労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

「資本論」学習会の議論から

的場氏の「プルードン擁護」に反対する

神奈川でマルクス主義の学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」の発行している「労働者くらぶ」第26号から、的場昭弘氏に対する批判を紹介します。(一部書き直しています)

 

的場氏の「プルードン擁護」に反対する

 

★『哲学の貧困』はなぜ難しいか

 

『哲学の貧困』の学習会もようやく2回目に入ろうとしています。参加者の皆さんは、私同様、難解な本書の理解にご苦労していることと思いますが、その原因には、本書がマルクスの思想形成の途上に書かれた著作であることもありますが、また私たちが、プルードンの主張をマルクスの要約を通して理解せねばならず、その要約もマルクス独特の皮肉を含んだもので、なかなか理解できないからです。要するに、プルードンの主張とマルクスの批判がともにすっきりと把握できないからです。そこで私がお勧めしたいのは、どの文庫本の翻訳にも付録としてついている「マルクスからアンネンコフへの手紙」(1846年12月28日)です。この手紙は、マルクスがプルードンの『貧困の哲学』をわずか二日間で読んで、直ちにロシア人の友人にその感想を送ったものですが、マルクスは、この手紙でプルードンの小ブルジョア的、空想的な思想を完膚なきまでに批判しており、これを読めば『哲学の貧困』を読む必要がない、とまで感じるほどです。

 

ところで、「労働者くらぶ」24号で、Aさんが神奈川大学の的場さんの「プルードン擁護」を紹介してくれています。的場さんはマルクスの翻訳や紹介で有名ですが、その分、氏の影響も少なくないと思います。氏のプルードン擁護を批判する必要があると考えました。

 

★経済こそ人間社会を解明するカギである

 

Aさんの的場論文の要約を読みますと、的場さんはマルクスの唯物史観や経済理論を評価しながらも、「マルクスは、経済学の延長線上で、プルードンの論理の矛盾を指摘し、(プルードンの)経済学への無理解がプルードンによる貧困の経済的解決を不可能にしていると(マルクスは)批判する。マルクスのその点の指摘は、けっしてまちがっているわけではない。むしろマルクスは、きわめてシャープであり、論理の一貫性もある。そしてそれは『資本論』にまでつながっている側面を持っている」と、論じています。しかし、的場さんの論じ方(評価の仕方)では、経済学が他の学問と同列になり、人間や社会にとって経済がもつ本質的な重要性が見失われてしまいます。

 

的場さんは、マルクスが「経済学の延長線上」でプルードンを批判するのは、「けっしてまちがっていない」と述べています。わたくしは、的場さんが、マルクス研究者として唯物史観つまり人間にとって経済のもつ意義を十分に理解していると思いましたが、マルクスが間違っていないというのなら、プルードンの方が間違っていることにならないでしょうか。的場さんは、「プルードンは、価値や、競争、分業といった経済的カテゴリーは、歴史的に廃棄されるものではなく、ただ調節されるものである」と主張した、と述べています。しかしこれこそ、マルクスがプルードンを批判する、その小ブル性、非歴史性ではないでしょうか。マルクスは、商品経済の基礎である価値、競争、分業といった概念が、永遠のものではなく歴史的なものであること、そんなものが長く存在しなかった時代があったこと等を述べて、プルードンを批判しているのです。

 

★「人間の意志」は社会の生産関係から独立したものではない

 

さらに的場さんは、「プルードンが見つけた新たな視点」として「資本主義の矛盾が生産力の発展と生産関係の矛盾によってたとえ起こるとしても、それを乗り越えるために、人間の意志と社会に対する組織化の問題を解決できない限り、新しい社会の展望はないという視点」を挙げています。「資本主義の矛盾」(その必然性を「たとえ」などと言ってごまかしていますが)を「人間の意志と社会の組織化によって乗り越える」と言っています。しかし、これこそマルクスがあまたの空想的社会主義者たちを批判してきた点です。人間の意志はその人間が属する社会、その生産関係から独立したものではありません。その社会の矛盾の中から矛盾を解決する人間の意志も方便も成長してくるのです。「社会の組織化」も同様です。社会の組織化も、自由にその社会を組織できるのではなく、その社会の矛盾の中から新しい社会の組織化の方向や手段も成長してくるのです。

 

的場さんは「マルクスとプルードンのこのすれ違いのなかに、新たなる未来社会の可能性があるように思える。」と言っていますが、これは、すれ違い(すれ違いではなく対立です)と言ったものではなく、マルクスとプルードンのどっちも否定したくない、評価したいという的場さんの折衷主義的立場が表れています。そんな折衷主義は、この両者の論争では通用しません。マルクスが正しいか、プルードンが正しいか、どちらかです。的場さんともあろうものが、「人間の意志」を「新しい視点」などと評価するのは驚きです。彼は唯物史観を本当に理解しているのでしょうか。

 

★プルードンの小ブル性―人間主義、その他

 

