労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2020年06月

コロナ禍が明らかにした資本主義の危機

コロナ禍が明らかにした資本主義の危機

 

 安倍政権に退陣を迫り、
     新しい社会主義の時代を切り開こう

 

新型コロナウイルスCOVID19感染の蔓延は、新規感染者の数が4月11日に700人近く確認され、それをピークに徐々に減少し、5月25日には緊急事態宣言が解除され、ようやく終息に向かいつつあるかである。安倍首相はコロナ収束に胸を張って、「全面解除後の次のステージへ、力強い一歩を踏み出す」というが、その後も新規感染者数が20~40人が続いており、収束する状態にはなっていない。この間のコロナ禍の社会経済的影響を明らかにし、社会の根底を支えている労働者・働く者が、これからの社会を如何に展望するかを検討してみたい。

 

コロナ禍が生み出した恐慌の実態

 

コロナ禍、コロナ危機は、まず、新型コロナウイルの感染と感染拡大、そして感染した患者の治療が追い付かない医療崩壊である。そして感染を回避・予防するための人々の外出自粛と、政府の外出及び営業自粛要請などの政策によって、社会経済活動が停滞し、企業は経営難に陥り倒産・休業し、労働者が失業、休業などで生活困難に陥る恐慌状態になっている。

 

利益の低迷

 コロナ禍が企業に与える影響は深刻であり、1~3月期の法人統計企業調査によると、金融機関を除く全産業の経常利益は前年同期比32%減少した。リーマン・ショック後の2009年7~9月期(32.4%減)以来の下落幅であり、再び恐慌が資本主義経済を襲っているのである。宿泊・飲食などのサービス業、卸売業、小売業などの非製造業が32.9%減と減益幅が大きく、自動車とその関連部門の製造業が29.5%減である。

 

売上高の減少

 売上高については、上場企業の1~3月期は前年同期比で7%減、その内情報・通信、空運は同期比20%台、ゴム製品、輸送用機械(自動車など)が10%台の大きな落ち込みであった。4、5月のバス事業(路線バス、高速バス、観光バス)は前年比99%減、4月の空港の旅客数は関空で97.3%減、大手百貨店4社の5月の売上高は6~8割減、外食産業の4月の売上高は39.6%減、工作機械の4月の受注額は48.3%減、国内自動車大手8社の4月の世界生産は6割減、鉄道では乗客が激減しJR西日本では4月の在来線特急や山陽新幹線利用者は90%減、空運ではJALANAの3月の旅客数は国内線で6割減、国際線で7割減、3月の全国のホテルの稼働率は31.9%などであった。

 

 これら上場企業から仕事を受ける中小零細企業は、「売上が激減し、先が見えない」状況にある。売上が蒸発し経営難に陥った宿泊、飲食、アパレル関連、路線バス、農園、派遣会社などのサービス業では、コロナ関連で倒産している。

 

GDPでみると1~3月期は年率換算で3.4%減であり、4~6月期は20%超の減の予則である。事態は深刻化している。

 

倒産210件、完全失業者178万人

コロナ関連倒産(負債1千万円以上)が6月3日時点で210件を超えた。上場企業はアパレル大手レナウンのみで、従業員10人未満がほぼ半数である。倒産企業の従業員は少なくとも7700人にのぼり、アルバイトなども含めると数倍の雇用が失われている。

 

宿泊、飲食、アパレル関連などが約4割を占め、路線バス、農園、派遣会社などにも広がっている。4月末で廃業したバス事業者は19社である。2008年のリーマン・ショック時は、大企業への影響が大きかったが、このコロナ禍では大半が中小で、特に中小のサービス業のコロナ禍関連倒産が目立っている。

 

4月の完全失業者は178万人(完全失業率2.6%)、前月から6万人増えた。解雇によって多くの労働者が街頭に放り出されている。

 

コロナ禍前から進んでいた危機

1990年代のバブル崩壊以降、鉄鋼、家電などの生産的産業はすでに次第に衰退していたのであり、観光・宿泊、娯楽産業、小売などの消費的な非生産的サービス産業に資本が生き残りとして求めたのである。

 

その中で生産的産業では、自動車産業が日本を牽引してきたのであるが、過剰生産能力を抱えた日産自動車は、2020年3月期は純損失が1千億円近くの見通しから6712億円に膨らんでいる。ソフトバンクは投資ファンド事業が大きく足を引っ張り純損益9615億円の巨大赤字を出した。パナソニックは減収減益、地方銀行(上場76社)も純利益が前年比1割減である。

