『海つばめ』読者より、「人間の本源的な集団性(社会性と共同性)」についての論考が送られてきましたので紹介します。
人間の本源的な集団性(社会性と共同性)
最近非常に興味深い事実を知った。昨年TVを観ているとある動物学者が次のように言うのである、「あらゆる動物(特にメス)は生殖機能が失われると種の存続のために無意味となった個体として長くても半年のうちに寿命が尽きるのだけれど人間だけはそうではない、人間はたとえ生殖機能をなくし種の存続にとって必要のない個体であろうと長寿で、その生命に最大限配慮しながら寿命を全うさせている、これはどうしてなのか自分にもよく分からない」、と。
確かに、昨年10月に102歳で亡くなった私の連れ合いの母親は命を燃やし尽くした大往生だった。現生人類(ホモ・サピエンス)が最後の氷河期(11万5000年前~1万5000年前、現在は間氷期らしい)の厳しい気象条件を乗り切って生き延び、彼らよりも大きな脳とたくましい筋肉を持ち二度の氷河期を生き延びたネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)が地球上から消え滅びてしまったのは遥か昔から我々の遠い祖先たちが集団で暮らすことの重要性を知っていて、その中で「社会性と共同性」を育んできた結果なのではなかっただろうか、と私は思う(「一人の天才より三人の凡人」という故事がある)。
人間の言語能力の獲得(言葉は自分では考え出せなくても互いから学ぶことのできるシステムの好例だ)、複雑な顔の表情筋の働きによる感情豊かな顔の表情、視線が何処を向いているのかが相対している人に分かるようなはっきりした瞳と白目部分の違い(動物界では視線の向きを相手に悟られることは自らを危険にさらすことになりかねない)等々、これらはすべて人間の本源的な集団性(社会性と共同性)の副産物、集団生活を送る上でお互いが円滑にコミュニケーションを行う必要性から生み出されたものだと考えられる。
マルクスは「人間は歴史的過程を通じてはじめて個別化される。彼は本源的に一つの類体、種族団体、群棲動物として・・・現れる」(『経済学批判要綱Ⅲ』)と言い、「猿に近いわれわれの祖先はもっとも群居的であった」(『猿が人間になるについての労働の役割』)とエンゲルスも述べている。
他人との接触がない孤独は人を病気にし寿命を縮めるとも言われるのは少しも不思議ではない、人間は他者との一体感と交流を何より欲する、とにもかくにも我々は心の繋がりを強く渇望する動物なのであり、約20万年前にホモ・サピエンスが地球上に現れて以来お互いが繋がるように進化してきたのだということ、そうした「社会性と共同性」の強い繋がりの中で他の動物には見られない生殖機能が失われて種の存続にとって無意味な個体ですら長生きできるようになったのはあるまいかと私は思っている。かの動物学者は我々が本源的に持っている集団性(社会性と共同性)について深く考えるべきだった。
我々人間のDNAにそういった遺伝子が組み込まれており、そのおかげでホモ・サピエンスが今日の隆盛を極めていることを考えれば、社会生活のなかで心に傷を受け他人との触れ合いや繋がりを好まず引きこもっている人や職場でのパワハラ、子供のいじめなどのギスギスとささくれだった今日の人間関係は分断と格差の拡大する優勝劣敗の―――「子供を産めなくなった年配の女はもはや女性とは言えない」とか、「子供を産めない女は非生産的だ」と言うような―――現代の資本主義社会がいかに深く病んでいるのかを改めて我々に思い知らせてくれている。 (広島 M)