労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2018年09月

労働者党の大衆宣伝――愛知・豊橋にて

 愛知の豊橋でも、労働者党の大衆宣伝が行われました。
 写真は、愛知選挙区から立候補を予定している古川ひとしさん。古川さんのプロフィールは、労働者党のHPに掲載されています、皆で応援しましょう。


「愛知支部も、名古屋市内のターミナルや豊橋駅頭での街頭宣伝を行っています。
 23日には、豊橋駅に直結している階上の駅前広場で街宣を行いました。安倍が自民党総裁選で三選を果たし、憲法改定が第三次安倍政権の最重要課題だと取り上げていることの内容を暴露し、無力な野党が安倍政治の存続を許している、我々は新しい労働者の政党として、来年の参院選に愛知から立候補することを訴えました。

 我々の演説を聞いていた労働者から、話を聞きたいので連絡先を教えてほしいとの申し出があり、豊橋在住の党員の連絡先を伝える等、徐々に反応が出てきました。

 今後もさらに宣伝活動を活発化させ、愛知の労働者に労働者党を浸透させていく決意です。」(愛知支部)  


 20180923愛知











労働の生産性とは何か

労働の生産性とは何かーー安倍政権と闘うためにも正しい概念を

 安倍政権のもとで急増したヤクザ議員の1人、杉田水脈(みお)が、子供を産めない男女、あるいは生もうとしないカップルを「生産性がない」と攻撃し、多くの世論の顰蹙を買った。
 もちろん杉田の観念は余りに愚劣だが、しかしブルジョアや安倍たちの「生産性」の観念も杉田と大同小異であって、彼らもまた一貫して正しい観念に立つことはない。

 現代のブルジョアたちの労働生産性についての〝公認の〟理論は、GDP(国内総生産)を総労働者数で除したもの(国民もしくは労働者1人当たりのGDP)といったものである。
 あるいは彼らにとっては、生産性とは資本家活動が生み出した「付加価値」を労働者数で割った数字である。

 そこで直ちに混乱と矛盾が起こる。ブルジョアにとっては、企業の付加価値の全体は、大きくいって利潤と労賃に別れるが、そもそも付加価値の全体は労働者の労働による以外に、いかにして生み出されるのか。資本もまた、付加価値に「貢献する」といっても、「貢献」と付加価値形成とはまた別である。

 そもそも労働生産性の概念は、抽象的な人間労働──これは〝近代の〟概念である──と個々の生産物(使用価値)とその量に関する関係であって、例えば同じ労働で、これまで米が10キログラム生産されていたのが、労働生産性の上昇の結果、20キロ生産されるようになったということ以上を、本来的には意味しないのである。

 異なった生産物を持ってきて、こちらのコストは、他の生産物のコストより小さいから、生産性が上だといっても意味がないのは、1台の自動車と1キロの米の価格は大きく違うから、自動車を生産する労働の方が米を生産する労働より生産性が大きいとか小さいとかいっても無意味なと同様である。
 そして結局ブルジョアには、生産性とは、労働者が1時間なら1時間あたりに上げた「成果」である。
「日本生産性本部によると、16年時点の日本の時間あたりの労働生産性は46ドル。米独の3分の2程度に留まる。長く働いても成果が出ていたわけではない」云々(日経新聞6・30)。 この「成果」とはもちろん価値で表される付加価値やGDP等々であり、ある場合は企業(資本)の利潤である(つまりブルジョアは自分たちの都合のいいように、二重にこの言葉を用いる)。

 したがってまた、ブルジョアたちが生産性上昇でいうのは、労働者の「働き方改革」(利潤を最大にする労働の能率の向上、つまり労働時間の延長とか、残業代なき残業つまり労働強化による実質的な労賃の引き下げ)であって、他のコスト要因について何もいわない──少なくも、重視しない──のだが、それこそまさに安倍の「働き方改革」の核心でもある。

 安倍政権やブルジョアは、労働時間を短くしても、労働者に競争を強要して「効率的に」働かせることが、労働者の幸福を高め、生活も改善・向上し、資本も「成長」し、繁栄していいことずくめだというのだが、一体利潤を至上視し、搾取労働を根底とする、この資本主義社会で、そんなことがいかにして可能なのか。

 そんなものは、つまりアベノミクスなるものは、ブルジョアたちの世迷い言もしくは白昼夢であるか、さもなければ労働者をペテンにかける偽善もしくは幻想である。
 
 労働者はブルジョアや安倍政権との闘いをより有効に、徹底的に闘い抜くためにも、労働の生産性についての正しい、〝科学的な〟概念を持つべきある。

(以上は、『海つばめ』1336号の2面・「主張」欄からの転載です。その他の論文・記事はHPに掲載されています。是非、読んでみてください。)

