労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

苦悩し闘う労働者

マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅡ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅡ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

問題の設定

一昨年の10月『マルクス解体――プロメテウスの夢とその先』(以下『マルクス解体』)が出版された。ここでも斎藤氏は『人新世』や『ゼロから』と同様、マルクスにあっては1868年頃までの生産力至上主義・近代化主義やヨーロッパ中心主義からする原始共同体社会アジア的社会古代的・古典的社会封建社会資本主義社会社会主義・共産主義という単線的歴史観を唱えていた壮年期の思想を自己批判的に修正して、晩期には『ゴータ綱領批判』(1875年)や『ザスーリチへの手紙』(1881年)などから考えるに、自然と共生していたロシアの「ミール共同体」や古代ゲルマン民族の「マルク共同体」を理想とする自然環境に配慮する定常型経済の脱成長コミュニズム〔斎藤氏は、「共産主義」という言葉を嫌い、もっぱら「コミュニズム」という表現を用いている──引用者〕を新たに提唱するようになったのだと言う。この二つの時期の間の「断絶」は繋ぐことのできないもので、この裂け目をルイ・アルチュセールにならって「認識論的切断」と呼んでいる(『人新世』p.196)。こういったマルクスを前期と後期に分ける解釈は昔からあった(もっともアルチュセールや廣松渉が批判の対象としたのは前期の人間主義的な「疎外論的マルクス主義」だったのだが)。

 

生産力至上主義(近代化主義)だ、ヨーロッパ中心主義だ、単線的歴史観だ、等々のマルクス批判は斎藤幸平氏が初めてではなく、「アジア的生産様式」論争と共に新しい装いをとって1960年代以降、構造主義的人類学を提唱したレビィ・ストロース以来ヨーロッパ近代のオリエンタリズムに対して批判の口火を切った思想家とされるパレスチナ系アメリカ人のエドワード・サイードをはじめとした70年代からのポストコロニアリズムや従属理論の隆盛と時を同じくして起こってきたものである。

 

マルクス批判家たち(“送葬派”)は別にして、彼を擁護する人たちの一部はマルクスの思想とマルクス死後エンゲルスが主導したマルクス主義とは全くの別物だ──だからこそ、ここからレーニンやスターリンのロシア・マルクス主義が生まれたのだ──と言い、それとは別のグループ(“再生派”と呼ばれているらしい)は少なくとも1868年頃までのマルクスは疑問の余地なく西ヨーロッパ文明優越史観・生産力万能主義の持ち主であったが、晩年のマルクスは1881年の「ザスーリチへの手紙(4つの草稿)」においてそういった考えを放棄して、ロシアに残存したミールの評価と関連して、同じような小共同体・村落共同体を積極的に評価し、資本主義を経ることなしに社会主義・共産主義へと至るという複線的歴史観に修正したのだと言うのである(斎藤氏もこのグループに属している)。

 

しかしそうした彼ら“再生派”の解釈は正しいのだろうか、むしろ前期と後期とを峻別する彼らはマルクスを不当に辱めているのではあるまいか。以下の小論では、1868年以前のマルクスは「オリエンタリスト」(非ヨーロッパを野蛮で劣った存在みなし卑下するヨーロッパ人)であり、インドに対する植民地政策を「資本の文明化作用」の名のもとに推進するイギリス帝国主義の先兵の役割を担っていたのだろうか、東洋を蔑視し「資本の普遍化作用」を無批判的に推奨する近代化論者だったのか。こうしたことを1853年のアメリカの新聞『ニューヨーク・デイリィー・トリビューン』紙に寄稿された文章、1857年の『経済学批判要綱』に記述されている「資本の文明化作用」、更に1859年の『経済学批判序言』に一度だけ登場した「アジア的生産様式」という概念、そして1881年の「ザスーリチへの手紙」を俎上に載せて論じてみる。

(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

                  

マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅠ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのか

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

はじめに(私の斎藤幸平“理論”との関わり)