 

鉄鋼もコロナ禍以前に過剰な生産能力を露呈し、日本製鉄は呉と和歌山の高炉休止、JFEも京浜地区の高炉休止などを決めている。コロナ禍による鉄鋼の需要減が進めば、さらなる生産能力の削減に追い込まれ、人員削減も避けられないことになる。

 

解雇・雇止め1万6723人

コロナの影響で解雇や雇止めにあった従業員は、5月29日時点で1万6723人である。宿泊、タクシー・観光バスなどの旅客運送業、製造業、飲食業、小売業などで働く人、そして介護労働者、学童保育の指導員、英語塾などの教育関連従事者などに失職は広がっている。

企業は倒産に至らないとしても経営を守るために、労働者を解雇する。25日~29日の新たな4811人の失職者のうち、非正規労働者は2366人であり、非正規労働者で失職の割合が高い。非正規労働者は前年同月より97万人減り、このうち女性労働者が71万人である。正規労働者も容赦なく解雇の憂き目に合っているが、失業のしわ寄せは、非正規労働者、女性労働者に多く寄せられている。

 

休業597万人

会社から仕事を休まされ休業を余儀なくされている人は、4月で597万人にのぼる。2008年リーマン・ショック直後のピーク時には153万人であり、今回はより深刻である。日雇い労働者、派遣会社に登録して日雇いの仕事をしている労働者、登録型派遣労働者(例えばツアー添乗員)など非正規労働者は、仕事がなくなれば生活費が稼げなくなり困窮する。特にネットカフェなどに寝泊まりする人は、さらに住いの困難が襲い掛かっている。

 

雇用統計に入らない、上記の業種や文化スポーツ関連のフリーランスなどの自営業者もイベントや公演などが中止になり休業に追い込まれている。

 

就職難・新規求人数前月比22.9%減

4月の雇用統計では、新規求人数は前月比22.9%減で、主要産業別でみると宿泊・飲食サービスが47.9%、製造が40.3%であり、生活関連サービス・娯楽、教育・学習支援、学術研究・専門・技術サービス、情報通信、卸売・小売、運輸・郵便、医療・福祉などで新規求人数が激減している。仕事がしたくても仕事がないのである。

 

生活保護206万人

 これらの倒産、解雇・雇止め、休業などで生活費を得ることが困難となり、生活保護に向かわざるを得ない状況にある。特定警戒13都道府県では、生活保護申請が前年と比べて3割増え、感染予防で窓口職員を減らしているなかで、申請相談が急増している。2020年2月時点の生活保護利用者は206万人であるが、労働者が働く場所が失われているのであり、生活困窮に陥って生活保護を求めざるを得ない人が爆発的に増える事態なのである。

 

資本主義が生産力を発展させるという歴史的な使命をとっくに終え、社会の根底を支える労働者に、生活困難をもたらす状態に追い込むようになっていることを、再び三度明らかにしている。

 

本当の解決は資本主義社会の根本的な社会主義的変革しかない

 

コロナ禍は飲食、観光、宿泊・ホテル、スポーツ、娯楽関連、小売、医療、介護、教育などのサービス業や、タクシー、観光バス、航空、鉄道などの運輸業、自動車産業及びその周辺の製造業を直撃し、そこに働く労働者が、失業、解雇、雇止め、休業、就職難の厳しい状況に置かれ、生活困難に追いやられている。我々は如何にこの状況を解決すべきか。

 

資本主義の危機が汎世界的に広がっている

 IMFは2020年の世界経済見通しによるGDPの年間増減率は、全世界で-3.0%(2019年2.9%)、先進国で-6.1%(同1.7%)、新興市場国と発展途上国で-1.0%(同3.7%)、それに含めている中国を取り出すと1.0%(同5.5%)と、総ての国で経済成長率が前年より低下し、中国、インド等を除くと、マイナスになると予測している。

 

ILOの分析(5月27日)では、勤務先の休業などで世界の6人に1人の若者(すなわち働く世代)が働けない状態に陥っているとし、その要因として、感染拡大の影響を最も受けた、小売、宿泊、製造、飲食の業種で若年層の労働力の割合が高いことをあげている。これは、将にここに述べた日本の状況であり、世界共通である。

 

安倍政権の緊急経済対策

この資本主義の世界的な危機に対して、日本では102兆円を越える戦後最大の膨張予算となる2020年度の当初予算に加え、コロナ禍に対する緊急経済対策のための総額25兆円6914億円の第一次補正予算と31兆9114億円の第二次補正予算が成立した。

