労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2024年03月

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く! ②

政治不信が高まる中で、「金権政治も必要悪として我慢するしかない」というような“民主主義”に対して、神奈川で『資本論』などの学習活動をする『横浜労働者くらぶ』の会報で、「ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!」と題して2回目がでましたので、紹介します。(担当)

 

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!

 レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を読もう!

 

★秩序とはブルジョア秩序である!

2章は、「ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義」と題されています。レーニンは続けて次のように述べています。

「いろいろな階級が存在する間は、『純粋民主主義』について語ることはできず、階級的な民主主義について語りうるだけであるのは明らかである。」「近代の代議制国家もまた、資本が賃労働を搾取する道具である」というエンゲルスの言葉を引用しながら、レーニンは続けます。「近代国家の基本法を取り上げてみたまえ。その統治ぶりを取り上げてみたまえ。『法律の前での市民の平等』を取り上げてみたまえ。― そうだとすれば、諸君は、ブルジョア民主主義の偽善を、一歩ごとに、どの国家にも見出すであろう。どんな民主主義の国家であろうと、『秩序が破壊された場合に』 ―― 実際には、被搾取階級が自分の奴隷的地位を『破壊し』、非奴隷的にふるまおうと企てた場合に、労働者に軍隊をさしむけたり、戒厳を宣告したり、等々をする可能性をブルジョアジーに保障している抜け道または但し書きが、憲法の中に設けられていないような国家は、一つもない。」

 

つまり、秩序とは、ブルジョア社会である限り、ブルジョア的秩序のことなのである。国内においてのみならず、国際関係においても秩序とは、ブルジョア国家同士の秩序である。ロシアの十月革命を、世界のブルジョア国家が寄ってたかって圧殺しようとしたことを思い出せばよい。

 

★ブルジョアはあらゆる手をつかって労働者の政治参加を排除する!

レーニンは続ける。「カウツキーは、民主主義は『少数者の保護だ』といったおとぎ話をする。」しかし、カウツキーは、「アメリカまたはスイスのもっとも民主主義的で共和主義的なブルジョアでさえ、ストライキ労働者に対して何をやっているかについては、口をつぐんでいる。…あらゆる重大な、深刻な、根本的な問題のさいにプロレタリアートに与えられるのは、『少数者の保護』ではなくて、戒厳令あるいはポグロム(注、財産の掠奪や大量殺人を伴う反動的な襲撃)であるということである。」(同、p34) 

 

カウツキーは、マルクス主義の基礎である国家の階級性を忘れているのである。「ブルジョア民主主義の下では、資本家は何千というトリックで ―― 『純粋』民主主義が発展していればいるほど、ますます巧妙で効果の確実なトリックで ―― 大衆を統治への参加から押しのけ、集会・出版などの自由から押しのける。……ブルジョア社会への参加を、勤労大衆は何千という垣でさえぎられている。そして労働者は、ブルジョア議会が、無縁な施設であり、ブルジョアジーがプロレタリアを抑圧する道具であり、敵階級である少数の搾取者の施設であることを、素晴らしくよく知っており、感じており、目で見、肌で感じている。」(同、p36)「我々を統治しているのは、ブルジョア官吏、ブルジョア代議士、ブルジョア裁判官である。これは簡単明瞭で、争う余地のない真理であって、最も民主的な国をも含む、あらゆるブルジョア国で、被抑圧階級の何千万、何億の人々が、自分の生活上の体験でこれを知っており、日々これを感じ、肌で感じ取っている。」(同、p37

 

日本の労働者も「これを肌で感じ取って」ほしいのだが。

 

★ブルジョアの平等や自由は口先だけの、形だけの平等や自由だ!