以前、私はプルードンを読まないでプルードンを批判するのはよくないということで、彼の思想をよく表しているという『19 世紀における革命思想の一般的理念』(「世界の名著」53)を読んでみましたが、その中でプルードンは革命と反動について次のように述べています。

 

「反動の本能がすべての社会制度にとって固有のものであるように、革命の必要もまた同様に不可抗的である。これら二つの事態、つまり反動と革命は、両者間の対立関係にもかかわらず、人類にとって必要不可欠であること、したがって、社会を左右から脅威する暗礁を回避するための唯一の手段は、…反動を革命と永久に妥協せしむることである。」(p82)

 

 見られるように、プルードンの立場は、革命と反動との妥協主義、協調主義です。また同書の中でプルードンは、「私は、人間の意図の善良性を常に信じていることを誇りにしている。この善良性がなければ、政治家の無罪はどうゆうことになるだろうか?」(p95)などと述べています。ここにはプルードンの人間観―性善説や小ブル的な人間主義が表れています。またプルードンは、所有(財産)権に対する攻撃で有名ですが、その財産に対する攻撃(「所有とはなにか」「それは窃盗である」)自体が、私的な所有権に対する全面否定ではなく、大きな所有、巨額な財産に対する攻撃であって、小さな所有、生産手段の小所有はむしろ人間にとって不可欠であり、自立した人間にとって必要であるとして擁護し、むしろ社会改革の目標としているのです。

 

★マルクスとプルードンの決裂は必然

 

このような小ブル的思想家のプルードンとマルクスが決裂するのは、当然すぎるほど当然と言わねばなりません。プルードンは、ヘーゲルや経済学者たち(アダム・スミスをはじめとする古典派経済学者)を批判し、あたかも自分を彼らに比肩する思想家を気取っていますが、ヘーゲルのような壮大な観念弁証法の体系も作れず、またブルジョア社会の経済を徹底的に解剖することもできなかったプルードンのやったことと言えば、両者の成果の切れ切れをとってきて、折衷的、空想的な体系(?)を作ったにすぎません。

 

また的場氏は、プルードンは、「当時は明確に存在していなかった社会学という分野を切りひらきつつあったのに対し、マルクスは、従来の経済学という土俵の上から批判していた。」として、社会学を経済学の上におき、プルードンを社会学の先駆者として、マルクスより優れていたと評価するのです。しかし社会学は、社会現象を深く掘り下げもせず、その表面を“這いずり回る”だけのブルジョア的学問であり、マルクスの経済学に代わるような学問ではありません。このような学問を評価するところに的場氏のブルジョア性が表れています。

 

★唯物史観に立ち、労働者の階級闘争を発展させよう

 

最後に、Aさんも指摘していましたが、的場氏は、大方の学者やマスコミ同様、旧ソ連邦などを社会主義国家と規定していること、また最近はやりの“アソシアシオン”論などについても言及していますが、ここでは省略します。

 

マルクスは、プルードンの様々な側面を徹底的に批判し、プルードンが、資本主義的生産様式をそのままにして、彼の平等社会を実現しようという空想的試みを嘲笑しています。しかし現代の資本主義社会には、さまざまに形を変えて第二、第三のプルードンが次々と登場し、また的場氏のようにその擁護を買ってでるインテリも少なくありません。彼らに共通するのは、資本主義を廃絶することではなく、資本主義の様々な改良を提案していることです。唯物史観を基礎に剰余価値説を中心にしたマルクスの経済理論を武器に、労働者の階級闘争を発展させていくこと、これこそ労働者派、社会主義派の使命ではないでしょうか。(K)

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

 ― 3月の予定—

◆「資本論」第1巻学習会

3 月8日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 703 号室

・相対的剰余価値の生産

― 第13 章「機械設備と大工業」(続き)

 

◆「哲学の貧困」学習会

3 15 日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 703 号室

・第2章「経済学の形而上学」2節以下全部(付録含む)

 

◆「経済学批判」学習会

3 22日(水)18 30 分~20 30

・県民センター 701 号室

・「経済学批判序説」

 

◆「資本論」第3巻学習会

3 22 日(水)18 10 分~20 30

・県民センター 704 号室

・第 7 篇「諸収入とその源泉」50 章から終わりまで(エンゲルスの補足含む)

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

 

黒田日銀の破綻を示す長期金利引き上げ

「『資本論』を読む会」を主宰している仲間からの投稿を紹介します。

研究会終了後に、黒田日銀の20日の政策変更、長期金利の引き上げが論議となり、論議をもとにまとめて整理展開したものということです。

 

黒田日銀の破綻を示す長期金利引き上げ

――財政を劣化させ経済の腐朽、頽廃を招いた黒田日銀の「異次元」金融緩和

 

日銀は12月20日に事実上の長期金利の引き上げを発表した。黒田日銀総裁は、これは日銀がこれまで進めてきた金融緩和政策の「出口戦略の一歩ではない」と強調するが、これまでの金融政策とは異なる大きな転換点となる政策変更である。

 