 

労働者を救済するものとしては、雇用調整助成金の企業に対する支援が、一次補では690億円、二次補正で4519億円に積み上げられ、そのなかでようやく労働者が直接申請して給付されるようになった。ひとり親世帯の支援は1365億円である。労働者の救済になるものはこれだけであり、全く不十分である。

 

肝心の医療体制の強化では、コロナ禍による医療崩壊の最中にこそ、緊急の必要があった重症者の隔離病棟の配置やPCR検査体制の整備が、全く遅れたのである。

 

安倍政権が補正予算で重点が置いたのは、経営難に陥った企業への給付金や融資である。企業を守り、景気を刺激する消費を喚起しようとするもので、資本の体制の維持を図るものに重点が置かれている。

 

観光などによる人の移動、そして人と人との接触・接近は感染を広げることになり、観光などの消費は、いくら観光振興策(「Go Toキャンペーン」など)で消費(観光)を刺激しようとしても、そもそもコロナ禍によって消費ができない状況にあり、消費したくても消費できないのである。資本にとってはこれらの産業を救うことは、資本の体制を守るために必要であり、そのための救済策であるが、それは救済にもならないその場限りの弥縫策である。これらの産業は、人が集まってこそ成り立つ産業であり、政府が推奨する「新しい生活様式」では、その集まる人が半分になって経営が成り立つかは難しいのである。補正予算に盛り込まれた給付や融資で企業が救われるとは限らず、このままコロナ禍が続けば、さらに支援が必要になるかも知れないのである。

 

これらは公的債務を増やすだけで本当の解決にならない。アベノミクスで既に破綻している日本社会の経済をさらに破滅に導くものである。コロナ禍と闘うためにも、安倍政権を倒すことが焦眉の課題である。

 

これからの社会の展望と労働者の闘い

 

1990年代以降の不況の深化とともに、資本が生き残りとして求めた資本を移行していったのが、観光・宿泊、娯楽産業、小売などの消費的な非生産的サービス産業である。それらと共に航空、鉄道、バス、タクシーなどの運輸産業が発展した。そして、高齢化社会の到来とともに必要性が増してきた介護・医療など社会福祉関連のサービス産業が勃興した。生産的産業では、自動車産業が日本を牽引してきたのである。

 

観光や宿泊、飲食業、娯楽などのサービス業は、衰退する国内の需要だけでは発展することができず、東京ディズニーランドやUSJ、さらにはオリンピック、万博、そしてIR誘致などで外国人観光客を呼び込むことで起死回生を図ろうとした。これらが今回のコロナ禍で打撃を受けたのである。年3千万人を越えた訪日外国人観光客は現在皆無になっている。資本の危機を根源として成長したこれらのサービス産業は、資本の危機を救うことはできないことをコロナ禍は明らかにした。

 

介護・医療も費用の増大と人手不足をコロナ禍がさらに助長し、介護崩壊、医療崩壊の徴候を呈したのである。介護・医療も私的資本の経営では行き詰まりをみせている。生産手段を社会の共有とし、社会の働くことができる全成員が共同体の一員として、介護・医療を担わなければ解決の道はないのである。

 

金融緩和政策もうまくいかず、財政政策では公的債務を際限なく膨張させるだけで、打つ手を失くしてきた資本主義、それを支える安倍政権は、コロナ禍によって非生産的なサービス産業でも行き詰り、そして今や自動車などの製造業も販売数が減少し過剰生産を露呈し、危機を深めている。

 

労働者は雇用の確保や生活の保障を求めて、資本家や政府と闘わなくてはならない。それは私的資本が利潤を上げる経営を基礎とする資本主義社会において、労働者は常に厳しい状況に置かれ、解雇・雇止めにあい、休業を余儀なくされ、収入を絶たれ生活困難に直面するからである。しかし解雇、人員削減となった生産の縮小は、利潤のさらなる獲得をめざした資本が、抱えることになった過剰生産がもたらしたものであり、本当の解決のために、私的経営で営まれている資本主義的生産の変革に進み、生産手段の私的所有から社会的共有に移し、生産を真に社会的なものにする、資本主義を乗り越える闘いに進まなければならない。

 

今こそ労働者は労働者党に結集し、野党に頼るのではなく独自の闘いを組織し、資本の維持に汲々とする安倍政権に退陣を迫り、新しい社会主義の時代を切り開かなくてはならない。

 

先進20カ国は世界で900兆円の資金を投入することにしている。世界の公的債務は昨年末で7500兆円に達しており、新たな公的債務はこれに上乗せされる。世界的なインフレでしか解決できないような時限爆弾を抱え込む、汎世界的な資本主義の危機を呈しているのである。

 

世界の労働者は連帯して資本主義社会の根本的変革を志すべきときがきている。

 

(大阪・佐々木)

北九州市民は”民度”が低かったのか?

