労働者党の第2回大会の決議第部を紹介します。 (3)


17総選挙の政治闘争、つまり与野党の闘い――その背後には、資本と労働の階級的な矛盾、対立と闘いが潜在し、伏在していたのだが――は矮小化されてしまった。


安倍は総選挙の第一声で、いま選挙をする口実として、「2年のちの消費増税の税収を、幼児教育無償化に転用することの理解」を求めて総選挙を行うと叫んだが、それは、今秋、急きょ総選挙を行うまともな理由が全くなかった――安倍の個人的な都合を除いては――ということである。


そもそも2%の消費増税は、2年のちの19年10月に行われることになっているのだから、総選挙が来年12月の衆議院の任期切れのときに行われても、安倍の言う消費増税の転用の是非を問うことができた、というより、その方がよほどまともであり、筋道が立っていたのである。


かくして今回の総選挙は、非現実的な課題を問うという、空虚なものになったのであり、国民は、2年のちの消費増税にかかわる問題――2%の消費増税5兆円の財源を、予定されていた社会保障(1兆円)や借金の返済(4兆円)のためでなく、「教育無償化」という政策、つまり安倍が呼号した「人づくり革命」路線の中心的な柱――のために転用するか、しないかという問題で判断を下すという課題を押し付けられたのである(安倍は借金返済4兆円のうちの、半分の2兆円の転用を謳った)


もちろん、総選挙で問われたことは、将来の教育無償化の問題だけではなかった。安倍政権が選挙直前に発表した「政策パンフ」は、「北朝鮮の脅威、そして少子高齢化。この2つの国難」に断固として対処し、解決する安倍政権を印象づけ、それによって失われた安倍政権への信頼を回復しようとする意図を明らかにしていた。

ブルジョア政党が国民の支持を失ったとき、それを回復する最も手っ取り早いやり方は、「外国の脅威」をわめき立て、政権への求心力を高めることだが、北朝鮮の度重なるこけ脅しや挑発こそ、安倍政権にとって最高最善の救世主となったと言うわけである。安倍政権はことさらに誇張して北朝鮮の〝危機〟をわめき立て、国民の〝危機意識〟や北朝鮮への反感や憎悪や〝好戦意思〟をあおり、掻き立てたのだが、それはブルジョア層や金持ち層、一部のプチブル層を――労働者の遅れた層さえ――、安倍の下に再び結束させる上で極めて〝効果的で〟あった。


他方、産業の空洞化や生産的労働者や経済の寄生化の深化や衰退、少子高齢化に代表される〝国力〟の急速な収縮という、もう一つの「国難」に対して、安倍政権の掲げた政策は、2つの「革命」であった。一つは「生産性革命」であり、もう一つは、「人づくり革命」であったが、どちらも単なる看板だけ、空約束だけであって、ほとんど実際的な内容や意義を持つものではなかった(しかし安倍は、こんなにも手軽に、軽率に「革命」を連呼していいのか、労働者が近い将来、「革命」を叫んでも、自ら手本を示したのだから文句一つ言えなくならないのか)


「生産性革命」ついては、「平成32年までの3年間を生産性革命の『集中投資期間』として、大胆な税制、予算、規制改革などあらゆる施策を総動員して、企業収益を設備投資や人材投資に振り向ける」といった抽象的なことが言われただけであって、しかも選挙期間中、これらについて自民党候補者たちはほとんど発言することも、説明することがなかった。


「人づくり革命」については、いくらか具体的に、「32年度までに3~5才の幼稚園、保育園の費用を無償化する、0~2才も低所得の世帯を無償化する」、「待機児童解消のため32年度までに2万人分の保育の受け皿を整備する」、「低所得の家庭に限り、高等教育の無償化を図る。給付金型奨学金や授業料減免措置を大幅に増やす」とかいった、耳障りのいい〝公約〟が派手に並べられたが、ただ基本的に2年のちの話であり、財源などは基本的に消費増税を待って実現が検討されるというのだから、空約束と不真面目と無責任の最たるもの、ほとんどデマゴギーに等しいような話であった。