労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

労働者の闘いから、我々の闘いから

的場氏の「プルードン擁護」に反対する

神奈川でマルクス主義の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」の発行している「労働者くらぶ」第26号から、的場昭弘氏に対する批判を紹介します。(一部書き直しています)

 

的場氏の「プルードン擁護」に反対する

 

★『哲学の貧困』はなぜ難しいか

 

『哲学の貧困』の学習会もようやく2回目に入ろうとしています。参加者の皆さんは、私同様、難解な本書の理解にご苦労していることと思いますが、その原因には、本書がマルクスの思想形成の途上に書かれた著作であることもありますが、また私たちが、プルードンの主張をマルクスの要約を通して理解せねばならず、その要約もマルクス独特の皮肉を含んだもので、なかなか理解できないからです。要するに、プルードンの主張とマルクスの批判がともにすっきりと把握できないからです。そこで私がお勧めしたいのは、どの文庫本の翻訳にも付録としてついている「マルクスからアンネンコフへの手紙」(1846年12月28日)です。この手紙は、マルクスがプルードンの『貧困の哲学』をわずか二日間で読んで、直ちにロシア人の友人にその感想を送ったものですが、マルクスは、この手紙でプルードンの小ブルジョア的、空想的な思想を完膚なきまでに批判しており、これを読めば『哲学の貧困』を読む必要がない、とまで感じるほどです。

 

ところで、「労働者くらぶ」24号で、Aさんが神奈川大学の的場さんの「プルードン擁護」を紹介してくれています。的場さんはマルクスの翻訳や紹介で有名ですが、その分、氏の影響も少なくないと思います。氏のプルードン擁護を批判する必要があると考えました。

 

★経済こそ人間社会を解明するカギである

 

Aさんの的場論文の要約を読みますと、的場さんはマルクスの唯物史観や経済理論を評価しながらも、「マルクスは、経済学の延長線上で、プルードンの論理の矛盾を指摘し、(プルードンの)経済学への無理解がプルードンによる貧困の経済的解決を不可能にしていると(マルクスは)批判する。マルクスのその点の指摘は、けっしてまちがっているわけではない。むしろマルクスは、きわめてシャープであり、論理の一貫性もある。そしてそれは『資本論』にまでつながっている側面を持っている」と、論じています。しかし、的場さんの論じ方(評価の仕方)では、経済学が他の学問と同列になり、人間や社会にとって経済がもつ本質的な重要性が見失われてしまいます。

 

的場さんは、マルクスが「経済学の延長線上」でプルードンを批判するのは、「けっしてまちがっていない」と述べています。わたくしは、的場さんが、マルクス研究者として唯物史観つまり人間にとって経済のもつ意義を十分に理解していると思いましたが、マルクスが間違っていないというのなら、プルードンの方が間違っていることにならないでしょうか。的場さんは、「プルードンは、価値や、競争、分業といった経済的カテゴリーは、歴史的に廃棄されるものではなく、ただ調節されるものである」と主張した、と述べています。しかしこれこそ、マルクスがプルードンを批判する、その小ブル性、非歴史性ではないでしょうか。マルクスは、商品経済の基礎である価値、競争、分業といった概念が、永遠のものではなく歴史的なものであること、そんなものが長く存在しなかった時代があったこと等を述べて、プルードンを批判しているのです。

 

★「人間の意志」は社会の生産関係から独立したものではない

 

さらに的場さんは、「プルードンが見つけた新たな視点」として「資本主義の矛盾が生産力の発展と生産関係の矛盾によってたとえ起こるとしても、それを乗り越えるために、人間の意志と社会に対する組織化の問題を解決できない限り、新しい社会の展望はないという視点」を挙げています。「資本主義の矛盾」(その必然性を「たとえ」などと言ってごまかしていますが)を「人間の意志と社会の組織化によって乗り越える」と言っています。しかし、これこそマルクスがあまたの空想的社会主義者たちを批判してきた点です。人間の意志はその人間が属する社会、その生産関係から独立したものではありません。その社会の矛盾の中から矛盾を解決する人間の意志も方便も成長してくるのです。「社会の組織化」も同様です。社会の組織化も、自由にその社会を組織できるのではなく、その社会の矛盾の中から新しい社会の組織化の方向や手段も成長してくるのです。

 

的場さんは「マルクスとプルードンのこのすれ違いのなかに、新たなる未来社会の可能性があるように思える。」と言っていますが、これは、すれ違い(すれ違いではなく対立です)と言ったものではなく、マルクスとプルードンのどっちも否定したくない、評価したいという的場さんの折衷主義的立場が表れています。そんな折衷主義は、この両者の論争では通用しません。マルクスが正しいか、プルードンが正しいか、どちらかです。的場さんともあろうものが、「人間の意志」を「新しい視点」などと評価するのは驚きです。彼は唯物史観を本当に理解しているのでしょうか。

 

★プルードンの小ブル性―人間主義、その他

 

以前、私はプルードンを読まないでプルードンを批判するのはよくないということで、彼の思想をよく表しているという『19 世紀における革命思想の一般的理念』(「世界の名著」53)を読んでみましたが、その中でプルードンは革命と反動について次のように述べています。

