訓練に対する〝考え〟を明らかにしておこう。

 

米軍広報担当に対する記者の「訓練は中国の現状を踏まえたものか」の問いに対する回答を自衛隊側はさえぎり、「共同連携の要領を確立するためで、特定の事態を念頭に実施しているものではない」と述べた。

 

しかし、そのあとの日米幹部の会見で在沖海兵隊トップのロジャー・ターナー中将は、中国は尖閣諸島の領有権の主張を強めていると非難し、「日本や他の地域の同盟国に対する侵略に迅速に対応する準備ができている」と、言明したとのことである。

 

それはまさにすべての離島住民を九州各県に避難させる計画の意味が、中国に対する戦争を想定し、日米軍隊は奄美を含めた南西諸島の住民の犠牲を完璧に防ぐためということになり、縦横無尽に南西諸島で攻撃防御に動き回り、焼け野原にしたあとに住民は返って来ることを想像することを余儀なくさせられる、「偽りの夢か」「本当の夢か」と、うなされるようなものである。住民は想像力なく盲従する「ふりむん」(「愚か者」のこと)ではないのだ。

 

 今度の共同訓練に与那国の住民は何と答えたか。与那国防衛教会会員の76歳の女性は、「いくら中国が乱暴でも、刺激して住民にいいことは一つもない」。彼女は、「災害時のことも考えて配備に賛成した。まさか台湾有事と騒ぎ立て、ミサイル部隊や米軍が入ってくることになるとは思っていなかった。だまされた思いだ」と話した。町民有志の会見では、「軍備があるから安心というのは大間違いで迷惑だ」、「想定外のことばかり起きている」との声が出た。

 

先の米軍広報担当の回答を自衛隊側がさえぎったのは、ここに原因があるのではないか。住民が与那国に米軍までやってくるとは思っていないこと、自衛隊はそのことを熟知していて、米軍が本当のこと、与那国も含めて南西諸島での展開訓練をするという真実を語ることを恐れたのだ。

 

自衛隊が災害救助を餌に宣伝するのは今に始まったことではないが、日米軍隊が何故そこまで訓練するのかを住民が理解することができないのは、立憲民主党・社民党・社大党・共産党などの、民族主義的だったり、観念的な平和主義的な闘いしか提起してこなかったこと、そして狭い視野に留まる市民主義者・市民運動家たちの責任でもあるのだ。

 

さきの女性は言った、「いくら中国が乱暴でも」と。単に聞けば誰でも言うことであると思うかもしれないが、だが「習近平」権力はまさに「乱暴」ではないのか。

 

国境の島に生きる住民の知識の中に、いくらかの「中間項」を広げて理解して行けば、中国が経済的に急速に発展したこと、その結果として強大な国家・軍事国家であることを知るだろう。そうなら、中国は「国家資本主義」という、日中労働者が連帯して闘うべき体制という認識に行きつくだろう。

 

だが、既成政党・市民主義者は何一つ科学的に説明することはないのであり、軍事情勢に対する正しい認識を与えていない。住民の「いくら中国が乱暴でも」という素朴な認識のままである。既成政党の住民啓発における無能さは明らかである。

 

 同じ記事のなかに、防衛ジャーナリストの半田滋は、有事回避を「例えば中国と大臣級同士での話し合いの場をより多くつくるべきだ。信頼関係を構築し、万が一にも有事に発展することがないよう最大限の努力をしないといけない」と、腹黒い国家、腹黒い大臣同士が対話するのは相手を出し抜き、誰が世界を支配するかを競っている時に、このような言葉を吐くとは、「いくら中国が乱暴でも」と、記者に語った素朴な彼女にも劣っている。

 

世論調査からは自民党支持率が20数%に下がるのに、野党は全く上がらないのはどうしてか、それは労働者階級から見放されたことを如実に物語るのである。

 

階級的な立場を省みない既成の政党に期待するのでなく、中国が国家資本主義であることを知り、日中ともに帝国主義であることを知り、資本主義を克服した将来の社会のことを知り、これから伸びしろのある「労働の解放をめざす労働者党」とともに、闘いの道に参加しよう。 (K

 

 

