林さんの死を悼む
私が労働者党の母胎である全国社研社と出会ったのは、70年前後の沖縄返還闘争の頃でした。偶然、政治集会のビラを受け取り、南部労政会館(大田区)の集会に参加しました。集会の熱気は圧倒的で、強い感動を受けました。
集会は、新左翼の沖縄「奪還」闘争の急進的な民族主義を徹底的に批判し、返還による沖縄の労働者と本土労働者との連帯を高く評価するもので、労働者の階級闘争の意義で私の目を覚まさせてくれました。
それ以後「火花」を購読し、マルクス主義理解の不十分さを自覚して、懸命にマルクス主義を勉強しました。74年の最初の国政選挙の支援をきっかけにマル労同に入党しました。
林さんとは、党大会やセミナーなどでお会いすることはあっても、直接のお付き合いはありませんでしたが、かって三浦半島を二人で“ドライブ”したことがありました。
当時、林さんは、父君の伝記を機関誌に連載していて、父君が教官として過ごした横須賀を取材したい、と頼まれたのです。父君が私の父親と一歳違いのこともあって、話が弾みました。林さんも、日ごろの忙しい党活動から解放されて”ドライブ“を楽しんだようです。野島の展望台や横須賀の”みかさ艦“で写真を撮ったりしました。
林さんからは、いろいろ厳しい批判を受けたこともありますが、それも労働者の解放の闘いの熱意から来るものであり、しこりは残りませんでした。
林さんは、若い頃小説家を志したこともあったと言っていただけあって、文章家だったと思います。その論旨は明快で明るかった。
それは何よりもマルクス主義への深い理解と労働者の未来に対する楽観的な確信から来たと思います。林さんの残した多くの著作と論文を学びなおし、地下の林さんと共に、労働の解放に向けて闘っていきたい。
(神奈川、k)