 

「反動の本能がすべての社会制度にとって固有のものであるように、革命の必要もまた同様に不可抗的である。これら二つの事態、つまり反動と革命は、両者間の対立関係にもかかわらず、人類にとって必要不可欠であること、したがって、社会を左右から脅威する暗礁を回避するための唯一の手段は、…反動を革命と永久に妥協せしむることである。」(p82)

 

 見られるように、プルードンの立場は、革命と反動との妥協主義、協調主義です。また同書の中でプルードンは、「私は、人間の意図の善良性を常に信じていることを誇りにしている。この善良性がなければ、政治家の無罪はどうゆうことになるだろうか?」(p95)などと述べています。ここにはプルードンの人間観―性善説や小ブル的な人間主義が表れています。またプルードンは、所有(財産)権に対する攻撃で有名ですが、その財産に対する攻撃(「所有とはなにか」「それは窃盗である」)自体が、私的な所有権に対する全面否定ではなく、大きな所有、巨額な財産に対する攻撃であって、小さな所有、生産手段の小所有はむしろ人間にとって不可欠であり、自立した人間にとって必要であるとして擁護し、むしろ社会改革の目標としているのです。

 

★マルクスとプルードンの決裂は必然

 

このような小ブル的思想家のプルードンとマルクスが決裂するのは、当然すぎるほど当然と言わねばなりません。プルードンは、ヘーゲルや経済学者たち(アダム・スミスをはじめとする古典派経済学者)を批判し、あたかも自分を彼らに比肩する思想家を気取っていますが、ヘーゲルのような壮大な観念弁証法の体系も作れず、またブルジョア社会の経済を徹底的に解剖することもできなかったプルードンのやったことと言えば、両者の成果の切れ切れをとってきて、折衷的、空想的な体系(?)を作ったにすぎません。

 

また的場氏は、プルードンは、「当時は明確に存在していなかった社会学という分野を切りひらきつつあったのに対し、マルクスは、従来の経済学という土俵の上から批判していた。」として、社会学を経済学の上におき、プルードンを社会学の先駆者として、マルクスより優れていたと評価するのです。しかし社会学は、社会現象を深く掘り下げもせず、その表面を“這いずり回る”だけのブルジョア的学問であり、マルクスの経済学に代わるような学問ではありません。このような学問を評価するところに的場氏のブルジョア性が表れています。

 

★唯物史観に立ち、労働者の階級闘争を発展させよう

 

最後に、Aさんも指摘していましたが、的場氏は、大方の学者やマスコミ同様、旧ソ連邦などを社会主義国家と規定していること、また最近はやりの“アソシアシオン”論などについても言及していますが、ここでは省略します。

 

マルクスは、プルードンの様々な側面を徹底的に批判し、プルードンが、資本主義的生産様式をそのままにして、彼の平等社会を実現しようという空想的試みを嘲笑しています。しかし現代の資本主義社会には、さまざまに形を変えて第二、第三のプルードンが次々と登場し、また的場氏のようにその擁護を買ってでるインテリも少なくありません。彼らに共通するのは、資本主義を廃絶することではなく、資本主義の様々な改良を提案していることです。唯物史観を基礎に剰余価値説を中心にしたマルクスの経済理論を武器に、労働者の階級闘争を発展させていくこと、これこそ労働者派、社会主義派の使命ではないでしょうか。(K)

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

 ― 3月の予定—

◆「資本論」第1巻学習会

3 月8日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 703 号室

・相対的剰余価値の生産

― 第13 章「機械設備と大工業」(続き)

 

◆「哲学の貧困」学習会

3 15 日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 703 号室

・第2章「経済学の形而上学」2節以下全部(付録含む)

 

◆「経済学批判」学習会

3 22日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 701 号室

・「経済学批判序説」

 

◆「資本論」第3巻学習会

3 22 日(水)18 10 分~20 30

・県民センター 704 号室

・第 7 篇「諸収入とその源泉」50 章から終わりまで(エンゲルスの補足含む)

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

 

生涯革命家であった林紘義氏を偲ぶ――獄中日記を紹介

神奈川で『資本論』の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」発行の『労働者くらぶ第25号』から、労働者党元代表の林同志について書かれた記事を紹介します。

 

マルクス主義者であり生涯革命家であった林紘義氏を偲ぶ

――林紘義著『哀惜の樺美智子』の中の獄中日記を紹介

 

2017年の衆院選で圷事務所であった横須賀の実家を片付けていたら、本でぎっしり詰まった引き出しから、60年安保闘争でなくなった樺美智子さんの遺稿集『人しれず微笑まん』(三一新書)と林紘義著『哀惜の樺美智子』(三一書房)がでてきた。しばらくその2冊のページを懐かしくめくってみた。

 

林著の『哀惜の樺美智子』には副題として「60年安保闘争獄中日記」とあるように、195912月初めに逮捕され翌年7月まで獄中でまさに本の虫になってレーニン全集やドストエフスキー文学など計画的に読了していき、独房での生活は彼を確固たる革命家に鍛え上げていったと言えるだろう。

