労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2021年03月

斎藤幸平「人新世」ブームに思う

斎藤幸平「人新世」ブームに思う

――既存〝左翼〟への不信とマンモス資本主義への抵抗と――

 

 斎藤幸平の『人新世の「資本論」』については『海つばめ』1391号(20201122日)でも書評が掲載されたが、この本はその後も好調に売れているようで、書店には山積みで置かれ、中央公論社の2020年新書大賞にも輝いたという。多くの新聞その他で書評や対談等が組まれ、今年1月にはNHK-Eテレ「100de名著」でも斎藤の解説によるマルクスの『資本論』が取り上げられた。

 

NHK-Eテレでは2010年にも『資本論』が取り上げられた(解説者、的場昭弘)。10年前は2008年のリーマンショックから始まる世界金融危機の影響があったのだろうが、今回は格差の一層の拡大や気候変動などの地球環境問題、新型コロナのパンデミック、等々が影響しているのだろう。一種の閉塞状況の中でマルクスの〝新解釈〟(!?)が歓迎されている面もあるかもしれない。

 

 『人新世の「資本論」』では主に気候変動の問題を扱いながらマルクスの(かなり牽強付会な)〝新解釈〟が述べられているが、Eテレの「100de名著」では一応『資本論』(第一巻)の概説をしながら、最後の第4回目に〝新解釈〟や具体的な展望に触れられている。

 

〝新解釈〟については『海つばめ』の書評で既に触れているので、ここでは「100de名著」のテキストに添って、主に斎藤の上げている「具体的な展望」について論じてみたい。

 

 NHKの「100de名著」は一回25分の番組で、一か月(4回)でワンシリーズとなっている。斎藤の『資本論』は、一回目が「商品による物象化」、二回目は「資本と剰余価値、過労死問題」、三回目は「相対的剰余価値の生産(イノベーション)、ブルシェット・ジョブ」等が取り上げられ、資本による土地や“公共物”の「囲い込み」を強調している点が特徴的で、この点が第4回目の「商品化の力を弱めて、人々が参加できる民主主義の領域を経済の領域にも広げよう」、コモン(公共領域)を広げていく抵抗、等々の改良主義的抵抗の美化と結びついている。

 

4回目は上述のように、マルクスの〝新解釈〟や具体的な〝展望〟が述べられていて、ここに斎藤の独りよがりや学者としての立場上の限界、NHKの〝公共〟放送としての限界、等々が特徴的に見られるのである。

 

斎藤があげている具体的な展望例は、電気を地産地消する「市民電力」の取り組み、協同で事業を運営する「ワーカーズコープ」、インターネットアプリを介してスキルやモノをシェアする「シェアリング・エコノミー」、スペインのバルセロナの呼びかけで始まった「ミュニシパリズム」(地域自治主義)、「ドーナツ経済」の考えを導入して公営住宅を拡充したりレアメタル等を生産するアフリカ・コンゴとの連帯を進めるアムステルダム市、等々である。

 

彼はこれらの例を実在する「アソシエーション」への動きとして持ち上げ、何か大きな希望であるかのように言及しているのである(同様の例は、『人新世の「資本論」』でもより詳しく取り上げられている)。

 

これらの例に共通して見られるのは、既存の〝共産主義運動〟や〝社会主義運動〟の枠を破ってグローバル資本主義や独占的大企業の横暴に抵抗する地方的・市民的な運動である。

 

ここには既存〝左翼〟に対する不信とマンモス化する資本主義に対する抵抗が共存しており、斎藤が心惹かれるのもそこにあるのだろう。

 

しかし、「市民電力」のような地域的で小規模な取り組みだけでは巨大電力会社の足元にも及ばないし、バルセロナやアムステルダムの例は日本にもかつてあった革新自治体の現代版にすぎないであろう。

 

日本でも昨年ワーカーズ・コープ法(労働者協同組合法)が成立し、何か労働者の自主的参加による事業が可能になったかに持ち上げられているが、労働者協同組合といっても実際は主としてサービス業の中の隙間的な部門や資本力のない地方での労働力活用策程度のものでしかなく、体のいい派遣会社(最も低賃金の)のようなものでしかないのだ。

