労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2020年08月

嘱託職員へ一時金を支給せよ!

医療・介護の現場で、2020春闘を妥結せず闘いを継続している仲間の闘いを紹介します。

 

嘱託職員へ一時金を支給せよ! 

      妥結せず闘い継続中、医療・介護の労組 

   

 市内全域に医療・介護事業所を30か所あまり展開する経営側に対し、労組の2020春闘は盆を過ぎた現在でも妥結していない。最大の争点は全職員479名の35%を占める嘱託職員166名への一時金不支給問題である。

 

 職場は2016年までは9割以上の職員(看護師、検査技師、理学療法士、介護福祉士など専門職や事務、厨房、運転、清掃など)が一年契約であった。数年越しの労使交渉で全員の無期雇用化(短時間パートも含め)が実現し、以後の入職者も短時間パートを含め無期雇用となり雇用不安からの解放が勝ち取られた。ただし、60歳定年制のため高年齢者雇用安定法により60歳を超えた者は希望すれば雇用継続となるが、労働条件は個別契約書で決定され「一年契約」「一時金なし」と明記され、「嘱託職員」と称される。

 

 労働時間は嘱託前同様の週40時間の者、週32時間から30時間の者、両者で80名がほとんどの場合、同じ職場で同じ労働内容である。たとえば介護現場のデイケア事業所(医師が常駐し機能回復訓練が主目的)やデイサービス事業所(医師はおらず日常生活指導が主目的)では介護士等はミーティング・車での送迎・身体介護・入浴介助・食事介助・排泄介助・介護日誌作成・月末介護報告書作成・清掃など請求事務の職員も含め嘱託になる前と同じ業務を行っている。

 

グループホーム(認知症のお年寄りの24時間お預かり)では徘徊の方への対応、おむつ交換、食事介護があり、一人夜勤(16時間勤務)では朝食づくりも行う。訪問看護ステーションでは医師の指示で24時間対象者宅を訪問して点滴を含む医療処置を行う。医療現場では看護師は同じ診療所で同じ看護業務、病棟勤務なら夜勤(ここも16時間勤務)のローテーションは職員と嘱託職員の区別はない。残り半数80名の嘱託職員は週3日から週一日の勤務だが働く場所も働く内容も嘱託以前と同様である。つまりは「同一労働」だが60歳を過ぎれば「嘱託職員」と称され以下の「待遇差」を押しつけられている。

 

嘱託職員は一年契約で更新を繰り返し原則昇給なし、特別休暇(家族の死亡時の忌引きや公民権行使等)なし、そして今回問題の「一時金」なしである。以前からそうだったのではない。経営側は2008年に就業規則を全面改訂し「嘱託者には賞与なし」を明文化した。労組は当時から不利益変更を指摘、以来12年間にわたり一貫して労働時間に比例した一時金を要求してきた。導入当時、一時金がなくなることを知らされず労組員も含め嘱託者の多くは動揺した。経営側は周知を怠り、いきなり不支給を断行したからであった。

 

一時金交渉では「嘱託者の働きがなければ業務が回らない、戦力として大いに役立っている」と経営側は繰り返し語ってきたが、経営難を理由に不支給をゴリ押ししてきた。「嘱託者と職員の労働には差がある、だから、一時金は支給しない」とその格差の理由を説明したことは一度もなかった。年齢を重ねた職員(嘱託者)は介護現場では「よく言えば丁寧、悪く言えば動きが遅い」と「働きぶり」を経営側が語ることはあった。

 

労組側は、個々の働きぶりを言うなら60歳以下の職員にも差はある、現場では車の運転が苦手で送迎のローテーションに入らぬ者や介助の技量不足者など職員同士でも個々人の能力に配慮しつつチームとして業務をしてきている現実がある。60歳以下の職員への一時金の支給率は同じであるなら、嘱託者にことさら差をつける、しかも「一律一時金なし」の理由にならないと反論してきた。

 

2020春闘で労組は「就業規則を改訂し嘱託職員差別を止め、職員同様に一時金を支給せよ」と要求した。経営側は夏期一時金を職員には平均22万円提示する一方で、嘱託職員には「就業規則により一時金はないが、寸志として」労働時間に応じて1万円から数千円と、例年通りの差別待遇のままであった。

 

