労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2021年10月

バラマキ政治を止めよ ——政治も経済も地獄に向かって突き進んでいる

バラマキ政治を止めよ!

——政治も経済も地獄に向かって突き進んでいる

 

●岸田はサイテーの〝口先き〟男!

 

岸田首相の所信表明演説と野党の代表質問への答弁を聞いて、怒りが収まらない。自民党総裁選で表明した政策をことごとく撤回ないし先送りしたのだ。まさに、総裁(首相)になるための、口先だけの空約束、つまり詐欺である。

 

こんな悪党が日本の総理大臣なのかと思うと情けない。「民主主義の危機」が聞いて呆れる。お前が首相でいることが「民主主義の危機」なのだ。衆院選では、この男に鉄槌を下さねばならない、早く辞めよ!

 

ところで、総選挙を前にして、岸田内閣も野党もバラマキのオンパレードである。岸田は、(令和版所得倍増は引っ込めたが)分配重視の「新しい資本主義」、中間層の創出、格差の是正、そして「数十兆円規模の経済対策」などと、国民受けする政策を並べ立てている。し

かしこんな口先き男の言うことを誰が信用するか?

 

●立憲民主党や共産党もバラマキ

 

立憲民主党や共産党の野党は、岸田の空約束を批判するが、しかし野党の公約も岸田と同じバラマキだ。野党共闘は、教育、医療、保育介護等の公的支援を拡大するとか、低所得者や中間層への再分配を強化する等、並べている。

 

しかし、一体、この財源は、どこから出てくるのか? みな国債頼みである。すでに日本の国債残高(つまり国の借金)は、1200兆円、国民一人当たり(幼児もふくめて)が、1千万円の借金を背負わされているのである。

 

国民は、「これは政府がやったことで、自分は関係ない」などとのん気なことは言っていられないのだ。借金である以上、いずれは貸し手(その9割は証券会社、銀行、保険会社や金持ちだが)に返さなければならない。

 

政府が返せないなら、国民が返さなければならない(結局、国民の税金だ)。政府は借金帳消しの中世の徳政令でも出すのだろうか? そんな勇気はないだろうが、貸し手の銀行などが許すはずもない。

 

●日本の財政は破綻寸前!

 

今の日本の国家は、収入が50兆円しかないにもかかわらず、95兆円の支出をしている(家計なら完全に破産状態だ)。1200兆円の借金がある上に、さらにこの赤字分の45兆円を借金(国債)で補うというのである。だから、今や日本の国家財政は、世界のどの国よりもダントツに悪い、かって破綻したギリシャやアルゼンチンどころではない。いつ破綻してもおかしくない状態なのだ。

 

ところが政府も野党も、意識的にか無意識的にか、この財政の危機的状況を国民に知らせようとはしない。収入が支出の半分ぐらいしかないのに、相変わらずの「大型補正予算」「減税・免税」「一律10万円の給付金」などと大盤振る舞いである。一体どこにそんな財源があるというのか? こうしたバラマキ政治の結果は、いずれは大増税か、さもなければ大インフレである。ポピュリズム(大衆迎合)政治を競う先にあるのは、ファシズムであろう。

 

●働く者社会、労働者階級の権力をめざそう!

 

つまり与党も野党も、この財政危機を前にして打つ手なし、バラマキ政治を続けるしか能がないのだ。まさに地獄に向かって日本の政治も経済もまっしぐらに突き進んでいるのである。

 

破綻に瀕しているこの資本主義を救う道は存在しない。資本主義以外の道を探さねばならないのだ。それは働く者が主人公となる社会、社会主義社会以外にないのである。(菊池)

《横浜労働者くらぶ発行『
労働者くらぶ第10』より。一部修正》


愛知支部発行の『海つばめ』(号外)10月号を紹介

愛知支部発行の『海つばめ』(号外)10月号を紹介

 

労働の解放をめざす労働者党愛知支部の発行の『海つばめ』(号外)10月号を紹介します。愛知支部では、衆院選を前に、若者、学生の皆さんへの訴えを強める取り組みをしています。

「新しい社会=労働の解放された社会に日本を作り変えたとき、世界中の労働者や抑圧され、人としての尊厳すら奪われている人々に、限りない希望をもたらすことが出来るし、支援をあたえることができる。」「資本主義というピラミッド社会を単純化すると、資本家、富裕層や高級官僚を頂点に中小企業や個人事業主、労働者などに分割された階級社会。資本主義が封建体制を打倒し、社会の支配的な生産様式に置き変わってから階級社会としての基本的な構造は変わってはいない。ピラミッドを破壊する作業に共に取り掛かろう!」と呼びかけています。

★衆院選を前に若者、学生の皆さんに訴える!