 

したがって、このような運動が広がっていったとしても、それで自動的にコミュニズムが成立するわけでは全くない。

 

資本主義のあらゆる矛盾の現れを捉えて幅広く連帯し、協同組合的な運動等により問題の現実的な解決を図っていくことも場合によっては必要であろう。しかし、もっとも重要なのは最終的な権力奪取であり、それによる社会全体の改造である。

 

斎藤は、彼の言う〝コミュニズム〟を本気で実現したいと思うのならば上記のような運動の限界をこそ指摘するべきであり、また、体制内化してもはや〝コミュニズム〟の〝コ〟の字も忘れてしまった既存労働運動や既存〝左翼〟運動の批判的な吟味こそが必要ではなかろうか。

 

斎藤の著書やNHKの番組を見て痛快に感じた人も多いだろうが、それだけではせいぜい単なる〝ガス抜き〟程度にしかならない。

 

また、『資本論』や「コミュニズム」に対する関心が高まることは大いに歓迎すべきことではある。しかし、実際に運動を進めていくことは決してそう簡単ではないし、日本や世界の運動の現状は必ずしも楽観できる状況ではないことも冷静に考える必要がある。

 

我が労働者党は各地で資本論読書会や学習会も進めている。斎藤の著書などを通じて『資本論』や「コミュニズム」に関心を持たれた労働者・働く皆さんには是非とも我々の読書会・学習会にも顔を出していただき共に闘いの方途について学習していきたいものだ。

 

(長野・YS) 

林 紘義 同志への弔辞

林紘義同志の死去に多くの方から弔意が伝えられました。紹介いたします。

また、労働者党機関紙『海つばめ』紙上で、林さんへの追悼の辞を掲載しています。

 

 

長崎 M様

 

 昨日到着した『海つばめ』で林紘義氏の御逝去を知りました。

 

 私にとっては現存する人間として最大の影響を与えられた人でした。氏は労働価値論と史的唯物論という二つの重要な科学的認識を現代社会に適用して我々の認識を確かなものにし、進むべき道に確信を与えてくれました。それもマルクス、エンゲルス、レーニン、(そして個人史的にはトニー・クリフ)と比肩する、歴史的な、偉大な人でした。まさに「巨星墜つ」という気持ちでいます。

 

 党の闘いには何らかの損失は避けられないでしょうが、マルクス主義は何人も否定しえない科学であり、林氏と同様我々が科学的手法を堅持する限り、この闘いはとどまることがありません。

 

 ご冥福をお祈りします。

 ご遺族の方にもよろしくお伝えください。

 

 

北海道 Na

 

こんにちは。林さん、残念でしたね。お悔やみ申し上げます。

 

 

大阪 SN

 

マルク主義の哲学、経済学、政治活動(お世話になりました林さん)

 

林さんと初めて会ったのは確か、1975年のことで、大阪駅の西口地下にあった喫茶店であったと思います。季節は夏で、東京から子供さんと一緒に来られていました。当時、大阪府の組織メンバーと、これから海に遊びに行くのだと聞きました。その時、色々話をしたことを思い出すと、まるで昨日のことのようです。

 

私は山口大学を卒業し、大阪に出て来た直後で、マルクスや社会主義運動に関心を抱いていました。72年に発行された「マル労同」の綱領を読んだ時には、随分と感動し、「共産党宣言を読んだ時と同じぐらい感動しました」と、述べた気がします。ただ、ソ連などを、国家資本主義国だと規定し、社会主義国ではないという記述については、初めて聞く話で、直ぐには納得できませんでした。

 

