選挙奮戦記  【10】 
――かく闘いたり、 一闘争委員の報告――

 以上、だらだらと、止めどもなく述べてきたが、そろそろ終わりにしたい。
 最後に、また余談になるが(それか好きなので)、この三浦半島は「明治への扉を開けた地」であることを強調したい。

 宅配で、久里浜の海岸を走った時に目にしたのが、ペリー来航の記念碑であった。海岸近くの一角に大きな記念碑が建っていた。
 そう、この地は、185 3年6月、ペリーが4隻の黒船を率いて現れた地である。浦賀奉行にフィルモア大統領の親書(開国要求)を渡すべく、一行は浦賀沖へと移動したが、これが翌年の日本の開国、通商条約締結へと繋がる。
 巨大な鉄の軍艦を沖合に最初に目撃したのは久里浜や浦賀の人々であった。その驚きは如何ほどであったろうか。

  また、浦賀を通った時に、壁に大きく描かれた絵画を見た。それは、江戸から駆けつけた吉田松陰と佐久間象山の会見(徳田屋)の絵であった。
 そう、浦賀は松陰が師の象山と共に、ペリーの黒船を見た地なのだ。松陰は翌年、下田沖の外国船への密航を企て失敗。幕府に出頭し、緊縛された。彼は、後にこの罪等で、1858年からの、いわゆる安政の大獄で処刑される。発奮した松下村塾生の高杉、久坂、桂、伊藤、山縣らによる長州藩の討幕運動は一層盛んとなった。
 まさに、この地・三浦は、「新しい世への扉を開けた地」  である。

 「労働の解放をめざす労働者党」は、この地でデビューした。「『新しい世』への扉を開ける」べく、再びこの地が、その出発点となることを期待したい。00017_6
     終                                      (K)

 右写真

 「太平の眠りを覚ます蒸気船 たった四杯で夜も眠れず」
 (ペリー公園に掲げられた狂歌。四隻の軍艦に慌てた江戸幕府を からかった歌と言われる)