日銀は金融緩和策として長期金利の上昇を0.25%以下に抑える政策をとってきた。だが、この政策は日米の金利差の拡大もあり大幅な円安を招き、この円安が引き金となってエネルギー高、資源高の中で物価は高騰し、家計、企業財務を直撃し、圧迫することとなった。

 

欧米の中央銀行が相次いで利上げを進めたため、日本でも長期金利が上昇していた。海外ファンドも、今春以降「日銀が金利を抑える政策はいずれ行きつまる」とみて猛烈な日本の国債売りを仕掛けてきていた。

 

「指し値オペ」による国債無制限買い入れの破綻

――金融緩和政策、事実上の国債日銀引き受けの限界が露呈

 

日銀は、海外ファンドなどの動きを阻止して、長期金利を低く抑えるため、今年の4月以降、0.25%程度を越えないよう、国債を無制限に買い入れる「指し値オペ」を異例の毎営業日に行ってきた。その結果、日銀の国債買い入れ長期金利の指標となる10年物国債の利回りだけが下がり、ほかの年度の国債に比べて極端に低下することとなった。

 

国債は発行されるといったん民間金融機関などが買い、それを日銀が市場で買い入れる仕組みだが、この国債売買がなかなか成立しなく滞る事態が生じたことが報道されていた。低金利のもとで財政規律の緩みや市場のゆがみも指摘されてきていた。

 

日銀は声明文の中で「長期金利は、企業が資金調達のために発行する社債の金利を左右する。長期金利の低下で社債のリスクが分かりづらくなるなど、企業の資金調達に悪影響が生じる懸念などが高まり修正する必要があった」との趣旨を述べている。(12/21、朝日)。日銀の政策は行き詰っていたのである。

 

今回の日銀の具体的な政策変更は、国債を無制限に買う「指し値オペ」を0.25%から0.5%に変更するというものである。迫られての、追い込まれた結果としての日銀の政策変更である。黒田は「利上げではない」と強弁するが、マスコミが「長期金利 上限0.5%に引き上げ」と報道するとおりの利上げである。

 

日銀は長期金利の上限をこれまでの「0.25%」から「0.5%」に引き上げたのである。事実、この政策発表の20日には即座に債券市場では0.25%だった長期金利が0.46%の0.5%近くまで直ちに跳ね上がった。

 

今回の政策変更は黒田日銀の「異次元」の金融緩和政策の破綻を示している。日銀が「指し値オペ」で無制限に国債を買い支えるという事実上の日銀による国債引き受けの限界は明らかなものになっている。

 

12年末には国債の日銀保有の占める割合は1割だったものが現在は5割まで増加している。民間金融機関などがまだ保有する低金利の国債の多くが、今回の長期金利の引き上げを受けて、いつ投げ売りに出されたとしても不思議ではない。低金利の国債には買い手がいなくなり、更なる国債の売り圧力が強まれば、国債は暴落し、金利は更に上昇というドロ沼に陥るのではないか。

 

資産の多くを国債が占める日銀の資産の劣化は日本銀行券である日銀発行の「円」の信用失墜にもつながりかねない。黒田の異次元の金融緩和にも見られるカネばら撒きのアベノミクスは財政を劣化させ、経済の腐朽化、頽廃をもたらし、日本の破綻を深化させてきている。

 

国家破綻を準備する「永久国債」

――そのつけは国民の犠牲に、無責任を極める萩生田、自民党議員連盟、国民民主

 

国の国債の利払い費は、低金利のもとではなんとかしのいでいけたが、今後の金利の上昇で国債の利払い費も増加する。利払い費だけ支払う「永久国債」も取りざたされている。国債は、借り替えるとしても、短期であろうと長期であろうと満期で償還期限がきたものは返さなくてはならない。そこでの償還期限のない「永久国債」である。国民民主は「永久国債」を唱え国会で質問すらしている。すでに財政は破綻しているから「永久国債」にして利払いだけで済まそうとの魂胆である。

 

だが、これまでの国債も「借り替え」で債券・債務の関係の継続が繰り返しされてきた。2020年には、借換債を合わせると250兆円を超える国債が発行されている。満期を迎えた国債の98.4%は借り換えされている。このことはこれまで発行の国債の多くは事実上の「永久国債」であったことを示している。それをより野放図に露骨に行おうというのである。結局は国債という名の借金を膨ませるだけである。

 

建設国債及び特例国債の償還については、借換債を含め、全体として60年で 償還し終えるという、いわゆる「60年償還ルール」がある。元本の返済がわずかといえ1.6%でもあるのは60年ルールのためでもある。

 

自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟自民党議員連盟」(国会議員85名)はこの60年ルールの撤廃を言い、萩生田もそれを受けている。だが、今後は、この国債の利子の支払いさえ困難になるのではないか。国債利払いのための国債発行の累進的拡大という悪循環にさえいきつかねない。まさに、本末転倒の自転車操業さえも予測される。

 