その場で、大学時代の「マルクスの哲学サークル」で得た考えも話しました。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、ヘーゲルの弁証法を受け継ぎ、更にフォイエルバッハの唯物論をも受け入れ、マルクスと共に自分たちの考えをハッキリさせたと言っている所です。それによって「ヘーゲルの場合には、弁証法の徹底的な展開の邪魔になっていた、観念論的な装飾から解放された」と云うのですが、この点をもし逆にしたらどうかと述べたのです。というのは、もし弁証法を徹底的に貫くなら、それは唯物論ではないのかと云った思い付きです。その話の中で、「唯物弁証法」と、私が口に出すたびに、林さんは「弁証法的唯物論」と何度も言い直されるのです。何故かそんなことが記憶に残り、唯物論と弁証法との係わりについて、あれこれ考えるきっかけを得たのです。

 

 当時懸案であった「国家資本主義論」ですが、「すぐに納得できないとしても、他の点で賛同しているのなら、その点は仮定して、加入しないか」という、先輩の活動家のアドバイスもあり、共に活動することになりました。その後、就職し、職場の組合活動、更には党的な活動をそれぞれしていた80年頃のことです。ポーランドの「連帯」の動きが活発になり、これは正に階級的な対立が東欧の国々に存在する証であり、ソ連の国家資本主義論を歴史的に明らかにするものでした。職場での知り合いからも「社労党の言う通りだった」と云われたことを記憶しています。

 

林さんの世話になったのは、哲学や歴史の動きだけではありません。資本主義的な経済の解明、「資本論」をしっかり読んで理解する上で、林さんから「労働価値説」と言った観念を得たことは大きなきっかけになっています。さらに2004年の労働者セミナーで、エンゲルスの哲学について、その意義や、問題を明らかにして見よ、という課題を頂きました。当時思いもしなかったテーマでしたが、約半年間に渡って、エンゲルスの哲学を中心にひたすら読んで考え書く時間を過ごしました。その所為か、頭の毛がすっかり薄くなったほどです。出した結論には必ずしも賛同を得ることは出来ませんでした。が、私自身にとっては大きな成果を得ることが出来、それ迄、もっぱらマルクス主義の哲学や、政治ばかりに意識が行っていましたが、それ以降、経済学、資本論に本腰を入れて読んで理解していくようになりました。それ迄はもっぱら理系の物理や数学に関心が高く、唯物論や、弁証法もその方面ばかりを向いていました。しかしそれ以降、社会の歴史的な唯物論に目が向き、生産力や生産関係に考えが及んで行きました。結果的によく勉強する機会を得たことは、その後「資本論まなぶ会」につながり、社会主義運動の自信につながり、有り難い限りでした。

 

現在、資本主義社会の問題は山積みです。格差、不景気、国際紛争など、21世紀を経過する中で、ますます問題は深刻化しています。他方で、左右のポピュリズムと言った勢力が幅を利かせ、労働者の階級的な自覚の高揚を妨げています。今度、どうなるのか、どうしていくのか、林さんが亡くなられた後、世界の歴史の中で、何がどれだけできるのか、課題をどれだけ明確に出来るのか。死ぬまで出来ることはして行く決意です。

 

林同志の御冥福を祈ります。

 

  

東京 Sa

 

林代表が32歳、私が20歳のまだ急進主義の尻尾が付いていた時が初対面ですから丁度50年間、後を付いてきました。脳出血後の意識がない状態から再起は望めないと思っていたことと、唯物論者としては死は必然であり、ショックはありませんが、寂しい限りです。党友と読者、シンパの8人にはメールで訃報を伝えました。

 

 党友のMiさんからは、「追悼集会があれば連絡してほしい。労働者党に期待しているから頑張ってくれ」と電話がありました。

 

 

東京 Ko様

 

林さんの訃報に接し、驚いています。また深く沈んでいます。ただいつかはこのようなお知らせがあるのではないか、と胸の奥のどこかと思っていたことも事実なのですが・・・。

 

日本のマルクス主義戦線における林さんの功績は最大限に讃えられるものだと確信しています。林さんが書き残した膨大な著作から、本質的なものを救い出す作業も必要になるかも知れませんね。本来ならお葬式に参列して、息子さんをはじめとしたご遺族の皆さま、そして、共に日本の共産主義運動発展のために尽くしてきた田口さんたち代表者のみなさんにも、お悔やみを申し上げなければならないのでしょうが、コロナ禍の中でもあり、見合わせようと思います。