 

獄中日記のページをパラパラとめくっていたら、ふと目にとまったところがあった。そこを紹介してみたい。

 

「規則正しく、熱心に読書。決してこの期間をムダにしてはいけない!」そして、前年の秋、地下鉄での友人Tとの会話を思い出す。友人Tは「林、資本主義社会の矛盾の根本は何だと思う?」「生産と所有の機械的分離だろう?」「そうかなぁ?」「じゃあ、何だ?」「労働者の商品化さ。人間が商品化されるということさ」そこで二人はなかなか譲りあわずにはりあった。

 

またしばらくして――2、3週間のちか――会ったとき、「林、まだあの意見に固執するのか?」「するね」とぼくは答えた。「考えてもみろ、社会主義革命が起こって、では社会主義的生産を組織する、ということになった場合、「労働者を商品化しないように…」というのは正しい。

 

しかし労働者の商品化というのは、流通過程におけることで歴史的な生産過程および社会関係の解明とはなっていない。それは違う次元の問題だと思う。それはむしろ結果であって原因ではない。だから、ぼくは賛成できなかった。うれしいことに、マルクスも次のように言っている!

 

 「資本主義的生産は、生産的労働者が彼自身の労働力を自分の商品として資本家に売り、この労働力が次いでその資本家の手で単に彼の生産資本の一要素として機能するということに基づく。流通に属するこの取引――労働力の売買――は生産過程を導入するばかりでなく、生産過程の独自的性格を含蓄的に規定する」(『資本論』第2巻 青木書店版502頁)

 

 そして続けて、マルクスは明言する。「一つの流通行為をなす導入的行為、すなわち労働力の売買は、それ自身また社会的生産物の分配に先行し、その前提をなす生産諸要素の分配――すなわち、労働者の商品化としての労働力と、非労働者の所有としての生産手段との分離――に基づく」

 

 そしてこの議論について林氏は、自ら振り返って、注を書いている。

 

資本主義の矛盾の根本――このような議論にたいした意義があるとも思えないが、宇野理論(もしくは新左翼一般)の俗流ヒューマニズムへの批判の萌芽みたいなものがある。資本主義の矛盾の根源を「労働力の商品化」に求めるのはそこに直接に「人間疎外」「非人間化」――“もの”でないものの“物化”!?――を見るからで、そこには社会的矛盾を、社会体制の問題としてよりも、まず人間個々人の疎外の問題に引き付けて理解しようとするプチブル的傾向があった。それに対して、ここには漠然とではあっても、生産手段の私有の(つまり私的所有に基礎をおく社会の)止揚が根本であって、この課題を“ヒューマニズム”的解釈でゆがめることへの“即自的”反発みたいなのがあったのだ。こうした似非ヒューマニズムは、黒田哲学においても、宇野経済学においてもはっきりと見てとれたのである。

 

 ここにおいても、林氏のマルクスの思想理論をゆがめることなく、労働者の目指す視点が間違いなくとらえられていたことが友人Tとの議論からも読み取れる。

 

林氏が逝去されて、早や3年がたとうとしている。かつて林氏に90過ぎまでは活躍してほしいというようなことを言ったことがあるが、それは叶わなかった。残念である。だが残った我々でマルクスの理論を労働者の理論を的確に現代に反映していくし、していかなければならないと思うのである。(A)

 

〔「横浜労働者くらぶ」2月の予定〕
横浜学習会予定202302

   連絡先 080-4406-1941(菊池)
  Mail:Kikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

上野千鶴子のセックスワーク論にとらわれた人生相談

上野千鶴子のセックスワーク論にとらわれた人生相談

 

朝日新聞などの「リベラル派」の腐敗、頽廃、堕落も顕わにーーAV、「風俗」にみる

 

朝日新聞、土曜日に別刷「Be」がある。ここに「悩みのるつぼ」なる人生相談のコーナがある。朝日、10月1日、ここで「フェミニスト」、「女性学の泰斗」(朝日、10月3日、夕刊での言葉)の上野千鶴子が、相談者の夫が女子大生もいる「風俗」に通うことの妻の悩みに回答している。上野は「世の中」にはAVなどの「ヌクためのおかず」があふれていると言ったうえで相談に乗っている。果たして上野は「風俗」やAVについて正しく評価しているであろうか。

 

暴力拷問AVを「表現の自由」として是認してきた上野千鶴子

――AV新法をめぐって

 

AV(アダルトビデオ)は女性を蔑視的に、物扱いにし、性的対象としてのみ取り扱い、差別的、被虐的に扱っているものが多い。まさしく性暴力の世界である。そこには女性の人格の尊重などはない。実際に行えば犯罪かセクハラである。

 

上野が指摘しているAVなどのポルノ、エロコンテンツの社会への蔓延は、ネットの普及とあいまって、女性の性的安全性を脅かし、性的不平等の深刻化、女性の社会的地位の低下をもたらしている。AVによるポルノ被害は、ますます低年齢化、深刻化し、現在インターネットによって「性暴力の商品化」が世界規模の産業となり被害がとどまることなく拡散している。

 