 第1回団体交渉では、就業規則や個別労働協約だけを理由に一時金不支給は「パートタイム・有期雇用労働法」に照らしても違法だ、差別待遇の合理的理由があるなら述べよと労組側は迫った。執行委員で当日団交の交渉委員でもある嘱託職員は、週40時間労働の訪問看護ステーション勤務の看護師であるが「嘱託前と同じ部署で同じ仕事をしているが一時金がなくなるのは困ります、生活に支障があります」と訴えたが、経営側は返答せず、格差の理由を説明することもなかった。

 

第二回団体交渉では、労組側から「嘱託職員に一時金を出さない理由のうち、就業規則や個別契約書のみでは法違反であることは第一回団体交渉で言っているが返答がなかった。本日は他の理由があるなら聞かせてほしい」と切り出したが、経営側は答えず各職場でアンケート調査を行っている最中だ、それを踏まえて8月下旬に労使協議会で説明するので待ってほしい、と回答を引き延ばしてきた。

 

一時金不支給は現実のことであるが、仕事内容に変化があった(経営側によれば嘱託になる前後で仕事内容に違いがある)のは本当だろうか?労組は嘱託の労組員から聞き取り(職員から嘱託者になった時、仕事について経営側(職場長、理事等)から具体的に説明がありましたか?)を行い、対象の全員が「話などなかった、前後で仕事は同じ」との回答であった。

 

この第二回団体交渉で経営側が「嘱託者については同一労働ではないので法違反ではない。その理由はいくつかある。」と発言しており、8月下旬の労使協議会で差別待遇を正当化してくることは十分予想がつく。

 

団交後、労組は経営側に以下の質問書を提出し、文書回答を求めている。

① 嘱託職員に夏期一時金を支給しないとする理由(就業規則・個別労働契約以外の理由)をお聞かせください。なお、パート・有期雇用労働法第14条では事業主の説明義務が明記されています。

② 166名全嘱託職員に対し、嘱託身分になる際に「仕事内容の変更説明」を行った事実があるならお示しください。なお、今回回答では166名の嘱託職員全員に対し従来どおり「一時金なし」の待遇ですので、この166名に対し理事、職場長等が「仕事内容の変更説明」(待遇が大幅下方修正ですので、労務内容の軽減等の説明をしたかどうか)、もしそうなら「同一労働ではない」との新見解も生きてくるとは思いますが、労務提供前に説明しないと後出しジャンケンは卑怯です。

 

安倍自民党政権は不安定かつ低所得に呻吟ずる非正規労働者の増大に対して、その不満をそらすために一連の働き方改革法案の中で、同一労働同一賃金を推進するとして2018年に「パートタイム・有期雇用労働法」を成立させた。罰則規定を伴う労働基準法(これも組織労働者の断固たる闘いがなければ役立たない)ではなく、裁判闘争など実例を積み重ねてきた労働者の闘いの成果が盛り込まれているとはいえ、闘いのひとつの道具として利用可能というものであり、労働者の闘いが無ければ、機能しない。

 

この法律に水戸黄門の印籠のような神通力はない。とはいえ厚労省は各都道府県に専門の窓口を設け、ガイドラインも作成している。今までは個別契約書に印を押して就職しているなら「差別待遇に同意」とみなされてきたが、202041日以降(中小企業は202141日)は①同一企業内で正社員と非正規社員との間で、基本給や賞与などあらゆる待遇について、不合理な待遇差を設けることが禁止、ガイドラインで例示、②非正規社員は「正社員との待遇差の内容や理由」について事業主に説明を求めることができ、その場合事業主は説明義務がある、③この法に関連して事業主と労働者との間の紛争を、裁判をせずに解決できる手続き(行政ADR)が整備された。ただ、③は労使で交渉中は利用できないし、個人として相談する建前である。

 

基準局の担当者は「個別契約書や就業規則があっても不合理な差別は違反であり、契約書や就業規則のその部分は無効です。そちらでは60歳定年後に一年契約のもとで同じ仕事をしているなら、規則や契約書だけの理由なら同じ待遇でないと違法です。製造業なら一日10個制作してきたが、嘱託者は一日6個でかまわないというように課せられた労働内容に明確な違いがあれば待遇差は合法だが」と説明した。

 

医療や介護の現場、特に介護現場では仕事が過酷なわりに賃金が低く、慢性的な人出不足状態である。我々の事業所の2019年の職員平均年齢54歳という事実は、若い新人が入らず離職者が多い現実に対し、60歳を超えたベテラン現場労働者を多数継続雇用してきた結果である。一時金不支給だけで一人当たり年間40万円以上を節約してやっと黒字決算にしている経営側にとって差別待遇撤廃は避けたいところだろう。