福岡の『海つばめ』読者から、当地のコロナ禍について投稿がありましたので、紹介します。

 

北九州市民は”民度”が低かったのか?

 

第二波の到来か、と心配された北九州市のコロナ感染は沈静化しつつあります。今回の特徴は、市内の全行政地域でほぼ同時期に発生したことです。全ては経路不明、日本独自のクラスター対策、「さかのぼり接触者調査」は全く意味を失いました。ここで再び「日本モデル」は破綻したのです。

 同時に、日本独自のクラスター政策の破綻を隠蔽する「80%自粛」とか「新しい生活様式」も又、見当違いの感染症対策と言うことです。形式的に行動変容を強いることは、医療労働者や感染者に対する偏見や差別、そして自粛警察を生みだしました。 

 

 こんな非科学的な、医学的とも思えない安倍政権のコロナ対策で爆発的感染に至らなかったのは、日本が東南アジアに位置する“幸運”によるのか、今の所、理由は不明ですが、少なくとも「「民度の違い」(第二波が襲った北九州は麻生の地元だ、民度が低かったのか?)ではない。

 

 だが、次のことは確かです。病院や介護・老人施設で集団感染が再び発生し、入院患者や医療・介護労働者を肉体的・精神的な苦境に追い込まれた。これは安倍政権と「感染症村」の頑迷な、利権や面子に囚われたドグマ的な、優柔不断なコロナ対策がもたらしたのです。

 

 「三密」が避けられない産業労働者、社会的・公的な諸施設やそこに働く労働者等の感染症対策は、北九州でのクラスター発生が示すように一歩も進んでいない。国内のPCR検査能力は今もって一日2万件にも達せず、検査能力の強化は私的医療資本や自治体まかせです。しかし、私的な、営利を目的とする医療体制はいきなり公的な役割を強いられ、余りの負担の大きさに経営危機に陥っています。安倍政権は有事に備えるとして兵器の爆買いを厭わない。しかし、労働者大衆の健康と命と労働を守るために必要な医療体制は、安倍には強化する気がなく、また私的な、営利目的の医療では不可能であろう、公的な医療供給体制を構築すべきではないのか。北九州では二か所の基幹病院の集団感染で地域の救急医療が逼迫したのだ。膨大な借金をして資本救済にばら撒く余裕などないのです。

 

 ブルジョア達は、コロナウイルスから自らを「隔離」し、必要なら金に任せた医療が用意されている。労働者大衆は「隔離」ではない社会生活で、協働して働き、物質的に社会を支えています。北九州市のように、いきなり感染者が発生する、このように市中に闇を作ったのは安倍政権です。労働者は、感染の実態を明らかにする、その為に必要な諸検査を実施し、飛沫・接触感染防御を行い、お互い疑心暗鬼に陥ることなく、社会を支える労働を営むのである。

 

 これを安倍政権に望むことは不可能だと思う。第二波襲来の前に、この政権は消えてもらわないと困るのである。

(福岡 読者A

不正統計のツケ

不正統計のツケ

「雇用保険の追加給付」に思う

 

半年ほど前に厚生労働省から「雇用保険の追加給付に関するお知らせとお願い(口座確認)」という通知が届いた。何だろうと内容を確認すると、20165月に一括雇用保険の給付額が少なかったというもので、この度、追加給付することとなった、ついては「払渡希望金融機関指定届」を返信封筒で提出してもらいたいということであった。金額的には平均で千四百四十円という少額であったが、一応提出しておいた。ところが、いまだに振り込まれた様子がない。通知には昨年の十一月から順次手続きを進めているという。通知が来たのは、その日付より一か月以上もあとのことである。

 

