労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

2024年12月

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

 大阪の『海つばめ』読者から、「12.3 非常戒厳令事件」について投稿がありましたので、全文紹介します。

 

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

宋実成(ソン・シルソン)

(社会言語学者・猪飼野セッパラム文庫スタッフ


1.「12.3 非常戒厳令事件」

12322時、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳令」を発令した。特殊部隊が国会と選挙管理委員会に侵入、職員たちと衝突した。銃口をつかんで「쏘라고!(ソラゴ:撃てよ)」と絶叫した女性の姿は強烈だった。国会では「非常戒厳令撤回」が緊急決議され、尹は44時に撤回に追い込まれた。金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防相をはじめ、警察庁長官・検察総長・ソウル警察長官など政府首脳ぐるみの企てで、尹に批判的な政治家・政党・運動団体・ジャーナリストらの拘束を狙っていた。首謀者たちは逮捕され、金竜顕は拘置所で自殺を図るも未遂に終わった。「開かれたウリ党」ほか野党が提出した7日の「大統領弾劾決議案」は、与党「国民の力」議員らのボイコットで廃案に。拘束を免れている尹錫悦は「非常戒厳令」の正当性を強弁し、いまだ大統領の座に留まる。14日、一部の与党議員の「造反」で「弾劾決議案」は可決されたが、与党議員の大半は大統領を擁護し続ける。若い女性たちをはじめ老若男女が街中に繰り出し、「尹退陣、内乱首謀者処罰」を求めて連日抗議デモを開く。弾劾裁判所は180日以内に大統領罷免の結論を出す。ところで、尹錫悦をはじめとした韓国保守がなぜこのような愚挙に出たのか、そして、なぜ失敗しても権力にしがみつくのか。朝鮮韓国の歴史から事件を考察する。

 

2.韓国保守の淵源と保革対立の本質

 李朝時代(13921910)年、朝鮮農村を支配していたのは貴族「両班(ヤンバン)」だった。ソウルから派遣された代官「郡守(クンス)」が地方行政を司ったが、年貢の徴収など行政を円滑に運ぶには、在地の両班との友好関係が必須だった。そのため在地両班は、広大な農地と奴婢(ぬひ)の保有が認められ、両班が奴婢を殺害しても罪に問われなかった。1894年の「甲午改革」によって両班や奴婢などの身分が法的には廃止されたが、社会的には維持された。旧両班たちは奴婢を引き続き所有すると共に、地主として小作人をも支配した。日本の植民地期(19101945)、朝鮮総督府は旧両班地主による奴婢の所有を黙認していた(金宅圭(キム・テッキュ)『韓国同族村落の研究:両班の文化と生活』、学生社、1981)。旧両班地主層は「面長(ミョンヂャン、村長)」として植民地支配を地域で担うことで、農村に君臨した。官憲との連携の下、あらゆる民衆運動を監視・弾圧し、日本帝国の総力戦体制に協力した。李箕永(イ・ギヨン)の小説『(タン、大地)』(1948)では、面長の身内の若者は徴用対象者から外し、他家の若者たちを徴用工として送り出した様子が描かれる。1945815日の日本敗戦=朝鮮の解放に伴って朝鮮全土に「人民委員会」が組織され、「親日派の清算」と「農地改革」が課題となった。米軍政下の南朝鮮では人民委員会が弾圧されたため、親日派が「反共保守」に衣替えして生き残った。ソ連軍政下の北朝鮮では19463月の「土地改革」で地主の土地が没収されて小作人や零細農民に分配され、両班地主の家の奴婢たちが解放されて市民となった。「8時間労働制・男女同権」も実施され、「民主改革」が急速に進んだ。この北朝鮮での「民主改革」が南朝鮮の民衆運動に波及して1946年の「大邱(テグ)10月抗争」や1948年の「済州(チェヂュ)島4.3事件」が起こり、戦後日本の民衆運動にも影響を与えた。朝鮮戦争(19501953)期に韓国社会から左翼的なものが一掃されて以降、あらゆる運動が「非左翼・反共自由民主主義」を前提にした運動へと変質した。1970年代以降「経済発展」は、民衆に低賃金労働・無権利・言論抑圧を押し付けて実現された。1960年に李承晩(イ・スンマン)大統領を退陣に追い込んだ「4.19革命」、1980年の「光州(クァンヂュ)事件」、1987年の「7月抗争」などの民主化運動は、韓国の保守体制に対する民衆の怒りの爆発であり、韓国の民主化は民衆の多大な犠牲の上に実現してきたのである。

 