2022年6月15日に国会で可決されたAV新法についてウルトラ右派反動派の月刊誌「Will」安倍国葬特集号11月号に月島さくらが「女性の権利を侵害するAV新法」と題して書いている。

 

このAV法案に対してはColabo代表の仁藤夢乃氏は、この法案はAV購買者、AV業界に有利で「契約に基づいて性交を金銭取引の対象とすることを合法化し、性売買を合法化する」として反対してきた。この法案は「日本で初めて金銭取引による性交を合法化する」法律になるとして仁藤氏は批判している。

 

月島は「Will」の中での文で、「ぱっぷす」などのAV出演被害者支援団体への憎しみ、敵対心を隠していない。月島は、AVは「成人した女性が自らの意思で活動している」。AV業界の規制が強まれば、「経済的困窮している女性たちは地下売春に逃げたりする」、「AV女優は若い子も多く、政治に疎い女優も多い」、このままでは「世界に誇る日本のAV業界は」、外国に乗っ取られる。こう語り、「保守的な自民党」に支援を求めている。

 

この月島の「自らの意思」などの言葉は、上野が語ってきた「セックスというお仕事」が「選択の結果」だとする言葉と瓜二つである。月島にあってはAVには女性の「経済的困窮」、世情に疎い「若い子」は前提されている。

 

仁藤夢乃氏はAV業者が女性に「自由意志」だと言わせるのは容易だと語っている。仁藤氏の最近の編著『当たり前の日常を手にいれるためにー性搾取社会を生きる私たちの闘い』(影書房)で言う。

 

「『自由意思に基づいている』と業者が主張するのは簡単だからです。アイドルや役者や配信者になってみたいという女性の夢を利用して、AV撮影へと誘導する」。

 

月島が言うように背景に女性の「経済的困窮」も潜んでいる。月島、上野が語る「自由意思」とは現実にはこのようなものである。

 

朝日新聞は、週刊誌「AERA」、月刊誌「論座」を含めて、昔から、「風俗」、暴力ポルノを含むAVなどに対しても、きわめて寛容で、「セックスワーク論」に囚われてきた。上野を含むフェミニストは1990年代の暴力拷問レイプポルノAVの被害女性に対してきわめて冷淡であった。

 

この暴力拷問ポルノに対して、「フェミニストの反応も冷ややかで、上野千鶴子氏は『私は日本のフェミニズムに珍しい表現の自由派』として『女犯』をはじめAVに関しては表現の自由の問題として距離を置」いてきた。上野はこの暴力拷問AVを是認してきたのである(「ぱっぷす」編『ポルノ被害の声を聞く』岩波書店刊による)。

 

この本の中で、上野は2017年のAV強要問題では、AV出演者の人権を守ることを称してAV業界を守るための団体を設立したとして告発されている。

 

女性を性的搾取の「風俗」「売春」へ誘う朝日

 

性的搾取業者を擁護し、「風俗」、「売春」を「セックスワーク」「セックスワーカー」と美化して女性を勧誘する朝日新聞は、10月7日、全一面、紙面を使っての「耕論」欄で、「『不健全』の理屈」と題して、裁判で性風俗事業者がコロナ対策の持続化給付金の支給対象外とされたことへ三人の論者を使って批判、反論している。

 

朝日新聞は7月1日に、この裁判の訴訟の報道でこの判決に批判的で、性風俗業者、「セックスワーカー」を擁護し「判決で差別が広がる」との記事を掲載していた。朝日は「耕論」欄の前文で言う。「コロナ対策の給付金をめぐる裁判で、国は性風俗業について『本質的に不健全』と主張した。健全か不健全かは、公が決めることなのか。なぜ社会に『不健全』は存在するのか」。

 

だが、そもそもこの訴訟を起こしたのは当該女性ではなく、昔は「ポン引き」「女衒」と呼ばれたピンプ、性的搾取業者であり、今回の訴訟はデリバリーヘルス、派遣型風俗店の運営会社がおこしている。「風俗」においては女性は性的なモノ、性的な商品として取り扱われている。

 

三人の論者とも「性」が「カネ」でやりとりされることへの批判は一切ない。むしろ擁護してる。この記事の中で「ジェンダー史研究者」という田中亜衣子は、「性風俗を合法としつつ、職業として尊重する事もなく『不健全』と烙印を押す国の姿勢」を批判している。田中には、「国」がデリバリーヘルスなど「売春」「性風俗」を半ば合法化していることへの批判、問題意識すら全くない。

 

性を買うのはカネを持っている男性である。三人の論者は「反差別」「人権論」「反国家主義」「反権力」の体裁をとって、「左翼的」なレトリックを使って「学問的」に昇華し、何か高尚な言葉でもっともらしく、なにか正しいことを語っているかのようであるが、「売春」や「風俗」の肥大化、横行などの資本主義の頽廃現象を擁護し、人身売買、人身取引ともいえる人権侵害の性売買を容認しており、その語っている内容は反動的である。

 