通知に問い合わせ先、「雇用保険給付相談窓口」の電話番号が記されていたので、電話したところ、最初は「只今、大変込み合っています。後ほどおかけください」ということで、しばらくしてからかけなおしてみた。そうすると「そのまましばらくお待ちください」というアナウスが何度かあり、女性の担当者がでて対応してくれたので、その旨を伝えて、どうなっているのかと質問すると「申し訳ありません」の連発。私のはいくら戻ってくるのか?「それは担当のハローワークでないとわかりません」。通知には私の「お客様番号」が記されていたがそれを訪ねようともしない。ではいつ頃、振り込まれるのでしょうか?「わかりません」。コロナの影響で遅れているのですか、厚労省の職員の少なさが言われて久しいが?「それもあると思いますが、ともかく決定通知が行きますので、待ってください」。しかしそれがいつになるかも分からないという。全く埒が明かないのだ。上司から、あやふやな対応をしろとしか言われていないのだろう。本来ならまず、私が当事者かどうか確認するのが普通だと思うがそれもなかった。つまり応えられる資料がそこにないことを物語っている。

 

 なぜ「雇用保険の追加給付」が必要になったかといえば、あの「毎月勤労統計」調査の改竄・捏造であった。通知には、「毎月勤労統計調査の不適切な取扱いの影響により、多くの方の雇用保険に影響が出ておりますことに重ねてお詫び申し上げます」と記してあった。調査の方法を変え、間違った賃金統計を知らん顔して公表していた事件で、国会でも議論され、社会に大きな波紋を放ったのだが、当時の根本厚労相大臣はその責任をとることはなかった。

 

そのつけが今頃になって処理されているのだ。「毎月勤労統計」調査を今まで通りにして居れば、こんな事態にはならないし、これを行う多くの労力と時間、税金を費やすこともなかったと考えると怒りがこみあげてくる。それに追加給付が少額であるということで、申請書を提出しなかった人も多いのではないかと推測する。

 安倍政権の下、腐敗しきっている国家行政の一端をあらためて垣間見る思いである。

 (神奈川 T・A)

 

                                                                                  

赤旗の『ペスト』書評に異議あり

   赤旗の『ペスト』書評に異議あり

     ――人間賛歌でいいのか

 

 カミュの「ペスト」が爆発的に売れているそうだ。唯一の文庫本である新潮文庫は増刷に次ぐ増刷という。「ペスト」の設定が現在のコロナによる都市封鎖とそっくりだからであろう。“赤旗の書評欄で「ペスト」を紹介しているから読んでみたら”、という誘いがあったので、再度(数十年前の若いころに呼んだが、内容はほとんど忘れてしまった)読んでみることにした。

 

 物語は194*年のアルジェリアの地方都市オランがペストに襲われたことに始まる。主要な登場人物は、主人公であり物語の語り手である医師のリウーである。また後にリウーの親友になるタルーは、検察官の息子でかってはニヒリストだったが、ペストでは自ら保健隊を組織して献身的に働くが最後にペストに斃れる。新聞記者のランベールは、本国に恋人を残してきて、たまたまペストに遭遇した個人主義者で、何とかオラン脱出を試みるが、市民の惨状を目の当たりにし予防隔離所で働くことになる。その他、戦闘的なイエズス会士のパヌルー神父(やはりペストで死ぬ)、年寄りだが事実上衛生隊の代表になるグラン、気が違ってしまうコタールなど多彩である。これら様々な経歴や職業を持つ市民たちが、連帯し協力してペストに立ち向かう、これが小説「ペスト」のテーマである。

 

 問題は、この多彩な登場人物の中に、労働者を思わせるような人物がほとんどいないことだ。作者によれば、主人公のリウーは貧しい労働者の出ということになっているが、ただそれだけで、特に労働者の階級的な活動をしてはいない。アパートの門番や市役所の吏員など下層の庶民も出てくるが、彼らも市民の一人として描かれているだけである。疫病感染は、今回のコロナ禍でも分かるように、社会の様々な階級階層に平等に襲うものではない。オランの20万市民の多数を占める下層階級は最も大きな被害を被ったはずである。新聞記者のランベールのように、富裕層の多くもオラン脱出を図ったであろうことは想像に難くないが、富裕層の動きなどは一切出てこない。

 

 つまり「ペスト」のテーマは、突然のペスト禍に襲われた市民が、共感、連帯や人間愛など万人共通の価値観に目覚め、ペストに打ち勝つという人間賛歌なのである。タルーが医者のリウーに尋ねる場面がある、「なぜあなたは、そんなに献身的にやるんですか、神を信じていないといわれるのに?」それに対してリウーは、「さしあたり、大勢の病人があり、それをなおしてやらねばならないんです。…僕は自分としてできるだけ彼らを守ってやる、ただそれだけです。」「僕が心を引かれるのは、人間であるということだ。」それに対してタルーは「そうさ僕たちは同じものを求めているんだ」と答える。そしてカミュは書いている。「リユーは、タルーやコタールなどと共に、あらゆる苦悩を超えて、自分が彼らと一つになることを感じるのであった。」

