吉村ふみお・比例区予定候補の奮戦記――訪ねて、話し込み、意気投合して NO.4
① 「海つばめ」手配り読者の家庭訪問、購読料集金。その足で近くの診療所(元勤務していた生協系列)訪問。診療時間外につき休憩室の医師を訪ねるも返事なく、顔見知りの事務員に「吉村パンフ」を渡して立候補の旨話していたら、「吉村さん!」と目的の医師から大声(休憩室は2階にあり1階のホールにいる私を見つけてくれた)あり。さっそく立候補の旨伝えパンフ渡す。「頑張って」との声かけあり。
次に同じ生協系列のデイサービス事業所訪問。所長は労組員(前回報告した経営側からの労組脱会の勧めを断固拒否した方)と話す。前任の所長は夜遅くまで時間外労働をしていたと聞いており、「定時で帰れているの?」と尋ねると、「小さい子供の世話もありほとんど定刻で退社、残っても40分くらいまで」と聞き一安心。この方の義姉は私の元同僚で結婚退職し県外にいるが、近く帰省した際に「吉村パンフ」を渡してくれるとのこと。比例区は全国が選挙区でありこんな形で広がればなあ、と思うことしきり。また、この職場の労組員が私を見つけて挨拶と励ましあり。
② 生協系列のグルーホーム訪問。この職場には労組員はいないが、知人が入所しており久しぶりだった。知人はかつて共に活動し、今は故人となられた方の配偶者。故人が元気な時は二人で話をしていると私を見つけて、車イスで近寄り「吉村さん、今どこに勤めているの?」とよく声をかけてくれていた。確か1921年生まれの今年98歳、看護婦として中国で働いていたが、何かのきっかけ(詳細を聞いておけばよかった)で毛沢東の八路軍に編入され行動をともにした経歴の持ち主。「社会は弁証法によって発展するはずだが、あなた方はいっこうに発展してないじゃないですか」とよく苦言を呈せられると元同志から聞かされたものだった。
ソ連共産党が捕虜に思想教育をし、中国共産党も同様であったことは書物では知っていても当事者から直接聞ける人は年々少なくなっているなあと思った。ただ、知り合いの介護職員が部屋に案内してくれたが、ここ数日は体調を崩し、当日は会話もできない状態であった。
この職員はホームでも中国にいた話はよくされており、中国語を披露することもあったが、毛沢東や八路軍の話は初めて聞いたとのこと。職員は移動前は私と同じ職場だったので、過酷な介護現場で腰痛になっていたことも思い出し、腰の調子を聞くと、介護対象者の数が少ないので楽になった(以前の職場は通所リハビリテーションで定員45人だが今のグループホームは利用者3分の1程度)が、湿布薬を全身に貼りまくり皮膚が炎症をおこしているとの話。この方はそんな自分のことより、同僚が生協系列の他のグループホーム職場に休日出勤し、休みなしで働いているとの話をしてくれた。
変形労働時間制採用の職場で、法定休日の定義をしていない就業規則の不備を突いて休日割増1.35を労組の団体交渉確認したところではあったが、当面の課題は休日労働が必要とされない条件=人員増を勝ち取ることである、また、定時で終えても十分暮らしていける賃金が支払われることがないと、現在の低賃金のもとでは命を削る(緩慢につき自覚は少ないかもしれないが、確実ではある)にも拘らず応じてしまいがちである。このホームではこの職員とあと二人にパンフを渡すことができた。
③ 前回不在だった知りあい宅訪問。ご在宅で20分ほど話す。「何を言われても平気な安倍さんは不気味、こんな人の政権は倒すしかない」と語られ全く同感。天皇制について選挙の争点の一つとしていると話すと、「反対(天皇制に)する人には、天皇を呼び捨てにする方がいるが良くない、私だって呼び捨てにされたらイヤだと感じる。話す内容より態度で拒否されたらマズイと思う」と語られる。
市議や市長を当選させた市民運動を経験されていただけに、訴える際のアドバイス(私が呼び捨てにしてきたわけではないが)は参考にしようと思った。
④ 自治労県本部が組織加盟している医療関連労組の協議会がある。自治体経営の病院労組以外に、日赤病院や全国一般労組傘下の民間労組も加入しており、学習会や総会、またお互いの闘争支援をしている。私の所属する労組も参加している。今回訪問したのは県南部の精神科病棟を中心とする職場の労組(瀬戸内海に面した自宅から150キロ南下し、高知県境まであと40キロ、太平洋気候の地)である。
事前に労組の吉村ではなく、国政選挙参加を予定している「労働者党」の者として話を聞いてもらいたいと電話で申し込む。委員長の方は会議や交流会で何度も同席していることもあって「吉村さんなら知っています、執行委員会の前段に時間をとるから来てもかまいません」と嬉しい返事あり。思わずガッツポーズをとる。
この労組はかつて全国一般傘下であったが、1988年総評と同盟が合体して連合に移行した際に袂を分かって現在に至っている。ただし、経営側の組合つぶしに労働委闘争、裁判闘争を対置し、非妥協的に闘うその姿に医療関連労組の協議会としてナショナルセンターの垣根を超えた連帯があり、業種の違う県南の労組も応援してきた歴史がある。自治労県本部の役員の中にも、異動でこの地に赴任してここの労組の闘いぶりに大いに触発されたと語る人もいた。若い准看護師の労組員が正看護師になるための届けを出す際に、婦長から労組脱会を条件に承諾する旨の不当労働行為があって、支援要請を受けて県労委の審問傍聴に参加させてもらった。