★策に溺れた岸田政権、低支持率に蒼ざめる

★自民党・岸田政権は資本主義の
  ピラミッド社会の頂点を占める資本家や
    富裕層の利益と権利を守る守護神!

★労働者党がめざす社会を明示しました、
              共に闘おう!

 

過去三番目の低支持率に蒼ざめる岸田政権!

 

 岸田政権が4日に発足しました。14日には衆院を解散し31日には投票が行われる。新政権発足で支持率が高く、コロナ感染拡大が落ち着いているうちに勝負を付けようという姑息な魂胆が丸見えである。

 

 果たして「新時代共創内閣」と自ら命名した岸田首相の思惑通り、衆院選に勝利出来るのか、岸田にとって残念な事に政権発足後に行われた世論調査は、どれも低い支持率と発表され(朝日支持45%不支20%毎日支持49%不支40%)自民党は蒼ざめている。

 

 岸田は有権者を見下して、自分を自民党総裁に押し上げた安倍、麻生らに配慮した「論功行賞」人事を行った結果が、菅政権より低い支持率である。

 

自民党・岸田政権は資本主義のピラミッドの頂点を守る政党

 

 自民党は、日本の政治・経済・社会体制の骨格である資本主義体制の守護神。従って自民党の政治路線や政策は、資本主義体制というピラミッドの頂点を占める、資本家や大金持ち、企業の利益を第一に考える政党。

 

kaikyusyakai 資本主義というピラミッド社会を単純化すると、資本家、富裕層や高級官僚を頂点に中小企業や個人事業主、労働者などに分割された階級社会。資本主義が封建体制を打倒し、社会の支配的な生産様式に置き変わってから階級社会としての基本的な構造は変わってはいない。

 

 従って岸田政権が「成長と分配の好循環による新たな日本型資本主義の構築」を掲げて、これまでの「規制緩和・構造改革」の「新自由主義的政策」は「格差と分断を生んだ」、今後は「成長と分配の好循環」による「令和版所得倍増計画」を策定すると意気込んでいるが、資本主義の骨格である資本家を頂点とする階級社会を前提にする限り、たちまち行き詰まり、陳腐なばら撒き政策に終わらざるを得ない。既に「数十兆円規模の経済対策」を打ち出している。

 

 資本主義社会において、資本家が会社を経営し労働者を雇用して労働させるのは、自動車や食料品などの商品を生産することが目的ではなく、労働者を搾取し利潤を獲得することが根本的な目的です。赤字決算が続くと倒産する現実が、資本主義における企業経営の目的が利潤を獲得することにあると教えている。

 

労働者党がめざす社会。

君たち(若者諸君)が闘いとる社会の姿を明示する!

 

 労働者党が目指す社会を明らかにします。

「労働者党の目標は、この社会の一切の生産手段―工場、機械、運輸手段、土地その他―の私有を廃止し、それらを社会的共有に移し、社会の全成員の福祉と全面的発展とを保障するために社会的生産過程の計画化・組織化を実施することである。」

「社会主義的生産の実現と共に、人々が自分たちの消費と欲望充足のために、共同して自然に働きかけ、自然を改造して富(欲望の対象)をつくり出すという関係―人間と自然との関係、人間と人間との相互関係―は全く透明で分かり切ったものになる。今や人々は、利潤のために一つの職業、一つの仕事に一生涯を通してしばりつけられ、狭い視野におしこめられる『部分人間』であることをやめ、すべての方向に社会的関心と能力を伸ばすことが可能となる。資本への人間の従属がなくなると共に、機械への人間の従属も消滅し、人間がオートメ化された機械やロボットやコンピュータを使うのであって、その逆ではないことが明らかとなる』(労働者党綱領23頁)

 