昨年10月労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」と題した特集号が発行された。まったく時機を得た企画だった。以前彼の『人新世の「資本論」』(’20年、以下『人新世』)が出版された際に学生時の先輩から「今売り出し中の斎藤幸平はどんな感想でしょうか? 面白いし良いと思うので君も読んでみれば」というメールをもらった。

 

折しも‘211月にはNHKEテレの「100de名著」で斎藤幸平氏による解説マルクス『資本論』(この放送は好評だったらしく’22年にも再放送された)が始まっていたので早速かの先輩に批判文をメールした。

 

当時、『プロメテウス』59号(’21年)にも適切な批判がされていた。しかし、“労働生産物”が2つの相互に矛盾する使用価値と交換価値(価値)という二重の規定を持つ“商品”に転化し、ある特定の一商品が「なぜ、いかにして、なによって」貨幣になるのか、というマルクス『資本論』の根幹部分――労働生産物が価値規定性を持った商品になるのは生産手段の私的所有を基礎にした個々バラバラの私的労働が社会的総労働の一部分だということを実証する必要性があるからだということ――を看過していることにこそ向けるべきだ、と当時思っていた。

 

『資本論』の冒頭がなぜに「商品論」なのかということを、マルクス政治経済思想を研究し多くの著作を出している斎藤氏が知らないはずがない。彼は言っている、「資本主義の暴走が進むなか、〈コモン〔公共財・共有財――引用者〕〉の領域を広げようとする動きは実際に存在します。・・私はこうした動きを、新自由主義の『民営化』に抗する『市民民営化』と呼んでいます。もちろん、『市民民営化』が進んでも、依然としていろいろな財やサービスが、貨幣を使って商品として交換され続けるし、その限りで市場は残るでしょう。とはいえ、資本主義以前の社会においても、市場はあったのですから、別に市場を完全に否定する必要はありません。」(『ゼロからの「資本論』p.214 以下『ゼロから』)。

 

そもそも、労働生産物の商品化がその深さと拡がりにおいて社会全体を捉えつつあった時代こそが資本主義の“ゆりかご”だったこと(「売るために買っ」て剰余価値を労働者から搾取する資本主義経済の基底には「買うために売る」といった貨幣を介した商品交換という市場経済があるのだということ)、さらに彼が「(ある事物の)希少性の増大が商品としての『価値』を増やすのである」(『人新生』P.251)とか、「『使用価値』を犠牲にした希少性の増大が私富を増やす。これが、資本主義の不合理さを示す『価値と使用価値の対立』なのである」(同書P.252)と言っているが、「価値」とはその希少性にその源泉があるといった限界効用価値学説のような説明ではなくて、商品生産のもとでの労働の社会的性格そのものにその根拠があるのだということを少なくともマルクスを学んだ斎藤氏は主張すべきなのだ。

 

また、全4回にわたった斎藤幸平氏のNHKEテレ「100de名著『資本論』」視聴後の感想もかの先輩への返信メールに付け加えた。特に2回目は「何故過労死はなくならないのか」という興味深いテーマだったが全く酷いものだった、彼は言う、「強制である労働を短縮制限し、労働以外の自由時間を確保していくべきだとマルクスは『資本論』のなかで繰り返し主張しています。マルクスが労働日の短縮を重視したのはそれが『富』を取り戻すことに直結するからで、日々の豊かな暮らしという『富』を守るには自分たちの労働力を『商品』にしない、あるいは自分が持っている労働力のうち『商品』として売る領域を制限していかねばいけない〔なんという言い草だ! 大学に職を得て安穏に暮らしている小ブルインテリの彼の頭の中は“お花畑”なのか――引用者〕」(NHKテキスト「100de名著『資本論』p.63)と。

 

確かに、「労働日の制限・労働時間短縮」は労働者にとって最重要の課題だ。しかしここで声を大にして言うべきことは、そもそも自らの労働力を「商品」として売らざるを得ず、長時間労働や過労死などの労働苦が働く人々――この人たちの日々の労働なくして現在の社会は一日たりとも存続できないにもかかわらず――に降りかかってくるのは彼ら直接的生産者である労働者から生産手段を奪い取った資本によるそれの私的所有にこそあるのだということではなかったか。

 