第3章は、「搾取者と被搾取者との平等はありうるか?」である。 レーニンは、そのような平等はない、という。ところが、純粋民主主義者であるカウツキーは、パリ・コンミューンについて被搾取者が多数を占めているコンミューンにどうして暴力が必要なのか、と暴力を批判するのである。彼は、コンミューンは「民主主義を廃止するためにではなく、それを保護するためにしか、暴力を行使しないであろう。……普通選挙権を廃止しようとするならば、それはまことに自殺行為であろう。」と言う。搾取者は少数者であるのだから、多数者である被搾取者に従うべきである、搾取者にも民主主義を保障すべきだ、なぜなら権力が被搾取者の多数者にあるからには、少数者を暴力的に抑圧する必要はない、というわけである。

 

見られるように、このカウツキーの反論には、搾取者、支配者と被搾取者、被支配者との階級関係は全く存在しない。あるのは、多数者と少数者という、単なる数だけである。これに対しレーニンは次のように反論する。

 

「民主主義の『純粋』さにほれ込んだカウツキーは、形式的な平等(資本主義の下では徹頭徹尾いつわりで偽善的な平等)を実際の平等と思っているのである! 全く些細なことだ! 搾取者は、被搾取者と平等ではありえない。」(同、p40) 「ごくまれな特別な場合を除けば、搾取者を一挙に絶滅することはできない。……多くの世代にわたって、教養の点でも、豊かな生活の条件の点でも、習性の点でもまさっていた搾取者と、最も進んだ、最も民主的なブルジョア共和国においてさえ、その大多数が虐げられ、無知無学で、おどしつけられ、ばらばらである被搾取者との間に、平等はあり得ない。搾取者が、変革の行われた後でも、長い間多くの点で大きな実際上の優越を保つことは、避けられない。すなわち、搾取者には、貨幣(貨幣を一挙に廃止することはできない)や、なにがしかの、時にはかなり多額の動産が残っており、手ずるや、組織と管理の技能や、管理のあらゆる『秘訣』(習慣、方法、手段、可能性)についての知識が残っており、より高い教養や、高級技術家連(ブルジョア的に生活し、ものを考える)との緊密な連絡が残っており、はるかに大きな軍事上の技能(これは非常に重要なことだ)、その他いろいろなものが残っている。」(同、p41

 

★ブルジョアジーは死に物狂いでその支配権力を守るであろう!

「こうゆう事情であるのに、いくらかでも深刻で重大な革命の際に、多数者と少数者との関係がいとも簡単に問題を決定すると予想するのは、この上ない愚鈍さであり、ありふれた自由主義者の愚劣極まる偏見である。……あらゆる深刻な革命の際には、なお幾年かの間被搾取者に対して大きな実際上の優越をもつ搾取者は、長期の、頑強な、死に物狂いの抵抗を行うのが通則だということである。甘ったるいばかものカウツキーの甘ったるい空想の中ででもなければ、搾取者が、最後の必死の戦闘、あるいは一連の戦闘で自分の優越性を試してみずに、多数者である被搾取者の決定に服従することは、決してないのである。」(同、p41) カウツキーは、民主主義と独裁を対置し、独裁は民主主義を否定するものだ、という。レーニンは、それに対して、選挙権のような民主主義を制限する問題は、独裁の民族的に特殊の問題であって、ヨーロッパの来るべきプロレタリア諸革命がみな、あるいはその大多数が、ブルジョアジーの選挙権に必ず制限を加えるだろうと、前もって断言するのは誤りであろう。そうなることもありうる。戦争とロシア革命の経験を経た後では、おそらくはそうなるであろうが、しかし、それは、独裁を実現するために必須のものではない。独裁の不可欠の標識、その必須の条件は、階級としての搾取者を暴力的に抑圧することであり、したがって、この階級に関しては『純粋民主主義』、すなわち平等と自由を侵犯することである。」(同、p43

 

★ブルジョア民主主義の幻想から目を覚まそう!

