「長らくいろいろとお世話になりました」とお礼を話されましたが、渡辺秀樹同志はシチズン時計で党細胞を組織して闘い、労働者党員の鑑のような存在でした。「こちらこそ渡辺さんと一緒に活動できて良かったです」と伝えました。
渡辺秀樹同志は、仲間と職場でシチズン社研を立ち上げ、シチズン時計田無工場で全国金属シチズン時計支部の組合役員選挙にも参加(左派共闘)。職場で『海つばめ』読者の獲得、「工場・職場で細胞建設」という重要な闘いを推し進めました。また、19年の参議院選挙の際には、シチズンで働いていたかなりの人たちに選挙パンフなどを送付して熱心に働きかけも行いました。
三多摩支部解体当時から病いと闘いながら、党活動を継続していたのですが、入院時にステージ4だったこともあり、本人希望で手術や転移の検査などは一切行わず、末期は塩水を1週間ほど点滴され、苦しむことなく息をひきとったとのことです。
古参党員の死去は大きな損失です。渡辺秀樹同志のご冥福をお祈りします
(渡辺秀樹同志は1950年生まれ、秋田県出身)。