「(資本による)生産手段の私的所有」ということに一切触れず、それゆえ耳障りの良い「脱成長的な持続可能な定常型経済を基づくアソシエーションによって地球環境を守れ」といった市民主義的に改変されてしまい(マルクスはエコロジストだったという風に)、マルクス主義の根幹部分、その革命性が換骨奪胎され、現在のブルジョア社会にとって無害化された言説を主張するがゆえに、NHKから出演依頼が来たりして、マスメディアの寵児にもなりえたのだろう(今年新年早々NHKBSで「人新世」というテーマで彼が出演していた)。

 

斎藤氏には、資本主義に対する「怒り」や「憤り」というものがその根底にない、「疎外された労働からの解放(賃労働の廃絶)」という視点が全くないのだ。だからこそ革命主体としての労働者人民といった視点が皆無(最近共著『コモンの「自治論」』〈’23年〉を読む機会があったがそこでの変革主体は大学教授や精神科医、東京都杉並区長などの小ブルインテリども)だからこそこういった解説にしかならないのだろう。

 

(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか(宮本 博)

                  

 

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

 大阪の『海つばめ』読者から、「12.3 非常戒厳令事件」について投稿がありましたので、全文紹介します。

 

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

宋実成(ソン・シルソン)

(社会言語学者・猪飼野セッパラム文庫スタッフ


1.「12.3 非常戒厳令事件」

12322時、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳令」を発令した。特殊部隊が国会と選挙管理委員会に侵入、職員たちと衝突した。銃口をつかんで「쏘라고!(ソラゴ:撃てよ)」と絶叫した女性の姿は強烈だった。国会では「非常戒厳令撤回」が緊急決議され、尹は44時に撤回に追い込まれた。金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防相をはじめ、警察庁長官・検察総長・ソウル警察長官など政府首脳ぐるみの企てで、尹に批判的な政治家・政党・運動団体・ジャーナリストらの拘束を狙っていた。首謀者たちは逮捕され、金竜顕は拘置所で自殺を図るも未遂に終わった。「開かれたウリ党」ほか野党が提出した7日の「大統領弾劾決議案」は、与党「国民の力」議員らのボイコットで廃案に。拘束を免れている尹錫悦は「非常戒厳令」の正当性を強弁し、いまだ大統領の座に留まる。14日、一部の与党議員の「造反」で「弾劾決議案」は可決されたが、与党議員の大半は大統領を擁護し続ける。若い女性たちをはじめ老若男女が街中に繰り出し、「尹退陣、内乱首謀者処罰」を求めて連日抗議デモを開く。弾劾裁判所は180日以内に大統領罷免の結論を出す。ところで、尹錫悦をはじめとした韓国保守がなぜこのような愚挙に出たのか、そして、なぜ失敗しても権力にしがみつくのか。朝鮮韓国の歴史から事件を考察する。

 

