トランプと金正恩の〝世紀の〟歴史的会談は、大した具体的な成果もなく、たった1日で終了した。2人は声を合わせて、そのすばらしい意義について語るが、もちろん、世界の労働者・働く者にとっては、2人の専制的な支配者が、それぞれの利益と野望のために顔を合わせ、取り引きをし、満足したという以上の意味を持ちえない。こうした会談から、世界の、アメリカの、南北朝鮮の労働者・働く者が何らかの有益なものを勝ち取ることができるとしても、それはまた別の話であって、自らの努力と闘いという契機を欠いて、それ自体によって可能になるものではない。
金正恩の〝懺悔〟は本物か
会談の二つの課題、トランプ側が持ち出した、北朝鮮の核兵器の「完全で、検証可能で、不可逆的な核廃棄」と、金正恩が持ち出した「体制保証」という課題についていえば、いずれも言葉としては合意されたかだが、具体的で、疑いもなく実行され得るという実際的で、確かな保証は事実上何もないし、確認されてもいない。
朝鮮戦争の終結という課題──容易に合意され得て、実現すれば、両者にとってはもちろん、南北朝鮮国民と、世界にとってさえ積極的な意義を持ちえる課題──さえ実現できなかったとするなら、一体何のための鳴り物入りの会談だったのか。
北の核廃絶については、トランプは金正恩が誠心誠意約束したし、その約束は信用できるといい、金正恩も、それを裏打ちするが、しかしそれを現実に可能にするのはかなりの長い時間がかかるし、それはやむを得ないと、トランプは、会談後はいうが、もちろんそれは会談前に言っていたことと180度ほども違っている。
北が5年のち、10年のちやはり核兵器保有国であり、しかもインドやパキスタン、あるいはイスラエルのように、世界中の国家から、核保有国として公然と、あるいは暗黙に承認される国家となっている可能性もまた否定できない。
そしてそんな場合、北朝鮮が〝欧米型の〟民主主義国家ではなく、依然として金正恩のもと、現実と大差のない、金王朝の専制国家として存在しているということさえあり得るだろう。
金正恩は会談の冒頭で、硬い表情でトランプに向かい、「我々には足を引っ張る過去があり、誤った偏見と慣行が時に目と耳をふさいできたが、あらゆることを乗り越えて、この場にたどり着いた」と、取りようによっては重大な意味を持つ、懺悔ともとれる発言をしたが、こうした発言が具体的に何を意味しているのか、祖父の金日成以来、70年ほどの金王朝の体制とその歴史自体のことなのか、その国民を奴隷化してきた専制体制と、朝鮮戦争を含む、多くの歴史への大罪についてのことなのか──あるいは30年にもなんなんとしたスターリン体制を告発し、否定した1953年のフルシチョフの演説にも匹敵するような意味を持つ反省の弁なのか──は、まだ何ともいえない。
今のところは、金正恩の懺悔は抽象的なものであって、フルシチョフ演説ほどの全般的で、具体的で、否定的なものではなく、また金王朝の中心にあり、またその体制を代表してきた金正恩が、自らフルシチョフほどの徹底した批判をなし得るとも思われない。
金正恩は今後の北朝鮮国家の課題は、核兵器による強国ではなく、経済の発展を、したがってまた国民の経済生活の向上や豊かさであるかに語るが、しかし金正恩が一方で、これまで演じてきた毛沢東の役割──これには、専制国家の維持と強大化も含まれた──と決別して、今度は鄧小平の役割を、1人で巧みにやり得るという保証は何もない。
トランプに北朝鮮の核廃棄を謳う資格はない
トランプは一方で北朝鮮の核廃棄を強調し、他方で、イランとの核合意は、イランの核保有を制約するのではなく、むしろそれを助長するものだと断じ、単独でもイランとの核合意を破棄し、力の政策、制裁強化の政策に戻ると主張している。イランは反発し、制裁などあれば、公然と核開発を行うと反発を強め、中東における核兵器による新しい軍拡競争の恐怖が高まっている。イスラエルはこれを歓迎し、イラクの核施設の破壊を口にするが、アメリカはなぜ中東の核兵器競争の大本である、イスラエルの核兵器に対して沈黙を守るのか、それを擁護するのか、できるのか。
