労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

メーデーの宣伝活動に参加しよう

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 2025メーデーで労働者党は全国で宣伝活動を行います。メーデーに結集する労働者に一緒に訴えませんか。配布するビラを紹介しますので、参加される方は事前に連絡願います。(地域での配布を希望される方もご連絡ください。)

労働の解放をめざす労働者党2025メーデービラ

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労働の解放をめざす労働者党(労働者党)

『海つばめ』メーデー号外

 

賃金は利潤からの〝お裾分け〟か?

企業の顔色を伺うしかできない労組幹部

―労働者と資本家の利害は相反する!階級的に自覚した闘いを ―

 

 労働組合の賃上げ要求に対して3月12日、大手企業が集中回答した。賃上げ要求が5%台と昨年とほとんど変わらず、従って、企業の回答もまた作年とほぼ同じ結果になった。連合幹部はこの集中回答に不満さえ表明せず、幕引きしようとしている。 

 

◇幕引き図る労資協調のダラ幹を追放し闘う労働組合を!

 

 連合の「初回集計」によると、正規労働者の賃上げ率(定昇込み)は平均5・46%で、昨年よりわずか0・18ポイント増えただけにとどまる。昨年を上回る賃上げ回答があった例もあるが、平均すれば昨年と同程度の回答しか出ていない。これでは食料品・生活用品の値上げラッシュが続く現在、労働者の実質賃金は下がる一方である。

 帝国データバンクによれば、「今年の食品の値上げは既に1万品目を超えた。年間では、24年の1万2千品目から2万品目前後に増える」という。円安が継続し世界経済が保護主義に傾くなら、さらに値上げ圧力が強まり、労働者の生活悪化は避けられない。

 ところが、連合幹部は労働者の生活悪化予想に目を閉ざし、労働者を団結させて闘おうとしていない。連合の芳野らは、賃金は資本(企業)が儲けた利潤から分配されているというブルジョア経済学を鵜呑みにし、企業が利潤増大を実現した結果、賃金を〝おねだり〟できると考える。だから、芳野らは企業に協調することを優先し、労働者の団結で闘いを構築する必要性を感じず、労働者の不満をよそに、さっさと賃金闘争の幕引きを図るのである。

 

◇資本と賃金と利潤の関係を理解し労働者の立場で闘おう!

 

 芳野らは資本が作る利潤が元手となって賃金が配分されると観念する。これには理由がある。工場で製造された商品が市場で売られ、市場の中で利潤(=剰余価値)が形成されるかに見えるからである。学者たちも、利潤の発生は市場での需給関係から生じるとか、独占による超過利潤によるとか、はたまた資本そのものが生み出すなどと解説している。例えば、ケインズは生産と流通の質的違いを区別できず、投資(供給)と消費(需要)の差額が、つまり資本による商品の売買差額が所得(利潤)になると見なす。また、斎藤幸平は独占による商品の「希少性」によると解説する。果たして学者たちの言い分は正しいか?

 資本は利潤を生み出すために貨幣資本を投下する。この貨幣資本は直ぐに生産資本に替わる。貨幣を前貸しした(借り入れや貯金を下ろす)だけでは何ら利潤は生まれない。資本は、機械や原材料などの生産手段を買うと共に労働者の労働力(労働能力)を商品として買い、労働力の価値(生活手段の価値である賃金に相当)で表わされる労働時間よりも多く働かせて、労働を搾取して利潤を生み出す。非正規労働者はさらに徹底的に搾取される。従って、賃上げは資本の搾取との闘いであって、〝お裾分け〟されるものではないことを確認しよう。

 売り手が価値より高く売って儲けるなら買い手は損をし、社会的には利潤は発生しない。価値より安く売買する場合でも利潤は発生しない。労働過程から出てきた商品の売買も同じこと。独占的支配による「希少性」によって、価値より高く売るという斎藤幸平の理屈も、需給での場合と同様に社会的利潤は生まれ得ないのである。

 個別的一時的ではなく社会的平均的に見れば、流通過程で利潤が発生することはないのである。資本自体が利潤を発生することもない。あたかも流通過程で利潤が形成されるかに、また資本自体が「自己増殖」して利潤を生むかに見えるのは、資本の循環にのみ、または資本の運動の外観にのみに目を奪われてしまっているからである。

 重要なことは、賃金が上がれば利潤は下がるということ。これが、大幅な賃上げを決して認めようとしない最大の理由だ。資本と労働者は敵対的な関係にあり、労働者は闘わなくては生活を守れない。企業は利潤の減少を手っ取り早く回復させるために非正規労働者を増やしたり、中高年労働者を狙い撃ちにして解雇攻撃する。

 

◇雇用形態や性別や職種・職務の違いによる賃金差別を廃絶せよ!