2.韓国保守の淵源と保革対立の本質

 李朝時代(13921910)年、朝鮮農村を支配していたのは貴族「両班(ヤンバン)」だった。ソウルから派遣された代官「郡守(クンス)」が地方行政を司ったが、年貢の徴収など行政を円滑に運ぶには、在地の両班との友好関係が必須だった。そのため在地両班は、広大な農地と奴婢(ぬひ)の保有が認められ、両班が奴婢を殺害しても罪に問われなかった。1894年の「甲午改革」によって両班や奴婢などの身分が法的には廃止されたが、社会的には維持された。旧両班たちは奴婢を引き続き所有すると共に、地主として小作人をも支配した。日本の植民地期(19101945)、朝鮮総督府は旧両班地主による奴婢の所有を黙認していた(金宅圭(キム・テッキュ)『韓国同族村落の研究:両班の文化と生活』、学生社、1981)。旧両班地主層は「面長(ミョンヂャン、村長)」として植民地支配を地域で担うことで、農村に君臨した。官憲との連携の下、あらゆる民衆運動を監視・弾圧し、日本帝国の総力戦体制に協力した。李箕永(イ・ギヨン)の小説『(タン、大地)』(1948)では、面長の身内の若者は徴用対象者から外し、他家の若者たちを徴用工として送り出した様子が描かれる。1945815日の日本敗戦=朝鮮の解放に伴って朝鮮全土に「人民委員会」が組織され、「親日派の清算」と「農地改革」が課題となった。米軍政下の南朝鮮では人民委員会が弾圧されたため、親日派が「反共保守」に衣替えして生き残った。ソ連軍政下の北朝鮮では19463月の「土地改革」で地主の土地が没収されて小作人や零細農民に分配され、両班地主の家の奴婢たちが解放されて市民となった。「8時間労働制・男女同権」も実施され、「民主改革」が急速に進んだ。この北朝鮮での「民主改革」が南朝鮮の民衆運動に波及して1946年の「大邱(テグ)10月抗争」や1948年の「済州(チェヂュ)島4.3事件」が起こり、戦後日本の民衆運動にも影響を与えた。朝鮮戦争(19501953)期に韓国社会から左翼的なものが一掃されて以降、あらゆる運動が「非左翼・反共自由民主主義」を前提にした運動へと変質した。1970年代以降「経済発展」は、民衆に低賃金労働・無権利・言論抑圧を押し付けて実現された。1960年に李承晩(イ・スンマン)大統領を退陣に追い込んだ「4.19革命」、1980年の「光州(クァンヂュ)事件」、1987年の「7月抗争」などの民主化運動は、韓国の保守体制に対する民衆の怒りの爆発であり、韓国の民主化は民衆の多大な犠牲の上に実現してきたのである。

 

3.歴史の反動としての「12.3 非常戒厳令事件」

 尹錫悦は、ソウルの南、公州(コンヂュ)の「代々、儒学者を輩出してきた名門の家柄」の出である(「朝日新聞」2021111111面)。すなわち「両班」の一族だ。両親ともに大学教授で、父親は「韓国経済学会会長」も務めた。尹は1960年ソウル生まれで、ハイソな子弟が通う名門進学校を経てソウル大学法学部を卒業、検察総長を務めた際に文在寅(ムン・ヂェイン)政権と対立して保守のヒーローに祭り上げられた。大統領選挙本部を自身の幼なじみや知人らで固め、大統領に就任するや彼らを政権中枢に据えた。進歩(革新)政権が実現した成果を覆し、保守・対北強硬・親米親日政策を推し進め、労働・市民運動を弾圧した。「女性家族省の廃止」を公約に掲げて青壮年男性の「女性嫌悪」を煽った(「朝日新聞」20223117面)。その結果、昨今韓国では、男性による女性への殺傷・性被害が頻発している。家父長制と男尊女卑の家庭環境で育った尹ならではの振る舞いだ。「徴用工問題」では、過去の清算を握りつぶして日本政府と妥協した。尹の祖父らが村の有力者として植民地支配を担った事実を隠蔽するのと、先の戦争と植民地支配を推し進めた共犯同士の同盟が目的である。尹錫悦の政治、ひいては、韓国保守の政治は、政治的主権、社会的富の所有と分配をめぐる経済的主権、教育と情報をめぐる知的主権を歴史的支配層出身者たちが独占してきた寡頭政治である。それらを民衆たちが奪い取る過程こそが、1920年代から50年代までの朝鮮の民衆運動であり、50年代から今に至る韓国の民衆運動と言える。5歩進んで3歩戻り、さらに5歩進む…。尹錫悦時代は3歩戻る反動期であり、次に5歩進むことは明らかだ。韓国の民衆はそうやって民主主義を実現してきた。アイドルグループ「New Jeans」の所属事務所に対する労働争議はこのような風土だからこそ起こったのだ。韓国でもほかの国でも市民たちは「労働者としての意識、民衆としての意識」を強く持っている。一方で、日本の市民たちの「労働者意識、民衆意識」はどうだろうか?