《参照》

沖縄タイムス記事 202489

「だまされた」 住民反発 与那国 軍備増強 目の当たり

 

 【与那国】大規模実動訓練「レゾリュート・ドラゴン24」で、与那国町には民間港や空港から自衛隊と米軍が次々に物資などを運び込んだ。米軍は最新型の対空レーダーを島内で初めて展開。「台湾有事」や「抑止力」を名目に進む軍備増強を目の当たりにし、自衛隊誘致に賛成した住民からも「だまされた」との声が上がっている。

 

 陸自与那国駐屯地で訓練を報道関係者に公開した4日、1人の記者が米軍の広報担当者に「訓練は中国の現状を踏まえたものか」と質問した。すかさず「それはこちらから回答します」と自衛隊側の担当者がさえぎり、「共同連携の要領を確立するためで、特定の事態を念頭に実施しているものではない」と続けた。

 

 その直後にあった日米幹部の共同会見では米側の本音が透けた。在沖海兵隊トップのロジャー・ターナー中将は中国を4回名指しし、尖閣諸島で領有権の主張を強めていることを非難。与那国での訓練の意義を強調した上で「日本や他の地域の同盟国に対する侵略に迅速に対応する準備ができている」と、台湾有事などを念頭に中国をけん制した。

 

 これには、かつて自衛隊誘致に携わった住民も反発する。与那国防衛協会会員の前楚美津子さん(76)は「いくら中国が乱暴でも、刺激して住民にいいことは一つもない」と考える。

 

 与那国に配備の自衛隊は沿岸監視隊だから実際に戦闘することはないと聞いたという前楚さん。「災害時のことも考えて配備に賛成した。まさか台湾有事と騒ぎ立て、ミサイル部隊や米軍が入ってくることになるとは思っていなかった。だまされた思いだ」と憤る。

 

 4日に町民有志が開いた会見では「軍備があるから安心というのは大間違いで迷惑だ」「想定外のことばかり起きている」と抗議や懸念が広がった。

 

 安全保障政策に詳しい防衛ジャーナリストの半田滋氏は「米側からすれば東洋の島国の、さらに最西端の島を足がかりにして中国に圧力をかけたい狙いがある。でもそこには住民がいる。いざ抑止が破れた場合、戦場になるのは沖縄の島々だ」と問題視する。

 

 有事を回避するための本質は外交と指摘し、「例えば中国と大臣級同士での話し合いの場をより多くつくるべきだ。信頼関係を構築し、万が一にも有事に発展することがないよう最大限の努力をしないといけない」と話した。(八重山支局・矢野悠希)

渡辺秀樹同志逝去のお知らせ

渡辺秀樹同志逝去

 

 渡辺秀樹同志遺影闘病生活していた東京三多摩の渡辺秀樹同志が624日に肺がんで亡くなったと奥さんから連絡がありました。本人が生前「死んでも葬儀はせず連絡もしないでいい」と言われていたそうですが、すっかり片付いたということで連絡をいただきました。

「長らくいろいろとお世話になりました」とお礼を話されましたが、渡辺秀樹同志はシチズン時計で党細胞を組織して闘い、労働者党員の鑑のような存在でした。「こちらこそ渡辺さんと一緒に活動できて良かったです」と伝えました。

 渡辺秀樹同志は、仲間と職場でシチズン社研を立ち上げ、シチズン時計田無工場で全国金属シチズン時計支部の組合役員選挙にも参加(左派共闘)。職場で『海つばめ』読者の獲得、「工場・職場で細胞建設」という重要な闘いを推し進めました。また、19年の参議院選挙の際には、シチズンで働いていたかなりの人たちに選挙パンフなどを送付して熱心に働きかけも行いました。

三多摩支部解体当時から病いと闘いながら、党活動を継続していたのですが、入院時にステージ4だったこともあり、本人希望で手術や転移の検査などは一切行わず、末期は塩水を1週間ほど点滴され、苦しむことなく息をひきとったとのことです。

古参党員の死去は大きな損失です。渡辺秀樹同志のご冥福をお祈りします

(渡辺秀樹同志は1950年生まれ、秋田県出身)。

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