 

 非正規労働者に対する差別賃金解消の動きも非常に弱い。

 全労連(共産党系)は非正規労働者の生活を守るという目的で「最低賃金1500円」を掲げている。だが、フルタイム(1日8時間、週5日)で働いた場合でも、月賃金は24万円で、社会保険料や所得税が引かれるなら、手取りは月約20万円、年240万円。母子(父子)家庭や介護する親を抱える家庭では、とても生きていけない。一人世帯でも家賃・光熱費を払えば食うのがやっとだ!

 最低賃金引上げは改良ではあるが、決して非正規労働者に対する差別を解消しない。労働者は雇用形態や性別や職種・職務の違いによる賃金差別の廃止を強く望む。

 ところが、労組幹部や共産党らは、「職種・職務が同一ならば同一賃金を払え」というスローガンを何十年と唱えてきた(総評時代以来!)。それゆえ、安倍政権が「日本から非正規を追放する」と大言壮語し、「同一労働、同一賃金」を掲げて「労働基準法」を改定した時、彼らはこの安倍の策動を見抜けなかった。

 安倍政権は経営者や管理者の職種・職務は普通の労働者とは異なると見なし、また非正規労働者の労働内容が正規労働者と同じであっても、非正規労働者は〝指導や管理を受ける〟職域にいると見なした。

 その結果、職種・職務での賃金差は一概に差別でないと宣言され、非正規労働者に対する〝極小賃金〟も合法化され、資本の飽くなき利潤追求のテコになった。組合幹部や共産党らの責任は重大である! 彼らは労働の種類や質を持ち出して賃金(労働力の価値)を求めたために、安倍の理屈に反論できず、搾取の現実も明らかにできず、団結を弱めたのだった。

 

◇実質賃金低下打破!=賃上げは「景気回復」のためではない=

 

 物価高騰が収まらない。昨年12月の消費者物価指数(「帰属家賃」を除く「総合」)は前年比でプラス3・7%、今年1月になるとプラス4・1%に加速した。食料品や家庭用品などの生活必需品目で見ればプラス10%以上がざらだ。米はプラス70%だ!

 23年と24年の春闘で、「大幅賃上げ」を勝ち取ったと自慢した労組幹部は「賃上げと景気の好循環」が進みだしたと言った。だが24年平均の「1人当り実質賃金」は政府統計でさえ「前年比0・2%減」だ。労働貴族と揶揄される組合幹部が牛耳る労働運動では、今年もまた「実質賃金」がマイナスになりかねない。

 労組幹部は企業経営を気遣い、また「景気回復」と結びつけて賃金闘争を指導する。「価格転嫁での賃上げ」を振れ回ったが、大企業は「価格転嫁」を理由に値上げをして、大企業の利益が増えただけで、労働者の実質賃金低下をもたらした。「価格転嫁」とは政府公認の値上げカルテルでしかなかった! 春闘は「談合春闘」と化し、賃上げは小さく、差別や解雇も許す。この現状を打破するために、労働者は搾取のメカニズムを学び、資本との闘いを強化し、階級的団結を広げ、労働の解放と結びつけて闘っていかなければならない! 共に闘おう!

 

労働者党スロ-ガン

・腐敗政治温存・政権にしがみつく石破政権打倒! バラ撒き借金政治許すな!

・金権の自公政権に手を貸す維新、国・民糾弾! 慣れ合い政治を乗り越えよう!

・物価高・生活危機から労働者の生活を守る闘いを押し進めよう!

・低賃金・過重労働の非正規労働・差別労働を徹底的に一掃しよう!

・日米中の帝国主義国同士の覇権争い反対!労働者は国際主義的団結で闘おう!

・『台湾有事』で戦争する軍隊・自衛隊の軍事力増強に断固反対しよう!

・イスラエルによるガザ虐殺・西岸地区入植糾弾! パレスチナ国家樹立支持!

・ウクライナ人民の闘いに連帯! 悪党プーチンに手を貸すトランプ糾弾!

 ・「労働の解放」をめざし労働者党と共に闘おう!  万国の労働者団結せよ!