 

だからと言って3人に1人以上の嘱託職員に年齢を理由に差別待遇が許されるわけではない。上部団体の自治労に問い合わせたが、民間労組(自治労は10年ほど前に全国一般労組と統合された)の今春闘で「パートタイム・有期雇用労働法」をテコに嘱託職員への差別待遇、特に一時金差別を不当だとして闘っている例はないとのことであった。

 

ただ我々同様、不当なことには泣き寝入りせず組織を挙げて闘っているところは全国で必ずや存在するだろう。資本の支配する社会は利潤追求のため性別、国籍、人種、そして年齢を理由に差別し、利潤確保に血道をあげているがそうはいかないぞ!  (F・Y)

 

貧困の実態に想う

今は児童クラブで働く仲間から、コロナ禍の中で「貧困」について想ったことを書かれたメールが送られてきましたので、紹介します。

 

貧困の実態に想う

 

私、退職後の嘱託を含め、11年間にわたって滞納国民健康保険料の仕事していました。相手は国民健康保険料も支払えない貧困家庭が圧倒的です。いかに、非常勤の貧困家庭が増大しており、いかに無収入の家庭が多いことかと実感していました。本来生活保護受けられる世帯が受けていない、生活保護の補足率も少ないと思っていました。

 

シングルマザーの家庭も多く対応してきました。年収は200万程度でも、国民健康保険料は20万円近くかかります、家賃、光熱水費など考慮すれば、食費などに回せる可処分所得はほんのわずかです。国民年金保険料は当然支払いできません、父親から養育費が送られている世帯はほとんどなく、収入補填のため、あまり金にはなりませんが、一部では売春は横行しているのはわかっていました。売春はデリヘルなどで、事実上合法化しています。ただ、たいしたお金にはなりません。

 

ほとんどは親の扶養なのですが、たまに、保険証交付のため、国民健康保険料の納付相談に見える大学生もいました。今の女子大生なども、大学を出なければ、就職口少ない、巨額の学費と、奨学金という名の、有利子の巨額の借金を抱え、家庭も仕送りの余裕はない。今の大学の授業は役にたたないものばかりで、単に卒業のための資格をうるため手段とは思いますが、授業も結構忙しい、ここでも、学費、生活費填のため一部の女子学生は風俗に行かざるをえない子も多いかなとは思っていました。

 

一部の男子学生は、収入を得るため犯罪的行為に加担しています。ただ、バブル世代で「青春を謳歌」した親たちは、今の子どもの学生の困窮の実態はほとんどしりません。多くの学生は、卒業後も多額の有利子の奨学金という名の多額の借金を抱えて、社会に旅立つことになります。まともな就職口なく、返せなければたちまちブラックリストにのります。

 

「東洋経済オンライン 貧困」で検索すれば出てくる実態、ルポライターの中村敦彦氏などの著書に書かれていることは決して嘘でも、過大でもないと思っていました。

 

コロナで彼女らがいっそうおいつめられているのは事実です。普通の飲食店などのバイトの収入も激減している。風俗への支援は論外としても、彼女らへの支援は必要かと思います。本当の解決は社会主義しかないかもしれませんが。 

 

私は今、〇〇市の児童クラブ(学童保育)で小学生相手の支援員の仕事をしていて、フルタイムで働いています。児童クラブは共働き、シングルマザーなど世帯の小学生を、放課後、夏休みなどに預かりますが、小学校休みでも保護者に、医療従事保護者もいて、児童クラブは開いていました。こうした子供たち、将来の世代に、(借金返済を先送りして)巨額の負担を押しつけるのはどうかといつも思っています。

 

また、作日に話をした、小学生の女の子は、「小学生はもういやや、よいことない、宿題多い、家では習い事させられる」と。今の小学生、英語、プログラミングの授業もあり、過大な負担を押しつけられていて、小学生らしいのびのびとした時間が奪われていると感じています。 (M)

コロナ関連記事をもっと掲載すべし

『海つばめ(ホームページ含む)の「コロナ関連記事」についての意見・要望を紹介します。

 

コロナ関連記事をもっと掲載すべし

 

 いまや、全労働者、「全国民」の最関心事とも言ってよい、コロナについての政府の対策批判、各野党のコロナ対策の批判記事が『海つばめ(ホームページ含む)にあまりありません。コロナについては、毎回、掲載されても良いくらいです。

 