レーニンからの引用ばかりになりましたが、レーニンは労働者に、噛んで含めるように、そして火のような情熱をもって「純粋民主主義」の欺瞞性を暴いています。『背教者カウツキー』は、なお第 8 章まで続きます。皆さんには、ぜひ本書を最後まで読まれて、レーニンのプロレタリア民主主義とプロレタリア独裁の理論を学んでほしいと思います。(K)

 

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

4月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

・4月24日(水)19 時~21 / 県民センター703 号室

*第9章「剰余価値の率と剰余価値の量」から、第4篇「相対的剰余価値の生産」

第12章第2節「部分労働者とその道具」まで学習します。

◆「資本論」第2巻学習会

・4月10日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*第5章「流通期間」から、第2篇「資本の回転」第7章「回転期間と回転度数」まで

を読みます。

◆レーニン「カール・マルクス他18篇」(岩波文庫) 学習会

4 月17日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*論文「帝国主義と社会主義の分裂」他2篇を学習します。

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅰ》

『海つばめ』読者から「パレスチナ・イスラエル問題について」の投稿がありました。パレスチナにおけるイスラエルの残虐な軍事行動が続く中で、この問題を考えるのに意義のあるものと評価し、労働者党の考えとは必ずしも一致しないところはありますが紹介します。なお、ブログ掲載直前に投稿者から「一致しないところ」についての連絡があり、ほぼ指摘通りですので、それも最後に紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)

 

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について宮本  

 

僕のパレスチナ・イスラエル問題に対する基本的な考え方を述べることにする

イスラエル国は19485月の建国以来すでに76年近く経っており、およそ950万人(74%がユダヤ人、21%が二級国民とされているパレスチナ系アラブ人、他キリスト教徒の白人・黒人・アラブ人など)が住んでいる。一部のパレスチナ過激派(ここで言う「過激派」とはハマス【注】のことではない)は「ユダヤ人国家であるイスラエルを地中海に叩き出せ!」と主張しているがまったく現実的ではなく、ユダヤ人とパレスチナ系のアラブ人との共存・共生、さらにはより一層の交わり融合を目指して国会(クネセト)に議席を持っている政党やそういった考えを持っている多くの市民も存在している状況――ユダヤ人とパレスチナ人との婚姻も最近は珍しい事例ではなくなってきているという――にあってはまったく現状を見ていない極論であって首肯し難い。【注:イスラム抵抗運動の意。20061月に行われたパレスチナ立法評議会選挙で、それまで13年間パレスチナ自治政府を担っていたファタハに代わりハマスが大勝利を収めた。イスラエルによる占領の下請け機関と化し、腐敗したファタハに対する住民の失望の現われだった。07年に、ハマスはファタハのメンバーも入れて組閣し、統一政府の承認と引き換えに、1993年のオスロ合意のラインに沿って、ガザとヨルダン川西岸に主権を持ったパレスチナ独立国家を設立し、イスラエルと長期にわたる休戦条約を結ぶ用意があると申し出たが、アメリカがカザのファタハの治安部門に武器を提供しクーデターを画策、内戦になったが機先を制したハマスが勝利し、以後、カザを統治することとなった。ハマスがイスラエルの殲滅を企画し、二国家案を受け入れていないと日本も含めた欧米の政府が言い、大手メディもそのように報道しているが、現実はその真逆で、イスラエルがパレスチナ独立国家の樹立およびパレスチナとの共存を否定し、ヨルダン川西岸から地中海までユダヤ人至上主義のアパルトヘイトを維持しようとしているのである。】

 

現在のイスラエル政府は202212月にこの間3年半に5回もの選挙をやり直すという混乱を経て成立した連立内閣で、首相のネタニヤフは右派政党「リクード」の党首で、彼が選んだ連立相手は、イスラエルが紀元前1000年頃のヘブライ王国のダビデ王の時代のように運営されることを掲げ極右の宗教政党と言われる「宗教シオニスト党」や同じく極右政党で超民族主義と反アラブ主義を掲げパレスチナ全土をイスラエルに併合すること(「エレツ・イスラエル」)をスローガンにしている「ユダヤの力」であり、イスラエル史上最右翼の政権だと言われている。

 

