選挙奮戦記 【9】
――かく闘いたり、 一闘争委員の報告――
十八日夕刻、筆者はどうしても外せない用事があって帰宅した。残りの3日間を共に闘えなかったことを申し訳なく思う。最後まで圷候補を支えて闘ったIさん(闘争委)をはじめとする神奈川支部の皆さん、Hさん(闘争委)、Iさん(福山)、そして代表委に敬意を表します。
またこの時期になると、運動員も減り寂しくなった。事務所の玄関の土間にあんなに溢れていた靴が少しでしかなくなった。残りの3日間がどのように闘われたかについては、追っつけ党のブログに掲載されるだろうから、そちらをご覧頂きたい。ここでは、最後に、この選挙戦を振り返った組織内の問題や選挙結果について述べたい。
今回の、代表委の下に現地闘争委を置くという方針は、まずくはなかったと思う。理想的には、初めから(一ヶ月まえから)林議長をはじめとする代表委が現地に入って、全体を指導し、闘争委の分担ををきちんと決めて活動を開始する、というのが良い。しかし、その日その日の活動に追われる事務所内で、事前ビラや広報、折り込みビラ等の原稿を練りながら、且つ、それらに対応していくというのは無理がある。(事務所とは別に、近くにアパートを借り、寝食と分離させる、ということであれば、多少は可能か)。
現に代表委のIさんが闘争委長として一ヶ月前から現地に入っている。だが、余りにも仕事が重なり、それを捌くのが大変であった。―電話への対応、メールの受信と発信、闘争日誌作成、物品の注文、マスコミやアンケートへの対応、膨大な数のビラの印刷、新聞店や印刷屋との交渉、東京の代表委との連絡、夜の会議、事前説明会への参加、そして会計管理等々―。筆者も、Iさんがパソコン(器機)に強いということもあってか、多くを頼った。まさに「過重労働」であったと思う。
ここでエピソードをひとつ。Iさんは、ある日、日帰りで帰宅し、その日の夜に事務所に戻って来る予定だったのだが、終電が過ぎても戻らず、皆で心配していた。彼は、日頃の疲れと睡眠不足で、電車に乗ると同時に心地よい眠りに入ったらしく、なんと山手線を一周し、終電に乗り遅れたのであった。結局、夜中の一時過ぎに事務所に元気で現れた。
次回は、ぜひ〃委長とは別に〃、パソコン事務等を一手に引き受けられる人物を配して欲しい。
闘争委がどのようにして選ばれたかは判らないが、もう少し人数が欲しかった。I(闘争委長。東京)、H(闘争委副、京都)、I(神奈川支部長)、S(大阪北)、T(静岡)、筆者(静岡)の6名が闘争委である。
九月一九日の初会合で何が決められたのか知らないが(後でTさんから聞くと、三日間は事務所の整理改造で忙しかったという)、筆者が遅れてきたためか、来て一、二日は闘争委として、何をしてよいのか判らなかった。着いてすぐに宅配に出、後は前述したとおりである。だから、まず闘争委の中で明確な仕事分担をすべきであった。。宅配ビラの責任者は誰(Sさん?)、印刷は誰、駅頭街宣の責任者は誰、その際のビラ配りの責任者は誰、流しの原稿は誰、車の看板替えは誰、ポスターの責任者は誰、葉書は等々と。すれば、もう少し早く作業に取りかかれ、改善の余地もあったのではないか、と思う。勿論、互いに補助しながらのことではあるが。
選挙が慌ただしく始まり、選挙戦の経験も浅く、次々と仕事に追われて、「なし崩し的」に進めざるを得なかったと言えば、その通りではあるが。
次期参議院選は、選挙区が拡大され、準備期間も長期に渡るので、闘争委を増員し、闘争委の日をきった交代制にするとかの工夫も必要であろう。
中央との連絡はIさんが一手に引き受けていたので、よくわからないが、メールや電話での連絡でどうだったのだろう。ただ、宅配ビラ原稿が事務所に夕方5時過ぎに届いて、そこから5千枚印刷し、半折りする当初の作業は前述したが、大変だった。
また、仕方のないことかもしれないが、葉書や新聞広告、折り込みチラシの原稿が締め切り間近に届くと、闘争委で検討する時間がもてなかった。そうした原稿作りも代表委の分担制にすべきであろう。そして、個々について、代表委と闘争委のどちらが決定を下して、事を進めていくかということも曖昧であった。
この記を書き始めたのが投票日前日で、投票の結果は翌々日二十三日の朝刊で知った。十一区の結果は、党のブログに掲載されているので繰り返さない。結果は、三千百三十三票(一・六%)であった。ほんの一ヶ月間の選挙戦にしては、まずまずだと思う。
この三千票を越す票は、、葉書、選挙公報、折り込みビラ、宅配ビラ、ポスター等を読んだり見たり、街頭演説を聞いたりした人々の、明らかに圷候補への支持票である。「やっと投票できる候補者が現れた」とブログへの投稿があったように、それまで全く支持者のいなかった場所で、どこの馬の骨とも知らぬ、ボット出の政党と候補者が、三千人の支持者を獲得したのである。
我々のような後援会組織もシンパ層ももたないミニ政党が獲得できる票とは、一ヶ月ではこのくらいであったろう。
小泉も共産党の瀬戸も、いずれも前回より票を減らしたが(小泉は5・3%減、瀬戸は5・7%減)、その票の多くは、受け皿としての―この党への幻滅感を持ちつつ―希望の党の真白(9・36%、一万八千五百八十三票)へ入ったのではないかと思われる。今の党の現実的な動員力等や生粋の地元候補であったことからしても、この十一区は選挙区として適当であったと思う。
次期参議院選は、選挙区が拡大するので、横須賀市を中心に、どの都市に焦点を絞って闘うかが問われよう。また、他の支部は、労働者党の宣伝を再開し、一人でも多くの党員とシンパ(若い人たち)を獲得する必要があるだろう。
続く (次回で最終回です)
★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
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