共産党は「自粛と補償は一体で」とか言っていますが、これは政府自民党、各野党にも共通する立場だと思います。これは、頽廃した現存の日本資本主義をそのまま存続させろということです。日本資本主義は、生産的労働の部門は縮小し、寄生的な不生産的産業が肥大化した資本主義です。共産党は頽廃した現状の日本資本主義そっくりそのまま擁護し、その継続を図っているのです。こうした立場の破綻は必至です。

 

前に労働者党代表の林さんが書かれた『海つばめ』の記事にあったように、コロナ対策と経済対策が混同され、政府自民党も各野党も実際はバラマキ路線に走っています。

 

共産党的な「自粛と補償は一体で」は寄生的、不生産的分野・産業、本来資本主義のもとでも時代遅れになり、淘汰されるべき分野・産業を存続させ、財政で巨額の赤字だけを残し、安倍と同じく、破滅への道をうたっているのでしかないと思っています。結果は、戦後のインフレと同じく労働者に塗炭の苦しみをもたらすことになりかねません。

 

今、本当に必要な融資かもわからないものも含め、無利子の融資申し込みが銀行に殺到しています。(無利子でも自治体ひいては政府が保証する)。極め付けは、「風俗にも保証を」であり、風俗に従事する者にも支援・保障しないのは職業差別だとの自由主義者の声です。いかにももっともらしく聞こえますが、風俗が不生産的産業であることは自明であり、問題は生活苦にあえぐ、彼女、彼らをそうした仕事にしかつけなくした資本主義の問題です。

 

これまでも、風俗に従事していても、稼げる女性は一握りで、最低の困窮生活にあえぐ女性が大半でした。風俗は彼女らの最後の「セイフテイネット」でしたが、「濃厚接触」でしか生きられない彼女らは餓死寸前に近い生活困窮に現在追いこまれています。だが必要なのは、多くの人は生産的労働への再配置・再編成でしょう。

 

コロナ下で労働者の首切り、近年急増した、非常勤労働者・パート・派遣労働者の雇い止めに会い収入減に見舞われ、生活苦にあえぎ、生存の危機に瀕しています。これもコロナ自体の問題というより資本主義の問題です。

 

8月8日の朝日に、小5の男の子から「コロナでさらに国の借金が増えて、この国は大丈夫ですか」との質問が掲載されていました。この問いに大人、政府自民党、各野党は答えることができない。今、アベノミクスの破綻、黒田日銀の超金融緩和政策の破綻も明らかになっています。そうした政策の破綻の暴露、徹底的批判が是非とも必要です。

 

れいわ新選組は「カネを刷れ、皆に配れ 」などと言っています。こうした「金を刷る」政策は、近年では、アフリカのジンバブエで行われたことですが、200811月には、前月比で見ても796億%というすさまじいインフレを起こしています。アルゼンチンでは2019年の年間インフレ率は53.8%ですが、1989年には、12,000パーセントに及ぶハイパーインフレーションがおこっています。こうしたインフレがいつどういう形であらあわれらか、予想はできませんが、発生してもおかしくはないと思っています。

 

アメリカでGDPが30%程度低下したという報道がありましたが、世界が1920年代的な恐慌、他の形で危機に陥ったとしても、それは、断じてコロナが原因ではなく、累積した資本主義の矛盾の爆発です。1920年代の恐慌は、ブロック化経済、ファッシズムの代台頭世界戦争にいきつきました。コロナに端を発するこうした資本主義の危機の問題をもっと掘り下げ、深く論じられるべきです。

 

コロナの経済対策については、10万円の支給にもみられるように、野放図な財政膨張、バラマキで自民党、共産党、各野党、既成政党はまさに一致しており、挙国一致の体制となっています。共産党を含め、彼らは、皆ケインズ主義者です。MMT(現代貨幣理論)、薔薇マーク運動の路線がまさに現実に実行されていると言っても過言ではありません。

 

コロナそれ自体については、徹底した検査を行い、隔離するなど本来のコロナ対策を充実させることが必要かと思います。だが、コロナの死亡者は8月9日現在で1,045人、インフルエンザの死亡者は2018年で3、325人です。ちなみに、2018年の日本の溺死者8、876人、交通事故死亡者は4,595人です。マラリアによる死亡 2018 年には、世界で推定 40 5000 人です。インフルエンザによる年間死亡者数は、世界で約2550万人と推計されています。

 