日米軍事訓練に対する与那国島住民の反発

728日~87日に実施された日米軍事訓練「レゾリュート・ドラゴン(不屈の龍)24について、沖縄で闘う仲間から投稿がありました。紹介します。

 

日米軍事訓練に対する与那国島住民の反発

 

南西諸島で実施されている日米軍事訓練は、年ごとに濃密に密接にどこまでも高まる気配を見せつつある。海つばめ(第1480号)は「加速する日米軍事同盟の一体化」、2+2「統合軍司令部」を新設という一面トップを掲げた。その内容は新たに「統合軍司令部」を新設し、米軍・自衛隊の連携強化を図り、米の核に依存した「拡大抑止」を推進することを明らかにした。

 

そのことの一端が離島防衛を想定した訓練「レゾリュート・ドラゴン(RD24」であり、728日~87日に実施された。89日の沖縄タイムス記事(「だまされた」 住民反発 与那国 軍備増強 目の当たり)で示された、人口約1700人の与那国町での訓練に対する住民大衆の反発から、いかなる教訓を得ることができるかを確認していこう。

 

どこまで行くか日米訓練 

 

報道の記事では、陸海空の従来領域に宇宙、サイバー、電磁波の新領域を加えた陸自の「領域横断作戦(CDO)」と小規模部隊を島嶼部に分散させる海兵隊の「遠征前方基地作戦(EABO)」との連携が確認されたとしている。

 

大分県の日出生台(ひじゅうだい)演習場では、日米の共同調整所を開設した机上訓練、輸送機からの物資投下などの訓練、対着上陸作戦では、島嶼部への侵攻を試みる敵に対処する想定で、敵の航空機、艦艇を撃破する訓練を行ったとしている。

 

沖縄県内の訓練では、各駐屯地などでのミサイル発射機の展開、物資や患者の輸送訓練を実施し、与那国町に初めて海兵隊の最新型の対空レーダーを空自のC輸送機で搬入し、台湾に近い関係上、中国軍の無人偵察機にたいする警戒・監視体制の強化を図る訓練を行った。

 

 それらの訓練に留まらず、これからも米陸軍のミサイル部隊や電子戦能力を統合した「マルチドメイン・タスク・フォース(MDTF)」を前線に機動展開して、ミサイルで戦う作戦構想であり、22年に奄美大島での日米共同訓練で使用した高機動ロケット砲システム「ハイマース」も、南西諸島でも展開されるとタイムスは予想している。

 

 日米訓練から見えてくるものは、巨大な軍事力を持つ中国軍隊に対し最大限の抑止力を持つとするならば、日本国家・自衛隊が米国等の同盟国との連携を謳うとしても、さらなる日米の連携とともに、日本独自の軍事力を強める方向に突き進むことは避けられないであろう。

 

そのことは、日本において巨大な軍需産業を育成することに繋がり、それは軍需独占企業の利益に繋がり、それはまた戦争体制の維持強化に繫がり、まさに軍事体制の国家に成り上がるかも知れない。とするなら、沖縄の元大学教授の知識階級が好む「素晴らしき憲法」「素晴らしき民主主義」の説教も現実の動きによって、木っ端みじんに砕かれるということになるであろう。

 

住民の「だまされた思いだ」という言葉から導かれることは何か

 

 沖縄タイムス記事での与那国の住民が発した「だまされた」との声を紹介しよう(前掲の沖縄タイムス記事参照)。沖縄の方言で言う「わじわじ」(恐怖や怒りで震えるさま)しながら、「信じられない」という言葉として発せられたのだ。

 

 最初に米軍・自衛隊の訓練に対する〝考え〟を明らかにしておこう。

 

米軍広報担当に対する記者の「訓練は中国の現状を踏まえたものか」の問いに対する回答を自衛隊側はさえぎり、「共同連携の要領を確立するためで、特定の事態を念頭に実施しているものではない」と述べた。

 

しかし、そのあとの日米幹部の会見で在沖海兵隊トップのロジャー・ターナー中将は、中国は尖閣諸島の領有権の主張を強めていると非難し、「日本や他の地域の同盟国に対する侵略に迅速に対応する準備ができている」と、言明したとのことである。

 

