労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2017年11月

選挙奮戦記 【5】

IMG_0351選挙奮戦記  【5】      
  ―かく闘いたり、 一闘争委員の報告―

  運動員が増してくると、宿泊の問題が起きてきた。事務所は闘争委で満員(最大六人)で、それ以上泊まれないので、事務所から歩いて数百㍍のところの新アパートの一室を、一ヶ月程借りることにした。契約はIさん(闘争委長)や圷さんがやってくれた。

 最初は、事務所が六人だと狭いので、闘争委の宿泊に利用する予定だったが、動員が増えるに従い、新たに来て頂いた運動員や代表委の宿泊所として利用された(ちなみに、闘争委が利用したのは筆者の二泊のみで、他の闘争委は最後まで宿泊できなかった。写真は選挙事務所の様子、右があくつ候補)。

 また「新アパ」は、後に日中はポスターの裏打ち、葉書の修正、ビラの証紙貼り等の作業場として大いに活用された。しかし、そこには、北久里浜のニトリから仕入れてきた三組の布団(レンタル料より安く買えた)しかなく、それでも収容できないので、横浜駅前のカプセルを三つ予約して使用して頂いた。中には、事前に自分でホテルを予約して来て頂いた方々もおり、大変な迷惑をかけた。特に女性の方々は、長期にわたり宿泊先を確保(横浜や鎌倉等に)して頂き感謝申し上げたい。「宿泊先は確保できた」ということであったが、宿泊の問題も今後の課題として残った。

 ビラの宅配は、十月八日をもって終了した。この宅配には、神奈川や埼玉のシンパ、Mさん(静岡)の娘さんにも参加して頂き、連日、精力的に続けることができた。特に神奈川のシンパのYさんは、街宣時のビラ撒きやポスター裏打ち、証紙貼り、葉書修正など、長期間にわたり党員と代わらぬ労力を頂き感謝したい。また、Mさんは静岡から(明け方始発のJRに乗って)、夫婦交代で幾度も駆けつけて頂き、娘さんも土日を利用して三度も手伝ったもらうなど、まさに家族総出の闘いであった。その他、この記には載せられなかった多くの各支部の党員の方々にも感謝します。

 ビラの宅配総数は、街宣ビラも含めて、約七万枚(正式な枚数は後ほど出るとして)程であった。十万枚という目標には到達できなかったが、猛暑の中を「やりきった」という感が強い。Sさん(闘争委)の緻密な計画に基づいて、横須賀市に初めて大量の「労働者党」の主張が届けられた。

 一方、政党ポスター(大と小の二種類)はかなり早くから事務所に届けられ、その計画も考えられたが、手間暇がかかるということで全て断念し、ビラ配布に集中したことを併せて記しておきたい。

 最後に、宅配の中で筆者が今でも思い出す景色がある。それはどこであったか忘れたが、高台の坂道を息せききって登りながらビラを撒きつつ、行き止まった所から目に飛び込んできた光景。―鮮やかな紺碧の海に浮かぶ濃緑の小さな島の光景―思わず疲れを忘れた瞬間!美しい相模湾の「絵葉書」に、筆者は思わず微笑んだ。三浦海岸といい、ここはまさに観光地なのである。

 宅配は終ったが、宣伝カーによる朝晩の駅頭街宣とビラ配布、その後の流し、小演説は間断なく続けられた。一日には、林議長が乗車し、二日には三浦駅と長沢駅で、三日には朝晩とも衣笠駅で、四日には朝晩とも横須賀中央駅で、五日には久里浜駅と衣笠駅で、六日には追浜駅でというふうに。

 一方、事務所や「新アパ」で仕事をしている闘争委や運動員は、その時間になると中断して、筆者の車(さいわい七人乗り)で、或いはバスや電車を乗り継いで、その日の駅頭に集合し、圷候補の演説を聴きながら、ビラを撒いた。

  特に二十代、三十代の若い労働者(男女とも)は受け取りが悪い。ある者は、身体をよじって拒否し、すり抜けていく。四十代以降は、時々受け取る。受け取りの良いのは、ある程度年配の労働者たちで、特に女性はよく受け取ってくれる。
 ある時、若い女性労働者がわざわざ来て、「下さい」と言って取っていった。珍しいと思いながら、圷さんが今訴えている「非正規労働者」だろうかと思ったりもした。朝は皆急いでいるので、夕方の方が受け取る率は高い。中には、がんばってと千円をカンパしてくれた年配の労働者もいた。