こんな国債を一時的としても引き受ける民間金融機関などは今後なくなるかもしれない、ましてや「永久国債」など償還期限もなく返されるあてもないものを民間金融機関などが持つメリットはない。民間の引き受け手がなければ、戦前と同じの直接の国債の日銀引き受けしかうつ手がなくなるだろう。

 

行きつく先はハイパーインフレか、恐慌、スタグフレーション、はたまた戦争か、借金まみれの国家に未来はなく、破滅、破綻の道を歩んでいる。このことはいずれも労働者、人民、国民に塗炭の苦しみを味あわせことになる。

 

日銀の有害無益な「マイナス金利」政策、株買い「上場投資信託」(ETF)

――経済の停滞、腐朽、頽廃と格差の拡大をもたらす

 

日銀は、労働者、国民にとって無益な全くナンセンスな「2%の物価上昇の達成」を目的として掲げてきた。今、物価上昇率は3%台半ばで「物価上昇は達成」できたというのに、日銀は、賃上げを伴う物価上昇ではないと、まだ今後とも金融緩和を取り続ける姿勢を見せている。

 

日銀は2016年1月にはマイナス金利政策をとった。これは金融機関が企業への貸し出しや投資に資金を回すように促進することを名目としてきた。マイナス金利とは、民間の金融機関が日銀に預ける当座預金残高の一部にマイナス0.1%の金利が適用され、金融機関は日銀に利子を支払うというものであった。

 

このときには市場は混乱し、金利は急低下し、長期金利もマイナスになり、利ザヤを稼ぐことが難しくなった金融機関は日銀の政策の批判をすることになる。追い込まれた日銀は16年9月、下がり過ぎた長期金利を調整し操作する政策に踏み切らざるをえなかった。

 

日銀のこのマイナス金利政策などは金融機関の経営体力を奪い弱体化させてきている。日銀の政策は経済を活性化させるどころか腐朽、停滞、衰弱を招いてきた。この政策は企業、資本が競争せずとも、新たな分野への挑戦、工夫、新技術の開発をせずとも、生きながらえることを可能にした。

 

経済実態を反映しないカネ余り中での株高は一部のブルジョア層、プチブルを富ませただけであり、格差は拡大する一方である。富めるものは一層富み、貧しいものは一層の貧困におちいる。

 

株高には、日銀の幅広い株に投資する上場投資信託(ETF)も一役かっている。ETFのような、値下がりして損失を被るリスクの大きい資産を中央銀行が買い入れることは「禁じ手」とされてきた。

 

日銀が保有するETFの時価は今年3月末時点で51兆円3109億円、時価総額の7%を占める。巨大な資金力から「クジラ」とも呼ばれる年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も巨額の株を保有している。

 

このETFを日銀が処分しようすれば、株価の大幅下落につながっていく。株価が下がれば。日銀も損失をこうむり、ひいては実質的に国民負担につながる。日銀は国民にひいては犠牲をしいる政策を多々行ってきたのだ。

 

一般予算案で国債頼みの軍事費膨張      

――亡国への道へひた走り

 

世界でも最悪の借金地獄にある日本政府が第2次補正予算で23兆円に近い国債増発を伴う総合経済対策が立てられるのも、「防衛力の抜本的強化」のため防衛費を5年間で43兆円増額しようとするのも、日銀という「打ち出の小づち」があってこそのことである。

 

黒田日銀の低金利の政策は、国債の利払い費を少なくして、政府の巨額の財政赤字を支えるための政策だったともいえる。だが、当初は「黒田バズーカ砲」ともてはやされた日銀の政策の限界が今日ではより露わとなっている。

 

こうした状況のもとで、またもや、国債を財源の多くのあてにした過去最大の巨額の114兆円の一般予算案が閣議決定された。特に「防衛費」、軍事費の財源は「『実質的に赤字国債と変わらない』(政府関係者)……戦前に軍事費をまかなうために戦時国債の発行を続け、敗戦時に超インフレを招いて、国債が紙切れ同然となった歴史を踏まえ、戦後は認めてこなかったものだ」(12/24、朝日)というものである。国債頼みの巨額予算を組みながらも岸田らには危機意識のひとかけらもない。まさに亡国への道である。

 

ウルトラ右派反動派の月刊誌「Will」2月号で安倍派御用達のブルジョア経済学者高橋洋一は「増税? 防衛国債をなぜ出さない!」のタイトルでの対談を行っている。1,000兆円を超える国債借金で首が回らないというのに、自民党、右派反動派、支配者達はいつかきた奈落の道を再び歩もうとしている。

(M)

24時間体制の工場現場での体験から

神奈川で『資本論』学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」のチラシから、参加者の感想を紹介します。

 

『資本論』第1巻学習会第8章「労働日」を終えて

 

『資本論』第1巻学習会では、第8 章の「労働日」を終えた。そこで議論になったひとつに、現在の日本もこの章で紹介されているような過酷な労働者の状況があるのではないか、その一証左が過労死のようなこと、そんなことがあってはならないことがあるということである。労基法では18 時間という労働時間の制限が法的に規定されているにもかかわらず、資本側はへいきでこの法規を無視しているのが現実だということである。