「分配もまた労働時間に基づいて行われる」ようになります。『労働時間に基づく分配』が行われるなら、一切の賃金差別は無くなる。同時に、保育・教育・技術訓練・医療の全面的社会化と介護の共同体原理の導入などが進めば、労働者の家族構成の違いや労働者の教育・訓練程度の違いによって生じる生活レベルの差も解消することができる。一連の労働者の経済的要求を貫徹できるならば、野党共闘派が掲げる所得と公的サービスの「再分配」(結局、国家の借金や金持ちに財源を依存し続ける)は不要となり無用の長物になる」(海つばめ1411号から)。このような社会は決して絵空事のSF小説の世界ではありません。

 

科学や技術の恩恵どころか飢餓と病気、

教育も受けることなく命を落とす何千万もの人類がいる。

 

 現代社会の生産力や科学・技術水準は恐ろしく発達し、しかも日々進化している。それが世界、日本のすべての労働者の解放と自由で豊かな生活に繋がらない理由は、社会の富を独占的に専有し利潤を目的に生産し、ピラミッドの頂点に君臨する資本家らの支配する資本主義体制にある。

 

盛んに取り上げられる「『誰一人取り残さない』持続可能で多様性と包摂性のある社会の実現」(SDGs)は、資本主義社会では中途半端なものに終わらざるを得ない。SDGsで差別の撤廃をいくら謳っても、資本主義が厳然たる差別を基礎とする階級社会にほかならないからである。

 

 新しい社会=労働の解放された社会に日本を作り変えたとき、世界中の労働者や抑圧され、人としての尊厳すら奪われている人々に、限りない希望をもたらすことが出来るし、支援をあたえることができる。 ピラミッドを破壊する作業に共に取り掛かろう!

 

★衆院選挙立候補・お一人様、三百万円!

★もたざる者、参加するべからず!ではないのか

★選挙への参加を制限する供託金制度を撤廃せよ!

 

 労働者党は31日に投票する衆議院選挙に参加しません。残念ながら、資金も人も組織も決定的に不足しているからです。

 とりわけ許せないのは、憲法で謳われている参政権(立候補する権利)が、候補者1人につき三百万円もの大金を納めなければ立候補出来ない供託金制度です。kyotakukin

 図にある通り、日本の供託金は世界一高く、アメリカやフランス、ドイツなどは供託金など必要ありません。供託金制度がある国でも韓国やオランダを除けば数万円から十万円程度です。

 

 労働者党も2019年の参院選に愛知を含め10名の候補者を立てましたが収めた供託金は4200万(選挙区6比例区4)の巨費でした。小政党にとってどんなに大変か想像が付くでしょう。これ以外にもポスターやビラ、候補者カー期間中、選挙前の運動にかかる費用が必要です。

 

 巨額な供託金は、事実上、参政権という民主主義的権利を制限するものです。労働者党のような小政党や志ある若者の選挙への参加を不可能にするものでしかありません。

 

 国会に議席を保有している既成政党は供託金制度の撤廃に消極的です。左の図表を作成した共産党も「高すぎる供託金を大幅に引き下げることが求められています。」と、他人事のようにいうだけです。

 

 「引き下げ」ではなく供託金制度は直ちに無条件に撤廃することを要求する。リベラルを装う池上彰は、テレビで「供託金は売名行為を防ぐ為に必要」と口を滑らしたが、本当の理由は、支配階級との闘いを最後まで貫く労働者党のような政党が国会に進出することを自民党が恐れているからに他ならない。

 

資本論を読む会 ★10月17日1315分から15

あいち名古屋労働者学習クラブ

昭和生涯学習センター
 (桜通線鶴舞線「御器所」徒歩8分)

 

『海つばめは名古屋ウニタ(052-731-1380)で販売中。
 他の書籍も常置。

★プロメテウス60号 近日発売 予約は名古屋ウニタで受付中

名古屋市千種区今池1-6-13今池スタービル  ℡ 052-731-1380

 

発行:労働の解放をめざす労働者党愛知支部

 ℡ 070-4293-5098

 

パリ・コミューン150周年ーー『労働者くらぶ通信』紹介

コロナ禍の緊急事態宣言で中断していた『横浜労働者くらぶ』が10月からようやく学習会を再開します。発行している『労働者くらぶ通信』第9号では『フランスの内乱』の学習会が始まるのと今年がパリ・コミューン150周年ということで、記事が寄せられました。

ここでは、パリ・コミューンにおける民衆運動をまとめた記事とパリ・コミューンの活動とその歴史的意義についての記事を紹介します。(一部加筆)

 

 