コロナの世界の死亡者数は74.5万と推計されています。この数字からしても、コロナを正しく恐れ、対策し、注意することは必要でも、やみくもに不安をあおることではないと思います。人が長期にわたり生産的労働をしなければ、人類社会自体が存続しません。

 

資本の陣営が主に行っているのはコロナ対策ではなく、経済危機、経済崩壊を怖れての対策であり、それも信用膨張、過剰生産が覆う現代資本主義においては、効果の疑わしいものばかりです。

 

そもそも、合理的社会(社会主義社会)では、コロナにしても、いかなる感染症にしてもその流行が働く者の首切りとか、生活苦、生活不安につながることは一切ないでしょう。今、コロナについても労働者の疑問、不安思っていることを明確に語ることができなければ、何のための労働者党かということになります。

 

コロナを契機として資本主義の矛盾が全面的に噴出する事態になり、資本主義の危機が訪れれば、なおさらです。今、コロナを契機資本主義は歴史的転換の時代をむかえているのかもしれません。労働者の勝利がなければ、それはファッシズムにいきつくかも知れません。わが労働者党も危機の時代にそなえ多く語ることが必要かと思います。  (M)

 

浄化槽清掃労働の現場からの声

清掃関連の現場で働く仲間から、過酷な現場を告発するメールが送られてきましたので、紹介します。

浄化槽清掃労働の現場からの声

私が働いている会社では、浄化槽の保守点検及び清掃業、し尿汲み取り、あるいは産業廃棄物の収集運搬業を事業として行っている。その中で私が普段担当している業務は浄化槽の清掃である。


 浄化槽の清掃とは、浄化槽法に義務づけられている年に1回以上の頻度で行われる、浄化槽内の汚泥の引き出し、および槽内の洗浄を行い、浄化槽本来の機能を維持回復させる作業である。

分かり易く言えば、バキュームカーのサクションホースで汚泥や汚水などを吸引させ、処理場などに運搬する作業である。この作業自体は、それほど特別な技能が必要となる作業ではなく、半年ほど現場で経験を積めば、ほとんどの作業は可能となる。

通常の一般家庭に設置される10人槽以下の浄化槽では、大体作業時間は20分から60分程度で終了する。確かに、学校や公共施設あるいは大きな事業所などに設置される大型の浄化槽等については、2,3時間とかあるいは半日以上がかかる場合があるが、件数から言えばかなり少数である。しかも、バキュームカーの積載容量は決まっているので、当然一台のバキュームカーで、一度に吸える汚泥・汚水量は決まっており、タンクが一杯になれば、それ以上作業ができないので、途中で処理場等へ投入する為に、車を走らせないといけない。

例えば、作業時間3時間と言ってもそれは処理場へと運搬する為に、何度か往復する時間も含まれるわけである。そういう訳で、サクションホースを引っ張る作業――浄化槽の設置場所によると作業車両からの距離が数十メートル、あるいは100メートル以上の現場もあるので、その場合は、作業員が重いホースを引っ張っていく必要がある――や、汚泥の吸引作業――サクションホースでの吸引時にかなりの圧力がかかるため、ホース先を持っての長時間労働はかなり疲労する――等は、労働強度が高い作業であるが、一回の連続作業時間(強度の高い現場作業)は通常数十分程度にすぎない。

つまり、建設現場での労働者などに比べれば、労働内容として楽な方だろう。これがわが社の一般的な浄化槽清掃作業であるが、私は市内にある世界最大級とうたわれている製鉄所の構内での浄化槽清掃作業を担当している。この製鉄所構内での作業は、構外での一般の浄化槽清掃と比べて、労働強度の面でかなりきつい。特に高炉近辺や高温の溶鋼状態での処理過程である製鋼工場では、有毒なガス、高濃度一酸化炭素ガスが発生し、あるいは溶鋼を処理する過程で発生し、大気中に飛散する金属粒子が大量に浮遊している現場での作業もある。

勿論これらから身を守るために、構内作業では、常にヘルメットと保護メガネ、および安全帯、ライフジャケットの着用が義務づけられている。また、粉塵や金属粒子が舞うような現場では、当然防塵マスクの着用は必須である。はっきり言って、これだけの装備を常に着用して作業するのは、身体も締めつけられるし、かなり重い。

冬場はまだ良いが、夏場はこれらを身に着けていると異常に暑苦しい。作業内容を別にしてもこれだけの余計な装備を着けているだけで身体への負担はかなり違う。その上、作業内容でも作業員への負荷・労働強度が一般の浄化槽清掃作業に比べてかなり高い。多くの浄化槽は製鉄所構内の各工場の外側に浄化槽が設置されているが、中には建屋の奥深くに設置されている浄化槽があり、何台かのバキュームカーのホースを連結させ100メートル以上ホースを這わせての作業となることもある。