 

24時間体制の工場現場での体験から》

 

私は、労働現場の状況を体験するために、20189月から翌年の3月まで、コンビニにおろすパスタ類やサンドイッチ・サラダ類などを製造する工場で派遣社員として週2回働いた。

 

この工場は、正社員よりもはるかに多い非常勤社員によって運営されていた。7社の派遣

会社が入っており、派遣社員の総数は700 人以上いる24時間体制の工場である。この工場には20歳代の多くの外国人労働者(ベトナムなど東南アジアの)が派遣社員として働いている。その多くは仲介会社をつうじての来日であり、日本語学校に通いながらの通勤であり、この外国人労働者によってこの工場がもっている感があった。

 

決まった衛生服に着替えるロッカールームはなんと小さくロッカーも2段になっている一つが小さなもので、そのロッカーによって食堂と仕切られていた簡易なものであった。頭からすっぽり白い衛生服に着替え、安全靴を履き、家庭用のゴミ取りローラーで髪の毛などをきれいにとり、出勤機に入力し、さらに社員によって体温とローラーでチェックをされ、髪の毛がついていると、その人の派遣会社に報告されるのである。私も23度髪の毛が1本ついていたということで派遣会社に報告されたことと思われる。衛生管理の徹底には感心したものである。

 

工場への通勤は、自家用車や徒歩以外は定期的に最寄りの駅の送迎されるマイクロバスによってなされる。私は17 時にその送迎マイクロバスに乗って通勤した。最初の2か月は補助要員で18 時から勤務にはいり、翌朝(4時から7時)まで働いた。

 

20時までは乾麺をボイルする機械(長さ6m)のところでそこを専門に働いている非常勤の人と2人で担当した。私は、大きなボールにオイルと味付けする汁をカップであけて、ボイルされたパスタが大きな篭に落ちてきたものをボールにあけて、厚手の手袋をつけ二人で、油と味付けをなじませていき、いくつかの大きなトレーに盛って、そのまだ暖かいパスタを冷凍機(長さ8m)のベルトに流し込み、その冷凍したパスタを冷蔵室に保管するのである。

 

20時には私のかわりに他の非常勤社員がきて、私は欠員の出ている部署にまわされた。ある時は、①野菜(玉ねぎなど)を非常に切れる包丁でさばいたり、②カップに入れるスティック状のキュウリやニンジン、大根などを手早くカップ(スティックサラダ)に入れる流れ作業や、③コッペパンに切れ目を機械で入れる作業や、④サンドイッチをつくるために、長い食パンのミミを機械が切り落としたのが、大きな四角いカゴにいっぱいになったものを他のところにまとめて積み上げる作業などに従事した。

 

①では一人で黙々と作業し、②では10人の東南アジアなど外国人労働者と一緒に行なって、楽しかったのを覚えている。日本語の上手な一人(ベトナム人)がそこのリーダーをまかされ、指示し、次から次へとベルトに乗ったカップに手際よく自分の入れるべき野菜スティックを入れていく。

 

不慣れな私はどうしても遅れがちになるのだが、それをブータンから来たという女性は臨機応変に私がやるべきことをかわりにやってくれるのだ。なんと速いことか、うれしかった。

 

それが終わると今度は、正社員はその日本語の上手なベトナム人に他のベルトに移るように命じ、今度はサンドイッチに挟む薄切りされたハムを三角形に折りたたむ作業になった。これも慣れてないとなかなかうまくいかないが、皆、てっとり速く行なっていく。

 

③は速さが勝負、手際よくコッペパンに機械できりみをいれ、ベルトに流しいれる、それをオバサマたちが何かをぬったり挟んだりするのだが、コッペパンの流しいれが遅いと怒鳴られるのである。「遅いよ、なにやってるの」などと何度となく言われた。

 

④は重労働、普段は若い外国人労働者が担当しているのだが、たまたま休みで、私がやる羽目になった。三台の機械が次から次へと長い食パンのミミを切り落として、次から次へと四角いカゴにたまる。それを空のと替えて、いっぱいになったカゴを他の所へ積み上げていくのである。

 

22時から始まったその作業は朝の5時まで続いた。そこでそこの責任者が休憩にはいってよいと言ってくれたので、トイレにいき、食堂で休んで、作業場に戻ると、片付けが終わっており、もう帰っていいよとなった。

 

こういった補助作業が2か月ほど続いたのちに、パスタのボイルのところ専門になり、勤務時間も20時から、その時の仕事が終わるまでとなった。休憩は切りのいいところで(深夜1時前後)、食堂には飲み物やカップ麺の自販機が設置されている。他の部署と休憩時間が重なると、食堂は賑やかである。オバサマたちは、なぜこうも元気なのかと思わせるくらいべちゃくちゃしゃべりまくっている。

 