1967年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸やガザ地区の民生を担当する第2国防相、あるいはヨルダン川西岸の治安・警察業務担当の国家安全保相という重要な閣僚をこうした極右・宗教政党の党首が就任している。それ以来、ヨルダン川西岸でのユダヤ人の入植者によるパレスチナ人に対する暴行・殺傷や彼らの所有地から追放後に入植地を政府公認の下に拡大したり――ほとんど国際的な政治的記事を掲載しない職業上僕が購読している『日本農業新聞』にも暴行され住居を壊されオリーブの木も重機で引き抜かれて生活ができなくなったパレスチナ人が難民キャンプに身を寄せざるを得なくなっている事例が数多く報告されていた――、ゲットー化されているガザ地区への締め付けのより一層の強化が行われている。これを、「国家テロ」と言わずして何と言えばいいのか。

 

イスラエル出身のユダヤ人の反シオニスト歴史家で、イスラエルにいると命の危険があるのでイギリスに出国し現在はエクセター大学パレスチナ研究所長をしているイラン・パペ(『イスラエルに関する十の神話』や『パレスチナの民族浄化』などの日本語訳がある)は107日のハマスによるイスラエルへの越境攻撃後に言う、「イスラエルの政治体制が変わらない限り、今後も流血の連鎖は終わらないだろう」、と。彼が言っている、現在の「イスラエルの政治体制」とは一体どういった体制なのか。

 

昨年1024日、グテーレス国連事務総長の発言がイスラエルの鋭い反発を招いた。国連安全保障理事会で演説した彼は、107日にハマスが行った“虐殺”を最も強い言葉で非難する一方で、それが何の文脈もなく突然に起きたのではないことを世界に思い起こさせようと、1967以来56年間にわたるガザとヨルダン川西岸の占領と、あの日起きた悲劇との関わりを切り離すことはできないと説明したのである。

 

すると即座にイスラエル政府はこの発言を非難した。グテーレスがハマスを支持し彼らの実行した“虐殺”を正当化していると主張し、事務総長の辞任を要求し、イスラエルのメディアもこの流れに乗っかり事務総長が「驚くほどの道徳的破綻を示した」などと主張した。

 

「イスラエルの変わらなければならない政治体制」とは、こうした反発が反ユダヤ主義の定義を拡大し、イスラエル国家を批判すること――イスラエル国家が人種差別的でアパルトヘイト国家だという言説やBDS運動(ボイコットBoycott、イスラエル国内からの投資撤収Divestment,制裁Sanction)【注】など――によって「ユダヤ人の民族自決を否定しようとする」ことはすべてナチスによるユダヤ人へのホロコーストの受難を疑いまったく無視する反ユダヤ主義なのだ、という言説がイスラエル国内に大手を通って流布されており、そうしたことを先頭に立って扇動する現在の「イスラエルの政治体制」である。【注:この運動は南アフリカでの黒人へのアパルトヘイトを止めさせる大きな武器となった。】

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

      Ⅰ        

パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅱ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

イスラエルにおいては、民主主義をめぐる議論は建国以来繰り返し論争の焦点であった。「イスラエル独立宣言」(1948年)では、この国が、「宗教、人種、性にかかわりなく、すべての住民に社会的・政治的権利の完全平等を保障する」と言うように「イスラエルは民主主義国家である」と宣言した。

 

しかし、1992年に制定された「人間の尊厳と自由―基本法」――イスラエルには「成文憲法」というものは存在せず、「基本法」が憲法に相当している――の法文は「この法律が保障する諸権利は適当な目的のため、または必要を越えない限度で制定されるユダヤ人国家の諸価値に適合する法律、およびこのような法律の下において発効した規定による例外を除いて、侵害されてはならない」(同法第8条)ことを定めており、意図的にイスラエル国内のパレスチナ人マイノリティを排除する内容であった。

 

まさに、ユダヤ人国家イスラエルの「ユダヤ人」の特権的地位を前提にしているものであったが、さらのその上リクードのネタニヤフが首相時の20187月、イスラエル国会(クネセト)は「基本法―ユダヤ人国家法」を7票の僅差で可決成立させた。「イスラエル国家はユダヤ人の民族国家であって、その主権領域内における民族自決権はユダヤ人によってのみ専権的に行使される」旨を内外に表明したのである。