自ら歯まで核兵器で武装しながら、そしてロシアや中国などと核兵器の増大強化の競争にさえふけりながら、自分の覇権に異議を唱え、抵抗する小国にだけ、核廃棄を強要する国家は醜悪な国家、横暴で、野蛮な帝国主義の国家ではないのか。
そしてそんな大国の核政策に追随するだけの、安倍政権の日本もまた同様に、卑しいキツネ――トラの威を借りて、空威張りするキツネ――同然の国家ではないのか。
周知のように、トランプは今年の初め、ロシアや中国の、核兵器〝近代化〟の策動を口実に、アメリカも負けてはいられないと、新しい、より効率的で、機能的な核兵器の採用を謳い、核兵器による軍事力強化の競争に乗り出すと宣言した。
アメリカは一貫して、核廃棄の国連の決議に反対を表明し、抵抗してきたが、そんな国家が、北朝鮮に核廃棄を、強大な力を背景に押し付け、そんな資格や権利まであると考えるのである。
金正恩の「体制保証」
首脳会談では、金正恩はトランプに自らの「体制の保証」を求め、トランプはそれを保証したということになったが、金正恩の願望はナンセンスだし、トランプは一体何を金正恩に「保証」したのか、できたのか。まさか米韓の軍事演習の中止が、金正恩の「体制保証」ではあるまい。
金正恩の「体制保証」とは、一体何であろうか。核兵器こそが「体制保証」を確実にするというのが、これまでの金正恩の戦略であり、考えではなかったのか。もしアメリカとの「対話」で「体制保証」が可能だというなら、最初からそうすればよかったのであって、それが不都合であるとか、可能性がないというのであれば、核武装に走る前に、それを可能とする方法や戦略について反省し、熟考すべきではなかったのか。トランプのような悪党、アメリカ第一主義で、国家利益しか考えないトランプにすがって、核兵器がなくても「体制保証」が可能と考えることは果たして正しく、まともなことなのか。
北朝鮮を〝民主化〟するというなら、もっと早くやればよかったし、経済自由化が「体制保証」を可能にすると考えるなら、さっさとやればよかっただけである。
核兵器で「体制保証」できないから、核兵器無しで「体制保証」を求めるということは、トランプの強大な軍事力に全面的に従属し、屈従することであり、アメリカに頭を下げ、その従属国家になることによって、自らの「体制保証」を手にしようということでしかない。つまり奴隷の「体制保証」であり、安倍の立場と似たようなものである。
それに、いくらトランプが金正恩の専制体制の「保証」をしても何の意味もない、というのは、北朝鮮の労働者・働く者が決起し、金王朝を一掃してしまうなら、あるいはそこまで行かなくても、労働者・働く者の強烈な不満や怒りの圧力を受けて、金王朝が内的に分裂したり、自ら崩壊して行くなら、誰がその「体制保証」をしようとしても無意味であるのは、例えば1990年代、ソ連共産党と、その帝国主義体制も崩壊して行ったとき、東欧や中央アジアの多くの国家の〝スターリン主義体制〟が持ちこたえられなかった事実からも明らかであろう。
金王朝の行方
そもそも金正恩が核廃棄と結びつけてかどうかは知らないが、今さらのように“経済改革”や、ひょっとして何らかの〝政治改革〟をやろうとすること自体、僭越であり、途方もないことでないのか、一体金正恩にそんなことを実行に移す、どんな資格があるというのか、能力や可能性があるというのか。