それも持参してあるお菓子など食べながら。また食堂に隣接してある喫煙所には多くの人が入り、吸い殻はいつもあふれている。ベトナムの若者たちは元気に仲間としゃべりながらカップ麺などを食べているが、そのうちに気が付くと、皆、テーブルにうつぶせになって寝てしまっている。私もソファーがあいている時はそこで休むこともできたが、たいがいは他の人に占領されていた。

 

私の仕事は、日によって終わる時間がまちまちである。早い時は、4時に終わってしまう。そんな時はまだ定期の送迎マイクロバスが運行されていないので、駅まで40 分ぐらいかけて始発の電車で帰ってくるか、食堂でバスが運行される時間まで休んでいるかである。家に帰ってきても、朝食をとったら疲れで直ぐに寝てしまい、起きるのは夕方で、あわてて再び出勤の途につくことも、当たり前のようにあった。

 

私が勤務する数か月前までは、たいがいの人が残業60 時間以上していたという。私が勤務してからも、残業40 時間以上の労働者が多くいるという。乾麺をボイルする担当の人も、月の中ごろには、すでに残業40 時間になってしまって、途中で帰ることがあった。そんな時は、正社員が代わりに来るのだが、仕事がまるでできないのだ。次の日は、私のような仕事をしている人が、機械の操作をおそわってきてやるようになる。この人のほうが正社員より、よっぽど仕事がはかどった。

 

若い20 歳代の外国人労働者たちの多くも、法定以上に残業(いやそんな意識も持てない)しているのは確かなようだ。それに多額の仲介手数料を払ってここで働いている外国人労働者も多くいるという。こういう情報は、送迎マイクロバスの運転手から聞かされた。

 

職場には掲示板があり、ある時、利潤率がいまなん%で、もっと引き上げるように社員

の鼓舞する内容や、派遣会社ごとに、その日の欠席状況などが発表されていたこともある。コンビニにおろすこのような工場は全国無数にあるのではないだろうか。

 

私はこの週2回の仕事を半年間、休まずに勤務した。派遣会社からは辞めないで続けて

ほしいとい言われたが、辞めた。そし2019年の参議院議員通常選挙に臨む決意を固めた。(A

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「横浜労働者くらぶ」学習会 —12月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

1214日(水)18 30 分~20 30

・かながわ県民センター 702 号室

・絶対的剰余価値の生産(残り)と相対的剰余価値の生産(その1)

 

◆「プロメテウス」61号学習会

・12月21日(水)18 30 分~20 30

・県民センター702 号室

・特集「激化する帝国主義的対立」の中の渡辺論文

「資本輸出を急増させる日本資本主義」

 

※ 第4週の学習会「経済学批判」学習会と「資本論」第3巻学習会は、県民センターが休館のため、1月に延期となります。

 

「横浜労働者くらぶ」のブログ:https://yokorou.blog.fc2.com

連絡先 Mail: yokorouclub@gmail.com

 

共産党のあきれたビラ

「資本論を読む会」に参加しているMさんからの投稿を紹介します。

 

共産党のあきれたビラ

宮本顕治や不破哲三の発言を想起

 

 「資本論を読む会」終了後、共産党がロシアのウクライナ侵攻を受けて街頭で配布しているビラの批判をする。このビラには心底あきれ果てた。

 

ビラで言う。「旧ソ連の時代からロシアの覇権主義を厳しく批判してきたのが日本共産党です」、「旧ソ連もロシアも社会主義とは無縁」。どの口が言っているのか。

 

共産党はソ連・ロシアを「生成期社会主義」つまり「生成期」であろうとなんであろうとソ連を「社会主義」と規定したうえで、1968年のソ連のチョコスロバキアへの侵攻、1979年のアフガニスタン侵攻を単に「覇権主義」「大国主義」と批判してきたにすぎない。

 

 ソ連によるチョコスロバキアの侵攻の後に出版された「宮本顕治対談集」(新日本出版社、1972年)の中で、宮本顕治は、1956年にソ連のハンガリーに侵攻、人民を弾圧したソ連擁護の発言を再録しさえしている。

 

「ソビエトがハンガリー政府の要請で出て、暴動をおさえた、これを流血だという」、「当事者たちは、しかしそのなかに、明らかに暴動的方向、つまり流血騒ぎにもっていくような反革命分子がいた。」(65,66ページ)

 

共産党がソ連の残虐なハンガリー人民弾圧を支持・擁護してきた事実は隠せない。(詳しくは、林紘義著「宮本・不破への公開質問状―ハンガリー事件・スターリン批判・ポーランド問題―」参照)

 

不破哲三は1987年出版の「世界史のなかの社会主義」(新日本出版社)でソ連を「生成期社会主義」と規定したうえで書いている。

 

「社会主義というのは、経済のしくみ、社会のしくみのなかに、外国を侵略しないとか、軍備の拡大をやらないと社会が成り立たないといった原因を、もともともっていない体制です。だから、アフガニスタンのようなことは、社会主義の国が、社会主義の本来の立場からはずれたときに起きるのです」、「社会主義の国民が社会主義の立場を失わないかぎり、いろんなジグザグがあっても、やがてこれを直す力が働く」、「これを私たちは社会主義の『復元力』とよんでいます。」(184,185ページ)