 

この結果、従来はヘブライ語と並んで公用語とされていたアラビア語はその地位を失いヘブライ語のみが国家公用語と規定され、パレスチナ自治政府の行政地区のヨルダン川西岸におけるユダヤ人入植地の建設・発展・拡大については民族理念の具現化としてイスラエル政府が「推奨して促進する国家的価値」と明記され積極的に推進されることが法規範に明記されるなど、イスラエルはその「ユダヤ性」を著しく強調することとなったのである。それはイスラエル独立宣言の理念(「イスラエルは民主主義国家である」)と全くかけ離れたかつての南アフリカと同様の「アパルトヘイト国家」へと変質していったことを露骨に示している。

 

1993年のイスラエル首相のラビンとPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長による「オスロ合意」が’95年のユダヤ人過激派の青年によるラビン暗殺によって頓挫破産して以来、政権を握ったリクードの歴代政権はパレスチナ人によるテロ攻撃をフェイクを交えて誇大に強調アジりガザやヨルダン川西岸の入植地に数十キロにわたる高さ8メートルの分離壁――その壁面には覆面画家のバンクシーなど多く画家の描いたイスラエルのやり方を批判する壁画が描かれている――を建設して、ユダヤ人国家イスラエルの生存権と自衛権を声高に喧伝することによって、連立政権に向けられた国民の政治的な批判――107日の直前までネタニヤフは汚職容疑で窮地にあり、さらに司法制度改悪などの批判で連日のデモなどによって政権維持が困難な状況にあった連立内閣が、ハマスの越境攻撃に対して1948年来の「第2次独立戦争だ」と扇動することによって1011日挙国一致の戦時「救国」内閣が改めて組織できたということで辛うじて延命できた――やイスラエル国内に蓄積していく経済的な社会的矛盾からする不平・不満を逸らしてきたのである。

 

現在イスラエル国内のユダヤ人には、西欧出身・東欧出身・ロシア出身(1991年のソ連邦崩壊後には数百万のユダヤ人が入国した)の白人、西北アフリカ出身のアラブ人、アフリカ(特にエチオピア)出身の黒人などがいて、そのそれぞれに経済格差や分断が著しく階層・階級分化も急速に進んでいると言われている。定数120名の国会(クネセト)に議席を持っている政党は10ほどで、建国以来どの政党も過半数を取ることができず、ひとつの政党ではなく常に複数の政党による連立政権でしか行政府が組織できなかったことがその証左である。

 

こうした状況のなかでイスラエル国内において労働者階級がさらに成長してきて彼らのなかから自らの利益を最終的に擁護する労働者政党が形成され、現在のイスラエルの政治体制を根底から変革すること、そしてそれによってその後、パレスチナに住んでいるアラブ人が希求する民族自決の自立した国民国家――現在のパレスチナ自治政府にしてもガザ地区住民にしても、大量の国際的な資金・食料援助なしには存在も生活維持もできない寄生的な状態に置かれている――を創っていくことが重要であると僕は思う。

 

現在の歴史的段階において、イスラエルに求められているのは、真にマルクス・レーニン主義に基づく「労働の解放をめざす」労働者政党の結成と一時であれユダヤ人、パレスチナ人や他のキリスト教徒の人々の共存・共生とより一層の交わりと融合を唱える民主主義的な勢力との共闘によるパレスチナ人の民族自決権を決して認めようとしない現在の“歯まで武装している”入植型植民地国家イスラエルの変革と、一方ではパレスチナ人の民族自決による統一された国民経済による国民国家(Nation State)の形成、そして、その両者による“川から海までの”パレスチナにおける一国家連邦制あるいは二国家併存しかあるまい。勿論、イスラエルの現在の政治体制の変革が先んじて行われなければならないことは言うまでもない。今のところ僕は、パレスチナ・イスラエル問題の根本的な解決はこれ以外にはないだろうと思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

        Ⅱ      


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅲ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

