労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2020年08月

概念なきMMT派の貨幣論

概念なきMMT派の貨幣論

――権力の債務証書に過ぎないと

                    

 MMT派の財政バラ撒き論の理屈は、「政府の債務=民間の黒字」という「マクロ会計の恒等式」が常に成立するということである。つまり「政府の赤字は民間の黒字になる」のだから、政府は何の遠慮もなく無制限に借金ができるというのである。否、そうすべきだと言う。この理屈を一貫させるなら、税金は民間の収入を減らすものであり、従って税金などは一切不要である、税金の代わりに政府が発行する貨幣で賄うべきだということになる。なんと立派な妙薬を発見したものである。

 

MMT派のこうした理屈の根底には、貨幣は権力者(現代においては主権国家)が発行した「債務証書」、つまり権力者の「負債の記録」にすぎないという貨幣論がある。しかもそれは、古代の部族共同体においても存在したと主張する。

 

この小論では、この特有な貨幣論の基本部分を取り上げる(L・ランダル・レイ著の『MMT』)。

 

貨幣発生の条件

 

 レイは、貨幣は古代共同体においても貨幣が存在したと認識する。しかし残念ながら貨幣は共同体の内部では発生しない。この内部では、共同体の成員が作った生産物は商品という形態さえ帯びることもない。

 

それは商品を分析し、貨幣生成の必然性を考察することによって理解されることであるが、レイにそれを要求するのは無理らしい。だが、どんな社会的な条件で貨幣流通が起きるのかは、歴史的な〝労働集合体〟を見れば分かることではある。この基本的な点から始めることにする。

 

 例えば、古代の部族共同体でも、中世の家父長制家族においても、しいて言えば近代の工場内部(資本の搾取労働の場である)の工程や部署を覗いても、貨幣は存在しないし、流通もしていない。

 

それは何故か。これらの内部での労働は、独立した個々人や独立した工程の私的労働ではなく、彼らの生産した生産物もまた成員や工程毎の私的所有物ではないからだ。それらの内部では、複雑な段取りや生産工程があり、労働の分割や分業が行われていたとしても、域内においては、商品交換は必要なく、従って貨幣も一切介在しないのだ。

 

ではどのようにして生産物は商品となり貨幣も生成されるのか。生産物は、私的所有者の生産物が彼らの間で相対し、交換されることによってである。私的所有者の生産物が交換を通じて社会的関係を取り結び、私的労働が社会的労働として反映(対象的性格で)させられることによって商品となるのである。

 

歴史的には、商品は共同体と共同体の間で発生した。まずは、共同体の欲望を超える量の生産物が他の共同体のとの間で交換され始める。当初は「物々交換」として、時間の経過と共に不断の交換が進むにつれて、交換は規則的で相互的な社会的な行為となる。それらの交換割合は、最初は偶然的である。

 

しかし、そのうちに、ある一部の生産物は、共同体間の相互の欲求により初めから交換を念頭に置いて、あるいは交換を目的として生産されるようになる。この瞬間から、その生産物は商品となる。

 

同時に、商品の量的な交換割合(交換価値)も次第に固定し、例えば、魚10匹、毛皮1枚等が米一升と交換されるようになり、量的割合も次第に厳密さを増していくならば、この米は、諸商品の等価物としての地位を得る。

 

諸商品が米に対して自らの交換価値として相対するならば、狭い域内ではあるとしても、この米は諸商品の一般的等価物(貨幣)となるのである。従って、この時には既に、米と交換される諸商品には同一な共通物(価値)があることを各交換者は経験のうちに知りえるのである、だからこそ、ある量的な割合としての交換が広範に成立していくのだ。

 

こうした商品交換の発生と貨幣の成立について、レイは全く無頓着である。それ故に彼の貨幣論の狭隘さが常に暴露されるのである。それを次に見ていく。

 

権力者発行の債務証書はどこに?

 

 レイは、今から数千年前の古代メソポタミア(今のイラクあたり)の部族共同体の内部において、既に、権力者の債務証書としての貨幣が生まれていたと断じる(309頁~)。

 

古代メソポタミアについては、発掘が進み大分全容が分かってきている。この人々は、肥沃な土地(チグリス川とユーフラテス川の三角州や川岸地域)に自生した大麦などの各種穀物を食料にするなど、定住した生活を営み、部族ごとに城壁(外部の遊牧民族の襲撃から防御するため)のある共同体を作っていた。

 

共同体には神殿の付属倉庫があり、人々は、大麦やビールや家畜などを神殿司祭者に一部を上納する一方、それらを成員たちの為に保管し必要になった時には持ち出していた。倉庫への入庫と出庫の様子を示す記録(文字)は、共同体の財産管理というような極めて実務的な要請によって発明されたのであって、レイが言うような神殿権力と成員間の「債権債務」を示すものでは決してなかったのだ。支配者を示す文字はなく、共同体を示す文字が発見されていたことも理解を助けるはずだが。

 