 

今後、党としての追悼集会等の情報が明らかになり次第、お知らせ願います。

林さんのご冥福を心より祈念致します。

 

 

東京 MM様

 

非常にショックです。名古屋時代、林さんの考え方を知り非常に感動した事を覚えております。マルクス主義を現代に読み解き現代社会に適応して実践し、社会を変革できるのは労働者しかいない、労働者しかできない、という確信をもたせてもらいました。

労働者による、労働者のための、労働者の権力無くして人類の進歩はありえません。本当に残念でなりません。しかし、悲しんでばかりはいられないでしょう。


 林さんの意志を継いで労働者党は前進あるのみです。頑張ってください!

 

 

東京 Ha様

 

林さんにはご著書や学習会等で大変学ばせていただきました。今回のご訃報に接し大変ショックを受けております。

 

 御高齢だったこともありいつかこの日がくることを覚悟しておりましたが、日本の、世界の労働者解放のためにまだまだ先頭に立っていただきたいとの思いがありましたので残念でなりません。人の死に対して唯物論者はどのような態度をとるべきか、私には答えが見つかっておらず、悔しいですが相応しい追悼の言葉が思い浮かびません。今はただ、林さんとの交流を思い返し、林さんの著書を読み返し、資本主義と闘い続けた革命家の生涯に思いを馳せたいと思います。

 

 

東京 Mo


 ここ何年かの理論や運動の観点には疑問が多いですが、色々と影響を受けたことも確かです。
ご冥福を祈ります。

 

 

大阪 Kn様

 

林代表死去を通信で知りました。実はその数日前に林氏と会話(議論?)する夢を見ました。残念ながら内容は忘れましたが、とにかく残念です。

 

 林さんの思いを少しでも引き継いで行きたいと思います。

 

                 

大阪 Ss

 

林さんが亡くなられたという悲しい知らせを受けました。心からご冥福をお祈りいたします。

 

林代表追悼―労働者の政治的進出を―

 

 林代表は、マルクス主義に基づく社会主義革命理論と革命運動の幹である「労働者党」そして革命運動の実践を残された。

労働者の抑圧、差別の温存、自由および民主主義の侵害、支配階級の腐敗等の資本主義の行き詰まりが生み出す様々な問題・矛盾を具体的に暴露し、その時々の政治課題を提示し、労働者・人民に分かりやすく訴え共感を広げていくこと。

 

ブルジョア民主主義制度の限界はあるにせよ、現在の自由と民主主義の制度、広く国民に訴えかけられる議会制度を利用し、労働者の政治的伸長を図ること。

労働者の国会議員を誕生させ、国会の中で一大勢力とし、資本の支配の維持を画する政党を政治権力機構の中から追い落とすこと。

 

このような、世界史的使命である社会主義革命の実現の道程を、林代表は文字通り日夜身を粉にして工夫し歩まれた。同じように、労働者党をより強固な組織にし、マルクス主義を守り発展させ、倦まず弛まず政治宣伝に努めるのが、残された者の道である。そして志半ばであった、革命運動の階梯の一歩である労働者の政治的進出こそが、後に残った者の課題である。

 

これを林代表への追悼といたします。

 

 

長野 YS

 

林代表の肺炎がどうなったか心配していたのですが、食物摂取ができなかったとは思っても見ませんでした。倒れる寸前まで激務をこなし闘いの日々であったことは林代表にとってはむしろ本望であったかもしれませんが、いずれにしても残念で、偉大で壮絶な人生だったことを思わざるを得ません。

 

まだ学生であった若き日の安保闘争・全国社研の闘いから始まり今日の労働者党まで一貫して原則的な立場を考究し闘いを貫いてきた林代表の並々ならない理論的能力と闘志を偲ぶとともに、代表の志を受け継ぎ、諸先輩方とともに今後も闘いを継続し益々発展させていかなければならないと決意している所存です。

 

ご冥福をお祈りします。

★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
  放」の旗を高く掲げよう!
★労働者の闘いを発展させ、
  労働者の代表を国会へ!
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