3.歴史の反動としての「12.3 非常戒厳令事件」

 尹錫悦は、ソウルの南、公州(コンヂュ)の「代々、儒学者を輩出してきた名門の家柄」の出である(「朝日新聞」2021111111面)。すなわち「両班」の一族だ。両親ともに大学教授で、父親は「韓国経済学会会長」も務めた。尹は1960年ソウル生まれで、ハイソな子弟が通う名門進学校を経てソウル大学法学部を卒業、検察総長を務めた際に文在寅(ムン・ヂェイン)政権と対立して保守のヒーローに祭り上げられた。大統領選挙本部を自身の幼なじみや知人らで固め、大統領に就任するや彼らを政権中枢に据えた。進歩(革新)政権が実現した成果を覆し、保守・対北強硬・親米親日政策を推し進め、労働・市民運動を弾圧した。「女性家族省の廃止」を公約に掲げて青壮年男性の「女性嫌悪」を煽った(「朝日新聞」20223117面)。その結果、昨今韓国では、男性による女性への殺傷・性被害が頻発している。家父長制と男尊女卑の家庭環境で育った尹ならではの振る舞いだ。「徴用工問題」では、過去の清算を握りつぶして日本政府と妥協した。尹の祖父らが村の有力者として植民地支配を担った事実を隠蔽するのと、先の戦争と植民地支配を推し進めた共犯同士の同盟が目的である。尹錫悦の政治、ひいては、韓国保守の政治は、政治的主権、社会的富の所有と分配をめぐる経済的主権、教育と情報をめぐる知的主権を歴史的支配層出身者たちが独占してきた寡頭政治である。それらを民衆たちが奪い取る過程こそが、1920年代から50年代までの朝鮮の民衆運動であり、50年代から今に至る韓国の民衆運動と言える。5歩進んで3歩戻り、さらに5歩進む…。尹錫悦時代は3歩戻る反動期であり、次に5歩進むことは明らかだ。韓国の民衆はそうやって民主主義を実現してきた。アイドルグループ「New Jeans」の所属事務所に対する労働争議はこのような風土だからこそ起こったのだ。韓国でもほかの国でも市民たちは「労働者としての意識、民衆としての意識」を強く持っている。一方で、日本の市民たちの「労働者意識、民衆意識」はどうだろうか?

韓国ユン政権との闘いの課題ーー政治改革から社会革命へ進むべき

韓国ユン政権との闘いの課題

 

政治改革から社会革命へ進むべき

 

 韓国では、「非常戒厳」を宣言したユン・ソンニョル大統領の弾劾訴追は今月7日に与党議員のほとんどが欠席したために不成立になったが、労働者はユン大統領の辞任を求めて国会前の抗議集会を毎日実施するなど、闘いを継続している。14日には野党が再提出した大統領弾劾訴追案の再採決が予定されている。ユン大統領は拘束されていないのを利用して12日に、「非常戒厳」宣言への謝罪を翻し開き直って、「非常戒厳」の正当性を主張する会見を行った。

 

「いま韓国は野党の議会独裁と暴挙で国政がまひし、社会秩序が乱れ、行政と司法の正常な遂行が不可能な状況だ」、「私を弾劾しようが捜査しようが私はこれに堂々と立ち向かう」、「私は最後の瞬間まで国民と共に闘う。戒厳令で不安に思われた国民の皆さまに改めておわび申し上げる」と、謝罪のポーズをしながら、「国民と共に闘う」と、ユン大統領支持派の決起を促すような挑戦的な姿勢で労働者の闘いに対抗しようとしている。

 

ユン大統領による「非常戒厳」は、軍政下で過酷な弾圧を受けた歴史のある韓国の労働者が容認できるものではなかった。ユン大統領の「非常戒厳」策動を跳ね返したのは、直接には国会での与野党議員による「非常戒厳解除」採決であったが、国会への戒厳兵士突入への大衆的な抗議行動も大きく功を奏した。2030代の若者たちも国会本館に乱入した兵士たちを見て政治参加の必要性を痛感したようで、抗議活動は熱気にあふれていたと報道された。

 

「韓国最大の労働組合の中央組織である韓国全国民主労働組合総連盟(KCTU)は、ユン大統領に辞任を迫るため、120万人の組合員に『無期限』ストライキを呼び掛けた。KCTUは、国会の前でキャンドル集会を毎晩開く予定だ」(ブルームバーグ12 /9)。

 

