労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)
マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅦ
―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平
宮 本 博
おわりに
アメリカ第一主義を唱え「Make America Great Again」を標榜するトランプがアメリカ大統領になったことによって、世界がますます欧米や日本などの帝国主義諸国、偉大な中華民族の復興を目指す習近平の中国、新ユーラシア主義を唱えるプーチンのロシア、そしてインドやブラジルなどのグローバルサウス諸国、これら各々のブルジョア国家がお互いに覇を競い自らの国益(ナショナル・インタレスト)をめぐって「合従連衡」しながらも激しく角逐する新たな時代に入ったと言っていいだろう。
こうしたなかにあってそれぞれの国内では、国民のあいだに経済的な格差が拡がり同じ国民なのかと思えるほどの埋めようのない分断が急速に進んでいる。そして既成秩序に見捨てられていると不満を抱く人々の心情に寄り添う振りをしながら彼らを取り込もうとする右翼的なポピュリストたちが跳梁跋扈している(日本でも、天皇中心の国体思想を理念にする参政党や日本保守党が国会の議席を持つようになっている)。
日本帝国主義も世界中(とりわけ、東南アジア)にある権益を守り、他の国家との競争戦に勝ち抜きさらなる拡大を図るために制定された‘22年12月の「反撃能力(敵基地攻撃能力)」などを明文化した「安保三文書」――熾烈な戦いの死命を制するのは人類史が示す通り、結局のところ、軍事力なのである──閣議決定以来、中国・北朝鮮を仮想敵国とした沖縄西南諸島などへの自衛隊の常駐、ミサイル配備、防衛費のさらなる増額、等々が進んでいる。
こうした状況にあって、そもそも革命派であるべきマルクス主義者を自認している人々の大多数は、マルクス本来の革命思想を骨抜きにして日本の帝国主義国家やブルジョアジーにとってまったく危険のない無害なマルクス思想を振りまいている。マルクスを前期と後期とに「切断」し、マルクスはエコロジストに仕立て上げた斎藤幸平氏もその代表的な一人である。最近一見左翼風の書籍などに「『人新世の資本論』の著者斎藤幸平氏推薦」という帯紙があるのをよく目にする。彼のマルクス思想解釈が斬新なマルクス思想の提示者として何の問題も抵抗なくブルジョア論壇に受け入れられたことの証である。
「(労働の解放をめざす)労働者党」の闘いはいまだに日本の労働者階級の深部にまで届いていない。かつて1905年ロシア革命が頓挫した時点でレーニンは自分が生きている間には革命はロシアに起きないだろうと亡命していたスイスで思っていたそうだ――ボルシェビキの党としての闘いはロシア国内で続けていた――が1917年2月突然、まさに突然ロマノフ王朝打倒の革命が起こり臨時革命政府が樹立された。急遽封印列車でロシアに戻ったレーニンは当時極少数だったボルシェビキを率い、臨時革命政府と労農兵士ソビエトとの二重権力状態だったロシアで「全権力をソビエトへ!」というスローガンを掲げ行動することによって労働者・農民・兵士の間で多数派になって10月ロシア革命を成功させた。
私は、数年前に後期高齢者になったが依然として「身体が資本」の力仕事に汗を流すの農業に携わっており、体力的な衰えを理由に現在は党を離れてシンパの一員(少額ながらカンパをする党友)として労働者党の活動を支援している。しかし、心はいつも労働者党の皆さんと共にあると思っている。世界最強の帝国主義国家の一つであるこの日本においても今後将来、いつ何時何が起こるか分からない、いつか分からないその日のための準備を常にしていくこと、賃金奴隷制の廃絶という労働の解放をめざす闘いを「 倦まず弛まず」やり抜き、マルクス・レーニン主義に基づいた国際主義的な革命党としての闘いが次の世代に何としても受け継がれていくようにしなければならない、そのためにささやかなりとも手助けしたいと私は思っている。
(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか