労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2022年09月

“保育の社会化”の完全破綻 ―― 通園女児置き去り死事件

神奈川県で『資本論』の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」が発行した「労働者くらぶ第21号」(2022921日発行)から、紹介します。

 

保育の社会化の完全破綻

    ―― 通園女児置き去り死事件

 

 静岡県牧之原市で、保育施設(「認定子ども園」)3歳の通園女児が送迎バス車中に置き去りにされ死亡する事件があった。施設側の釈明では素人じみた杜撰な安全管理が露呈した。

 

  事件は波紋を呼んで、一週間しても慰霊の献花台を訪れる人々が絶えない。同じ通園児を持つ親たちが怒りと悲しみに暮れて慰霊に訪れる。献花台の前には飲料のペットボトルの山ができている。遺児を悼む全国の親たちのやるせない想いが伝わる。

 

保育の営利市場化を拡大推進したアベノミクス

 

  元自民党衆院議員の金子恵美という人が、情報番組でコメントしている。金子元議員は安倍内閣の高官、総務大臣政務官だった。日本会議議連・神道政治連盟議連・靖国参拝議連に所属していた。

 

『金子氏は「まず、お父様がその時の様子をお話しされているのを聞いて、3歳児が本能的に暑くて苦しくて取った行動かと思うと本当に涙が出てきますよね」と声を震わせ、会見については「運転を普段していないとはいえ、この期に及んで不慣れだったっていう言葉が出て。園長というのは、ヒューマンエラーが起こりにくい仕組みだとかマニュアルだとかを整備して、それを職員に対して徹底して教育する立場の人が、それを任せていたとか。むしろ率先して子供をみて、子供に配慮してもらわなければいけない立場の人がこうした意識だったってことが判明して、まさにこの園の体質、経営者のスタンスがそのまま現れた」と怒りをにじませながら話した。

 

 そして「今、保育の現場、保育事業は、保育の受け皿としてこうした認定こども園とか多様な保育施設を受け皿としてつくって、先般、過去最少に待機児童がなったと、保育の量は増えてきてるけど同時に質を見ていかないといけないという議論が今されている中で、保育内容の質はもちろんなんですけど、子供が質の高い保育を受けられる前提にあるのは安全な保育環境だということを多くの保育士さんは考えていらっしゃる」としつつ、「今回はレアな例だとは言っても、今一度すべての保育者の方々にそのことを再認識していただきたいなと、親の一人として思います」と自身の思いを話した』(スポニチ・アネックス、9/7)


保育所数厚生省                                                                   

  「今、保育の現場、保育事業は、保育の受け皿としてこうした認定こども園とか多様な保育施設を受け皿としてつくって、先般、過去最少に待機児童がなった」と金子は言う。だが、介護子育ての社会化を名目に民間介護保育事業を成長産業分野とし、介護保育の営利市場化を拡大・推進してきたのは、金子も政府高官として加担したアベノミクスである。観光も同じだが、市場開放により、投機的な営利市場主義の胡散臭い業者や起業家たちも、介護保育市場にどっと参入している。その歪みが、今回のような事件に顕れているのだ。

 

  保育の質や安全を軽視するような「園の質、経営者のスタンス」が疑われる事例も発生したとは、それがそもそも営利市場に保育事業の受け皿を国家規模で丸投げすることの、赤裸々な結果と実態だ。保育を市場原理の盲目の手に委ねておきながら、何を今さら「怒り」だ!

 

  このブルジョワ市民社会は、自分たちの家族・血・地域コミュニティの担い切れなくなった介護保育を、偏に民間介護事業者や介護保育労働者の労苦に丸投げして恥じない。「親の一人として」、保育事業従事者に対し、質と安全を高めろ、意識を持てなんぞと金子はクレームしているが、保育従事者は召し使いではない。

 

◆ 保育を金儲けの対象にしていいのか!

 

 タイでも同様の通園通学バス置き去り事件が多発しているそうだ。中部チョンブリ県で7歳女児が亡くなる事件が先月あったばかりだ。2014年以降120件、6人が亡くなっているという。

 

  メディアが現地市民たちの対処法の様子を伝えていた。それは通園児自らが、自己防衛の手立てを大人から躾られるということだった。置き去りになりバスに閉じ込められた場合の救援の求め方などを、実地訓練や児童向けの絵本で啓発している。

 

  高みから、保育者よ、意識を持てと他人にクレームするだけの、どこかの国の誰かさんとは大違いではある。それ以前に、自分の子供に自分を守る手だてを自助と躾によって身につけさせるのが、タイ流である。

 

  スクールバス大国の米国や韓国でも対策が取られているが、どちらかというと検知器や警報器頼みのようである。タイではそんなハイテク・インフラにあまりコストをかけられないのか、逆に児童と親の側の手弁当の自衛策に着目したようである。子供や親の自助が注目されるのは、大家族社会のタイでは、日本ほど徹底的に血縁共同体や地域コミュニティが解体され尽くしていないからだろう。

 

日本の市民社会は大きな勘違いをしている。営利目的の保育業界資本(ほとんどが中小零細である)と、私的な経済的利得を直接の動機とした、賃仕事としての保育労働が、保育の安全の質を完全に保てるなどという観念は、ふやけたお花畑の幻想である。

 

  保育従事者の意識を変える前に、保育労働者の労苦に一切を甘える市民社会の意識を変える方が先だろう。

 

【追記①】9/13

保育労働者への責任擦り付けを許さない!

 

  TBS系情報番組「ひるおび」に出演した芸人の立川志らくというのが、保育従事者へのストレスと憎悪をぶちまけている。

 

「幼稚園の先生は忙しいですよ。給料も安い。でも見りゃいいだけの話。そんなことは別に大変なことじゃない」「そんなことができないような人たちに子どもの命を守らせたら、そんな仕事に就かせたらいけない」「どうしてもやっぱり納得できないのは先生たちの訓練をすべきなんですよ」「先生うんぬんじゃない人間として最低限のこと。人様の子どもの命を預かって、『誰も残ってない』って見るだけのこと」「先生しっかりしてくれよ」「すぐお辞めになっていただきたい」「人としてあり得ない」

 

  毎度の長屋の熊八の床屋談義レベルだが、このコメントは当然ながらネットでも保育従事者から反発を呼んでいる。保育労働者の仕事を「別に大変なことじゃない」と見くびり、「そんなことができないような」保育労働者に退職まで促している。社会的保育を保育労働者の労苦に一方的に甘えながら、いけしゃあしゃあと問題の所在を保育労働者の責任に不当に還元し擦り付けている。不埒だ。

 

  保育労働者はこのような労働者攻撃に反撃すべきだ。

 

【追記②】9/14

アベノミクスの歪み噴出

 

『全日本私立幼稚園連合会を巡る業務上横領事件で、逮捕された前事務局長が、連合会の口座からおよそ3500万円を着服したとして再逮捕されました。カネは愛人関係にあった女性とのフランス旅行などに使ったということです』(日テレnews.9/14)

 

  業界団体の事務局トップがこの有り様。幼稚園保育業界といい、施設虐待蔓延の介護業界といい、知床事件の観光業界といい、アベノミクスの成長基幹産業は揃いも揃って歪みが噴き出している。
 (七鴉子 https://hushicho.fc2.net

 

横浜労働者くらぶ学習会 10月予定

連絡先 TEL:080-4406-1941(菊池)

 

◆「資本論」1巻学習会

1012日(水)1830分~2030

・県民センター703号室

・絶対的剰余価値の生産(続き)

◆マルクス主義文献学習会

1019日(水)1830分~2030

・県民センター703号室

・新テキストについてはお問合せください。

◆「経済学批判」学習会

1026日(水)1830分~2030

・県民センター704号室

・貨幣論(続き)

◆「資本論」3巻学習会

1026日(水)1810分~2030

・県民センター707号室

・地代論(続き) 