また、商品交換が部族共同体の外で行われるに従って、また、商品価値が人間労働の物質化として妥当され発展してゆくにつれて、貨幣(貨幣の形態)は貴金属に移っていく。だが、レイは、貨幣生成の必然性についてはもちろん、こうした貨幣史とも真面に向き合おうとはしないのだ。彼は次のように呟く。

 

「硬貨とは何であり、なぜ貴金属を含有していたのか? 確かによく分からない。ケインズが言ったように、貨幣の歴史は『時間の霧のかなたに消え去ってしまっている…』。要するに、我々は推測するしかないのだ。」(314頁)

 

にもかかわらず、レイは、貴金属貨幣も権力者の債務証書(債務の記録)だったと頑張るのだから、そうなのかを簡単に見ていくしかない。

 

古代メソポタミアを含む古代オリエント地域から地中海沿岸地域では、銀が秤量貨幣(重さが価値を示し、切り分けて使える貨幣)として取り扱われていたことが分かっている。

 

この銀貨幣は、「コイル」の形(直径約5cm、長さ約22cmのコイル状で、最古は紀元前20世紀に発掘)や「輪」の形をしていて、商品交換の際には、彼らは相手の穀物や家畜等と一定の重さの銀貨幣を交換価値として割り出し、コイルを切断するなどして使っていた。

 

この秤量貨幣は、商品交換が盛んな地域や遊牧民族の間では、直ぐに重さが決まった定量貨幣へと変化発展し、長い間使用され続けていったが、それは金属の自然属性(加工性、耐劣化性、美観、非生活物資)が貨幣の機能に適していたからであると同時に、最初から重さを記した貨幣の方がより機能的であったからである。

 

この定量貨幣は紀元前7世紀のリュディア(現在のトルコ)が最初であったという。この貨幣は小型(11cm×13cmの楕円形)であり、金銀の自然合金を「打刻」して作られ、貨幣を示す紋様と一緒にその重さが刻印されていた。

 

何故か。それは〝小売り用〟に頻繁に使用するためであり、その「便利さゆえに、古代ギリシャ・オリエント地域に瞬く間に広まった」(『貨幣の世界』日銀)。

 

このように、金属貨幣の登場と普及は、私的所有を基礎とする商品交換の一定の到達点であるが、レイには考えもつかないことなのだ。もちろん権力者が財政の都合で貨幣を発行する場合はあった(日本の封建制下でも)が、それは限定的であったということなのだ。

 

今回は貨幣の基礎と古代共同体の貨幣を中心に論じたが、封建制社会においても、主権国家の債務証書として貨幣が常に発行されたという事実を見つけることはできない。レイの貨幣論は一面的であり、間違っている。 (W)

「金融資本」の概念について

神奈川県で行われた『帝国主義論』学習会の「金融資本」に関する意見を紹介します。労働者党理論誌「プロメテウス」第10号(93年夏季号)の《特集》に、「『金融資本論』批判」があります。参考に購読を呼びかけます。

 

 レーニン『帝国主義論』学習会

―「金融資本」の概念について―

 

 コロナ騒ぎをはさんで前後四回、レーニン『帝国主義論』の学習会が行われました。そこで大きいな議論の一つになったのが「金融資本」の概念でした。私は「金融資本」概念を批判する立場から発言しましたが、議論は時間不足で深められず、今後の課題として残りました。以下は私の意見の概略です。

 

★帝国主義の経済的本質は独占資本!

 

皆さんは「金融資本」という言葉を当たり前のように、無批判に使っていますが、それは大いに問題があります。

 

レーニンは、『帝国主義論』について、二〇世紀初めの、第一次世界大戦直前の資本主義分析だと、随所で強調しています。レーニンは「金融資本」の分析(第3章)に移る前に、第1章「生産の集積と独占体」で「生産の集積による独占の発生は、総じて資本主義発展の現段階の一般的で基本的な法則である。」(国民文庫p27、ゴチックは菊池)として、独占の成立こそ帝国主義の基本的特徴であると強調しています。そしてヒルファディングの金融資本の定義、「産業資本に転化している銀行資本、すなわち貨幣形態にある資本」(同61)」に対して、「この定義は、その中に最も重要な契機の一つ、すなわち、生産と資本の集積は、それが独占に導きつつあり、また既に導いたほど著しく進展したということの指摘がない限り、不完全である。」(同p61)と批判し、そして改めて金融資本とは、「生産の集積、それから成長してくる独占体、銀行と産業との融合あるいは癒着」と、定義し直しています。

 

さらにレーニンは、第10章の初めで、「その経済的本質からすれば、帝国主義は独占資本主義である。」(同p159)そして、「いま考察している時代にとって特徴的な独占の、あるいは独占資本主義の主要な現象の、四つの主要な種類を指摘しなければならない。」(同p159)として、第三に金融資本を取り上げ、「現代のブルジョア社会の例外なくすべての経済機関と政治機関の上に、従属関係の細やかな網の目を張り巡らしている金融寡頭制ーこれが独占の最もきわだった現れである。」(同p160)としている。要するにレーニンは、帝国主義の経済的本質は、独占にあり、金融資本はその現象だと言っているのです。

 