それはまさにすべての離島住民を九州各県に避難させる計画の意味が、中国に対する戦争を想定し、日米軍隊は奄美を含めた南西諸島の住民の犠牲を完璧に防ぐためということになり、縦横無尽に南西諸島で攻撃防御に動き回り、焼け野原にしたあとに住民は返って来ることを想像することを余儀なくさせられる、「偽りの夢か」「本当の夢か」と、うなされるようなものである。住民は想像力なく盲従する「ふりむん」(「愚か者」のこと)ではないのだ。

 

 今度の共同訓練に与那国の住民は何と答えたか。与那国防衛教会会員の76歳の女性は、「いくら中国が乱暴でも、刺激して住民にいいことは一つもない」。彼女は、「災害時のことも考えて配備に賛成した。まさか台湾有事と騒ぎ立て、ミサイル部隊や米軍が入ってくることになるとは思っていなかった。だまされた思いだ」と話した。町民有志の会見では、「軍備があるから安心というのは大間違いで迷惑だ」、「想定外のことばかり起きている」との声が出た。

 

先の米軍広報担当の回答を自衛隊側がさえぎったのは、ここに原因があるのではないか。住民が与那国に米軍までやってくるとは思っていないこと、自衛隊はそのことを熟知していて、米軍が本当のこと、与那国も含めて南西諸島での展開訓練をするという真実を語ることを恐れたのだ。

 

自衛隊が災害救助を餌に宣伝するのは今に始まったことではないが、日米軍隊が何故そこまで訓練するのかを住民が理解することができないのは、立憲民主党・社民党・社大党・共産党などの、民族主義的だったり、観念的な平和主義的な闘いしか提起してこなかったこと、そして狭い視野に留まる市民主義者・市民運動家たちの責任でもあるのだ。

 

さきの女性は言った、「いくら中国が乱暴でも」と。単に聞けば誰でも言うことであると思うかもしれないが、だが「習近平」権力はまさに「乱暴」ではないのか。

 

国境の島に生きる住民の知識の中に、いくらかの「中間項」を広げて理解して行けば、中国が経済的に急速に発展したこと、その結果として強大な国家・軍事国家であることを知るだろう。そうなら、中国は「国家資本主義」という、日中労働者が連帯して闘うべき体制という認識に行きつくだろう。

 

だが、既成政党・市民主義者は何一つ科学的に説明することはないのであり、軍事情勢に対する正しい認識を与えていない。住民の「いくら中国が乱暴でも」という素朴な認識のままである。既成政党の住民啓発における無能さは明らかである。

 

 同じ記事のなかに、防衛ジャーナリストの半田滋は、有事回避を「例えば中国と大臣級同士での話し合いの場をより多くつくるべきだ。信頼関係を構築し、万が一にも有事に発展することがないよう最大限の努力をしないといけない」と、腹黒い国家、腹黒い大臣同士が対話するのは相手を出し抜き、誰が世界を支配するかを競っている時に、このような言葉を吐くとは、「いくら中国が乱暴でも」と、記者に語った素朴な彼女にも劣っている。

 

世論調査からは自民党支持率が20数%に下がるのに、野党は全く上がらないのはどうしてか、それは労働者階級から見放されたことを如実に物語るのである。

 

階級的な立場を省みない既成の政党に期待するのでなく、中国が国家資本主義であることを知り、日中ともに帝国主義であることを知り、資本主義を克服した将来の社会のことを知り、これから伸びしろのある「労働の解放をめざす労働者党」とともに、闘いの道に参加しよう。 (K

 

 

《参照》

沖縄タイムス記事 202489

「だまされた」 住民反発 与那国 軍備増強 目の当たり

 

 【与那国】大規模実動訓練「レゾリュート・ドラゴン24」で、与那国町には民間港や空港から自衛隊と米軍が次々に物資などを運び込んだ。米軍は最新型の対空レーダーを島内で初めて展開。「台湾有事」や「抑止力」を名目に進む軍備増強を目の当たりにし、自衛隊誘致に賛成した住民からも「だまされた」との声が上がっている。

 

 陸自与那国駐屯地で訓練を報道関係者に公開した4日、1人の記者が米軍の広報担当者に「訓練は中国の現状を踏まえたものか」と質問した。すかさず「それはこちらから回答します」と自衛隊側の担当者がさえぎり、「共同連携の要領を確立するためで、特定の事態を念頭に実施しているものではない」と続けた。