この朝日新聞の紙面、全一面を使っての記事は、今の社会でますます進む「性」の「商品化」を賛美しており、「風俗」は「不健全」ではない、つまり「健全」だとして、他の職業と同じく「職業として尊重」(田中亜衣子)という、普通の「健全」な職業として女性の「風俗」への勧誘、勧めでもあり「風俗」の参入を促すものにさえなっている。

 

事実、近年、加速する女性の貧困なども背景に「一般女性」、「普通の女の子」が「風俗」市場へ参入することが増えており、「性」の価格は値崩れして「売春」しても、上野が言ってきた「選択の結果」として「セックスワーク」「性労働」を自由意思でしても、多くの収入は得られなくなっている。

 

そして女性が「風俗」、「性産業」に入っても、上野が言うとおり女性が「自由な意思」で「売春」、「風俗」を選択したとしても、本当の意味で貧困から抜け出せることはほとんどないという現実、事実がある(森田成也『マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論―搾取と暴力に抗うために』慶応義塾大学出版会刊参照)

 

「売春」を「性労働」、「風俗」、AVを「セックスワーク」とする上野千鶴子――AVポルノ産業、「風俗」性的搾取業者の理論的代弁者としてのフェミニスト

 

上野は「セックスワーク論」を唱え、ポルノ産業、AV業者の理論的代弁者でもあったが、「ジェンダー史研究者」という田中亜衣子も上野と同じく、「風俗」、「売春」の性的搾取業者の理論的代弁者としてあらわれている。女性を性産業に導く最大の理由は貧困である。現在の「風俗」の横行も資本主義の矛盾、頽廃と深く結びついているのである。

 

Colabo代表の仁藤夢乃氏は。「性売買が女性に対する暴力で性搾取である」、「性売買に行き着く女性たちの背景には、生活に困ったり、生きづらさを感じたりするときに、頼れる場所が社会にないことがあります」と言う(『当たり前の日常を手に入れるために』)

 

また、仁藤氏のツイッターの中で性売買の経験当事者の声が紹介されている。「安全に働けるようにすることが、暴力をなくす道だというフェミニストも多くいますが、現実を全くわかっていません」、「起こっているのは暴力です」。「性売買」の現場、現実は上野が夢想するような生やさしいものではない。

 

だが、上野は「性労働を労働として認めなければならない」、「性労働者はマッサージ師とかわらない一専門職」といい、「売春」を「セックスワーク」と語り、擁護してきた。また、上野は「セックスワークは女性にとっての経済行為です」とも語ってきた。そもそも、上野は「売春」を「性労動」というが、「売春」が経営者に利潤をもたらすとは言え、本源的な「生産的労働」でないことはあまりに明らかである。

 

朝日新聞、上野もそうだが、近年、女性のシングルマザーなどのますます加速する貧困の拡大、学費の高騰、家庭が仕送り余力を無くしたことなどによる収入減の女子大生、こうしたシングルマザー、女子大生などを食い物にして、その性的搾取によって肥大化した「風俗」など対しては批判的な言説はほとんどなく、「セックスワーク」、「セックスワーカー」として擁護、美化すらしてきた。

 

性的搾取の被害にあう若い女性、少女の多くは虐待、貧困などで、家など、どこにも居場所がない。「性」を売らされた若い女性、少女に問題があるのではなく、若い女性、少女を孤立に追いやる社会、そして買春者、性的搾取業者、買う側の存在と性暴力にこそ問題がある。(『当たり前の日常を手に入れるために』参照)

 

AV被害者、性売買の当事者が「被害の声をあげれば『表現の自由だ』『職業差別だ』『女性の自由意志だ』『自己決定だ』『男の文化だ』などと個を離れた大きな言葉で口を塞がれてきた。」(『ポルノ被害を聞く』)。これは、性的搾取業者、そして、「リベラル派」、フェミニストも語ってきた言葉でもある。これらの言葉を発するのは当事者の女性ではなく、多くは性的搾取業者である。

 

上野らのフェミニスト、朝日新聞などの「リベラル派」は業者、買春者の方が問題であるのに、女性のみを問題にして「セックスワーク」とかして語り、「風俗」の経営者、性的搾取業者、そして買春者の方の問題が語られることはほとんどなく、「風俗」などの性的搾取業者を擁護、美化しこそすれ、買春者を問題ともせず、咎めることは全くない。

 

「風俗」や「売春」はカネを持っている男性によるカネの権力、カネの力による女性の性支配であり、性暴力である。ここには対等な関係などはない。これを上野、田中などのフェミニストは、「性労働」、「セックスワーク」、「健全」だとか言って擁護し、美化さえしている。そして、朝日新聞などの「リベラル派」もこれに追随、同調、賛意すら表しているのである。現在の「風俗」蔓延の一端の責任は彼女、彼らにもある。

 

朝日新聞、上野らは、今、世界での運動、「性売買」において、女性を処罰せず、非犯罪化して支援の対象とし、他方で性購買者や業者を処罰し取締まる、「北欧モデル」と呼ばれる大きな流れがあることをほとんど伝えていない。(スウェーデン、ノルウェー、アイスランド、カナダ、北アイルランド、フランス、アイルランド共和国など)

 