 十月八日の夕方からは、ポスター(約八百枚)の裏打ち作業が始まった。両面テープで囲い込む方式が採用された。Tさん(代表委)が段ボールの切れ端で作った物差しを使って一人がテープをカットし、もう一人がポスターに貼り付ける分担作業である。大阪からは新たにKさんやMさんが新幹線で、静岡からはTさんやMさんが車で駆けつけ、運動員は最大となった。

 作業の中心は「新アパ」で行ったが、ネットで注文したテープが少量しか届かず、夕刻に市内の店を何軒か回って買い占めに走った。静岡組はホテルに持ち込んで作業を続けた。余談ではあるが、大阪組は、豪快で愉快な人たちが多く、作業中も話題に事欠かかなかったが、作業は順調に進み、九日夜には、明日十日告示分(約六百枚)は完成した。

 また、ネットで注文するはずだった候補者タスキは間に合わず、筆者が急遽手作りすることになった。Wさん(代表委)が買ってきてくれた赤布(白タスキの逆をとって赤タスキに)を圷さんサイズに切って、アイロンで白テープを貼り付けた。「あくつ」の上部に、圷さんのイラスト画を配置した。後で、Iさん(福山)が布を二重にし、M娘さんが持ってきてくれた赤糸でタスキの形に仕上げてくれた。ついでに、残った生地で、「あくつ」と白で大書きした赤旗(あくつ旗)を作った。タスキは選挙中最後までもったし、赤旗は選挙中活躍した。

 九日夜には、明日の告示後のポスター掲示隊の集まりを「新アパ」 でもった。二日間で七六三か所(横須賀六三〇、三浦一三三)を貼るのを目標とした。

  まずレンタカー五台(軽四、小普一台)を二日間借り受け、K車(静岡)と併せて六組とした。①K、Uさん(静岡組)、②筆者、Sさん(筆者組)、③K、Sさん(大阪組)④K、Mさん(大阪・堺組)⑤D、Iさん(福山組)、⑥H、Yさん(京都組)※前者が運転手。

 次に配分に移ったが、神奈川支部が作成してくれた横須賀市の七枚の掲示板地図を参考にして配分した。筆者組は、心強いSナビさんがいるので、横須賀の一番の密集地を受け持った。その他、注意事項等を確認し合った。

  十月十日、いよいよ告示日がやって来た。これから十二日間の熱き闘いが始まる。   続く




選挙奮戦記 【4】

選挙奮戦記  【4】       
  ――かく闘いたり、一闘争委員の報告――

  連日の宣伝ビラ配布の中 で、幾つかの反応があった。
 ひとつは事務所への怒りの 電話で、「安倍を批判するビラを撒くな。自分は安倍を支持している。ビラは送 り返してやる。」 というも ので、この男性は実際に、東京の事務所に着払いで送り返してきた。『悪臭ふんぷんの安倍政権打倒』と銘打った『海つばめ』(一次ビラ)を読んだのかどうかは定かではないが、自民党王国のポストに届けられたショッキングなビラだったのだろう。

 もうひとつは、我々がSナビさんとMさん(静岡)とで、岩戸の一戸建てで撒いたもので、「新聞がポストに入っていたので電話しました。(略)『海つばめ』に書いてある通りだと思います。ぜひ頑張って下さい。」 (詳しいやりとりはブログ日誌参照)という激励の電話であった。
 九月三十日の横須賀中央駅での夕街宣では、Hさん(闘争委) が演説をしたが、ちょうど天皇制批判をしている時に、ビラ裏面の「真子批判」に賛同すると話しかけてきた年配の男性がいた。「この批判に賛成だ。天皇制の評価に賛同する。事務所はどこにあるのか。」 と言ってきた。「ぜひ他の記事も読んで下さい。事務所は佐野町にあります。」 と言うと、ビラを大事そうにポケットにしまい去っていった。

  十月に入っても、宅配と朝夕の街宣は続けられた。H車(神奈川)が加わって宣伝カーと併せて3グループとなった。我々は、静岡だけの4人組で、2千百枚を撒いた。三日にはK車(静岡)も加わり、新たにSさん(愛知)やOさん(長野)もビラ撒きに参加した。

 五日の朝街宣は、久里浜駅で、圷さんを先頭に、代表委のWさんも参加し、合わせて十人という大所帯で貫徹された。大阪からSさん、Mさん、Kさんが加わった。名古屋からFさんも駆けつけた。人の話によると、Kさん(大阪)がビラを撒くと、不思議と人が話しかけてくると言う。Kさんの人柄と豪快な笑顔が顔に浮かぶ。また、Sさん(大阪)とビラ撒きに出ることが多くなったが、配達歴四十数年のベテランは、流石に速くて的確であった。この頃には、二次ビラ(『安倍政権こそ国難だ』)が撒かれ、裏面には共産党批判が載せられた。