 

不破はソ連を「社会主義」と断じたうえで「社会主義国」の単なる政策的誤りとしてソ連を「大国主義」「覇権主義」として批判してきたのにすぎなく、根本的批判ではなかった。

 

共産党はソ連を「社会主義」として散々美化してきた。「社会主義の国」が「本来の立場」を離れるとは何か。

 

ソ連の国家資本主義体制の矛盾がソ連のチェコスロバキアなどの侵略を生み出したのである。ビラでは共産党はあたかもソ連を「社会主義」と言ってきたことはこれまでまるで一度もなかったかのような書き方である。これは真っ赤な嘘である。

 

共産党はその綱領で、今のロシアなどを「社会の実態としては、社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」というがここにはどんな科学的経済的な規定も概念もない。ロシアなどの社会は社会主義ではないが、どんな社会なのか、資本主義なのか、全く不明で、どんな社会経済構成体なのかが一切わからない。

 

共産党のロシアのウクライナ侵攻を受けての今回のビラは欺瞞にみちている。

 

このビラで共産党は自公政権・安部は「北方領土」について、共産党のように「全千島の返還」を言わず「返還は『歯舞、色丹だけ』に後退」させてきたという。ロシア、プーチンに強硬な姿勢をとってきたのは共産党だけと自慢げに言いたいようである。

 

そもそも共産党、自民党などがいう「固有の領土」なるものがあるわけではなく、領土とは相対的なものであり、民族国家の形成とともに成立した歴史的に限界のあるブルジョアジ的概念にしかすぎない。共産党は右翼も顔負けのウルトラ民族主義者であり、共産党は領土問題ではもはや「極右」といっても過言ではない。

 

 

プーチンだけが悪か

アメリカやウクライナの政権が絶対的に正しいわけでない

 

今、マスコミでゼレンスキーが絶対的な善でアメリカなどウクライナへの武器供与・援助は当然で、プーチンだけが悪かのような報道で溢れかえっている。

 

確かにプーチンは悪い。だが、ゼレンスキーはロシア語の抑圧政策を取ってきて絶対的善とはいえないと説明して「読む会」散会しました。

 

「読む会」の帰りに、「ウクライナ侵略戦争―世界秩序の危機」(「世界」臨時増刊)を書店で見つけ買いました。ほとんどの筆者はプーチンを批判したうえで書いている。だが、この本の中からも見えるものがあります。

 

2014年の、ウクライナの親ロ政権を打倒した“ユーロマイダン革命”にアメリカが関わりオバマもCNNのインタビューでこの政策の関与を認めている。

 

対応したのがバイデンである。「アメリカは、ただ復活し、敵対するロシアを抑え込みたいのであって、ウクライナの反ロシア政権はそのための道具でしかないように見える」(71ページ)

 

「第二次世界大戦時、ウクライナ民族主義者がナチスと手を組んだことがあったのは事実だし、ゼレンスキーがロシアとの関係を重視する政党の活動を禁止したのも、2014年に親ロ政権が米国の支援を受けたクーデターによって倒され、ロシア系市民への弾圧が行われたのも事実だ」(14ページ)

 

「ユーロマイダン革命は凄まじいばかりの暴力であり、『親露か、親欧米か』などという、それまでのウクライナ政治の対立軸をむしろ吹き飛ばしてしまった。クリミヤ人やドンパス人は、自分たちがロシア語を使う権利や、ロシアへの帰属替えを求めたのではない。右派民族主義者による暴力や殺害を逃れてウクライナから逃げ出したのである」「特徴的なのは、革命派が、これら暴力事件を携帯電話で録画し、自らソーシャルメディアに盛んに公開したことである。これらは常識ある市民を恐怖のどん底に突き落とした。実際、ユーロマイダン革命中は、凄惨な死体の録画がユーチューブに溢れていた。」「ドンパスでの2600人の民間犠牲者を国際司法や国際世論は見て見ぬふりをしていた。」(49,50,51ページ)「言語法制によりロシア語話者の母語使用を厳しく制限した」(106ページ)

 

「2014年政変で成立したウクライナの現体制がファシスト的・人種主義的傾向を持つこと、東部ウクライナの住民に対する迫害(8年間にわたる戦争状態の中で人道上の危機が発生)や、労働運動弾圧、共産党非合法化の政策がとられてきたことはこれまでも指摘・報道されてきた」(208ページ)

 

ウクライナからの避難にあたっては、白人が優先でウクライナ兵が有色人種を力づくに押し戻している。アフリカ連合はアフリカ人を中心とする有色人種が差別を受けているとして声明を発表し、避難時の人種差別は国際法違反だと訴えている。(朝日、GLOBE・国連での南アフリカの演説)

 