彼は専制体制の中心にして、絶対的権力を握ってきた万能の〝君主〟であり、反体制の労働者・働く者はもちろん、反体制のもしくは反体制に見えただけの、多くの人々さえ逮捕し、拘束し、牢屋にぶち込み、抑圧してきた人物、自分の叔父であれ、兄弟であれ、殺害さえ辞さなかった人物──もちろん肉親殺しは、野蛮な君主制の本性であって、全世界の王政や君主制の歴史は、日本の天皇制も含めて、そんな多くの実例で満ち満ちている──であって、そんな人間が今、どんな政治改革や〝民主制〟について語れるというのか(金正恩が今、そんな〝改革〟を口にしているということではないが、もし今後も語らない、語れないというなら、彼の新しい立場はますます矛盾したものとなり、金王朝を内部から分解、解体する要因の一つに転化していくだろう)。
そして南北朝鮮の融和や接近や経済的関係や結びつきの深化発展は、分裂した国民の再統一と統一国家建設に至るまで留まることはないだろうが、しかし北朝鮮が王政──にわか作りの、たまたま形成された、お粗末な王政であれ、三代も続くなら、すでに概念として天皇制と同様、立派に王政である──のままでは、朝鮮民族の単一の国民的形成は不可能であろう、というのは、かつての東西ドイツの国民的再統合を見ても明らかなように、それがただ民主化されたドイツとしてのみ可能だったのは、決して偶然ではないからである。
とするなら、金王朝の一掃は、統一国家形成を希求する朝鮮の労働者、勤労者の不可避的な要求となるのであり、朝鮮が再び国民的統合を成し遂げるための不可欠の契機、前提である。朝鮮の国民的統合は、金正恩の手によって成し遂げられるのではなく、ただ彼がいなくなることによってこそ可能になる。
この面からしても、金王朝の「体制保証」は、第二次世界大戦敗北後の、英米諸国に対する、日本の天皇制の「体制保証」の要求にも負けず劣らず、破廉恥であり、ナンセンスであり、反動的であろう。あの時、日本が「体制(国体=天皇制)の保証」を求めて、終戦を1週間も2週間も引き延ばしたため、日本の若者や国民が何十万もあたら無為に、余計に死ななくてはならなかったのだが、金王朝の延命のためにも、朝鮮の労働者・働く者の多くの命が無駄に失われるかも知れないのである。
南北に分断され、分裂した朝鮮の国民的再統合は、東アジアにおける、一つの進歩的な要因であり、歴史的過程である、というのは、それは朝鮮の労働者、勤労者が一つのより強大で、団結した勢力として登場するということだからであり、少なくとも日中韓の労働者・働く者の接近と連帯と共同の闘いを促進し、発展・深化させ、強化する一つの契機となるからである。
みっともない安倍の周章狼狽
北朝鮮に対する「危険」や「恐怖」をあおり立て、それを政権の浮揚と維持のために利用しようと大騒ぎし、「最大限の圧力」や武力攻撃も辞さずと叫んできた安倍政権は、トランプのまさかの「対話方針」、融和方針への転換に驚愕し、茫然自失したが、しかしやむを得ず、トランプに追随し、雷同することによって体面を保ち、らち問題で得点を上げることで、何とか国民の支持を取りもどすべく、乾坤一擲の?策動に走るしかなくなっている。
しかしトランプは安倍のためにことさら金正恩に金正恩に圧力をかけたり、何か特別の働きかけをする必要は感じず、らち問題は当事者同士で、金正恩と安倍の話し合いで解決すべきといったそっけない態度をとり続けた。
アベノミクスの化けの皮もすでに大方はがれ、権力の腐敗と政治的頽廃は行くところまで行きつき、すでに国家主義──日本ファースト──と外交・防衛政策でのみ自己の存在意義を誇示し、延命を策するしかなくなっている安倍は、今やその最後のよりどころさえ失いかねない危機的段階を迎えようとしている。らち問題の「解決」で浮揚しなければ、できないなら、11月の自民党総裁選で勝つ目もなくし、権力を失うのである。勝負時を迎える安倍に、幸運が微笑むかどうかはまだ見えていない。