安倍の国葬には、大阪の売春地の「飛田新地」、業者の「飛田新地料理組合」が、国葬の27日に休業し、「安倍晋三元首相追悼記帳所」を設けている。女子大生も多くいる昔のオランダの「飾り窓」のような「飛田新地」。ここでは性的搾取業者による安倍への謝意が示されていた。

 

慰安婦問題を「虚構」とする月刊誌「Will」などのウルトラ右派反動派はAVに親近感を持ち、「飛田新地」の業者にとっても若い女性の性的搾取を放置してきた安倍は、悼み称えられる存在であったのである。

 

性の問題を商業化し、卑俗に低俗に扱う

――資本主義の頽廃を示す「風俗」、AVの横行

 

元労働者党代表の亡き林紘義さんはその著「レーニンの言葉」の中で書いている(「栗木伸一」筆名、1969年)。「このブルジョア社会が,『性の解放』という名のもとに、性の問題を一面的に誇張してとりあげていること、性の問題を本当に健全な水準でとりあげるのではなくて、それをますます神秘化して、もったいぶってこそこそと論じていること、そして、もっと悪いことには、性の問題を商業化し、卑俗に低俗に扱うことによって、特に青少年の健全な精神をゆがめ、むしばみ、異常な、かたよったものにつくりかえていることーーこれらのことは、すべて、われわれが日々見ていることである。レーニンは、このようなゆがめられた形での性の一面的誇張が、ブルジョワジーの支配と不可分に結びついていること、ブルジョア社会の利益となっていることを認めていた。」

 

性の問題の商業化、卑俗化・低俗化は現在「風俗」やAVなどとしてあらわれている。これはブルジョア支配、資本主義の矛盾と深く結びついている。そして、これらを持ち上げる、朝日新聞、上野などに(ブルジョア右派反動派も含まれる)このブルジョア社会は事欠かないのである。

 

朝日新聞などの「リベラル派」、上野千鶴子ら「フェミニスト」のますます深まる頽廃、腐敗、堕落はまた再び明らかになっている。(M)

 

*上野千鶴子へのより詳しい批判はこの労働者党プログ2022年5月21日の「上野千鶴子著『これからの時代を生きるあなたへ』」を参照してください。ネットで「これからの時代を生きるあなたへ セックスワーク論 上野千鶴子」で検索すればでてきます。

“保育の社会化”の完全破綻 ―― 通園女児置き去り死事件

神奈川県で『資本論』の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」が発行した「労働者くらぶ第21号」(2022921日発行)から、紹介します。

 

保育の社会化の完全破綻

    ―― 通園女児置き去り死事件

 

 静岡県牧之原市で、保育施設(「認定子ども園」)3歳の通園女児が送迎バス車中に置き去りにされ死亡する事件があった。施設側の釈明では素人じみた杜撰な安全管理が露呈した。

 

  事件は波紋を呼んで、一週間しても慰霊の献花台を訪れる人々が絶えない。同じ通園児を持つ親たちが怒りと悲しみに暮れて慰霊に訪れる。献花台の前には飲料のペットボトルの山ができている。遺児を悼む全国の親たちのやるせない想いが伝わる。

 

保育の営利市場化を拡大推進したアベノミクス

 

  元自民党衆院議員の金子恵美という人が、情報番組でコメントしている。金子元議員は安倍内閣の高官、総務大臣政務官だった。日本会議議連・神道政治連盟議連・靖国参拝議連に所属していた。

 

『金子氏は「まず、お父様がその時の様子をお話しされているのを聞いて、3歳児が本能的に暑くて苦しくて取った行動かと思うと本当に涙が出てきますよね」と声を震わせ、会見については「運転を普段していないとはいえ、この期に及んで不慣れだったっていう言葉が出て。園長というのは、ヒューマンエラーが起こりにくい仕組みだとかマニュアルだとかを整備して、それを職員に対して徹底して教育する立場の人が、それを任せていたとか。むしろ率先して子供をみて、子供に配慮してもらわなければいけない立場の人がこうした意識だったってことが判明して、まさにこの園の体質、経営者のスタンスがそのまま現れた」と怒りをにじませながら話した。

 

 そして「今、保育の現場、保育事業は、保育の受け皿としてこうした認定こども園とか多様な保育施設を受け皿としてつくって、先般、過去最少に待機児童がなったと、保育の量は増えてきてるけど同時に質を見ていかないといけないという議論が今されている中で、保育内容の質はもちろんなんですけど、子供が質の高い保育を受けられる前提にあるのは安全な保育環境だということを多くの保育士さんは考えていらっしゃる」としつつ、「今回はレアな例だとは言っても、今一度すべての保育者の方々にそのことを再認識していただきたいなと、親の一人として思います」と自身の思いを話した』(スポニチ・アネックス、9/7)


保育所数厚生省                                                                   

  「今、保育の現場、保育事業は、保育の受け皿としてこうした認定こども園とか多様な保育施設を受け皿としてつくって、先般、過去最少に待機児童がなった」と金子は言う。だが、介護子育ての社会化を名目に民間介護保育事業を成長産業分野とし、介護保育の営利市場化を拡大・推進してきたのは、金子も政府高官として加担したアベノミクスである。観光も同じだが、市場開放により、投機的な営利市場主義の胡散臭い業者や起業家たちも、介護保育市場にどっと参入している。その歪みが、今回のような事件に顕れているのだ。

 

  保育の質や安全を軽視するような「園の質、経営者のスタンス」が疑われる事例も発生したとは、それがそもそも営利市場に保育事業の受け皿を国家規模で丸投げすることの、赤裸々な結果と実態だ。保育を市場原理の盲目の手に委ねておきながら、何を今さら「怒り」だ!

