選挙奮戦記  【6】
――かく闘いたり、一闘争委員の報告――

 十月に入ると、うって変わって気温が下がり、朝晩は特に冷えるようになった。日中も夏から冬に様変わりしたかのようだ。半袖の夏物しか持ってこなかった我々は、何枚か重ね着をして、朝夕の街宣に出かけた。雨が降ると、「おじ6」たちの半乾きの洗濯物が山のように部屋につり下がった。中には、間違って誰かのシャツをきている者もいる。まさに学生寮ならぬ、「おじ6」たちの合宿所だ。

 選挙戦で我々が公的に利用できるものは、① 選挙葉書(三・五万枚)② 新聞折込みビラ(計七万枚・二種類)③ 新聞広告(計五回)④ 選挙公報⑤ 有権者への電話⑥ 候補者カーによる宣伝と近くでのビラ配布である。このうちの幾つかについて述べたい。と言うのは、全てについて闘争委で”十分に“検討する暇もなく進めざるをえなかったからである。

 ①の葉書の処理については既に述べた。形式について、「字数が多くて読みづらい」という意見もあった。しかし、ブルジョア候補たちが一様に大きな写真で顔を売る(媚びる)のに対し、我々は我々の主張を訴え、一人でも多く読んでもらうという観点では、これでいいと考える。ただ、思い切って削っても良いと思える所もあり、もう少し行数が減らせたのではないかと思う。また、圷候補の生き方を訴えている点からして、表面は、実写真にし、小さくイラスト画を添える方が良かったと思う。
 ②の二次ビラの「庶民派『まじ太』(あくつ)を国会へ!」『きざ夫』はもうたくさんだ!」 の見出しは、いろいろと意見が出たが、やはり今ひとつピンとこない感がある。小泉一家の四代目が「超エリート?」かどうかはわからないが、地元の期待に反して、将来総理の器であるとは微塵も思われず、彼の言動からして(彼の選挙広報を読んでも)賢そうもないが、「人気取り」のスタンスだけはしっかりと身につけている男である
  ③は、実際に新聞に掲載されたのを見ると、完全に周りの記事に埋没してしまった。幾らかの技術的手直しが必要であった。二次広告は多少手を加えたが、実際にはどうであったろうか。(筆者は見てないので)
 ④ に、やはり共産党批判と並べて、「希望の党」批判を少しでも載せた方ががよかったのではなかろうか。というのも、「排除します」(今年の流行語大賞候補?)発言で一変に不人気になった(勿論それだけではないが)とはいえ、小池への幻想が残り、落下傘候補をもって受け皿の一つとなったからである。この党がいなかったら、我々の受け皿は少し大きくなっていただろう。
  ⑤については、闘争委では、やろうという少数意見(筆者もその一人)のため中止となった。
          
 話はそこまでにして、十日以降の方へ話を進めたい。
 告示日の候補者受付は8時半頃から始まった。看板を付け替えたリニューアル候補者カーで圷さんやIさん(闘争委)たちが出かけた。運転手は通してKさん(神奈川)、ウグイスはMさん(静岡)、Iさん(福山)、責任者はIさん(闘争委)、あとTさん(神奈川)等が乗りこんだ。また林議長が途中から加わった。

 掲示組は、全員8時に横須賀中央駅のレンタル屋に集合して、車を借り受け、ポスター百枚ずつを車に積んで、それぞれの場所へと移動した。              
  8時半を少し過ぎた頃に圷さんから筆者に電話が入った。「(掲示板は)四番です!」 という連絡を受けて、各組に連絡、一斉にポスター貼りが始まった。

 他候補より一番先に貼るのは気持ちが良い。裏テープも剥がしやすく、ピタッと貼れた。これなら雨が降っても剥がれることはないだろう。こうして、昼十一時まで、地図を見ながらひとつひとつ貼り続けた。
 十一時半に、ポスター貼りを中断して、全員横須賀中央駅西口に集合した。十二時に、ここで圷候補が第一声をあげることになっており、その応援とビラ配布のためである。合わせて十六人が集結した。
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  まずKさん(神奈川)が圷候補を紹介した。その声は力強く四方までよく聞こえた。筆者は、それを聴いて恥ずかしながら、ホロッとした。「いよいよ始まったか」という感慨が湧いた。続いて、林議長、圷候補が力強く駅ゆく人々に訴えた。演説をバックに、我々は「労働者党のあくつです」「働く者の代表を国会へ送りましょう」などと言いつつビラを配った。

  その後、候補者カーは、駅周辺、衣笠周辺、事務所周辺、等々を流したり、小演説を繰り返しながら、運行表にそって活動した(写真は、初日夕方の京急横須賀中央駅西口でのあくつ候補)。

 ポスター組も再び活動を開始した。筆者隊がまず朝一番に貼ったのは事務所の周辺と衣笠地域である。候補者カーが、午前中は衣笠地区を回ると聞いていたからである。第1号は、事務所近く「新アパ」前の掲示板であった。

 地図を見ながら、Sさんの指示に従って、ひとつひとつ掲示板を探しながら、貼る。案の定、Sさんの地図の読みは的確で、必ずそこに掲示板があった。狭いすれすれの道、軽でないと入れない道、かなりの坂道、一方通行、交差点、いろいろな障害にもかかわらず、ひとつも見逃すまいと貼る。こんな山奥や崖にあって、誰が見るのだろうという掲示板もあった。

 貼り終えた掲示板を通過する時、通行人が覗き込むように「あくつポスター」を見ている光景に何度か出くわした。「ちっちゃいな。何が書いてあるのか?長時間?搾取?非正規?」といった具合であろうか。午前中は一番であったものが、小泉に抜かれ、瀬戸に抜かれた。真白にだけは勝ち続けた。他の組も同じだっただろう。一日だけで、四百弱を制覇した。

  夕方五時まで貼り続けてレンタカーを返し、事務所に戻った。そして、衣笠駅前の西友へお握りを買いに走った(店員に感謝されたことは言うまでもない?)。西友のお握りは、安く、種類が豊富である(運動員用の弁当も安く買える)。みんなでお握りをほおばった後は、事務所と「新アパ」に別れて、証紙貼りに精を出した。朝からのポスター貼りと夜の証紙貼りがちょうど重なり、かなりの重労働となった。

   折り込みビラは、十五日(日)に読売、朝日、神奈川新聞へ、二〇日(金)に読売、朝日新聞へ折り込む予定なので、十二日の朝までには、一回分として三万五千枚に証紙を貼らねばならない。ビラは事務所の印刷機で、Tさん(代表委)が一気に引き受けてくれた。大阪組は例によって愉快に?、静岡組は漫才をしながら?、他の人たちも黙々と貼り続けてくれた。こうして、十一日の夜までには、一回分の証紙貼りは予定より早く完成したのだった。

 翌日のポスター貼りも順調だった。ただ、昨夜は全員で証紙貼りに夢中になって、明日の分のポスターの裏打ちを忘れてた!闘争委数人で夜中の二時過ぎまでかかってやった。
 翌日は、Mさん(大阪)に代わりKさん(大阪)が運転手に、Wさん(代表委)とTさん(神奈川)が交代して加わった。十一日の午前中には、三浦市の一部を残して貼り終えた。

 特に、K車は経験のあるベテランコンビなので、三浦市全域を翌日の午前十時ごろまでかかって、百三十枚余を貼り終えた。途中電話を入れると、「あくつ、城ヶ島へ渡る!」というUさん(静岡)の威勢のいい声が伝わってきた。こうしてほぼ二日でポスター貼りもやり終えた。    続く