帝国主義の存在から目そらした空論 ─豊氷郁子の停戦論

帝国主義の存在から目そらした空論

─豊氷郁子のウクライナ停戦論

 

ロシアのウクライナ侵略戦争は早くも半年が過ぎた。一気に小国ウクライナを併合できるとプーチンの予想はウクライナ人民の抵抗によって挫折、今なお戦争は続いている。こうした中で、平和主義者から、ロシアへとの戦争を継続することは犠牲をさらに拡大することであり、ウクライナは即刻停戦すべきだという議論が行われている。

 

「朝日新聞・オピニオン&フォーラム欄」(812日)に掲載された「犠牲を問わぬ地上戦 /国際秩序のため容認/正義はそこにあるか」と題する政治学者豊永郁子早大教授の寄稿はその典型である。

 

ウクライナの戦争と日本軍国主義の戦争の同一視

 

豊永は、ロシアのウクライナ侵攻に対して、ウクライナが総動員令を発して、大統領自らも海外への退避の勧めを退け、国内に残り闘うことを決定したことに関して次のように言う。

 

「ウクライナ戦争に関しては、……わからなかったのがウクライナ側の行動だ。まず(ロシアが)侵攻した日にウクライナのゼレンスキー大統領が、一般市民への武器提供を表明し、総動員令によって18歳から60歳までのウクライナ男性の出国を原則禁止したことに驚いた」「市民に銃を配り、全ての成人男性を戦力とし、さらに自ら英雄的な勇敢さを示して徹底抗戦を遂行しようと言うのだから、ロシアの勝利は遠のく。だがどれだけのウクライナ人が死に、心身に傷を負い、家族がバラバラとなり、どれだけの家や村や都市が破壊されるのだろう。」

 

豊永は、ロシアへの抗戦は多くの人々の生命を奪い、傷つけ、生活を破壊する、政府は何よりも戦争を避けることを第一とすべきであって、ロシアへの徹底抗戦を決定したことは「信念だけで行動し結果を顧みない」無謀なことだというのである。

 

そして豊永はウクライナ政府がロシアへの徹底抗戦を打ち出したことは、かつての日本軍部が敗北を認めず国民に米国への抗戦を強い、多大な犠牲を強いたことと同じだと言う。

 

「政府と軍が無益な犠牲を国民に強い、一億総玉砕さえ強いた第2次世界大戦の体験……と同じ懸念を今、ウクライナを見て覚える」と。

 

だが、かつての日米の戦争と現在のウクライナ戦争は同じではない。日米戦争はアジア太平洋の覇権をめぐっての帝国主義国同士の戦争であった。日本の軍部ファシストはブルジョア国家、大資本の利益のために国民を戦争に動員し、敗北が決定的になった後も徹底抗戦を唱えて多大な犠牲を強いた。

 

これに対して現在ウクライナの戦争は、ロシアから分離独立したウクライナが、それを認めず軍事攻撃を行ってきたロシアに対して、自立した国家を歩む民族自決擁護のための闘争であって、かつての日本のファシスト軍部の戦争と同じにみなすことは決定的に間違っている。

 

そもそも戦争を引き起こしたのはロシアであって、ウクライナではない。ウクライナは1991年のソ連邦解体を契機に独立し、その後、2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命を経てロシアからの自立を強め独立した国家の道を歩んできた。しかし、プーチンは、ウクライナはロシアの一部であるとして独立を認めず、14年にはクリミアを支配下に置き、東部では親ロシア派による共和国をデッチあげ、ウクライナ政府と対立してきた。そして今年2月には、ウクライナ全土をロシアの支配下に置くために大規模な軍事侵攻を行ったのである。ウクライナの抗戦は、民族自決権を否定するロシアの帝国主義に対する戦争であって、ウクライナが戦争を仕掛けたものではない。

 

戦争が人民にとって悲惨な結果をもたらすからそれに反対するというなら、軍事侵略を行ったプーチンのロシアこそ非難されるべきであって、これに反対するウクライナのゼレンスキー政権が非難されるべきことではない。

 

絶対「平和主義」の妄想

 

