長野で闘う仲間から衆院選結果についてレポートが送られてきたので紹介します。


野党共闘派の惨敗――長野から見えたもの

 

 1031日に行われた衆院選は、自民党の大幅後退、場合によっては政権交代の可能性さえも言われていたにもかかわらず、実際には自民党が単独過半数を獲得、自公全体では絶対安定多数を獲得し、野党共闘派は完敗した。立民は共闘候補に一本化が行われた多くの小選挙区ではそれなりに健闘したが、比例区で大幅に議席を落とし改選前の109議席から96議席と13議席も減らし、共産党も12議席から10議席に2議席減らした。社民はかろうじて改選前と同じ1議席を確保したが、もともとほとんど消滅寸前の存在だ。唯一「れいわ」のみが比例で3議席獲得し山本も国会に復帰したが、野党共闘全体としては惨敗の結果であった。

 

 長野県では5小選挙区全てで市民と野党の共闘候補が擁立され(立民4、共産1)各候補とも政権交代をめざすことを公言して選挙戦を進めたのであったが、結果は松本を中心とした2区で立民の下条が競り勝っただけであった(しかも、2区は自民の務台の他に維新の手塚も立候補していたので保守票が分裂したことに助けられた面もあった)。1区の篠原と3区の神津はそれぞれ自民の若林と井出に6千票余りと1万票あまりの僅差で敗れ比例で復活当選したとはいえ、接戦が伝えられた5区の曽我は宮下に1.7万票余りの差をつけられ、また4区の長瀬(共産)は後藤に3.5万票余りの大差で敗れた。

 

 NHKの開票速報によると、いずれの選挙区でも支持政党では自民支持層が半分前後を占め野党共闘側は支持政党なし層をすべて含めたとしても過半数にはいっていない。自民は徹底的な組織戦を展開し、企業や業界団体を“手堅く”まとめたのに対して(TVのニュース画像には企業での小集会に工員服を着た社員の姿が何度か映し出されていたが、まさに「企業ぐるみ選挙」が行われていたのではないか)、野党共闘側は(自前の党組織が強固な共産党を除けば)ほとんど浮動票目当てのイメージ選挙でしかなかった。

 

加えて、今回は岸田の“対話姿勢”や「分配と成長の好循環」、「新しい資本主義」等々の幻想がバラまかれ、政治的訓練の薄い有権者が幻想を持ちやすかったこともあるだろうし、若林や井出などは自民党内での改革の必要性等々も吹聴していたということもあった。自公も野党側もバラマキ合戦の様相を呈していて独自色が薄れたことも影響しているだろう。

 

また、連合本部と呼応して連合長野も立民と共産の共闘に難癖を付けていたのだが、これが特に岡谷・諏訪地区等を中心とする4区共産の選挙結果にも影響したと考えられる。別に共産党の肩を持つわけではないが、労働組合ダラ官どもはまったく犯罪的な役割を果たしているのであり、“労組不在”の状態が今回の選挙でもこの沈滞した空気に大きな役割を果たしているのだ。

 

筆者個人としては自公政権にはホトホトにうんざりしていたこともあり、政権交代による野党側の真剣度を見定めてみたいという気持ちもあったのであるが、この“夢”は開票速報とともに早々に崩れ去ってしまった。今回野党共闘側は金融所得課税や法人税への課税強化、等々を多分ほとんど初めて取り上げた。これらのことは19参院選で我々労働者党も主張したことであるが、富裕層や企業側との厳しい闘いと結合してでなければ実際には簡単に(つまり単なる国会の中だけで)実現できるものではない。

 

株価の下落を見て岸田が前者を早々に引っ込めたことは、その好例だ。だから例え野党共闘が勝利したとしても、実際にはこうしたことは骨抜きになり、結局はバラマキ政策だけに収斂してしまうのではないかと感じていたし、威勢のいいことを言っていても本質的には自公政権と同じところに収斂するのではないかと感じていた。だから一般有権者にとってはなおさら、そうした違い、気迫は十分感じ取ることができず(意図的かどうかは別としてもマスコミがこうした点にほとんど触れなかったということもあるが)自公と同じようなバラマキ政策と映ったのではないのか。

 

さて、今回は立民・共産とも比例区での票と議席を前回より減らし、それが彼らの惨敗の大きな要因となった。北陸信越ブロックについて見ると、自民と維新が各1議席増やし、立民4(旧「希望」2を含む)→3、共産10と各1議席減らした。全国的には立民は比例で6239 共産は119とそれぞれ23議席、2議席失った。逆に躍進したのは維新で、比例では825、小選挙区も入れて1141と大躍進した。自民や立民への批判票を取りこんだと見られ、特に無党派層の19%は維新に投票したとの分析もある(立民24%、自民21%、『読売』新聞)。

 

また、連合票が自民と維新に流れたという説もある。維新は今回「改革々々」と喚き散らし、斬新さや“革新性”を前面に出した選挙戦を展開したが、肝心の「改革」の中身には極力触れない戦術をとっていた。彼らの「改革」とは「身を切る改革」つまり「行革」のことであり、行政職員や教員、公立病院・保健所、等々への締め付け・切り捨て政策、ゴリゴリの新自由主義的政策であるが(それが今回のコロナ禍で大阪が最もひどい医療崩壊をひき起こしたのだ)、そうしたことには一切触れないで有権者を騙したのだ。

 

かくして、岸田の自公政権はとりあえず絶対安定多数獲得の勝利を収めたのだが、しかし、この政権への幻想はたちまち剥がれ落ちる運命にある。金融所得への課税強化については既に述べたが、看護師や介護士、保育士、等々の給料引き上げについてもそのための財源がどこかに転がっているわけではなく経済が「成長してから」考えるなどとこちらも既に後退し、一般企業の賃金引き上げについても引き上げた企業への減税で実現するというのだが、引き上げ分全額を控除するというならまだしもそんなことはできないのだから掛け声倒れに終わるしかないだろう。

 

結局、経済政策として残るのは月並みの「技術立国」だとかサプライチェーンの強化、等々でしかなく、安倍や高市ら反動派の傀儡として防衛力の強化等々を推し進めるしかなす術はないのだ。菅や安倍と同じく、遠からずして国民の怨嗟の声に包まれる運命にある。我々は岸田内閣のこの「口先だけの」「幻想創出」路線を徹底的に暴露して闘っていかなければならない。

 

また、立民では枝野や福山が辞任を表明し、今後右傾化を強めるのかそれとも別の道を探るのか行方を注視していかなければならない。共産党の志位は共闘路線に誤りはなかったと居直っているが、内部の動揺は避けられないだろうし実質的な“社民化”はいっそう進むのではないか。いずれにしても日本の“左翼”は連合等の労組の現状も含めて危機的な状況に差し掛かっているように感じられる。それだけに、今ほど我々の闘いの必要性が大きくなっている時はない。我々は志を新たにいっそう奮闘していかなければならない。

(長野・YS