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労働の解放をめざす労働者党(労働者党)

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マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅦ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅦ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

おわりに

 アメリカ第一主義を唱え「Make America Great Again」を標榜するトランプがアメリカ大統領になったことによって、世界がますます欧米や日本などの帝国主義諸国、偉大な中華民族の復興を目指す習近平の中国、新ユーラシア主義を唱えるプーチンのロシア、そしてインドやブラジルなどのグローバルサウス諸国、これら各々のブルジョア国家がお互いに覇を競い自らの国益(ナショナル・インタレスト)をめぐって「合従連衡」しながらも激しく角逐する新たな時代に入ったと言っていいだろう。

 

こうしたなかにあってそれぞれの国内では、国民のあいだに経済的な格差が拡がり同じ国民なのかと思えるほどの埋めようのない分断が急速に進んでいる。そして既成秩序に見捨てられていると不満を抱く人々の心情に寄り添う振りをしながら彼らを取り込もうとする右翼的なポピュリストたちが跳梁跋扈している(日本でも、天皇中心の国体思想を理念にする参政党や日本保守党が国会の議席を持つようになっている)。

 

日本帝国主義も世界中(とりわけ、東南アジア)にある権益を守り、他の国家との競争戦に勝ち抜きさらなる拡大を図るために制定された‘2212月の「反撃能力(敵基地攻撃能力)」などを明文化した「安保三文書」――熾烈な戦いの死命を制するのは人類史が示す通り、結局のところ、軍事力なのである──閣議決定以来、中国・北朝鮮を仮想敵国とした沖縄西南諸島などへの自衛隊の常駐、ミサイル配備、防衛費のさらなる増額、等々が進んでいる。

 

 こうした状況にあって、そもそも革命派であるべきマルクス主義者を自認している人々の大多数は、マルクス本来の革命思想を骨抜きにして日本の帝国主義国家やブルジョアジーにとってまったく危険のない無害なマルクス思想を振りまいている。マルクスを前期と後期とに「切断」し、マルクスはエコロジストに仕立て上げた斎藤幸平氏もその代表的な一人である。最近一見左翼風の書籍などに「『人新世の資本論』の著者斎藤幸平氏推薦」という帯紙があるのをよく目にする。彼のマルクス思想解釈が斬新なマルクス思想の提示者として何の問題も抵抗なくブルジョア論壇に受け入れられたことの証である。

 

「(労働の解放をめざす)労働者党」の闘いはいまだに日本の労働者階級の深部にまで届いていない。かつて1905年ロシア革命が頓挫した時点でレーニンは自分が生きている間には革命はロシアに起きないだろうと亡命していたスイスで思っていたそうだ――ボルシェビキの党としての闘いはロシア国内で続けていた――が19172月突然、まさに突然ロマノフ王朝打倒の革命が起こり臨時革命政府が樹立された。急遽封印列車でロシアに戻ったレーニンは当時極少数だったボルシェビキを率い、臨時革命政府と労農兵士ソビエトとの二重権力状態だったロシアで「全権力をソビエトへ!」というスローガンを掲げ行動することによって労働者・農民・兵士の間で多数派になって10月ロシア革命を成功させた。

 

私は、数年前に後期高齢者になったが依然として「身体が資本」の力仕事に汗を流すの農業に携わっており、体力的な衰えを理由に現在は党を離れてシンパの一員(少額ながらカンパをする党友)として労働者党の活動を支援している。しかし、心はいつも労働者党の皆さんと共にあると思っている。世界最強の帝国主義国家の一つであるこの日本においても今後将来、いつ何時何が起こるか分からない、いつか分からないその日のための準備を常にしていくこと、賃金奴隷制の廃絶という労働の解放をめざす闘いを「 倦まず弛まず」やり抜き、マルクス・レーニン主義に基づいた国際主義的な革命党としての闘いが次の世代に何としても受け継がれていくようにしなければならない、そのためにささやかなりとも手助けしたいと私は思っている。


(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

                  

マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅥ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅥ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

マルクスの「ザスーリチへの手紙」(1881年)について

「ザスーリチへの手紙」の内容については、林紘義氏の前掲書のp.87~99で詳細に論じられているし、斎藤氏の解釈に対する批判は『プロメテウス』63号の田口騏一郎氏の「斎藤幸平の“脱成長コミュニズム”論批判 」の第4項“停滞的なミール共同体の美化”(p.67~73)に詳しいので、「ザスーリチへの手紙」をどのように評価するかはこの前二者に任すとして、ここではそれとは異なった視点から少し述べたい。

 

 斎藤氏はマルクスの立場が、社会主義・共産主義へ至るには必ず資本主義を経なければならないという「単線的歴史観」から、当時ロシアに残存していた土地の共同体所有である農村(農耕)共同体だった「ミール共同体」を積極的に評価することによって資本主義の成長発展期である西欧とは異なり資本主義を経なくても社会主義・共産主義に至ることが可能であるという「複線的歴史観」へと変化したのだ、と述べている(『マルクス解体』p. 290,『人新生』p.176)。