ところが豊永は、ウクライナ戦争が、プーチンがかつての大ロシア復活のためにウクライナ併合を目指して行った戦争であることを事実上不問にして、ロシアの軍事侵攻に反対して闘うことを決定したゼレンスキー政権を悲惨な戦争に国民を巻き込んだと言って批判するのである。

 

豊永は、ウクライナ戦争は「日本憲法9条の平和主義の意義」を明らかにしたと述べている。

 

ウクライナはロシアの軍事侵攻に対してさらなる犠牲をいとわず徹底抗戦を唱えているが、9条の平和主義は、戦争による人命をはじめ一切の戦争による犠牲を否定する立場を明らかにしている、ウクライナも戦争継続によって大きな犠牲が生まれることがはっきりしているのであり、抗戦はやめて人命の尊重の政策をとるべきだ、「白旗」を掲げることも「平和主義の核心だ」と言うのである。

 

だが、例えウクライナ政府が抵抗を放棄してロシアの軍事侵攻を受け入れたとしても、戦争の危機はなくならないだろう。プーチンは、「核兵器を使用」をちらつかせてウクラナを威嚇してきたが、ウクライナが抵抗を放棄して軍事侵攻を受け入れれば、ますます増長し、現在も係争中のかつてロシアに属したアルメリア、ジョージア、チェチェンをはじめリトアニアなどバルト3国に対する軍事的圧力を強め、欧米諸国との軋轢を激化させるだろう。かつてナチス・ドイツの軍事的膨張を抑えるとして、チェコスロバキアへのナチス侵攻を認めるチェンバレンの宥和政策がさらなるナチス・ドイツの軍事侵略拡大を招いたことを思い起こさせる。

 

民族独立を認めず自国の支配下にとつなぎ止めておくための帝国主義国家の戦争もそれに反対する戦争も一緒にして、戦争そのものに反対する豊永は、かつてのベトナム戦争をどのように評価するのだろうか。

 

1955年11月から1975年4月まで19年余にわたって続けられたベトナム戦争は、ベトナム統一をめぐる南、北ベトナム戦争であり、米国はソ連を後ろ盾とする北ベトナムに反対し南ベトナムを支援して大量の軍隊を送りこんだ。ハノイの公式統計によると、米軍の軍事介入によって北ベトナム側の兵士の死亡者は120万、民間人の死者は200万~300万に上ったとされている。多くの犠牲を被りながら北ベトナムは勝利し、米国はベトナムから撤退し、南北ベトナムは統一を成し遂げた。

 

当時ベトナム戦争に対しては日本を含め世界中でベトナム「反戦」を掲げた運動が広がった。それは南、北米ベトナム双方の戦争行為に反対したのではなく、南ベトナムとそれに加担する帝国主義国家米国の軍事介入に反対する運動であった。ベトナム「反戦」運動の意義は、帝国主義に反対する闘いとして歴史的意義があったのである。

 

帝国主義の一掃こそ平和の実現

戦争は多くの労働大衆の犠牲を生み出す。労働者、働く者にとって戦争のない社会は理想である。資本の支配が克服され、搾取のない社会、階級のない、社会の成員が協同社会には戦争はない。しかし、現在の国際社会は帝国主義の支配する社会である。帝国主義が存在する限り、民族の併合、圧迫、市場や利権をめぐっての帝国主義同士の戦争は避けられないし、また、民族の支配、抑圧から帝国主義に反対し、解放をめざす被抑圧民族の闘争は否定されるべきではない。

 

労働者は戦争一般に反対することは出来ない。帝国主義国家による労働者・人民抑圧のための戦争に抗する戦争は、帝国主義が存在する限り避けられない。戦争は悲惨だからいかなる戦争にも反対する、戦争を回避し、生命の保護を第一とすることが本当の「平和主義」だという豊永の議論は、ブルジョア学者の無責任な戯言である。 (T)

★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
  放」の旗を高く掲げよう!
★労働者の闘いを発展させ、
  労働者の代表を国会へ!
カテゴリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