労働者党の第2回大会の決議第部を紹介します。 (8)




総選挙で掲げた安倍の経済社会政策は、アベノミクスの延長であると共に、他方では、その修正版であった。アベノミクスは、カネをバラまくことによって経済成長やデフレ克服や財政再建や国家救済までも可能にするというデマゴギー政治であったが、他方では、「人づくり革命」や、それを実現するための教育無償化――とりわけ乳幼児のそれ――は、安倍が北朝鮮と並んで、少子高齢化を〝国難〟と断じたように、国家の破産や衰退、〝福祉国家〟幻想の破綻という現実に直面し、それにいかに対応し、乗り越えて行くかについての、安倍なりの解答であり、解決策であった。


安倍が愕然として気が付いたように、安倍政権の、アベノミクスの5年が経過したというのに、デフレ脱却は夢と消え、そればかりか、この国は今や、〝国難〟の危機、国家累卵の危うきにある、つまり国家の衰退や解体、否、国家滅亡の危機にあるというわけである。産業は空洞化し、寄生化して衰退し、労働者・働く者の生活は低下し、非正規労働者は激増し、社会保障も崩壊に瀕し、しかも政治も政党も――したがってまた政府も官僚機構も――すべて腐敗し、無力を託(かこ)つだけである。


17総選挙と、その政治闘争が客観的に明らかにしたことは、まさにこうした現実ではなかったろうか。その意味で、安倍が選挙に際してテーマは〝国難〟と断じたのは正しかったが、彼はそれに対して、どんな対応策も解決の道も示すことができなかったし、示そうとする真摯で、誠実な意思もなかった。消費増税と、その教育無償化への転用といった〝解決策〟は解決策どころか、単なる無意味な空文句の一つにすぎない。


こうしたある意味で〝国難〟といった情況の中で、マスコミ・リベラルなどは、消費増税だ、負担増の必要性を学び、それを覚悟すべだ、借金ばかり増やして、負担を将来の世代に先送りすべではないと悲壮感を漲(みなぎ)らせて叫ぶだけだったが、しかし現役世代の負担が限界に近づいているとき――賃金労働者の40%、2000万にも急増した、貧しい非正規労働者の大群が、その事実を明らかにしている――、そんな現役世代に負担増を押し付けるなら、将来の世代の少子化を心配する前に、現役世代の生活破滅が深刻化し、少子化が進むだけである、つまり単なる悪循環である。


他方、愚かな共産党は、「緊縮路線」――彼らが、この観念で何を意味するか定かではないが、ギリシャの経験への論評などを見ると、一般に、放漫財政に賛成しているとしか見えない――に反対し、消費拡大のためにバラまき――借金の増大など、気にするな――を奨励し、それが景気回復につながると言いはやすだけである。


客観的には、現代ブルジョアたちの〝ケインズ主義的〟経済政策に、つまり安倍や黒田の〝異次元の〟あるいは〝非正統的な〟経済政策、つまりゼロ金利、マイナス金利等々の金融緩和や、限度のない財政膨張の政策を公然と、あるいはこっそりと支持し、応援している――つまりアベノミクスの尻を押している――と非難されても、どんな弁解もできないのである。


労働者・働く者の経済政策が、その根底が「緊縮政策」に反対して、「緩和政策」にあるなどと考える党は、現代におけるブルジョア政党であり、あるいは頽廃していく寄生階級とその党であり、労働者政党や共産主義政党を名乗りながら、そんな政治や政策を労働者・働く者に押し付けるような党は日和見主義の党であるばかりか、労働者階級にとっては背教者の党、裏切り者の党でしかない。