「米国のグレナダ侵攻、パナマ侵攻、イラク戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻など、核を持つ軍事大国が他国を侵略しその政権の転覆を図ることは、これまでも度々あった。イラクやパレスチナやシリアに関心を払わなかった欧米や日本の人々が今回ウクライナ支援のために大きな声をあげている状況は人種主義の表れだという指摘もある」(147ページ)

 

ソ連崩壊の後、アメリカ政権は東方にNATOを拡大させ、民族主義者を台頭させ、親ロ政権などを崩壊させ、欧米よりの政権を樹立させてきた。2014年のウクライナのユーロマイダン革命もそうである。

 

この「革命」で市民の死体の映像もあった。今のウクライナのブチャと同様の惨状である。ゼレンスキーもこうした残虐行為を行ってきた民族主義者と同じく民族主義を煽り立ててきた。

 

ロシア語の抑圧はまたロシア民族主義を挑発させてきた。NATO加盟を強行・実行しようとしたのもゼレンスキーである。ウクライナへのアメリカの武器供与は、昔は「軍産複合体」と呼ばれた武器産業を潤わせている。

 

ロシアのウクライナ軍事侵攻は徹底的に批判、糾弾されなければならない。だが、アメリカ政権、ウクライナ政権、ゼレンスキーが絶対的に正しく、善であるわけではない。彼らも多くの罪をおかしてきたのである。

 

「パレスチナのガザ地区ではイスラエルによる封鎖・空爆下でマリウポリのような事態はほとんど恒常的に繰り返されてきたと言ってよい」(206ページ)

 

今でも、イスラエルはガザ地区へ空爆し、ガザ地区のパレスチナ住民を人道危機におとしいれている。ガザ地区の空爆は子どもにも多くの犠牲者だしている。アメリカはイスラエルを支援し、この空爆を認めてきた。自由主義普遍的価値を説くアメリカのも厳しく問わなければならない。

頽廃・堕落深める上野千鶴子

『資本論』学習会を行っているMさんから、上野千鶴子の論説について批判する投稿がありました。紹介します。

 

頽廃・堕落深める上野千鶴子

 ―セックスワーク論を実質的に擁護

 

資本論研究会の前、終了後、参加者と多々のテーマで雑談、論議することがあります。前回、上野千鶴子が何かのきっかけで話題になりました。上野千鶴子を評価する参加者がいましたが、彼女は、社会問題、階級対立などすべての問題をジェンダー、男対女、性の問題に還元していることなど説明しました。


 最近の著に鈴木涼美との往復書簡「限界から始まる」(幻冬舎)があります。この本を読んでいて胸が悪くなりました。

 

彼女らはセックスワーク論に囚われ、性以外の問題はまるでこの世にないかのようです、シングルマザーの貧困問題など語られることはありません。社会問題にはほとんど触れられていません。

 

上野はポルノ産業、風俗産業を実質的に擁護しさえしています。上野「妻のセックスは正当に支払われない『不払労働』なのです」「セックスワークは女性にとっての経済行為です」。上野に生産的労働の概念は一切ありません。上野は「マルクス主義フェミニズム」とか言っていますが、上野の主張にはマルクス主義とは縁もいかりもありません。

 

労働者党元代表亡き林さんの上野への批判は「科学的共産主義研究」65号、72頁以下、林著作集第5巻「女性解放と教育改革」45頁にありますが、鈴木涼美から「日本女性の碩学」と評され、東大名誉教授の肩書を持ちマスコミの寵児になっている今、上野の堕落はより深まっています。

 

亡くなられた林さんの「レーニンの言葉」43頁以下に「性的なことをあさりまわる風潮」、性の「水一杯の理論」などの批判があります。日本はアダルトビデオの生産では世界で一位か二位です。ネットの普及で幼児・子どもでも簡単にアダルトサイトに行きつくようになっています。

 

ポルノ、セックスワーク論を批判した最近の著に「マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論――搾取と暴力に抗うために」(森田成也、慶応義塾大学出版会)があります。藤田孝典氏は、この本を「日常化した女性差別に抗う理論を必要とする人たちへ。日本における売買春の決定版の書」と評しています。

 

ポルノ、セックスワーク論が現実、さまざまな角度から批判されています。売買春合法化国では、合法性の看板のもとで強制的、搾取的な合法店の売買春が横行し、数倍の違法店が存在している、ポルノの蔓延は女性を社会的地位低下、性的不平等の深刻化、性的安全性の侵害に影響を及ぼしている、など。ブルジョア民主主義、憲法などの観点から論じるなどの限界はあり、資本論研究会参加者から、この本は性の問題を特別視し、性の問題から社会問題を論じすぎているとの批判もありますが、ほとんどの「リベラル派」がセックスワーク論に囚われ、風俗批判は「職業差別」という声だけが聞こえ、セックスワーク論に全くといいってよいほど批判がみられない今、一定の限界を自覚の上読めば、私は一読の価値はあると思っています。 (M)

★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
  放」の旗を高く掲げよう!
★労働者の闘いを発展させ、
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