 

  このブルジョワ市民社会は、自分たちの家族・血・地域コミュニティの担い切れなくなった介護保育を、偏に民間介護事業者や介護保育労働者の労苦に丸投げして恥じない。「親の一人として」、保育事業従事者に対し、質と安全を高めろ、意識を持てなんぞと金子はクレームしているが、保育従事者は召し使いではない。

 

◆ 保育を金儲けの対象にしていいのか!

 

 タイでも同様の通園通学バス置き去り事件が多発しているそうだ。中部チョンブリ県で7歳女児が亡くなる事件が先月あったばかりだ。2014年以降120件、6人が亡くなっているという。

 

  メディアが現地市民たちの対処法の様子を伝えていた。それは通園児自らが、自己防衛の手立てを大人から躾られるということだった。置き去りになりバスに閉じ込められた場合の救援の求め方などを、実地訓練や児童向けの絵本で啓発している。

 

  高みから、保育者よ、意識を持てと他人にクレームするだけの、どこかの国の誰かさんとは大違いではある。それ以前に、自分の子供に自分を守る手だてを自助と躾によって身につけさせるのが、タイ流である。

 

  スクールバス大国の米国や韓国でも対策が取られているが、どちらかというと検知器や警報器頼みのようである。タイではそんなハイテク・インフラにあまりコストをかけられないのか、逆に児童と親の側の手弁当の自衛策に着目したようである。子供や親の自助が注目されるのは、大家族社会のタイでは、日本ほど徹底的に血縁共同体や地域コミュニティが解体され尽くしていないからだろう。

 

日本の市民社会は大きな勘違いをしている。営利目的の保育業界資本(ほとんどが中小零細である)と、私的な経済的利得を直接の動機とした、賃仕事としての保育労働が、保育の安全の質を完全に保てるなどという観念は、ふやけたお花畑の幻想である。

 

  保育従事者の意識を変える前に、保育労働者の労苦に一切を甘える市民社会の意識を変える方が先だろう。

 

【追記①】9/13

保育労働者への責任擦り付けを許さない!

 

  TBS系情報番組「ひるおび」に出演した芸人の立川志らくというのが、保育従事者へのストレスと憎悪をぶちまけている。

 

「幼稚園の先生は忙しいですよ。給料も安い。でも見りゃいいだけの話。そんなことは別に大変なことじゃない」「そんなことができないような人たちに子どもの命を守らせたら、そんな仕事に就かせたらいけない」「どうしてもやっぱり納得できないのは先生たちの訓練をすべきなんですよ」「先生うんぬんじゃない人間として最低限のこと。人様の子どもの命を預かって、『誰も残ってない』って見るだけのこと」「先生しっかりしてくれよ」「すぐお辞めになっていただきたい」「人としてあり得ない」

 

  毎度の長屋の熊八の床屋談義レベルだが、このコメントは当然ながらネットでも保育従事者から反発を呼んでいる。保育労働者の仕事を「別に大変なことじゃない」と見くびり、「そんなことができないような」保育労働者に退職まで促している。社会的保育を保育労働者の労苦に一方的に甘えながら、いけしゃあしゃあと問題の所在を保育労働者の責任に不当に還元し擦り付けている。不埒だ。

 

  保育労働者はこのような労働者攻撃に反撃すべきだ。

 

【追記②】9/14

アベノミクスの歪み噴出

 

『全日本私立幼稚園連合会を巡る業務上横領事件で、逮捕された前事務局長が、連合会の口座からおよそ3500万円を着服したとして再逮捕されました。カネは愛人関係にあった女性とのフランス旅行などに使ったということです』(日テレnews.9/14)

 

  業界団体の事務局トップがこの有り様。幼稚園保育業界といい、施設虐待蔓延の介護業界といい、知床事件の観光業界といい、アベノミクスの成長基幹産業は揃いも揃って歪みが噴き出している。
 (七鴉子 https://hushicho.fc2.net

 

横浜労働者くらぶ学習会 10月予定

連絡先 TEL:080-4406-1941(菊池)

 

◆「資本論」1巻学習会

1012日(水)1830分~2030

・県民センター703号室

・絶対的剰余価値の生産(続き)

◆マルクス主義文献学習会

1019日(水)1830分~2030

・県民センター703号室

・新テキストについてはお問合せください。

◆「経済学批判」学習会

1026日(水)1830分~2030

・県民センター704号室

・貨幣論(続き)

◆「資本論」3巻学習会

1026日(水)1810分~2030

・県民センター707号室

・地代論(続き) 

岸田政権を追い詰める闘いの前進を!――労働者党アピール――

労働者党は「安倍国葬」をごり押しする岸田政権との闘いを訴え、全国で活動を行っています。全国で配布しているビラを紹介します。こちらは2面です。
2022夏季宣伝ビラ裏

















岸田政権を追い詰める闘いの前進を!