パリ・コミューンにおける民衆運動

 

《民衆の行動》

 

187094日、セダン降伏(プロイセンとフランスとの戦争でフランス軍が敗れた。セダンSedanは北フランスの都市名。830日のボモンの戦いで大打撃を受けフランス軍はセダンに向けて退却したが、91日セダンの近郊で捕捉され、壊滅的な打撃を受けた。ナポレオン3世はパリからセダンにきていたが、この敗北で士気を阻喪し降伏。翌2日フランスのビムプフェン将軍は、8万人以上の兵士を捕虜として引き渡すという降伏状に署名。3日にはナポレオン3世も捕虜の身としてドイツに送られた)の報にショックを受けたパリ市民は自然発生的に蜂起し、約50万の市民が立法院会議場に押し寄せ、議会共和派に帝政廃止と共和制の宣言を迫った。民衆運動の介入と圧力により議会共和派は帝政廃止を宣言した。ブルジョア共和派は革命派を排除した新政府(国防仮政府)を成立させた。

 

95日、400500人の労働者代表はオマール街の小学校に集まり、帝政時代の官吏と治安警察官の追放または逮捕を要求、また首都の緊急防衛体制の必要を確認した。同時にパリの二十区がそれぞれ新市政機関と国防政府の行動を監視する為「監視委員会」を設置する勧告を採択し、早急に実行された。

 

913日、インターナショナルの働きかけにより各区監視委員会の代表4名、計80名で構成される「パリ二十区共和主義中央委員会」を設立した。二十区中央委はパリ市会と司法官の選挙、出版・集会・結社の自由、生活必需品の徴発とその配給制、全市民の武装、旧警察機構の解体、そして地方を立ち上がらせるための諸県への委員の派遣を要求した。

 

民衆の願望はパリ防衛の責任を国防仮政府から自分達の手に移したいということだった。もはやパリの防衛を政府に期待する事が出来ず、パリ市民みずからが自治権の名においてそれに当たろうという意思の表現であった。政府はプロイセン軍よりも、国民軍(武装した民衆)の方が恐ろしかった。「赤」の脅威を除くために和平の道を模索し始めた。

 

918日からパリは包囲網に陥りヴェルサイユ、ストラスブールも敵軍の手に落ちた。中部以北のフランスの国土はプロイセン軍に四方八方から蹂躙された。民衆の自主管理組織としてのコミューンの選挙を要望する声が湧きおこってきたのはこの様な情勢だった。

 

922日、二十区中央委は「パリ・コミューン」と「人民自身による直接民主政府」を要求する宣言を発した。26日「即時市会選挙を要求する声明」に呼応して140名の国民軍大隊長が市庁舎に赴きパリ選挙人の即時招集を要求、国防政府代表に選挙を約束させた。しかし政府は前言を翻して、戦局の重大化を口実にパリ市会選挙の無期延期を声明した。

 

政府は、17万余の兵力を擁するバゼーヌがほとんど抵抗をせずに最後のフランス正規軍の主力をメッス要塞もろともプロイセンに引き渡したと公式に発表した。民衆は政府に騙されたと知り、1031日、市庁舎に押し寄せ国防政府の失権を宣言し、コミューンの選挙管理委員会の指名を要求したが、政府はブルジョア地区の国民衛兵を動員してこれをおさえた。「国民軍から大砲をとりあげなければ中枢部の麻痺したフランスは賠償金を支払えない」というブルジョアからの強い要請でティエールはパリ制圧を急いだ。

 

1871318日、市内各所の大砲陣地の奇襲、奪還と同時に警視庁の手で国民軍中央委、二十区代表団、インターの指導者を一斉逮捕し、その組織を破壊する奇襲作戦に出た。しかし、自然発生的に立ち上がった民衆・国民軍兵士の抵抗と正規軍兵士のねがえりにあい、この奇襲作戦は失敗に終わり、蜂起は全パリを支配し、ティエールはヴェルサイユに逃亡した。

 

19日、市庁舎で行われた区長と国民軍中央委の交渉で区長のクレマンソーは「議会の権利を認め、市庁舎を区長とパリ議員に引き渡しヴァンドーム広場に退去せよ。 そうしたら、自治権の獲得を議会に認めさせることを約束する」と提案した。中央委の多くは妥協の方向に傾きかけた。これを立ち直らせたのは二十区代表団と各区監視委、クラブに集まった民衆勢力の下からの力強い介入であった。

