吉村ふみお・比例区予定候補の奮戦記――訪ねて、話し込み、意気投合して NO.7

元同僚で半日勤務の診療所受付だった方宅訪問。子供が大きくなり、現在はフルタイムで別の事業所介護職員として働いている。

数年前にその職場の系列での労組結成を応援したこともあり、労働実態を聞いたことがあった。人手がなくて忙しく毎日クタクタ、家に帰っても疲れで何もする気がおこらない、訴えたいのはそれを何とかしてということだけ、との話。当時の年賀状では「年末に体調を崩しています」とあった。生憎留守だったが、吉村パンフ、名刺等を郵便受けに投函。

 

② 退職時の私の仕事は、通所リハビリ職場での事務職だったが、人出不足で利用者宅と事業所間の送迎業務(車運転)を度々担っていた。

春闘では毎回、人員増や速やかな欠員補充の要求をしており、人員不足のまま介護職員以外のスタッフに送迎をさせて事足れりとするような、そんなその場しのぎはよくない、緊急避難的に担うことはあっても常態化は不当と訴えてはいるが、しぶしぶ応じてきた。

おかげで何人かの利用者宅は知っており、退職の挨拶を兼ねて訪問した。一人目の方は来客中で、その人の分もと言われたので、退職の挨拶と吉村パンフを2部お渡しした。二人目の方は奥様が出てこられ、以前送迎でお伺いしたこともある吉村ですというと、奥で横になられていた利用者本人を呼んでくれた。

「すいませんわざわざお呼びだてしてしまい」と恐縮。退職したがこの7月の参院選に立候補予定である旨パンフ渡しつつ説明させていただいた。知らぬ人ではないので支持したい、頑張ってくれと励まされた。

 

③ 『海つばめ』宅配読者訪問。一人は労組書記長でもあり、出来上がったばかりの「介護パンフ」5部を託す。後の一人は不在につき、「介護パンフ」と代表委からの「介護パンフ挨拶文」をポストへ投函。

 

④ 元職場系列のグループホーム職場訪問。数年前、労組加入したい人がいるので説明に出向いてくれと執行委員の一人から依頼をうけて、市内のファミレスで待ち合わせて説明、その場で加入申込書に記入してくれた方の職場である。

同僚の中には、上司と個人交渉して待遇を良くしてもらった人がいるが、そんな職場はおかしいと思うと言われ、どれほど良くなったかは知らないが、個々バラバラでの要求は経営側が圧倒的に強いので限界がある、労働組合の組織的な要求と団結した闘いこそが待遇改善の最善策だと当時説明した。

今回、本人は60歳を超えて嘱託身分となっており、以前と全く同じ仕事内容で若い職員以上に働いていると自負しているが、ボーナスが寸志(1万円を切る)で不当だと訴えられた。

春闘では60歳定年を65歳に引き上げよとの要求をしている、現行の就業規則では、「60歳定年とそれ以降は嘱託身分で一時金なし」とされているが、65歳定年になれば65歳から嘱託となり、一時金は65歳まで支給されることになる要求だと説明。

高年齢者雇用安定法は65歳までの雇用は義務としたが、定年延長や労働条件は任意とした。経営側にとって高齢労働者を戦力としてフル活用しながら労働条件は切り下げ、搾取度を上げる例がここでもある。

この職場ではこの労組員と傍で聞いていた同僚に吉村パンフを手渡す。また、この職場の駐車場で洗車中の方(送迎担当の運転業務員)にもパンフを渡して説明。

 

⑤ 自治労県本部副委員長を歴任し、現在も県職労役員の方の職場訪問。

私の政治的立場の話(民主や立憲民主、社民、共産とも見解や路線が違う)は初めて。県本部機関紙の社民党市議の投稿記事に「賃上げで消費が増えれば貨幣循環が促され、いいことだ等」とあった、アベノミクス礼賛だがどう思うと切り出し、労資協調の行き着いた例として第一次世界大戦に祖国防衛に賛同した独社会民主党を挙げた。今は戦争反対と言っていても資本の体制が揺らいだ時に秩序維持として労働者に敵対した共産党の例も。

安倍の反動教育路線に関連して、育鵬社版教科書採択に反対し、行政裁判に取り組んでいるとの話もした。

 相手は、2001年、当時の加戸知事が推奨した「扶桑社版中学歴史教科書」を教育委員会が採択した際の経緯説明にあたって、途中で傍聴者(約250名の採択反対者、彼も私もその一人)を会議室に閉じ込めて委員が別室で最終決定し文科省に採択結果を報告したことがあったが、この暴挙を阻止しようとした自分達の前に両手を広げて立ちふさがったのが当時の共産党県議だったと話してくれた。別れ際に「共闘できることがあればやります」と言ってくれた。