 

 第2次岸田政権が発足し、今秋には今年度の補正予算編成の議論が行われます。コロナ禍に対する対応の遅れや物価高による生活の困窮、そして「安倍国葬」強行で支持率が低下する中、岸田政権を追い詰める闘いを強めなければなりません。参院選では、自民が非改選議員を含め単独過半数を獲得、自民をはじめ憲法改悪勢力が32を占める結果でした。参院選は、野党(立憲、共産ら)の無力さを明らかにし、労働者の階級的な政党の建設と労働の解放をめざす闘いの発展なしには、労働者・働く者の生活を根本から改善できないことをあらためて明らかにしました。

 

場当たり的な岸田の物価対策、それと闘えない野党の「消費税減税」

 

 参院選でも第一の争点は物価対策でしたが、岸田首相は、ロシアのウクライナ侵略による「有事の物価高」だとして、ガソリン価格に補助金を支出して値上げを抑制する「トリガー方式」設定や補助金の延長、小麦価格の据え置き、家庭向けに節電世帯に2千円相当のポイントを支給する「ポイント」制の導入、そして生活困窮者に対して補助金を支給するなどで「態勢は万全」と述べていましたが、これらは一時的なその場しのぎの対応策でしかありません。

 

 「有事物価高」論は、政府の責任を逃れる欺瞞です。物価騰貴はコロナ禍やウクライナ戦争だけではなく、「アベノミクス」による金融緩和策やバラまき政策がもたらしたインフレや「円安」によって加速されてきました。大企業のための経済政策のツケが回ってきたのです。

 

 立憲、共産、社民など野党は物価対策として消費税の引き下げを強調していました。しかし、1千兆円を超える借金を抱えている国家財政の下で、消費税減税を実施すればますます借金は膨らむばかりです。消費税は貧しい者ほど重い負担がかかる逆進性の強い税金であるとしても、租税の約3分の1を占めており、「社会保障費の財源であり、社会保障をなりたたなくさせる」と一蹴されるだけです。

 

 賃上げなど労働者の生活防衛のためにも、資本の支配に反対し、搾取からの解放を目指す労働者の階級的な闘いを発展させていかなければなりません。労働者の階級的な団結を強め、闘いを前進させていきましょう。

 

「最小限の軍備」の公約をかなぐり捨てる大軍拡の動きと闘おう

 

 ロシアのウクライナ侵略、繰り返される北朝鮮のミサイル発射、中国の軍事的・経済的な進出が進む中で、岸田政権は国民の危機意識を煽りたて、日米安保体制強化や日本の軍事力を高めるべきだと強調しています。軍事力の「抜本的な強化」のために、これまでGDP比1%を目安にしてきた軍事費を5年以内に2%に引き上げるとか、「敵基地攻撃のための弾道ミサイル攻撃を含む日本への武力攻撃に対する反撃能力を保有する」と、軍備増強を押し出しています。維新は自民反動派の先兵として「核共有」を俎上に挙げ、「積極防衛能力」の構築を訴えています

 

 これまで「専守防衛」のもとで、「最小限の軍備」(GDP比1%)で、外国に対する攻撃的力を持たないとの内外への公約をかなぐり捨てて、憲法9条を改定して、大軍拡に乗り出す動きです。

 

 岸田政権が進めようとする軍事力の一層の強化は、日本がアジアの軍事大国として、外国からの権益、大資本の利益を維持、拡大していこうとする帝国主義化を強めようという意図の現れです。

 

 自国の帝国主義との闘いが課題になっています。労働者は、暴虐なプーチンロシアの軍事侵略に反対して闘っているウクライナ人民の闘いを支持すると同時に、ロシア、欧米及び日本、中国の帝国主義、覇権主義に反対し、国際主義の立場で闘い、全世界の労働者と連帯していきましょう。

 

労働者・働く者は労働者政党に結集して、階級的な闘いで展望を切り開こう

 

 立憲や国民民主らが自民党の軍事大国化の策動に対して真剣に闘おうと訴えない中で、共産党は「軍拡で平和は守れない。日本が軍拡で構えれば、相手も軍拡を加速する。軍事対軍事の悪循環に陥る」と批判し、話し合いによる平和外交こそ大切だ、と主張しました。

 

 しかし、日本が軍備を増強し、軍事大国の道を歩むのは日本の国家権益と大資本の利益のためであるように、帝国主義を世界から一掃することなしに真の平和を実現することは出来ません。共産党のような、日本が外国によって「侵略された場合には自衛隊を活用する」という「自衛隊活用論」は、結局は、軍事力を強化して「国民の生命と財産を守る」という自民党の主張と同じです。

 労働者・働く者は労働者政党に結集し、労働の解放をめざして闘いましょう! 
★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
  放」の旗を高く掲げよう!
★労働者の闘いを発展させ、
  労働者の代表を国会へ!
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