 

 これらのリウーやタルーの言葉は、カミユの人間主義を表している。彼は不条理の作家と言われている。彼は、この世界と人間との関係を不条理と考える。死、戦争、災害などの不条理と闘うのは、人間の反抗であり、反抗だけが人間であることを確証する、と言う。彼はマルクス主義に対しても反対である、マルクス主義は、イデオロギーであり観念であり、具体的な人間、現実的な人間を捉えていないと言うのだ。

 

しかしカミユの言う「具体的人間」とは、「目の前にいる人間」ということであり、リユーの言うように、目の前にいる大勢の病人を救うこと、目の前の現実だけが具体的なのだ。その結果、カミユの「具体的人間」は、単に“現象”としての人間、逆に、一般市民として抽象化された人間になってしまうのだ。本当の「具体的人間」は、個々の資本家や経営者として、あるいは工業労働者や召使いとして存在している。現象は分析されることによって本質に迫り、総合によって真の具体性に到達しなければならないのである。

 

 ペストという不条理に対する市民の反抗の描写は確かに感動的ではある。しかし不条理一般と人間は闘うわけではない。災害や偶然,死など人間に襲い掛かる不条理は、すべて具体的な姿をとるものであり、人間は個々の不条理の原因を解明し、具体的に闘わねばならないのである。カミユは、不条理に対する闘いを、シーシュポスの神話に譬えて人類の永遠の苦行としているが、これこそニヒリズムである(ニーチェと同じだ)。タルーは、リウーに言う、「あなたの勝利は、常に一時的なものですね。」リウー「常にね、それは知っています。…際限なく続く敗北です。」反抗がもたらす敗北を永遠に続けねばならないが、カミユは、その絶望的な反抗からの救いを、人間の誠実や愛情、連帯等、つまり高貴な“人間性”に求めるのである。ところが彼は、イデオロギーや理念を軽蔑するといっていながら、自らの人間主義が特定のイデオロギーであること、歴史的な刻印を押されたものであることに気が付かない。

 

 カミユは、歴史というものをほとんど語らない。その例外は(「ペスト」では)、死刑を、「忌まわしい虐殺」として考えるタルーに、「歴史はそれを裏書きしており、現在はまるで殺し合いごっこだ」と言わせているだけである。カミユは、歴史に意味を認めないと言い、それを悟った者が自由を獲得すると言っている。

 

しかし、歴史の中に存在しない自由といったものは、具体的な自由ではなく、自由の抽象であり、理念に過ぎない。「ペスト」の舞台は、二十世紀の、二つの世界大戦を経験したフランス植民地アルジェリアの都市オランである。にもかかわらず「ペスト」には植民地支配やそれに対する住民の反抗や帝国主義戦争の影響は全く感ぜられない。それはあたかもオランを「ガリバー旅行記」の架空の国や都市のように思わせるのだ。この歴史感の欠如こそ、カミユの「ペスト」(または「反抗」)を、何か現実感のない抽象的なものに感じさせる原因なのである。

 

 同じ不条理の作家にサルトルがいるが、しかしサルトルは歴史やその時々の社会状況に少なくともコミットしており、カミユの歴史無視の態度とは対照的である(「革命か反抗か」の論争で両者が喧嘩別れした理由はここにある)。とはいえカミユの名誉のために敢えていえば、彼が政治参加をしなかったわけではなく、一時は共産党員でもあったし、第二次大戦中はフランス本国でレジスタンスにも参加している。しかしその動機も、「ペスト」の中でリウーが言っているように、「ひとはいつまでも異邦人ではいられない、人間には果たすべき義務がある」からである。結局、彼の反抗の根源にあるものは、「ペスト」の至る所に出てくる、義務、愛情、共感といった“人間性”への信頼であり、平凡な、伝統的価値観なのだ。カミュが1957年に「人間の良心にかかわる問題に光を投げかけた」としてノーベル賞を受賞したのもうなずけるのである。

 