 

 その証拠として彼が提示するのは、1875年フランス語第2版発行に際してマルクスが編集部に送った手紙である。そこには「(本源的蓄積による)資本主義体制の根底には、生産者と生産手段との根源的な分離が存在する。・・・この発展全体のすべての基礎は、耕作者の所有剥奪(収奪)である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである・・・だが、西ヨーロッパのすべての国もこれと同一の運動を経過する」(全集⑲ p.116)、「(上述の引用の後に)だから、この運動の『歴史的宿命性』は、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです」(全集⑲ p.238 、『ザスーリチの手紙への回答の下書き』に再録、〈第一稿〉p.386、〈第二稿〉p.399 、〈第3稿〉p.404)と、「ロシアの共同体に反対して人々が言い立てている論拠のうちで、最も真面目なものは、次のことに帰着する。西洋の諸社会の起源にまでさかのぼると、西洋のどこでも、土地の共同所有が見いだされるであろう。それは、どこにおいても、社会的進歩とともに、私的所有に席をゆずって姿を消した。だから、それが、ロシアにおいてのみこの同じ運命を免れることはできないはずである、と。私は、この議論が〈ヨーロッパに関係するかぎりで〉ヨーロッパの経験に立脚しているかぎりで、これを考察するであろう」(全集⑲ p.404)である。

 

ここで、現行版『資本論』(1867年)とフランス語第2版(1875年)の当該箇所(第一巻第第24章第1節「本源的蓄積の秘密」の最終部分)を比較してみよう。現行版では「農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程をなしている。この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代によって違っている。それが典型的な形をとって現れるのはただイギリスだけであって、それだからこそわれわれもイギリスを例にとるのである」(全集㉓b p.935~6)に対して、フランス語第2版では「こうした発展全体の基礎をなすもの、それは、耕作者の収奪である。この収奪が徹底的なかたちで遂行されたのは、今のところイギリスにおいてだけである。したがって、われわれの素描においては、当然、この国が主役を演じるであろう。だが、西ヨーロッパの他のすべての国々もすべて同じ運動を通過しているのであって、ただ異なるのは、この運動は、環境によってその地域的色合いが変わり、あるところではそれがより狭い範囲にとじこめられたり、あるところではあまり目だたない特徴を示したり、またあるところでは違った順序をたどったりすることだけなのである」(林直道編訳『マルクス資本論第一巻フランス語版』p.131)となっている。

 

ザスーリチへの手紙のなかでマルクスは、フランス語版の上の箇所を引用し、「この過程(耕作者の収奪)の『歴史的宿命性』は西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されている」点を強調したのである。その意味は、西欧ではすでに私有の一形態=自己労働にもとづく個人的私有が確立していたので、それの資本主義的私有への転嫁が問題となっていたのに対し、ロシアではそもそも農民による土地私有はないのだから耕作者の収奪の必然性という問題は問題として成り立たない、というのであった。

 

そして、勿論ロシアが西欧にならって資本主義国民たろうと目指すならば、その場合には共同体農民を収奪しプロレタリア化することが必要になってくるけれども、あなた方はロシアを共産主義へ進めようとしているのだから、農民収奪は何ら歴史的宿命でないばかりか、共同体自体を「社会的再生の拠点として」発展させることが可能である(ただし大工業と西欧の労働者階級の援助のもとに)と答えたのであった。

 

18821月の「『共産党宣言』ロシア語第2版序文」(マルクスは翌年の3月に亡くなっているので、エンゲルスとの連名ではあるが、これがマルクスの最後の言葉だろう)にはロシアについて、次のような文章がある。「・・・ロシアはどうか?・・・『共産党宣言』の課題は、近代のブルジョア的所有の解体が不可避的にせまっていることを宣言することであった。ところが、ロシアでは、資本主義の思惑が急速に開花し、ブルジョア的土地所有がようやく発展しかけているその半面で、土地の大半が農民の共有になっていることが見られる。そこで、次のような問題が生まれる。ロシアの農民共同体(オプシチナ)は、ひどくくずれてはいても、太古の土地共有制の一形態であるが、これから直接に、共産主義的な共同所有という、より高度の形態に移行できるであろうか? それとも反対に、農民共同体は、そのまえに、西欧の歴史的発展で行われたのと同じ解体過程をたどらなければならないであろうか? この問題にたいして今日あたえることのできるただ一つの答えは、次のとおりである。もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる」(全集⑲ p.288)。

 

