イスラムと西欧との対立解消の道は?

 

『海つばめ』読者から、1388号二面の「イスラム風刺画に斬首テロ――マクロンの『冒涜の自由』はヘイトだ」の記事について、以下の意見が送られてきました。

 

「西欧的価値観を享受する条件にないが故の絶望的憤激だ」の意味が良く解らない。階級闘争の問題として論じるのなら必要ない文章ではないのか。中世的価値観と西洋的価値観として論じるのは観念的でないか。移民労働者として底辺の不安定な賃金労働者として、資本の自由な抑圧と搾取の下で呻吟していることは、これは資本主義の問題であり、価値観の問題ではない。彼らが豊かな賃金労働者になることが、西洋的価値観を受け入れる条件であり、それが解決の方向なのか。後半に書かれている共同の闘いを、その内容を展開して欲しい。」

 

筆者からの回答を掲載します。

 

問いかけに応えます

 

 フランスで起きている事態は、イスラム風刺は「表現の自由」で、それを否定することは許さないとする西洋的価値観と、それを冒涜としてしか受け止められないイスラム系移民の宗教的価値観からの激しい反発として現れています。私の小論は、そうした価値観を直接問題にしたのではなく、その歴史的社会的背景を明らかにしたうえで、対立解消の道を示そうとしたものです。

 

 価値観それ自体を問題にすれば、歴史的進歩性は西洋的価値観にありますが、だからといって、イスラムの宗教的価値観から解放されていない人々の意識に、何の配慮もしなくてもよいとことにはなりません。

 

 「西欧的価値観を享受する条件がない」と述べたように、イスラム世界は、歴史的な西欧諸国の支配と抑圧から資本主義とその価値観に激しい反発を抱き、自国の歴史的課題が宗教支配の克服=ブルジョア的解放であることを自覚できないまま、遅れた価値観が社会生活を規定したままでいます。女子教育や女性の社会進出をかたくなに否定するのは、その典型です。

 

 豊かな生活を求めたイスラム系移民も、資本主義的搾取の最下層に投げ込まれて“豊かな市民生活”を享受できていません。コロナ禍でその窮状はさらに悪化し、移民規制を強めるマクロン政権からの公的支援は限定され、労働団体からも自国労働者優先で事実上無視され、疎外と差別に喘いでいます。

 

 歴史的社会的関係が支配的価値観を規定するとすれば、価値観の対立からは解決の糸口は見つけ出すことはできません。少なくとも歴史的社会的背景についての相互的な理解が必要です。そのためには、歴史的進歩で前を行く側が後を追う側に手を差し伸べるべきです。今回の事態では、マクロンのヘイト発言をフランスの健全な国民が糾弾することから始め、資本の搾取・抑圧という同じ境遇にあるフランスの労働者と移民労働者の共同の闘いへと発展させていくことであると思います。

 

 この共同の闘いが発展すれば、イスラム移民も合理的価値観として西欧的価値観を理解し、階級意識へと発展させる地歩が築かれていくでしょう。それはまた、母国の開明化=ブルジョア的解放につながっていくだろうし、こうして両世界の革命が同じ土俵の上で展望されていくと考えます。 (Y)

 

(なお、『海つばめ』1388号二面の
「イスラム風刺画に斬首テロ――マクロンの『冒涜の自由』はヘイトだ」の記事は

http://wpll-j.org/japan/petrel/1389.html#7 

で読むことができます。)