最後に改めて言いたい。かつて大日本帝国が中国侵略を推し進めていった時に、「匪賊」――毛沢東率いる共産軍は「共匪」――と呼ばれた日本帝国主義に抵抗し神出鬼没のゲリラ戦によって現地日本軍を大いに苦しめたナショナリスト・民族主義者の武装集団がいた。この頃、大陸各地に点在していた日本人居留地にいた一般の日本人を度々襲って殺傷したのは各地に割拠していた軍閥やその敗残兵だったのだが、当時の日本からすれば一括りにされた彼らは明らかに「残虐非道なテロリスト」だったのだ。

 

20世紀以後におけるナショナリズム・民族主義には二つの歴史的段階があるように思う。つまり、抑圧され無権利状態に置かれた或る民族が民族としての自決権を要求する解放運動の歴史的段階と、すでに自決権も主権国家も保有しており、領土拡大ないし領内の少数民族を排除しようとする植民地主義的な歴史的段階とがある。

 

21世紀に入ってから中国共産党が主導する中華人民共和国の動向――憲法を改悪してまで国家主席3期目の習近平は「偉大なる中華民族の復興」を掲げて、香港での国家安全維持法による圧政、チベット自治区の人々やウイグル自治区でのムスリムへの弾圧抑圧、南シナ海での独善的な領海設定や一帯一路路線などの帝国主義的で覇権主義的な海外膨張など――を見るにつけて、1949101日に統一された国民国家として建国された植民地解放の民族解放闘争を闘ってきた以前とそれ以降の国内国外の権威主義的で大国主義的な出来事の推移を比べるとそのように思わざるを得ない。

 

僕は、今日の世界各地で起こる出来事を判断する際には常に、そのそれぞれの人々が置かれている状況が人類の歴史上、経済的・政治的・社会的に、どういった歴史的段階であるのかということを物差しにして行うよう心掛けており(それが唯物史観的な観方だと思っているから)、パレスチナ・イスラエル問題を考える場合もそうしたことを基本的なスタンスにしている。

 

パレスチナに住んでいるアラブ人の民族自決による国民国家(Nation State)建設を主張するのも彼らにとってはそれが現在の彼らが置かれている歴史的発展段階に最も即応していると思うが故である。かつて1910年代、レオン・トロッキーやローザ・ルクセンブルグは帝国主義のもとでは「帝国主義がある限り実現不可能だ」、「社会主義はすべての国境と無縁なのであって、帝国主義によって除去された国境を再現する」からなどという理由で被抑圧民族の「民族自決権」を否定した。

 

これに対してレーニンは、それは「帝国主義的経済主義」であって、民族自決は可能であるばかりではなく不可避であること、それが一つの改良であり、民主主義の実現であるにすぎないとしても世界の諸民族の社会主義的な融合にとって一過程であること、帝国主義による併合や搾取や束縛などの「強制ではなくして、万国のプロレタリアの自由な同盟にもとづく、諸民族の接近」が必要なことを繰り返し強調して、彼らを批判した。

 

レーニンは言う、「あらゆる民族的圧政に対する闘争――これは。無条件にイエスだ。しかし、あらゆる民族的発展のための、『民族文化』一般のための闘争――これらは、無条件にノーだ」(「民族問題における批判的覚書」1913年、『レーニン全集』⑳ p.21)、と。僕はこの言葉を、前半の「イエス」は当然だとしても、後半の「ノー」はまさに“至言”だと思っている。それは、どういうことか。

 

近年小ブル・インテリどもがやたら持て囃している、多様な民族・慣習・言語・文化の共存・共生を唱える多文化主義・文化相対主義が人口に膾炙する今日の状況にあって、とりわけ強調したい。こうした考え―――まさに、第一次大戦前に「人種・民族のるつぼ」と呼ばれたバルカン半島を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国において、民族問題の解決策として、諸民族の独自性・自立性を唱えた上での調和ある併存、平和的な共存・協調を提唱して、帝国内での諸民族の自治権を要求したオットー・バウアーらのオーストリア・マルクス主義者の直系の嫡子なのだ――は民族排外主義を補完するメダルの裏面に過ぎない。