 

 その直後にあった日米幹部の共同会見では米側の本音が透けた。在沖海兵隊トップのロジャー・ターナー中将は中国を4回名指しし、尖閣諸島で領有権の主張を強めていることを非難。与那国での訓練の意義を強調した上で「日本や他の地域の同盟国に対する侵略に迅速に対応する準備ができている」と、台湾有事などを念頭に中国をけん制した。

 

 これには、かつて自衛隊誘致に携わった住民も反発する。与那国防衛協会会員の前楚美津子さん(76)は「いくら中国が乱暴でも、刺激して住民にいいことは一つもない」と考える。

 

 与那国に配備の自衛隊は沿岸監視隊だから実際に戦闘することはないと聞いたという前楚さん。「災害時のことも考えて配備に賛成した。まさか台湾有事と騒ぎ立て、ミサイル部隊や米軍が入ってくることになるとは思っていなかった。だまされた思いだ」と憤る。

 

 4日に町民有志が開いた会見では「軍備があるから安心というのは大間違いで迷惑だ」「想定外のことばかり起きている」と抗議や懸念が広がった。

 

 安全保障政策に詳しい防衛ジャーナリストの半田滋氏は「米側からすれば東洋の島国の、さらに最西端の島を足がかりにして中国に圧力をかけたい狙いがある。でもそこには住民がいる。いざ抑止が破れた場合、戦場になるのは沖縄の島々だ」と問題視する。

 

 有事を回避するための本質は外交と指摘し、「例えば中国と大臣級同士での話し合いの場をより多くつくるべきだ。信頼関係を構築し、万が一にも有事に発展することがないよう最大限の努力をしないといけない」と話した。(八重山支局・矢野悠希)

パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅰ》

『海つばめ』読者から「パレスチナ・イスラエル問題について」の投稿がありました。パレスチナにおけるイスラエルの残虐な軍事行動が続く中で、この問題を考えるのに意義のあるものと評価し、労働者党の考えとは必ずしも一致しないところはありますが紹介します。なお、ブログ掲載直前に投稿者から「一致しないところ」についての連絡があり、ほぼ指摘通りですので、それも最後に紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)

 

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について宮本  

 

僕のパレスチナ・イスラエル問題に対する基本的な考え方を述べることにする

イスラエル国は19485月の建国以来すでに76年近く経っており、およそ950万人(74%がユダヤ人、21%が二級国民とされているパレスチナ系アラブ人、他キリスト教徒の白人・黒人・アラブ人など)が住んでいる。一部のパレスチナ過激派(ここで言う「過激派」とはハマス【注】のことではない)は「ユダヤ人国家であるイスラエルを地中海に叩き出せ!」と主張しているがまったく現実的ではなく、ユダヤ人とパレスチナ系のアラブ人との共存・共生、さらにはより一層の交わり融合を目指して国会(クネセト)に議席を持っている政党やそういった考えを持っている多くの市民も存在している状況――ユダヤ人とパレスチナ人との婚姻も最近は珍しい事例ではなくなってきているという――にあってはまったく現状を見ていない極論であって首肯し難い。【注:イスラム抵抗運動の意。20061月に行われたパレスチナ立法評議会選挙で、それまで13年間パレスチナ自治政府を担っていたファタハに代わりハマスが大勝利を収めた。イスラエルによる占領の下請け機関と化し、腐敗したファタハに対する住民の失望の現われだった。07年に、ハマスはファタハのメンバーも入れて組閣し、統一政府の承認と引き換えに、1993年のオスロ合意のラインに沿って、ガザとヨルダン川西岸に主権を持ったパレスチナ独立国家を設立し、イスラエルと長期にわたる休戦条約を結ぶ用意があると申し出たが、アメリカがカザのファタハの治安部門に武器を提供しクーデターを画策、内戦になったが機先を制したハマスが勝利し、以後、カザを統治することとなった。ハマスがイスラエルの殲滅を企画し、二国家案を受け入れていないと日本も含めた欧米の政府が言い、大手メディもそのように報道しているが、現実はその真逆で、イスラエルがパレスチナ独立国家の樹立およびパレスチナとの共存を否定し、ヨルダン川西岸から地中海までユダヤ人至上主義のアパルトヘイトを維持しようとしているのである。】

