神奈川で『資本論』の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」発行の『労働者くらぶ第25号』から、労働者党元代表の林同志について書かれた記事を紹介します。
マルクス主義者であり生涯革命家であった林紘義氏を偲ぶ
――林紘義著『哀惜の樺美智子』の中の獄中日記を紹介
2017年の衆院選で圷事務所であった横須賀の実家を片付けていたら、本でぎっしり詰まった引き出しから、60年安保闘争でなくなった樺美智子さんの遺稿集『人しれず微笑まん』(三一新書)と林紘義著『哀惜の樺美智子』(三一書房)がでてきた。しばらくその2冊のページを懐かしくめくってみた。
林著の『哀惜の樺美智子』には副題として「60年安保闘争獄中日記」とあるように、1959年12月初めに逮捕され翌年7月まで獄中でまさに“本の虫”になってレーニン全集やドストエフスキー文学など計画的に読了していき、独房での生活は彼を確固たる革命家に鍛え上げていったと言えるだろう。
獄中日記のページをパラパラとめくっていたら、ふと目にとまったところがあった。そこを紹介してみたい。
「規則正しく、熱心に読書。決してこの期間をムダにしてはいけない!」そして、前年の秋、地下鉄での友人Tとの会話を思い出す。友人Tは「林、資本主義社会の矛盾の根本は何だと思う?」「生産と所有の機械的分離だろう?」「そうかなぁ?」「じゃあ、何だ?」「労働者の商品化さ。人間が商品化されるということさ」そこで二人はなかなか譲りあわずにはりあった。
またしばらくして――2、3週間のちか――会ったとき、「林、まだあの意見に固執するのか?」「するね」とぼくは答えた。「考えてもみろ、社会主義革命が起こって、では社会主義的生産を組織する、ということになった場合、「労働者を商品化しないように…」というのは正しい。
しかし労働者の商品化というのは、流通過程におけることで歴史的な生産過程および社会関係の解明とはなっていない。それは違う次元の問題だと思う。それはむしろ結果であって原因ではない。だから、ぼくは賛成できなかった。うれしいことに、マルクスも次のように言っている!
「資本主義的生産は、生産的労働者が彼自身の労働力を自分の商品として資本家に売り、この労働力が次いでその資本家の手で単に彼の生産資本の一要素として機能するということに基づく。流通に属するこの取引――労働力の売買――は生産過程を導入するばかりでなく、生産過程の独自的性格を含蓄的に規定する」(『資本論』第2巻
青木書店版502頁)
そして続けて、マルクスは明言する。「一つの流通行為をなす導入的行為、すなわち労働力の売買は、それ自身また社会的生産物の分配に先行し、その前提をなす生産諸要素の分配――すなわち、労働者の商品化としての労働力と、非労働者の所有としての生産手段との分離――に基づく」
そしてこの議論について林氏は、自ら振り返って、注を書いている。
資本主義の矛盾の根本――このような議論にたいした意義があるとも思えないが、宇野理論(もしくは新左翼一般)の俗流ヒューマニズムへの批判の萌芽みたいなものがある。資本主義の矛盾の根源を「労働力の商品化」に求めるのはそこに直接に「人間疎外」「非人間化」――“もの”でないものの“物化”!?――を見るからで、そこには社会的矛盾を、社会体制の問題としてよりも、まず人間個々人の疎外の問題に引き付けて理解しようとするプチブル的傾向があった。それに対して、ここには漠然とではあっても、生産手段の私有の(つまり私的所有に基礎をおく社会の)止揚が根本であって、この課題を“ヒューマニズム”的解釈でゆがめることへの“即自的”反発みたいなのがあったのだ。こうした似非ヒューマニズムは、黒田哲学においても、宇野経済学においてもはっきりと見てとれたのである。
ここにおいても、林氏のマルクスの思想理論をゆがめることなく、労働者の目指す視点が間違いなくとらえられていたことが友人Tとの議論からも読み取れる。
林氏が逝去されて、早や3年がたとうとしている。かつて林氏に90過ぎまでは活躍してほしいというようなことを言ったことがあるが、それは叶わなかった。残念である。だが残った我々でマルクスの理論を労働者の理論を的確に現代に反映していくし、していかなければならないと思うのである。(A)
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