 

320日、二十区代表団と各区監視委の合同会議では国民軍中央委の無気力と区長らの欺瞞作戦に乗っていることが痛烈に批判され、ブランキ派の強硬論が大勢を制し「状況のもたらす結果に責任のある国民中央委は市民的権力も、軍事的権力も放棄できない」との決議が成立した。

 

326日、コミューン評議員の選挙が全市で施行され、28日コミューンの成立を宣言する式典が執行された。

 

《コミューンとは》

 

パリ・コミューンは民衆革命であった。コミューン派はパリ住民大衆である。その内訳は職人的手工業労働者、学者、ジャーナリスト、文士、芸術家、学校教師などプチブル的色彩が濃厚である。

 

「パリ・コミューンの宣言」において共和制の承認と強化、予算編成権・コミューン官吏の任免権、個人の自由、労働の自由、その他基本的な人権の保障、国民軍の選挙制などを宣言した。

 

パリ・コミューンの民衆運動は労働者の固有の組織ではなく、地区を単位とする一般住民の組織を主要な基盤としていたといえるが、それには三つの系列が挙げられる。

 

第一は監視委員会でその中央連合機関が二十区中央委である。民衆組織と言ってもインター派、ブランキ派のほか無党派の人々からなる積極的な活動家たちの組織である。監視委員会は各区の活動の中核的存在であり、多くの民衆地域では区の行政を掌握した。

 

第二は国民軍連合で、愛国主義ないし共和主義で結ばれた無党派の大衆組織である。その中央機関の国民軍中央委はコミューン選挙で二十区中央委に主導権を譲ったがコミューン成立後は軍事指導の権限をめぐってコミューン議会の競争相手となった。下部組織が各区ごとの軍団評議会であり、区行政をめぐって監視委員会の対抗勢力となった。

 

第三は民衆クラブである。これは各地区の男女市民のコミューンに関心を持つ民衆の組織であった。国防政府成立後の集会の自由によりクラブが学校・劇場・公会堂・キャフェなどに出来た。クラブ設立の主導権を取ったのはインター派の多い監視委員会、ブランキ派、ジャコバン派などの活動家集団でそのためクラブには若干の特定の傾向があるが、クラブは特定活動家の道具ではなく、地区の自発的な民衆を主体とする大衆組織であった。

 

クラブはコミューンを支援する民衆的情熱の大衆的発露の場となった。各クラブでは社会問題ではブルジョア国家の財産権と特権と独占が激しく攻撃され、政治問題では、官僚的集権制の解体と官吏の粛清が叫ばれ、教育・宗教問題では無料義務教育と職業教育の必要が説かれ、また反教権主義の運動が強力に推進された。

 

《民衆の意識》

 

「血の週間」直前のパリの様子はバスティーユ広場には菓子の露店が並び、回転台がにぎやかに回り、軽業師の呼び声が高く、陽気な雰囲気がみなぎっていた。ルーブル美術館はいつもの)様に公開され、劇場は毎晩大入り満員である。パリ民衆は危機を目前にして呑気さともいうべき陽気さを保っている。

 

アンリ・ルフェーヴルは祭りと指摘した。「祭り」とは未来への思惑や構想、行為の実際的効果という日常的な配慮から解放された行事である。民衆は局地的・直接的な管理や生活の擁護で充足し、ヴェルサイユ側の反応やコミューンの行く末という全体問題についてあれこれ計算せず、318日の成功を直ちに「祭り」に転化させた。

 

コミューン派の戦闘に対する態度(極度の緊張と結びついた一種の呑気さ、深刻な事態を一種の即興に切り替える陽気さ)には時間的な推移や全体的な展望への欠如が認められる。このことは、民衆運動の基本的な単位が地区ごとの自律的な組織であることにより、民衆にとっては彼らが生身で感じ得る局地的な地域共同体が全てであり、彼らの現実であったことが関連している。

 

民衆はまずコミューンを制度的に概念化し、ついでコミューンを要求したのではない。パリの民衆にとって「共和国」とは大統領や言論の自由といった機構や制度や政体ではなく、食料統制・総動員性・バリケードといった社会的内容をもつ実践そのものであった。

 

《結 果》

 