 

現在のイスラエル政府は202212月にこの間3年半に5回もの選挙をやり直すという混乱を経て成立した連立内閣で、首相のネタニヤフは右派政党「リクード」の党首で、彼が選んだ連立相手は、イスラエルが紀元前1000年頃のヘブライ王国のダビデ王の時代のように運営されることを掲げ極右の宗教政党と言われる「宗教シオニスト党」や同じく極右政党で超民族主義と反アラブ主義を掲げパレスチナ全土をイスラエルに併合すること(「エレツ・イスラエル」)をスローガンにしている「ユダヤの力」であり、イスラエル史上最右翼の政権だと言われている。

 

1967年の第3次中東戦争で占領したヨルダン川西岸やガザ地区の民生を担当する第2国防相、あるいはヨルダン川西岸の治安・警察業務担当の国家安全保相という重要な閣僚をこうした極右・宗教政党の党首が就任している。それ以来、ヨルダン川西岸でのユダヤ人の入植者によるパレスチナ人に対する暴行・殺傷や彼らの所有地から追放後に入植地を政府公認の下に拡大したり――ほとんど国際的な政治的記事を掲載しない職業上僕が購読している『日本農業新聞』にも暴行され住居を壊されオリーブの木も重機で引き抜かれて生活ができなくなったパレスチナ人が難民キャンプに身を寄せざるを得なくなっている事例が数多く報告されていた――、ゲットー化されているガザ地区への締め付けのより一層の強化が行われている。これを、「国家テロ」と言わずして何と言えばいいのか。

 

イスラエル出身のユダヤ人の反シオニスト歴史家で、イスラエルにいると命の危険があるのでイギリスに出国し現在はエクセター大学パレスチナ研究所長をしているイラン・パペ(『イスラエルに関する十の神話』や『パレスチナの民族浄化』などの日本語訳がある)は107日のハマスによるイスラエルへの越境攻撃後に言う、「イスラエルの政治体制が変わらない限り、今後も流血の連鎖は終わらないだろう」、と。彼が言っている、現在の「イスラエルの政治体制」とは一体どういった体制なのか。

 

昨年1024日、グテーレス国連事務総長の発言がイスラエルの鋭い反発を招いた。国連安全保障理事会で演説した彼は、107日にハマスが行った“虐殺”を最も強い言葉で非難する一方で、それが何の文脈もなく突然に起きたのではないことを世界に思い起こさせようと、1967以来56年間にわたるガザとヨルダン川西岸の占領と、あの日起きた悲劇との関わりを切り離すことはできないと説明したのである。

 

すると即座にイスラエル政府はこの発言を非難した。グテーレスがハマスを支持し彼らの実行した“虐殺”を正当化していると主張し、事務総長の辞任を要求し、イスラエルのメディアもこの流れに乗っかり事務総長が「驚くほどの道徳的破綻を示した」などと主張した。

 

「イスラエルの変わらなければならない政治体制」とは、こうした反発が反ユダヤ主義の定義を拡大し、イスラエル国家を批判すること――イスラエル国家が人種差別的でアパルトヘイト国家だという言説やBDS運動(ボイコットBoycott、イスラエル国内からの投資撤収Divestment,制裁Sanction)【注】など――によって「ユダヤ人の民族自決を否定しようとする」ことはすべてナチスによるユダヤ人へのホロコーストの受難を疑いまったく無視する反ユダヤ主義なのだ、という言説がイスラエル国内に大手を通って流布されており、そうしたことを先頭に立って扇動する現在の「イスラエルの政治体制」である。【注:この運動は南アフリカでの黒人へのアパルトヘイトを止めさせる大きな武器となった。】

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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★ 自民党と反動の改憲策動、軍国主義路線を断固粉砕しよう!
★「搾取の廃絶」と「労働の解
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★労働者の闘いを発展させ、
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