 

純粋で固有な文化や民族という概念は国民国家があるいは国民国家の時代が生み出した“創られた神話”であって、他文化・他民族の尊重や自民族中心主義の克服を目指す多文化主義・文化相対主義ないし多民族主義は文化や民族の多様性を認めるものの文化や民族を単一の孤立し閉じられた体系と見なすこと――この最終的な行先は各民族ごとの「アパルトヘイト」になる以外ではない――によってお互いに垣根をつくって恒常的な交流による相互融合・相互変容がなされていくという積極的な発展を阻害することになりかねない。

 

レーニンが「ノーだ」と言ったのは、そういった意味であると僕は思う。そもそも、いかなる民族・文化といえども決して孤立してもっぱら内在的に自立・自律して成長発展してきたわけではなく、他の民族・文化との間に様々な関係を取り結び、それによって種々多様な作用を受け変化変容し融合しながら発展してきたはずであって、あらかじめ孤立した諸民族・諸文化が存在し、何らかの理由で偶発的に交流が行われたのではなく、逆に交流という現象が先にあって、つまり交流が常態だということである。

 

その点で言えば、日本史の教科書での平安時代の「国風文化」は894年の遣唐使の廃止以後の日本独自に発展した文化なのだといった解釈は明らかに誤っている。国としての公の正式な相互交流は無くなったにしても、民間交流はそれまで以上に盛んになっていたのである。

 

パレスチナの大地の上に住んでいるすべての人々、ユダヤ人やアラブ人、その他多くの人々がお互いに分け隔てなく交流しながらより一層の融合が行われること、そして、そうした流れの障壁となって妨害し敵対する現在のイスラエルの政治体制の変革──その変革を可能にするために、アメリカ、そしてナチスのホロコーストへの贖罪意識からイスラエルの生存権と自衛権を国是にしているドイツとフランスなどの西欧諸国の財政的・軍事的な援助の即時停止を世界の労働者は掲げるべきである──こそが、現在最も求められていることであると僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

          Ⅲ    


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅳ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《》(宮本   博)

 

──追記──

僕がネットなどで手にしたグローバル・ノースの日本を含む西側諸国の主流メディアでは絶対に報道されていない情報がある。これについて少し述べたい。

 

107日当日ハマスの戦闘員の1人が「越境攻撃の目的」――今回、なぜ「人質を取ったのか」ということ――について以下のような手記を残している。

 

「(イスラエル領内にある)キブツを襲撃し、住民を人質にすることについては、当然、異論もあった。ガザ地区を縁取るパレスチナの村々の土地の上に、その住民たちをガザに放逐したのちに建設されたこれらのキブツは、イスラエル軍のガザ地上進攻に際して、その前哨基地として使われる準軍事施設であり、住民たちは武装しており、多くは戦闘訓練を受けた予備役の兵士だ。だが、そうだとしても、それを襲撃し、戦闘服を着ていない彼らを人質にとることは国際人道法違反だ。しかし、それを戦争犯罪だと批判するなら、世界よ、どうか、教えてほしい。

 

イスラエルの刑務所に、ただ占領の暴力に抵抗したがために何カ月も、何年も、何十年も収監されている5000人ものパレスチナ人の父親たち、母親たち、息子たち、娘たちを解放するのに、ほかにどのような手立てがあるというのか。やむを得ず人質を取る。しかし、彼らには絶対に危害をくわえない。彼らはやがてぼくたちの隣人に、友人に―――もしかしたら恋人に―――なる者たちだ。ぼくたちが撒くのは憎しみの種ではなく、共生の種、友情の種なのだから」(手記の一部)。

 

それを証明するように、キブツで人質になったが生還したヤスミン・ポラットは、「テロリストたち」が終始、人質を人道的に遇していたと証言している。またガザに連行された人質たちを前にハマスの軍事部門のトップ、ヤヒヤ・シンワルはヘブライ語で「絶対に危害を加えない」旨、誓ったという。

 