このような現場では、直接にホースを引っ張っていくことは、ほぼ不可能――なぜなら浄化槽までの通路が何度も屈曲しており、ホースが引っかかってしまうし、また途中狭い階段がいくつもあり、そこを何度も上り下りしないと辿り着かない為――であり、その為ホースは20メートル前後でジョイント部分を切って肩に担いで作業員が何度も往復して運び、それから接続していかなければならないからだ。

こうした現場での階段の下では、高温で真っ赤になっている鋼板が高速でライン内を流れている場合が多い。当然ながら建屋内の温度、湿度とも異常に高く、冬場でも2、30分もいれば――ただいるだけで!――気分が悪くなりそうだが、夏場だとはっきり言って地獄であり、こんな現場でホースを担いで、何度も階段の上り下りをすると本当に体力を消耗する。

このように同じ浄化槽の清掃作業でも労働の強度と作業員への負荷はかなり違う。しかし、製鉄所内での作業をしていると我々は、まだ随分とマシだと感じざるを得ない。例えば、肺がんなどの労働災害の発生率の高いコークス炉近くで我々も作業をすることがある。コークス炉の真下で作業をすると上空から真っ黒な粉塵が降り注いでくる。

たった、2、30分車両を停めて作業をするだけでも、関係者以外の立ち入りを制限する為に設置したカラーコーンの下の部分が、完全に黒い粉塵で埋もれてしまうこともしばしば。現場を一旦離れる為、バキュームカーに乗り込むためにヘルメットを脱ごうとすると、ヘルメットの鍔の部分に大量の粉塵が溜まってドサッと落ちることもある。しかし、我々は、一日にこのようなきわめて過酷な現場で作業するのは、せいぜい一時間程度で、仕事全体の数%でしかない。

しかし、コークス炉でまる一日作業をしている作業員たちもいるが、彼らの負担・消耗度合いについては、本当に想像を絶するものがあると思う。製鉄所の求人募集では毎回、このコークス炉の求人がかなりの数で出ている。統計的なデータは分からないが、ネットで少し調べるだけでもコークス炉関連での労災は多く、裁判事例も散見される。死亡率という事であれば、高炉での転落や高炉から出る一酸化炭素中毒での事故の方が高いのかもしれないが、労働環境の過酷さは群を抜いているのではないだろうか。

つまり多くの労働者が、現場の労働の過酷さの中で消耗し、長続きせず、短期間で辞めていっているという事だろう。しかも、このような現場では製鉄メーカー本体の採用ではなく、下請けの関連会社のさらに下請が多い様である。日当は比較的高いが、期間雇用など不安定な雇用形態の労働者が多い様である。

製鉄所内では、このようにきわめて過酷な労働現場が無数にある。将来的には、このような危険で過酷な現場ではAIを搭載したロボットや完全オートメーション化したラインによって担われ、作業員の災害リスクを排除し、労働の大幅な軽減が図られるかもしれない。しかし、現状ではこれらの工程の作業が必要だし、そこで従事する労働者も必要なのだ。このような労働に従事する労働者がいなければ鉄は作れない。

確かにひと昔前と比べて、素材としての鉄の需要は相対的に低下している。しかし、現代に生きる人間で鉄の恩恵を受けずに暮らせるものなど一人もいないだろう。自分は車など持っていないという人も、バスや鉄道を一度も利用したこともないし、今後も一切利用することはないという人間はほぼいないだろう。自分は鉄製品をほとんど使っていないという人も、靴や服などは身に着けるだろう。現代的な協業製品としての靴や服の生産工程、生産手段として働いた機械などには鉄や鉄製品が含まれてないだろうか。

勿論、鉄だけではなくおよそ一般的に流通する生産物は、社会的に必要なものであり、多くの人がその恩恵を受けている。つまりそれは、そうしたものを作る生産的な労働が、多くの人にとって必要だし、それなしには社会は成り立ちえないということだ。こうした過酷な労働現場で働いている労働者の存在なしには、どんな社会も存続しえないのである。

だが、この社会の現実は、こうした過酷な現場で働き、真に社会を支えている人々が大切にされる社会ではない。むしろ大切にされるどころか、実際には彼らこそが最も搾取され、また肉体的にも精神的にも消耗し、使い物にならなくなるとすぐに捨てられる存在である。それは、こうした部門の業務を、製鉄会社本体がやるのではなく、下請け会社が業務を請け負って、実際に働くのはさらにその下の下請け会社に雇用された期間雇用などの非正規労働者であるという事が物語っているだろう。

このように社会を生産的な労働により支えている労働者が、ぞんざいに扱われる社会はおかしい!本当は彼らこそが社会の主人公であるべきではないか? 