 十月一日の夜に、事務所で一回目の代表委と闘争委合同の会議が行われた。主に告示後の闘いが話し合われた。まず、「長時間労働に象徴される搾取労働の即時廃絶」、「非正規労働に代表される差別労働の即時廃絶」 という闘いの基本的なスローガンが確認され、候補者カーにもそれをそのまま掲載すること、闘争委の考えた略式のスローガンは修正された。
            
 次に、公示後の事務分担が決められた。選挙葉書、新聞折り込みチラシ、選挙公報、新聞広告(一次)の原稿(二次は闘争委が担当)は代表委が担当すること、選管での事前説明会への参加や告示日の候補者受付、各支部で宛名書きされた葉書の整理や指定郵便局への届け、折り込みチラシの新聞配分計画と運搬、広報の届け、広告の新聞社との交渉は闘争委が、また掲示ポスターの作成と貼付計画、公示後の候補者カーの運営計画等も闘争委が受け持つこととなった。また、第一声をどこでどう行うかも討議された。最後に、全国の支部へ闘争報告を発信することも確認された。

 三日の事前説明会へは、闘争委員長のIさんと神奈川のIさん(闘争委)が参加すること、十日の告示日の候補届けには圷さんとIさん(闘争委)が、葉書はHさん(闘争委)が、新聞チラシの計画と候補者カーの運営計画は神奈川支部が、広報と広告はIさん(闘争委長)が、ポスター関係は筆者が担当することになった。

  筆者は早速ポスター制作に取りかかった。候補者ポスターといえば、大概が候補者の大写しの写真だが、それとは違うものを作ることにした。圷さんの似顔絵は前に自宅で描いておいたものを採用した。似顔絵は意外性があると考えた。右側にスローガンを、下にえんじ色(京急電車カラー)に白抜きの「あくつ」 を配置した。バックの緑とオレンジは、圷さんがそれが好きだ(湘南電車のツートンカラー)ということで、それらの色を配した。デザインはすぐにできたが、それをパソコン上に取り込んで作成するのに時間がかかった。堪能なIさん(闘争委長)が腕を振るった。かっては、デザインさえ詳しくしておいて、あとは地元の印刷屋に頼むというやり方だったので、時間がかかった。

 こうしてポスター原案は出来上がったが、筆者は重大なミスを犯した。それは採寸を間違えたことである。選挙法によれば、候補者が講演会や集会を計画しておればその分横幅を大きくできる。我々は初めからそういう計画は無しと決めていたので、それをまともにとって、30×42㎝としたのである。一回り小さな手作り感のある?ポスター案が出来上がった。

 結局、講演会や集会をやるやらないを問わず、下の方に講演会実施等と書いておけば、もう12㎝横幅がとれたのである。失敗であった。

 ポスターの印刷は、Iさん(闘争委長)が、ネットで印刷を頼むことになった。しかし、どこも注文が殺到し、注文できないことがわかった。期日は迫っている。Iさんが、ウイング社のSさんに頼み込んで、ようやく知り合いの業者に作ってもらう運びとなり、一安心した。しかし、一千枚を裏打ちするという仕事が加わった(今のポスターは、裏シールを剥がしてすぐに貼れるものが主流)。

  ネットによる注文は、安価で便利であるが、かなり前から注文しておかないと期日までに届かないという危険性がある。その他の注文品にも同じことがおきた。今後利用する時には、このことを肝に銘じたい。

  選挙葉書の印刷にもミスがあった。静岡からの指摘で、表面上部に「郵便はがき」 の文字がないことが判明し、一万数千枚の葉書にゴム印を打つ仕事が加わった。さらに、地方から発送されてきた葉書には、宛先が県外のものは論外だが、宛名面の左側をある決められたサイズだけ空白にするよう指示されていたが、その指示か不明確?で、それが守られていない葉書が多数みられた。これらの葉書にシールを貼って、再度住所・氏名を書き直したり、修正液で消したりする作業が加わった。また、支部に残った残りの葉書を送り返す指示が遅れ、何百枚かの葉書利用ができなかった。
  名簿も古いものを利用したため、数千枚が宛名不明で返品された。最初から選挙人名簿や電話帳を利用したものとすべきであった。これらのミスは、今後十分に生かされねばならない。
                  続く   

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