人質交換において、ガザから解放される人質はパレスチナ人戦闘員と握手して別れたり、アラビア語で「シュクラン(ありがとう)」と言ったり、また、幼い娘と人質になったいた母親は、娘を大切に扱ってくれたことに対してヘブライ語でハマスに感謝の手紙を書いていることからも、この誓約が守られていることが分かる。

 

107日の出来事はイスラエル政府および軍により「ハマスの残忍なテロ」として世界に喧伝され、「自衛権の権利の行使」という直後から始まったイスラエルによる未曾有の攻撃は、時をおかずガザのパレスチナ人に対するジェノサイドとなった。「ハマスの残忍なテロ」は、このジェノサイドを下支えする言説的基盤を提供した。

 

しかし、この数か月のあいだに次々と明らかになった諸事実は、そのようなものとして喧伝された出来事の多くは事実無根であることを示唆している【注:野外音楽祭で起きたとされる集団レイプも、イスラエル警察は一件も指摘していない。目撃者証言が多々「引用」されるものの、被害者はもとより、目撃者による直接証言も存在しなかった(その後、『ニューヨークタイムズ』紙が目撃者の名前入りで証言を報道したが、証言を裏付ける具体的事実は上がっていない)。それが実際に起きたと信じるに足る証拠はいまだ何ひとつ提示されていないのが実情だ】。

 

107日に関して確実な事実として言えるのは、この奇襲攻撃でイスラエル側に1000人以上の犠牲者が出たことだ【注:当初、1400人と発表された死者数はその後、1200人下方修正され(200人はパレスチナ戦闘員であることが判明したため)、その後さらに、1147人に修正された(理由は不明)。ここにはイスラエル側の数百人の警官や戦闘員も含まれている】。

 

イスラエルのハアレツ紙によれば、身元が判明している902名のイスラエル側の死者のうち民間人は556名、これら民間人には、生還者の証言や証拠から、ガザの戦闘員によって殺された者もたしかに存在する一方、イスラエル軍が、人質として捕われている者たちが中にいるキブツの住宅を砲撃したり、人質・捕虜としてガザに連行される途上の車両を攻撃用アパッチ・ヘリからのミサイル攻撃したりしたことで殺された者たちも多数含まれていることが分かっている。

 

その内訳は不明である。犠牲者の親族は、愛する家族がこの日、どこで、誰によって、どのように殺されたのか明らかにすることをイスラエル政府に求めているが、政府は依然、その公表を拒んでいる。公表すると都合の悪い理由があるからだと考えるのが自然だろう。

 

イスラエル政府が情報公開しない以上、107日の出来事の全容は不明だが、少なくとも言えることは、頭を刎ねられた40人の赤ん坊(あるいは、オーブンで焼かれた、あるいは洗濯紐に吊るされている赤ん坊)がでっち上げであったのと同様、イスラエル当局発表の「ハマスの残忍なテロ」なるものも捏造であるということだ。

 

襲撃された野外音楽祭は当初、前日で終了予定で、土曜日まで延期されることは直前になって決定されたのでガザの戦闘員にとっては想定外だったことが判明している。また、イスラエル軍の攻撃によって、人質や捕虜が多数殺害され、それが自分たちの「残忍なテロ」の証拠されることや、戦闘員の越境に続いてガザから飛び出した非戦闘員がキブツで狼藉を働くということも想定外であったという。

 

はじめに記したハマスの戦闘員の手記は次のような文で終わっている、『白人国家だった南アフリカが虹の国になったように、川から海まで、パレスチナも虹の国になる。この土地の上に、ぼくたちは未来を植える。ああ、母さん、故郷が見えるよ。朝日に照らされたぼくたちの故郷が。ぼくらの娘たち、息子たちがやがて還る、虹色の故郷が』。僕たちが普通TVや新聞などの主流メディアから得る情報はかなり加工され、ブルジョアジーの代弁者である権力者の意図を忖度した情報、都合の悪いものが隠され偏向した一方的な情報だということを改めて確認しなければならないと僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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