 慶応の名誉教授の堀茂樹による「赤旗」の書評(524日付)は、カミュの「ペスト」について、「生,死、幸福、別離といった人間存在の条件をめぐる哲学的な問いや、他者との関係において人はどう行動すべきか、という倫理的な問題をも取り上げている」と紹介する。そして、階級闘争や社会主義を、「観念のために身をささげるヒロイズムとして唾棄」し、「具体的な幸福」を追求するという記者のランベールの言葉や、医師のリウーの、「僕の場合には、つまり自分の職務を果たすことだ」を紹介して、「具体的な幸福」の追求や誠実な「職務」遂行を暗黙に支持している。そして最後に評者は、作中人物たちは「疫病の科す試練の中で推移し、変貌し、自己発見をしていく。『ペスト』は人間をどんな本質にも固定せず、あくまで「開かれた存在」として描いている」とまとめている。

 

ここには「ペスト」(カミユ)に対する、いかなる批判もない。「生、死、幸福、別離といった人間存在の条件」や「他者との関係における人の行動」は、歴史的社会的条件の中で初めて具体的な条件や行動なりとなって表れるのであり、そうした条件を無視した「哲学的な問い」は無意味であり、抽象に終わるしかない。作中人物の「自己発見していく」も陳腐な「自分探しの旅」以上の意味はない。

 

つまりこの評者は、階級社会における人間存在は階級的存在としか現れ、階級的存在を否定すれば、抽象的な人間存在つまりブルジョア的な人間にしかならないことが分かっていない。評者は、カミユの社会的義務や共感や連帯などを支持するが、これこそ共産党の没階級主義、市民主義、人間主義そのものである。コロナ禍は、資本主義社会のあらゆる矛盾の根源が、資本主義そのものにあることを何人の目にも明らかにしたが、コロナ禍の試練を人間性礼賛の階級協調主義にしてはならず、資本主義打倒のための契機にしていかねばならないのである。   (神奈川・K)

全米に拡大するデモ

全米に拡大するデモ

――人種差別、失業拡大、米国の矛盾を浮き彫りに

 

 

5月23日、米北西部ミネソタ州ミネアポリス市で起こった、白人警察官による黒人殺害事件をきっかけにおこった抗議デモは、1週間ほどの間に全米140以上の都市に広がり、弾圧に向かった警察部隊との対立は先鋭化し、40以上の都市では外出禁止令が出されるなどの事態となっている。

 

 デモに対してトランプは、「テロ」と非難、「法と秩序を」と繰り返し、各州知事に対してデモ鎮圧を行うように呼びかけ、ミネソタ州知事に対しては「もっと強力に対処せよ。さもないと連邦政府が介入し、軍事力を行使して多数を逮捕する」と圧力をかけた。デモ鎮圧に軍隊が投入されることになれば、1992年のロスアンゼルス事件(黒人を殴殺した白人警察官の無罪判決に抗議するデモに軍隊が導入され、死傷者約2400人、逮捕者1・2万人)以来となる。

 

 1968年の公民権法案で人種差別は法的に禁止され、2009年にはアフリカ系市民として初めて大統領になったが、人種差別を公言するトランプが大統領になるなど人種差別はなくならない。今回のデモのきっかけは黒人に対する白人警察官の死に至らしめるような暴力的取り締まりであった。

 

 しかし、広範なデモの背景には、警察官の黒人に対する人種差別的な暴力行為だけはなく、新型コロナウイルス感染の蔓延、そして大量失業・貧困がある。ワシントン・ポストは次のように述べている。

 

 「ウィスコンシン州ミルウォーキー郡では、人口の黒人比率26%に対し、感染して死亡した人々の中で黒人が占める割合は約70%に上っているという。ルイジアナ州も同様で、黒人は人口の32%だが、死者の70%を占めている。

 

ミシガン州では、黒人は人口のわずか14%なのに、感染者の33%、死亡者の40%近くとなっている。同州は郡ごとの人種別データを集計していないが、死者の4分の1はデトロイト市に集中。デトロイトは人口の79%が黒人だ。

 

イリノイ州のシカゴだけでは、……シカゴの死者数の70%近くを黒人が占めている。この街の黒人比率30%より40ポイントも高い数値だ。」「ミシガン州は人口の15%が黒人だが、新型コロナウイルスで死亡したのは約5600人のうち、4割以上を占めている。」

 

 「黒人層が就く仕事の多くは、強制的な密閉状態にあり、よりリスクの高い、不安定な仕事であることが多い。金銭的な柔軟性も低いことが多い。FRBの調査によると、大学卒の黒人世帯で、想定していなかった400ドルの出費に直面した場合に払いきれなくなる世帯は約30%。大卒でなければ、この比率は倍になる。

