(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

イスラエルにおいては、民主主義をめぐる議論は建国以来繰り返し論争の焦点であった。「イスラエル独立宣言」(1948年)では、この国が、「宗教、人種、性にかかわりなく、すべての住民に社会的・政治的権利の完全平等を保障する」と言うように「イスラエルは民主主義国家である」と宣言した。

 

しかし、1992年に制定された「人間の尊厳と自由―基本法」――イスラエルには「成文憲法」というものは存在せず、「基本法」が憲法に相当している――の法文は「この法律が保障する諸権利は適当な目的のため、または必要を越えない限度で制定されるユダヤ人国家の諸価値に適合する法律、およびこのような法律の下において発効した規定による例外を除いて、侵害されてはならない」(同法第8条)ことを定めており、意図的にイスラエル国内のパレスチナ人マイノリティを排除する内容であった。

 

まさに、ユダヤ人国家イスラエルの「ユダヤ人」の特権的地位を前提にしているものであったが、さらのその上リクードのネタニヤフが首相時の20187月、イスラエル国会(クネセト)は「基本法―ユダヤ人国家法」を7票の僅差で可決成立させた。「イスラエル国家はユダヤ人の民族国家であって、その主権領域内における民族自決権はユダヤ人によってのみ専権的に行使される」旨を内外に表明したのである。

 

この結果、従来はヘブライ語と並んで公用語とされていたアラビア語はその地位を失いヘブライ語のみが国家公用語と規定され、パレスチナ自治政府の行政地区のヨルダン川西岸におけるユダヤ人入植地の建設・発展・拡大については民族理念の具現化としてイスラエル政府が「推奨して促進する国家的価値」と明記され積極的に推進されることが法規範に明記されるなど、イスラエルはその「ユダヤ性」を著しく強調することとなったのである。それはイスラエル独立宣言の理念(「イスラエルは民主主義国家である」)と全くかけ離れたかつての南アフリカと同様の「アパルトヘイト国家」へと変質していったことを露骨に示している。

 

1993年のイスラエル首相のラビンとPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長による「オスロ合意」が’95年のユダヤ人過激派の青年によるラビン暗殺によって頓挫破産して以来、政権を握ったリクードの歴代政権はパレスチナ人によるテロ攻撃をフェイクを交えて誇大に強調アジりガザやヨルダン川西岸の入植地に数十キロにわたる高さ8メートルの分離壁――その壁面には覆面画家のバンクシーなど多く画家の描いたイスラエルのやり方を批判する壁画が描かれている――を建設して、ユダヤ人国家イスラエルの生存権と自衛権を声高に喧伝することによって、連立政権に向けられた国民の政治的な批判――107日の直前までネタニヤフは汚職容疑で窮地にあり、さらに司法制度改悪などの批判で連日のデモなどによって政権維持が困難な状況にあった連立内閣が、ハマスの越境攻撃に対して1948年来の「第2次独立戦争だ」と扇動することによって1011日挙国一致の戦時「救国」内閣が改めて組織できたということで辛うじて延命できた――やイスラエル国内に蓄積していく経済的な社会的矛盾からする不平・不満を逸らしてきたのである。

 

現在イスラエル国内のユダヤ人には、西欧出身・東欧出身・ロシア出身(1991年のソ連邦崩壊後には数百万のユダヤ人が入国した)の白人、西北アフリカ出身のアラブ人、アフリカ(特にエチオピア)出身の黒人などがいて、そのそれぞれに経済格差や分断が著しく階層・階級分化も急速に進んでいると言われている。定数120名の国会(クネセト)に議席を持っている政党は10ほどで、建国以来どの政党も過半数を取ることができず、ひとつの政党ではなく常に複数の政党による連立政権でしか行政府が組織できなかったことがその証左である。

 

こうした状況のなかでイスラエル国内において労働者階級がさらに成長してきて彼らのなかから自らの利益を最終的に擁護する労働者政党が形成され、現在のイスラエルの政治体制を根底から変革すること、そしてそれによってその後、パレスチナに住んでいるアラブ人が希求する民族自決の自立した国民国家――現在のパレスチナ自治政府にしてもガザ地区住民にしても、大量の国際的な資金・食料援助なしには存在も生活維持もできない寄生的な状態に置かれている――を創っていくことが重要であると僕は思う。

 

現在の歴史的段階において、イスラエルに求められているのは、真にマルクス・レーニン主義に基づく「労働の解放をめざす」労働者政党の結成と一時であれユダヤ人、パレスチナ人や他のキリスト教徒の人々の共存・共生とより一層の交わりと融合を唱える民主主義的な勢力との共闘によるパレスチナ人の民族自決権を決して認めようとしない現在の“歯まで武装している”入植型植民地国家イスラエルの変革と、一方ではパレスチナ人の民族自決による統一された国民経済による国民国家(Nation State)の形成、そして、その両者による“川から海までの”パレスチナにおける一国家連邦制あるいは二国家併存しかあるまい。勿論、イスラエルの現在の政治体制の変革が先んじて行われなければならないことは言うまでもない。今のところ僕は、パレスチナ・イスラエル問題の根本的な解決はこれ以外にはないだろうと思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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