また、就業規則の退職金規定を改悪し、数百万近くの切り下げには裁判闘争に踏み切り、傍聴支援の要請に答えて参加させてもらったこともある。いずれも勝利を勝ち取ったのではあるが、毎回東京から来県する弁護士は「全国でこの小さな労組がこれほど果敢に闘う事例は経験したことがない、退職金裁判では労組員以外にも適用されるという判決を勝ち取ったのは画期的だ」とその報告会で語られた。
当日、約束より一時間以上早めに訪れた組合事務所は閉まっていたが、ドア一面には社民党候補のポスター。時間まで車を置いて一時間ほど近所を散歩しながら話す内容を再考することにした。与えられた時間は15分。冒頭、吉村パンフ、機関紙「海つばめ」最新号(第1346号)、長野支部作成の「年表 労働者党結成に至る歩み」をセットにして執行委員全員に配布。
「春闘の最中、お忙しい中でこの機会を設けてくれてお礼を申し上げます。また、皆さんの県労委闘争等の闘いぶりに学び、勇気づけられ、2011年に労働時間延長の不利益変更に対して私のいた労組が県労委闘争に踏み切り、譲歩を勝ち取り、該当する80名の職員の基本給に平均1万5000円上乗せを勝ち取れたこと、感謝しています。
さて、労働者の立場に立った者を国会に送り、労働者の闘いを飛躍的に発展させるため、来る7月の参院選に私達『労働者党』は10名の候補を立てて確認団体として闘う予定です。一昨年の衆院選では神奈川11区で候補者を立て当選はかないませんでしたが、自民党のプリンスと言われる小泉進次郎を相手に国家財政の赤字問題をどうするのか、彼発案のこども保険は国家財政にメスを入れず、安直に労働者からその費用を集めるバラマキの愚策である、と真正面から政治闘争として闘いました。今回も安倍の口だけの「働き方改革」を批判し、長時間労働・ブラック労働に象徴される搾取労働の即時廃止、非正規労働者や女性労働者に対する差別労働の一掃の要求を掲げて闘います。
今春闘においても、連合や共産党、社民党、立憲民主党などは景気回復のために賃上げを叫んでいます。しかし、景気回復とは私達を搾取している経営者・資本家と私達労働者との共存共栄を前提とした状態です。賃上げ闘争は労働者の生活維持・向上のためであってそれは皆さんが体験してきたように経営者の利益と対立するものです。経営者や資本家との共存共栄はありえないことであり、会社あっての労働者なのだという考えは、資本が権力を持つ国家あっての労働者という考えにも通じます。
第一次世界大戦に際して、ドイツ社会民主党という政党があり、労働組合出身の国会議員は百名を超え第一党でもありました。ちょうど2009年の政権党である日本の民主党も労組出身の国会議員がいましたが、国家あっての労働者という立場・考えはこのドイツ社会民主党と同じでした。さて何があったのか、会社がつぶれては大変だ、海外の権益が損なわれては大変だ、国家存亡の危機だ、とういことで祖国防衛のために戦争に賛成しました。
今、平和を叫んでいても、経営者や資本家との共存共栄を願う立場からは、その秩序維持だということで、当時のドイツ社会民主党のような立場になってしまうのではないか、そう思っています云々」。
一応15分経過時にまだしゃべってもいいかと委員長に了解を得て、気が付けば30分近く費やしてしまった。ホームページで詳しく主張や全国の闘いもアップしていることも案内。綱領と選挙本を贈呈。他市にも系列の病院があり労組分会もあるが、この執行委員会に当該分会長が参加しており、分会員用に吉村パンフを渡すというので人数分お渡しする。また夜には大会だというので、参加人数分のパンフをお渡しした。時間がもっとあれば感想を聞きたいと思いつつ事務所を後にした。
⑤ ④の病院労組訪問前に近くの自治体労働組合単組を訪問。
組合事務所に行き、元県本部書記長をしていた方の職場を伺ったところ、内線で「吉村さんが来ているなら、こちらから行く」とのこと。ありがたい。冒頭、何も分からず、県本部に書記長として着任した時、当時書記次長の私からよく声をかけてもらって助かった思いでしたと礼を言われた。
歳は私の長女くらいで30半ば。綱領、海つばめを渡しつつ、実は昔から政治活動をしており、今回立候補した、自治労の春闘方針批判、ロシア、中国は自称社会主義だし、共産党、社民党、かつての社会党も理想の国と持ち上げてきた、社会主義的市場経済といっても、商品生産があること自体、資本主義だなど話す。4000人を束ねる労組の書記長経験者でもあり、弁護士志望でもあった彼は、それはマルクスの言っていることからはそうですね、などと相槌もあった。
私の背後に自治労組織内参院候補者(立憲民主党)のポスターが掲示されているだけに力が入り、一時間ほど話す。帰り際にHPを見てくれというと、是非見させていただきます、との返事。
帰りにこの単組の委員長と執行委員の二人の職場訪問。両者とも会議で何度も同席している旧知の方。パンフを渡しつつ20分程話す。
委員長はかつて県本部執行委員会で、職員労組と現業労組と市立病院労組の三労組で共闘組織を作って対市交渉を行っているとの報告をされたおり、興味深かったのでこちらから声掛けして以来仲良くなった方である。もう一人は組織決定しているから単組としての支持はむつかしいと正直に語ってくれたが、検討をしてホームページを見てくれれば脈ありと思いたい。
⑥ 代表委の田口さんより活動報告のパンフ化の依頼があり、今回の報告までを元に取り組む予定。