 清掃関連労働者(D)

揺れる「れいわ新選組」

揺れる「れいわ新選組」

――大西つねきの「命の選別」発言とその顛末――

(『海つばめ』1384号に一部省略して掲載しました。)

 

 大西つねきの「命の選別」発言をめぐって「れいわ」が揺れている。7月3日に大西が自身のYouTube動画で2025年問題など医療・介護の問題に関連して「命の選別をするのが政治の役割だ。順番として高齢の方から逝ってもらうしかない」などと発言したのが発端だ。

 

7日には山本代表の知るところとなり、大西は一旦は謝罪してこの動画を削除し、その後当事者たち(障害者や難病者たち?)によるレクチャー(話を聞く会)が開かれた。しかし、大西が十分な聞く耳を持たなかったということで、16日には()いわ(・・)総会がもたれ山本代表提出の除籍処分が決定されたのである(党員=構成員は国会議員と予定候補者ということになっていて、評決は14対2だったということなので代表の山本と大西は評決には不参加?)。大西はその後謝罪を撤回し動画も再掲載するとともに、総会翌日の17日には改めて自説を繰り替えし独自に活動を継続する旨の会見を開いた。

 

総会後の山本の会見によれば、除籍理由は「決意(綱領)」(「あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす」等々)と政策(「保育、介護、障害者介助、事故原発作業員など公務員化」による人員増)に背反している、一言でいって「すべての人は生きているだけで価値がある」、「積極財政によって底上げをしていく」という()いわ(・・)の基本思想に背反しているというものだ。大西も別の所では「医療・介護労働者の待遇を改善して従事者を増やす」ということもい、積極財政については政府紙幣の発行によって財源を生み出すという()いわ(・・)以上に“過激な”ことを言っているのだからどうしてこのような「命の選別」発言が出たのか疑問に思う向きもあるかもしれない

 

 大西はこの問題を特に考えるようになったのはコロナ禍の現実に接するようになってからだとも言っている。311日付けの動画を見ると自粛による経済活動の減退を恐れ「長期化すれば国力にも影響し、国家の存続にも関わる。……我々はどこかの時点で、このウィルスを受け入れて、救える命、救えない命の見切りをつけるしかない。」などと言っていて(まるでトランプやブラジルのボルソナロ大統領のようだ!)、自身の政治活動なども結構活発にやっていたようだから「れいわ」との齟齬もこの頃から始まっていたようだ。

 

彼が単にお金のことだけではなく実際の経済的リソース(「若者の時間や労力」等)について考える思考経路をもっていることはそれ自体としては良しとしても、「若者の時間や労力」あるいは「経済的価値」と「高齢者等の生存」を直ちに天秤に掛けるやり方はいかにも乱暴で一面的である。実際、現在の生産力水準(潜在的経済力)をもってすれば十分解決できるはずで、現在日本には6000万人以上の労働力人口なり就業人口がいるのだから、例えば、一か月に一日介護なり医療に従事する“共同介護休暇日”のようなものを設けるだけでも毎日200万人の追加従事者を確保できるのだ。

 

大西が2011年に立ち上げたフェア党はその理念として「フェア」であることの他に個人の「自由と自立」を最初に掲げていて彼もそれを中心的信条としているようだが、そこには個人主義的な「自由と自立」を第一に掲げ他を返り見ない「驕り」があるように感じられる。山本の会見に同席した木村・船後両議員もそれは感じたようで、それのみならず彼らは「恐怖」を感じたと必死で訴えている。

 

欧米のポピュリストの中で大西に似た主張を掲げているものとしてはオランダ自由党のウィルデスがいる。EUの制約内で活動している彼らと大西とでは財政論なども異なるが、ウィルデスらはイスラムや移民の排斥を合理化するために自由や民主主義といった“西欧的価値観”を絶対化して持ち出しているのだが、大西は若者の「自由や自立」「時間や労力」を盾に高齢者や社会的弱者を選別しようというのだ。一見リベラルを装い、物事を合理的に考えているように見えても、大西の立場は新手のファシズムといったものに限りなく近いのだから誰しも「恐怖」や「戦慄」を覚えざるを得ないのだ。