 

公衆衛生上の危機局面で最も問題になるのも所得だ。クリーブランド地区連邦準備銀行の推計では、白人世帯の所得は黒人の約2倍。この現実は1962年以降、改善していない。理由は込み入っている。住宅供給上の官民による差別的な措置から、黒人層に偏る高い受刑収監率、職場での待遇差に至るまでさまざまだ。

 

こうした問題と別に、直接的な健康リスクがある。センター・フォー・アメリカン・プログレスによると、黒人層がしばしば就くのは小売りやホームヘルパー、介護士など、在宅勤務が難しく、深刻なウイルス感染リスクにさらされる職業だ。

 

コンサルティング会社のマッキンゼーによると、黒人層の人口の65%が集中する全米16州では、病気になったときに医療サービスへアクセスする人の割合が全米平均を大きく下回っている。黒人はすでに、心臓疾患、ぜんそく、がん、肺炎による死亡率が全米平均より高い。」

 

 2015年国勢調査局によれば米白人世帯の年間所得の中央値は6万3000ドル(約636万円)だが、黒人世帯は3万6898ドル(約373万円)と70%もの差があった。同じ新卒生でも黒人というだけで、1980年の時点で10%の開きがあった初任給が、2014年には18%まで拡大した。

 

 一方、「ニューヨーク・タイムス」は、ニューヨーク市の人口5%を占める最富裕層42万人は、新型コロナ感染をさけるために市外に避難し、アッパーイーストサイド、ウエストサイドビレッジ、ソ―ホー、ブルックリンハイツなど富裕層が居住する地域では人口が減少したと報じている。(「赤旗」62

 

 新型ウイルス感染は生物的現象で人を選ばない。しかし、実際には働いたり、居住したりする環境、食生活などによって大きな差が生まれる。金持ち連中は、感染を回避できるような生活環境にいるし、一方、貧しい人々は感染しやすい条件にあり、また感染しても適切な医療を受けることが出来ない。こうした差が、白人と差別され貧困家族が多い黒人の感染率及び死亡率の差に表れている。新型ウイルスによる被害はカネ次第なのである。

 

 しかし、抗議デモには黒人、中南米出身のヒスパニックばかりではなく、白人(特に若い世代)も多く参加している。

 

 新型コロナウイルスが蔓延して、企業の閉鎖、人員削減などによって失業率は1940年以降で過去最高の14・7%、3月半ば以降の失業保険の申請者数は9週間で3800万件を突破した。これは5人に1人以上が職を離れたことになる。

 

 白人だからと言って豊かだとは言えない。失業は黒人やヒスパニックばかりではなく、白人労働者を襲っている。米国の繁栄の時代はとっくに終わり、産業は空洞化し金融業が膨張するなど、米国経済は頽廃の度を強めている。こうした中、大株主など富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなる貧富の格差は拡大している。2013年の調査によると、全世帯のうち最も裕福な上位3%の世帯が国家の富の54・4%を握っている。一方、収入において下から90%の世帯は、富の24・7%を占めているにすぎない。

 

とりわけ、ミレニアム世代と言われる、2000年代に成年、社会人となる若者の生活は厳ししい。彼らは巨額の学生ローンを抱え、専門的で報酬が高い仕事に必要とされるスキルを持たない教養学部系大卒者の多くは、自分の能力を十分生かせない仕事をしているか、失業中である。こうした若者は単発や短期の仕事で働くか、スターバックスでバリスタとして働くか、大学院に進学してさらに借金を重ねるかの選択を強いられている。

 

 新型コロナウイルス感染の蔓延は、生産・流通の分断、縮小によって多くの労働大衆を失業に陥れた。しかし、新型コロナウイルス感染によってはじめて生活困窮に陥ったのではなく、若者や働く者の貧困状態を浮き彫りにした。ワシントンのデモでは「金持ちを追い出せ」とか「家賃を減免せよ」などの経済的な困窮を訴えるプラカードや落書きが目立ったというが、若い世代にとって貧困は、自らのものでもある。白人警官による黒人殺害を契機に広がった広範なデモは、黒人差別に対する抗議であるばかりでなく、将来に展望を持つことのできない資本の支配する社会への不信、不満の現れである。 (T)


★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
  放」の旗を高く掲げよう!
★労働者の闘いを発展させ、
  労働者の代表を国会へ!
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