★ドイツ資本主義の発展

 

 それではレーニンは、なぜ金融資本を帝国主義の特徴の一つにしたのでしょうか?それは、20世紀に入る直前から第1次世界大戦に至るまでのドイツ資本主義の目覚ましい発展が、「銀行と産業資本の融合あるいは癒着」つまり「金融資本の支配」として現れたからです。ドイツは、後発の資本主義国として英仏に追いつくためには、産業資本の資本蓄積が足らず、銀行資本の融資に頼らざるを得なかったのです。そこに「産業資本と銀行資本の癒着」という特異な現象が現れたわけです。産業資本が確立しており、銀行資本に頼る必要がなかった英仏と比べてみると、ドイツの産業資本と銀行資本の融合は、発展する資本主義の新しい展開、帝国主義の一特徴だったのです(アメリカではロックフェラーの産業資本が銀行資本を支配しましたが)。

 

★金融資本とは何か?

 

 しかし、「金融資本」とは一体何でしょうか?銀行資本との違いはどこにあるのでしょうか?銀行資本とは別種の金融資本という資本が存在するのでしょうか?そんな資本はあるはずがありません。銀行資本は、生産資本のように価値を生み増殖するものではありません。銀行資本の利潤は、産業資本の剰余価値から分配された利子や擬制資本の配当等から成っています。「資本論」第一巻は、産業資本の分析に充てられており、マルクスにとって「資本」といえば「産業資本」を指すのであります。産業資本の分析がなされて初めて銀行資本の分析(第三巻)も可能となるのです。産業資本こそ資本の本質的な形態であり、産業資本のない資本主義はあり得ないが、銀行資本のない資本主義は想定できるのです。

 

★銀行と産業資本の結びつきは今に始まったことではない!

 

 ヒルファディングは、金融資本を「産業資本に転化した銀行資本、すなわち貨幣形態にある資本」と定義しています。しかしこれは全くおかしい。そもそも銀行資本とは「貨幣形態にある資本」であって、貨幣資本は、生産手段と労働力の購入によって初めて生産資本になるのであって、その過程を無視しては、貨幣資本が産業資本つまり生産資本に転化することなどありえません。ヒルファディングは、第一次大戦前のドイツにおいて銀行資本が大きな力を発揮して産業資本をも従属させた状況を述べているのですが、そうした状況は独占資本主義に常に一般的に存在するものではありません。銀行資本と産業資本との結びつきは、資本主義の初期の高利貸し資本の時代から存在したものです。両者は相互に依存し影響しあって資本主義の発展を可能にしてきたのです。

 

★現在、どこに銀行資本による産業資本の支配があるか?

 

銀行資本による産業資本への巨額の融資、参与制度や重役派遣による人的支配、株式の時価発行による莫大な創業者利得の確保等、産業資本に対する銀行資本の支配は強まったとしても、それによって銀行が産業資本家になるわけではなく、あくまで企業の主体は産業資本です。逆に現在のように、自己金融(トヨタ銀行!)や豊富な内部留保による銀行離れ、さらには超低金利による銀行危機の状況をみると、銀行による産業資本の支配ということがいかにナンセンスであるかが分かります。また銀行が産業資本の株を所有して支配すると言ってみても、逆に産業資本も銀行の株を持つ、いわゆる株の持ち合いも行われています。要するに、「銀行の管理下に産業資本が置かれる」かどうか、あるいは現代のように銀行の金余りや産業資本の自己金融によって産業資本が優位に立つか、つまり銀行資本と産業資本のどちらがヘゲモニーを持つかは(ロックフェラーの例のように)、その時々の状況や力関係によって代わるのです。

 

★「金融資本」は時代錯誤!

 

結論!帝国主義の本質は、生産の集積、つまり独占資本にあります。金融資本(もしくは金融寡頭制)は、特定の時代における独占資本の現象形態にすぎません。資本主義経済の、一時的に目立った現象に惑わされて、現象を本質と誤認するのは、ブルジョア意識の特徴の一つです。

共産党は,今もって金融資本を帝国主義の本質とし、レーニンを「独占を重視する」などと言って批判しています。しかし、危機的状況を迎えている現代資本主義における超低金利政策、銀行離れなどの現状を見てみれば、「金融資本の支配」が、いかに誤った時代錯誤の観念であるかがわかります。それは単にナンセンスであるばかりでなく、独占資本の支配の打倒を目指す労働者の闘いを、ありもしない「金融資本」に向かわせるという、重大な過ちを犯すことになります。「金融資本」概念は、あくまで二〇世紀初頭に現れた産業資本と銀行資本の一時的な「癒着や銀行資本による産業資本の支配」の現象を指すのであって、帝国主義は、レーニンの言うように独占資本をその本質とするものです。「金融資本」概念を使用するときは、あくまでそうした限定をつけて使用すべきであって、これをもって帝国主義の本質とするのは、とんでもない過ちであると言わざるを得ません。ヒルファディングや共産党の「金融資本」概念を否定し、マルクスやレーニン本来の独占資本の概念に戻るべきです。

(神奈川 菊池)  

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