斎藤氏は、ロシアの農村(農耕)共同体が資本主義的近代化の破壊的過程を経ることなく、既にある共同体的所有に基づいて社会主義・共産主義へと飛躍できる可能性に言及しているザスーリチへの手紙を根拠に、マルクスの歴史観は1881年までに大きく変化したのだと主張する。そして上述の「ロシア語第2版序文」を引用した後、次のように言う。

 

「マルクスとエンゲルスは、ロシアの共同体が資本主義段階への移行を避けることができるだけでなく、『西欧のプロレタリア革命にたいする合図』を送ることで、コミュニズムの発展を開始すべきだとさえ言う。ここでも彼らは、歴史の原動力として、ロシア社会の積極的な主体性を認めているのである〔この箇所で彼は〈注〉として、(かつてマルクスは「アジア的またはインド的な所有形態がどこでも端緒をなしている」と主張していたが、ここでその見解を訂正したのだ)と述べているが、どこをどのように読めばそういった解釈が出てくるのか、まさしく神のみぞ知りたもう──引用者〕」。更に続けて『全集』⑲ p.389を例証にして言う、「この議論を、ロシアに限定する必要はない。同じ論理は、当時マルクスが集中的に研究していたアジア、アフリカ、ラテンアメリカといった地域の他の農耕共同体にも適用できるだろう。事実、マルクスは、アジア的共同体を、戦争や侵略による破壊を免れた最も新しいタイプの農耕共同体としてとらえていたからである」(『マルクス解体』p.292)。

 

マルクスがここで意図した内容をまったく無視して、自分の興味と関心の赴くままに「牽強付会」した見本がここにある。当時のマルクスの関心は、人類の歴史的発展段階が無階級社会だった原始共産主義社会から土地の共同所有と私的所有とが混在していた最初の階級社会である「古代的生産様式」(前掲の林氏にならって“アジア”という狭い地域に限定される印象のある「アジア的生産様式」に替えて、この名称を使っている)を当時新しく解明されつつあった古代社会の知見をノートに書き留めて深く研究することによって、唯物論的な歴史観を完成させることにあったと考えられる。

 

斎藤氏によると、晩年のマルクスはかつてあった構成員全員が土地や森林などのコモンを共同所有することによって大地にやさしい定常型の脱成長コミュニズムを研究するために亡くなるまでの数年を送ったのだと言うのである。現代の「人新世」における地球温暖化などの自然環境破壊をこれ以上進行させないためにも、今こそ、大いなる自然と共生共存していた原古の共同体の研究をしていた晩年のマルクスの諸作業を掘り起こすことによってマルクスを再生復活させなければならない、斎藤氏のこの間の試みはすべてこの一点に集約できる。

 

 的場浩司氏も斎藤氏と同じように言う、「マルクスの1870年代以降の態度の変化と研究の変化をマルクスの研究ノートの編集が新MEGA(新マルクス・エンゲルス全集)の中で進められている。マルクスのアジア、ロシアに対する視点の変化について、この時代のマルクスの研究ノートは重要な示唆を与えているといってよいかもしれない」、と。

 

1991年ソ連邦崩壊を転機に「死せる犬」としてマルクスを扱う“送葬派”に対して、ほとんどすべてのマルクス思想を研究している――むしろ、大学でマルクス研究を飯のタネにしている──“再生派”は、マルクスはその西欧中心主義的な世界把握や単線的歴史観を1881年の「ザスーリチへの手紙」において決定的に放棄し、その後のマルクスが本来のマルクスなのだ、と言い募るのを常としている。(斎藤氏を絶賛している佐々木隆治氏――彼はこの1月『なぜ働いても豊かになれないのか―マルクスと考える資本と労働の経済学』という新著を出しているが、それは12年前の『私たちはなぜ働くのか』という著書に若干加筆修正したもので、相も変わらず前著と同様、「マルクスは(資本という)物象の力を弱め労働の自由を拡大する」手段として、「第一に労働時間の短縮、・・・第二に生産の私的性格を弱める」こと、「第三に、労働者の生産手段にたいする従属的な関わりを変容させていくことである。・・・賃労働においては、このような生産者と生産手段の自由な結合の可能性は剥奪されているが、部分的に取り戻すことが可能である。それは、現代では、労働組合による経営権への関与というかたちで実際に実現されている」(p.219~224)と言うのである、なんという能天気な物言いだろう――もその仲間で、彼らは構造改革的な「アソシエーション」という言葉を好んで多用する特徴がある。)まったくもって、「小さな親切、大きなお世話」なのだ!

 

(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

                  

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