 

大西の経済についての見解は途方もないものだ。彼はMMT(現代貨幣理論)の理論を概ね容認しているのであるが、ただ国債発行と日銀券の増発というような間接的なやり方では金利生活者等を利するばかりであり格差をますます助長する、むしろ直接政府紙幣を発行すべきだと言っている。格差や貧困の問題に言及しながらも、問題を金融・財政的にしか考えないでそれで事足りるとする大西の限界であり(これは()いわ(・・)の山本やその支持者も同様)、戦前の高橋財政やその帰結などを見るまでもなく、MMTやまして大西のような政府紙幣発行論は労働者や社会的弱者を救うどころか途方もない混乱と災厄に落とし込むものである。

 

こうした理論は欧米のポピュリストでももてはやされ最近は日本でもその信奉者が増えてきているのであるが、資本主義の行き詰まりを反映した最も退廃した理論であり、その意味である種危険で決して容認できない “経済理論”である。

 

(注)大西は政府紙幣発行論に関連して金利生活者等の不労所得を排撃しているのであるが、さらに土地所有にもとづく不労所得も排撃し土地の段階的な“国有化“(国家による買い上げと使用権の設定)を提言している。これによって「人、モノ、情報、お金の流れを自由にし」「今生きている人々の時間と労力を……本当に意味のあること」に使うことができるようになるなどと言うのである。ある種の”新自由主義的国家社会主義“(?)のようなことを主張しているのであるが、こうした不労所得そのものが一般企業の上げる利潤(剰余価値、つまり労働者の労働搾取)からのおこぼれであることを理解していない。だから、大西にとっては一般企業(あるいはその経営者)は労働の搾取者としてではなく労働者とともに「新しい(実質的)価値」を生み出す積極的な主体として理解されているのであり、「若者に夢とチャンスを」などといっても片手落ちで、実際上はこうした一般企業(資本)の利害を体現しているにすぎないのである。

 

大西の除籍処分には、さらにその後の顛末も付け加わった。この処分に総会で反対票を投じた二人のうちの一人、沖縄出身で東京選挙区の予定候補となっている野原よしまさ(沖縄創価学会の現役学会員)が725日に離党届を出したのだ。理由は、「党規約を含め党運営のあり方」が山本中心で独裁的になっていて容認できないというものだ。この届はまだ受理されておらず党事務局側は「話し合い」を持ちかけているようだが、れいわ(・・・)の動揺は覆い隠しようもない。

 

山本は「れいわ(・・・)は右でも左でもない」といいつつ、消費税廃止・減税の勉強会(国民民主党の馬淵澄夫らと昨年11月に立ち上げた「消費税減税研究会」)に維新の会ブレーンで反韓・反在日発言もしている大学教授(高橋洋一)を講師として呼ぶなど内部からも批判が上がってきていた。今回の大西の問題を見ても、フェア党というれっきとした政党を立ち上げている大西や現役創価学会員の野原をそのままれいわ(・・・)のメンバーとしているなどなりふり構わないポピュリスト振りなのである。

 

結局は山本の「独裁」に行きつくしかないであろうが党運営・組織運営はルーズそのものである。格差や貧困、社会的弱者の問題に敏感に反応しながらも、その真の原因である資本主義的搾取や利潤獲得をめぐる無政府的な競争に無自覚であり、したがって地道な組織的活動や強固な階級的団結の必要性については思いも寄らない山本にとって、孤立し疎外された「無辜の民衆」の情動に訴えかけるとともに反緊縮の積極財政(国債増発等による野放図なバラマキ)によって全ての問題が解決できると夢想するのが関の山なのだ。

 

山本の立場は、その扇動的な言辞とバラマキの規模を別とすれば他の野党とそう大きく異なるものではない。今後もこのポピュリスト的立場を徹底していくのか、それとも他の野党との協調路線に転換していくのか先のことはわからない。しかし、いずれの場合であっても労働者・働く者にとっては現下の政治的危機、つまり、ますます退廃し無能をさらけ出すとともに反動化・右傾化を深める安倍自民党と、これとまともに闘えない野党、等といった政治構造はそのままである。労働者・働く者はこうした一見華々しい「れいわ」の動きに惑わされることなく自らの闘いを進めていく必要がある。

(長野、Y.S

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