労働者党の大衆宣伝ーー神奈川・茅ヶ崎にて

20180827茅ヶ崎駅頭宣伝の報告

我が労働者党は、来年の参院選に確認団体として参加する方針を決めています。この方針のもと、現在全国で労働者党の街頭宣伝を進めていますので順次報告していきます。

今回は神奈川支部からの報告です。


 写真は、茅ヶ崎駅頭で大衆に訴える、あくつ孝行さんです。
 あくつ孝行さんは、昨年(
17年)秋に行われた衆院選に神奈川11区から立候補し闘った元高校教員です。あくつ孝行さんは、来年の参院選でも、神奈川で闘うことを決意しています。皆で応援しましょう。

 

「神奈川支部は、県内の主要駅頭で、定期的に街頭宣伝を行なっていますが、827日には、湘南の茅ヶ崎駅で初めてのアピールを行ないました。県支部のあくつさんらが演説。腐敗した安倍政権を打倒しようと、力強く訴えました。熱の入った演説を行なっていたとき、数人の高校生が『ウォー』と、こぶしを突き上げて応援してくれました。機関紙『海つばめ』やチラシも受け取って行きました。今後もさらに宣伝を拡げ、労働者・働く者、若者たちに、労働者党の出現を大きく訴えていく予定です。」(神奈川支部)



20180827IMG茅ヶ崎2

昭和天皇と「戦争責任」ーー責任回避と人間的卑しさと

 昭和天皇に15年ほど「仕えた」侍従の日記が見付かり、その中の一部が注目を浴びている。

「仕事を楽にして細く長く生きても仕方ない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸に会い、戦争責任のことなどいわれるなど」。

 マスコミなどは、こうした天皇の発言は、天皇が晩年まで、「戦争責任」のことを「気にしておられた」──国民のために?──証拠として重大だと騒ぎ立てている。

確かに天皇にとっては、気になることではあったろう。しかし彼は一体、どんな気持で、意図で、自分の「戦争責任」について言及したのだろうか。いくらかでも、真剣で、まじめな契機があったのだろうか。それが問題である。


 自分に決定的な戦争責任があると誠実に反省してのことだ、ときっぱり言い切れる人は少ないだろう。歴代の天皇についてみても、自ら歴史に対して、自らが原因の一つになって国民が不幸や絶望や悲劇の歴史を経験したなどということで、「責任」を感じた天皇がいたということは、はばかりながら我々は浅学にして、そんな知識は余り持ち合わせていない。少なくとも、歴史と政治に直接の責任を負わなくなった、古代以降の──せいぜい平安時代、あるいは武士の時代の初期あたりから後の──天皇は、支配階級の寄生的存在として、歴史に対して基本的に責任を負うというより、自らの地位と生存を保持し、生き延びることに汲々としてきた連中、すでに歴史を前方に推し進める、社会の主役から降りた連中にすぎない、つまり〝無責任な〟、そしてむしろとことん利己的で、〝自己中心的な〟連中として、よく知られている。そんな連中が眞の意味で歴史と国民に対して「責任」を自覚し、それを背負うことはないし、ありえなかった。

昭和天皇も同様であり、彼は例えば1931年から45年までの、内外の諸国民に対して、労働者・働く者に対して露骨に抑圧的、収奪的であり、凶悪だった日本のブルジョア帝国主義の時代について自ら「責任」を感じたり、それを主体的に自覚し、引き受けるどころか、最後には、自らその加害者どころか被害者の役割を演じることで「戦争責任」の罪から逃れ、マッカーサーに助けられるなどして、1945年以降の歴史を生き延びてくることができたにすぎなかった。

彼が例えば東京裁判で「戦犯」として裁かれ、死刑になった、太平洋戦争中の〝盟友〟の東条に対し、その行為や「戦争責任」に対して、どう考えていたかは明らかになっていないが、しかし彼が東条らに対してとった態度は客観的に明らかにされている。