パリ防衛を目的とした民衆の自然発生的な蜂起を指導し、社会主義革命を目指したのがブランキ派、ジャコバン派、インターナショナルだった。しかし、民衆はプチブル的色彩の強い職人、商店主等であった。彼らは社会主義革命の明確な観念を持っていなかった。また、コミューンを指導すべきグループ内に対立が起こりコミューンの運営はうまくいかなかった。コミューン議会の多数派と少数派の対立の原因は民衆運動の沸騰にどの様に対応していくかという革命路線の違いにある。

 

多数派(ブランキ派、ジャコバン派)は中央集権的な独裁体制を樹立し「恐怖政治」をしく方向に解決を求め、これに反発して少数派(インターナショナル)は直接民主制の本義へ回帰することにより革命のエネルギーを汲み上げようとした。寄せ集めの指導グループは民衆を指導できず無能ぶりをさらけ出した。また国民軍中央委とコミューン評議会との間にも摩擦があった。

 

この様なコミューンの内紛がヴェルサイユ側につけ込む余地を与えた。ティエールは58日にパリに最後通告を発し、13日、パリの城壁に迫った。パリの市街は連日の砲撃にさらされた。528日コミューン派の最後の銃声がやみ市街戦は終了し全市はヴェルサイユ軍の手に帰した。パリ・コミューンは72日間の短命に終わった未完の革命である。  (Y

 

 

 

エンゲルスの怒り

―― パリ・コミューンの活動とその歴史的意義は?

 

エルフルト綱領草案をみたエンゲルスは、ゴータ綱領などとちがって、ラサール主義特有の伝統などの遺物がとりのぞかれていると、評価している。しかし、エンゲルスがこの草案をみて、もっとも危惧したことは、ドイツ社会民主党の日和見主義の傾向があらわれていることである。それは社会民主党の大部分の新聞雑誌をみれば明らかで、根深いととらえることができるとしている。

 

「だが、ドイツでは公然たる共和主義的な党綱領をかかげることさえ許されないという事実こそ、ドイツで共和制を、いや共和制ばかりか共産主義社会までも、のどかな、平和的な道によって樹立できるかのように考える幻想が、どんなに途方もないものであるかを証明するものである」と、喝破している。

 

共和制のことに触れることができなければ、少なくとも「全政治権力を人民代議機関の手に集中せよ」という要求を入れるべきであったと、エンゲルスは綱領草案を批判している。

 

エンゲルスの危惧は、的中してしまう。ドイツの著しい経済的発展とともに日和見主義の傾向の顕現化は、その後の歴史が証明している。

 

カール・マルクス『フランスにおける内乱』(1891年版)への序文を、マルクス亡き後、エンゲルスはかなりの筆をさいて、この文をドイツ労働者にむけてかきすすめている。

 

まずパリ・コミューンにいたるルイ・フィリップから二月革命、第二帝政の状況を、資本家と労働者階級との闘争という視点で、歴史的流れが簡潔に述べられている。次にパリ・コミューンの活動と歴史的意義をふりかえっている。コミューンの議員は、ブランキ主義者とプルードン主義者からなっていたが、コミューンの取った行動は、どちらにも偏らないプロレタリア的であったとエンゲルスは論じている。

 

組合を批判したプルードンの主張に反して協同組合の組織化をすすめ、プルードン派の社会主義の墓場ともなったとのべている。しかし、コミューンの重大な政治的誤りの一つはフランス銀行を差し押さえ、完全にコミューンの支配のもとにおかなかったことだ、もしフランス銀行がコミューンの手にあれば、それは一万人以上の人質よりも値打ちがあったのだ。

 

とはいえ、コミューンが行おうとしたことは、プロレタリア的であることが多く、賞賛に値するとし、その具体例をあげている。労働者階級が支配権を獲得したならば、古い国家機構を用いてはものごとを処理してゆくことはできないことを理解していた。その点は第3章でマルクスが詳しく展開しているところ。

 

最後に、エンゲルスは「ドイツの(社会民主党の)俗物は、近ごろプロレタリアート独裁という言葉を聞いて、またもや彼らにとって薬になる恐怖に陥っている。よろしい、諸君、この独裁がどのようなものかを知りたいのか? パリ・コミューンを見たまえ。あれがプロレタリアト独裁だったのだ」と述べて、この序文を締めくくっている。(A

 

横浜労働者くらぶ

Mail: yokorouclub@gmail.com

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