こうした大衆的な抗議に押され、検察や警察も内乱容疑での捜査を強めている。今のところユン大統領こそ拘束されていないが、キム・ヨンヒョン前国防相の逮捕、警察庁チョ・ジホ長官とソウル警察庁トップのキム・ボンシクを内乱容疑で拘束し、警察庁や国会警備隊などを捜索、大統領府の家宅捜査にも着手し、「非常戒厳」宣言に関与した政治家や官僚などの逮捕が始まっている。取り調べによって、ユンが「非常戒厳」を宣言した理由やその経過が明らかにされていくだろう。ブルジョア国家機構の一部分でしかない権力装置がどこまで真実を明らかにできるか幻想はもてないが、反動的な政治への大衆的な闘いこそが歴史を切り開いていくであろう。

 

韓国は戦後の建国当時はまだ資本主義的な発展が遅れている中で、後進国における国家主導の資本主義的な発展をした。冷戦構造の中、軍政の下で一時的な民主化はあったものの労働者の闘いは押さえつけられていた。しかし1987年に光州人民虐殺の〝原罪〟を負う全斗煥政権を追い詰め、民主化宣言を勝ち取り、その後民主化を進めてきた。経済的にも資本主義的発展を勝ち取り、一人当たり名目GDPでは日本を追い抜くほどに成長し、労働者階級も形成され、反政府闘争も階級的に闘われている。さらにその闘いを、資本主義を変革する闘いに発展させなければならない。

 

今回のユン政権との闘いにおいて断固として腐敗政権を追い詰められないのは、ひとえに労働者の闘いが不十分なのだ。ユン政権は、支持率の低下(物価対策への批判だけでなく、ユン夫人のスキャンダルなどが要因)や国会で閣僚の弾劾案が次々出される中で、軍事力に依存して政権の危機打開を策動したのだから、労働者もそれに対抗する闘いが必要である。議会主義に甘んじることなく、あらゆる所で腐敗政治との闘いの組織化を強め、既成政党のブルジョア的小ブルジョア的な政治を克服して労働者の階級的な闘いを強化する必要がある。

 

与党「国民の力」のように、ユンに批判的な行動をしながら、次の大統領選への党派的な利害を優先させ、議会での勢力維持を謀ろうと策動するのは自己保身そのものである。そうした姿勢はユンの開き直りを許した。ユンの翻意に驚き野党提出の弾劾訴追案に乗っかる態度は醜態であり、深刻な総括がなされるであろう。

 

野党にしても民族主義的な傾向など、反労働者的立場が闘いを歪め弱めている。

 

ユンが「非常戒厳」宣言で、北朝鮮の動向や脅威を理由の一部にしていたからといって、「北朝鮮・中国・ロシアを敵対視し、日本中心の外交政策に固執して日本に傾倒した人物を任命するなど、国家安保と国民の保護義務をなげうった」と1度目の弾劾訴追案で言及したが、2度目の弾劾訴追案では外交政策の内容が削除された。

 

「共に民主党」のキム・ヨンミン議員は弾劾訴追案提出後、取材陣に対し「弾劾事由は内乱行為で、実質的に(1度目の弾劾訴追案と)同じだ」とし、「ただし、前回の弾劾訴追案では結論に(内乱容疑以外の)様々な内容が含まれていたが、今回はその部分を除き、戒厳に関する内容のみを盛り込んだ」と明かした。

 

1度目の弾劾訴追案に表れた民族主義的な非難は、「弾劾案に余計なことが書かれている」と反発を買い、与党の投票ボイコットに利用され、投票数不足で採決されず、ユンの弾劾を遅らせ、ユンに〝反撃〟の時間を与えた。ユンの反動的な立場に対して民族主義の立場から非難することは、労働者の国際主義とは相容れないし、資本の支配との闘いを歪めることになるのである。

 

さらに12日のユンの釈明会見では、「昨年下半期、選挙管理委員会などの機関に対し、北朝鮮によるハッキング攻撃があった」、「私は衝撃を受けた。4月の総選挙を控えて改善を求めたが、改善されたかどうか分からない」と言うように、ユンの危機意識はブルジョア国家の〝安全〟のためであったという釈明であり、野党の「国家安保と国民の保護義務をなげうった」という批判に応え、開き直りを正当化することになった。ユンが資本の国家の利益を守ろうとしたことに対して、民族主義の立場からの批判では闘えないことが示されている。

 

根底において資本主義的なユン政権に対して、民主主義を守る闘いにとどまることなく、民主主義を利用して労働者が社会の本当の主人公になるための階級的な闘いを強め、資本主義的な生産関係の変革をめざすことこそ、労働者の闘いの道である。労働の解放をめざして、世界中の労働者と連帯して共に闘おう。 (岩)
20241221日韓国の戦後の経済発展について一部修正)

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