それは、東条ら戦犯が、靖国神社に祭られるようになったときから、天皇がその参拝を一切行わなくなったことからもうかがい知られるのである。この天皇の行為は、戦犯が祭られるようなところには行くことはできないという意思表示として、天皇の〝平和主義〟と15年戦争の歴史に対する反省と否定的意思を表明している証拠として、ブルジョア世論は〝好意的に〟解釈してきたが、そんな評価は余りに卑俗で、ばかげている。つまり天皇は15年戦争の時代を通して、常に、あるいは原則的に〝平和主義者〟だったという、あり得ない、愚劣な神話を彼らはいまだに信奉し、振りまいているのだが、しかし天皇が基本的に15年戦争を肯定し、その戦闘に立ちさえしてきたという事実はあり得ても、一貫して反戦平和の戦士であり、英雄であったなどという証拠はどこにも存在していない(戦争をして大丈夫かといった、〝個人的な〟危惧を表明するといったことはあり得も、である。しかしそんなものも、国民のことを心配してとのこととは全く別で、大規模な戦争を始めて、もし負けたときはどうなるのだといった、天皇としての自分の地位が動揺し、責任を問われることを心配しての、個人的動機からする発言でしかなかったのである。東条らが、大丈夫ですと保証すれば、それで簡単に満足する類の疑惑である)

東条は東京裁判の当初、自らの戦争責任を問われ、天皇の意思に反して戦争を始めたと非難された時、自分は骨の髄まで天皇制主義者であり、天皇の意思に反して太平洋戦争を始めるはずがないと抗弁したが、しかしすぐに自らがすべての責任を負うかの立場に転向し、その立場を最後まで貫いた。自分の天皇制主義者としての「信念」を貫けば、戦犯の追及が天皇に及ぶことになると悟ったから、あるいはそのように外部からいわれ、強い圧力を加えられたからであろう。かくして天皇は自らの「戦争責任」をほっかむりして明らかにせず、マッカーサーに助けられて、天皇の地位を守り通したのである。

客観的に、東条は天皇の責任まで自ら背負って死刑になったともいえる。天皇にとっては、命と地位までも守ってもらった真の〝忠臣〟であり、大恩人である。

しかし昭和天皇は、自分はアメリカの戦後政策を受け入れ、東京裁判の結果を尊重し、戦後の天皇として生きてきたから、仮に東条らが「戦犯」の汚名をそそがれ、靖国神社に祭られるようになっても、そんなところにお参りできないという態度をとったというわけである。かっこうよく振る舞い、筋を通したかに振る舞ったというわけだが、ある意味で、徹頭徹尾利己的で、これ以上ないない厚顔無恥とさえいえる。昭和天皇の見え透いた態度は空々しく、果たして東条らに対して忘恩の振る舞いではないのか(右翼反動派は、天皇に相応しくない──というのは、天皇は完全無欠の道徳の鏡でなくてはならないから──言動を見過ごして、なぜ告発し、非難しないのか)

昭和天皇も、自分たちが生き延びるために、ありとあらゆる策略や権謀術数に溺れ、巧みに、陰険に支配的諸勢力を〝手玉にとり〟、利用しながら──そして利用のしがいの無くなった者たちを冷淡に、無造作、無慈悲に切り捨てながら──生き延びてきた、歴代の天皇たちと同じような、卑しい策謀家ではなかったのか。

昭和天皇が、自らの「戦争席に」を気にしていたといっても、それは単に、すでに東京裁判で〝無罪〟となった、自らの「戦争責任」が改めて問題になり、喧喧囂々(ごうごう)の議論と検証の対象となり、自分の「責任」が問われることを恐れてのことだけであって、真摯な反省などといった心象とは何の関係もない。

長い歴史の荒波の中で〝鍛えられ〟、生き延びてきた天皇一家の連中は、そんな〝ヤワな〟連中ではない。

天皇一家は、いま〝平和主義的ぼけ〟に浸りきっている日本のブルジョアやプチブルや遅れた労働者・働く者の中で──今ではブルジョアだけでなく、共産党まで天皇制の有益な役割を持ち上げ、賛美する有様である──、彼らの偽りのアイドルとして、偽善的に〝平和主義者〟を演じることで、その延命を図るに急である。それもまた、天皇一家の歴史的に身につけてきた、〝自然な〟行為もしくは〝深謀遠慮の〟知恵であり、また自らの延命策動である──それ以上のものでは決してない──ということを、労働者・働く者は確認しなくてはならない。

天皇一家は戦後、神でも、その子孫でもなく、単なる「人間」であり、特別の人間でさえないと自ら語ったのだから、今や労働者・働く者は、天皇一家を、欲も煩悩も俗物根性も偽善も人並みに──というより、普通の労働者・働く者以上に、はるかに執拗かつ強烈に──有し、自らの利益や地位を守るためにありとあらゆる努力や策謀にふける、ブルジョア支配階級内に繰り込まれた「ありふれた」人間集団として、汚い偽善者集団として評価し、扱い、処遇することを学ばなくてはならない。

 
★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
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