労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

苦悩し闘う労働者

パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅱ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

イスラエルにおいては、民主主義をめぐる議論は建国以来繰り返し論争の焦点であった。「イスラエル独立宣言」(1948年)では、この国が、「宗教、人種、性にかかわりなく、すべての住民に社会的・政治的権利の完全平等を保障する」と言うように「イスラエルは民主主義国家である」と宣言した。

 

しかし、1992年に制定された「人間の尊厳と自由―基本法」――イスラエルには「成文憲法」というものは存在せず、「基本法」が憲法に相当している――の法文は「この法律が保障する諸権利は適当な目的のため、または必要を越えない限度で制定されるユダヤ人国家の諸価値に適合する法律、およびこのような法律の下において発効した規定による例外を除いて、侵害されてはならない」(同法第8条)ことを定めており、意図的にイスラエル国内のパレスチナ人マイノリティを排除する内容であった。

 

まさに、ユダヤ人国家イスラエルの「ユダヤ人」の特権的地位を前提にしているものであったが、さらのその上リクードのネタニヤフが首相時の20187月、イスラエル国会(クネセト)は「基本法―ユダヤ人国家法」を7票の僅差で可決成立させた。「イスラエル国家はユダヤ人の民族国家であって、その主権領域内における民族自決権はユダヤ人によってのみ専権的に行使される」旨を内外に表明したのである。

 

この結果、従来はヘブライ語と並んで公用語とされていたアラビア語はその地位を失いヘブライ語のみが国家公用語と規定され、パレスチナ自治政府の行政地区のヨルダン川西岸におけるユダヤ人入植地の建設・発展・拡大については民族理念の具現化としてイスラエル政府が「推奨して促進する国家的価値」と明記され積極的に推進されることが法規範に明記されるなど、イスラエルはその「ユダヤ性」を著しく強調することとなったのである。それはイスラエル独立宣言の理念(「イスラエルは民主主義国家である」)と全くかけ離れたかつての南アフリカと同様の「アパルトヘイト国家」へと変質していったことを露骨に示している。

 

1993年のイスラエル首相のラビンとPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長による「オスロ合意」が’95年のユダヤ人過激派の青年によるラビン暗殺によって頓挫破産して以来、政権を握ったリクードの歴代政権はパレスチナ人によるテロ攻撃をフェイクを交えて誇大に強調アジりガザやヨルダン川西岸の入植地に数十キロにわたる高さ8メートルの分離壁――その壁面には覆面画家のバンクシーなど多く画家の描いたイスラエルのやり方を批判する壁画が描かれている――を建設して、ユダヤ人国家イスラエルの生存権と自衛権を声高に喧伝することによって、連立政権に向けられた国民の政治的な批判――107日の直前までネタニヤフは汚職容疑で窮地にあり、さらに司法制度改悪などの批判で連日のデモなどによって政権維持が困難な状況にあった連立内閣が、ハマスの越境攻撃に対して1948年来の「第2次独立戦争だ」と扇動することによって1011日挙国一致の戦時「救国」内閣が改めて組織できたということで辛うじて延命できた――やイスラエル国内に蓄積していく経済的な社会的矛盾からする不平・不満を逸らしてきたのである。

 

現在イスラエル国内のユダヤ人には、西欧出身・東欧出身・ロシア出身(1991年のソ連邦崩壊後には数百万のユダヤ人が入国した)の白人、西北アフリカ出身のアラブ人、アフリカ(特にエチオピア)出身の黒人などがいて、そのそれぞれに経済格差や分断が著しく階層・階級分化も急速に進んでいると言われている。定数120名の国会(クネセト)に議席を持っている政党は10ほどで、建国以来どの政党も過半数を取ることができず、ひとつの政党ではなく常に複数の政党による連立政権でしか行政府が組織できなかったことがその証左である。

 

こうした状況のなかでイスラエル国内において労働者階級がさらに成長してきて彼らのなかから自らの利益を最終的に擁護する労働者政党が形成され、現在のイスラエルの政治体制を根底から変革すること、そしてそれによってその後、パレスチナに住んでいるアラブ人が希求する民族自決の自立した国民国家――現在のパレスチナ自治政府にしてもガザ地区住民にしても、大量の国際的な資金・食料援助なしには存在も生活維持もできない寄生的な状態に置かれている――を創っていくことが重要であると僕は思う。

 

現在の歴史的段階において、イスラエルに求められているのは、真にマルクス・レーニン主義に基づく「労働の解放をめざす」労働者政党の結成と一時であれユダヤ人、パレスチナ人や他のキリスト教徒の人々の共存・共生とより一層の交わりと融合を唱える民主主義的な勢力との共闘によるパレスチナ人の民族自決権を決して認めようとしない現在の“歯まで武装している”入植型植民地国家イスラエルの変革と、一方ではパレスチナ人の民族自決による統一された国民経済による国民国家(Nation State)の形成、そして、その両者による“川から海までの”パレスチナにおける一国家連邦制あるいは二国家併存しかあるまい。勿論、イスラエルの現在の政治体制の変革が先んじて行われなければならないことは言うまでもない。今のところ僕は、パレスチナ・イスラエル問題の根本的な解決はこれ以外にはないだろうと思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

        Ⅱ      


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅲ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

最後に改めて言いたい。かつて大日本帝国が中国侵略を推し進めていった時に、「匪賊」――毛沢東率いる共産軍は「共匪」――と呼ばれた日本帝国主義に抵抗し神出鬼没のゲリラ戦によって現地日本軍を大いに苦しめたナショナリスト・民族主義者の武装集団がいた。この頃、大陸各地に点在していた日本人居留地にいた一般の日本人を度々襲って殺傷したのは各地に割拠していた軍閥やその敗残兵だったのだが、当時の日本からすれば一括りにされた彼らは明らかに「残虐非道なテロリスト」だったのだ。

 

20世紀以後におけるナショナリズム・民族主義には二つの歴史的段階があるように思う。つまり、抑圧され無権利状態に置かれた或る民族が民族としての自決権を要求する解放運動の歴史的段階と、すでに自決権も主権国家も保有しており、領土拡大ないし領内の少数民族を排除しようとする植民地主義的な歴史的段階とがある。

 

21世紀に入ってから中国共産党が主導する中華人民共和国の動向――憲法を改悪してまで国家主席3期目の習近平は「偉大なる中華民族の復興」を掲げて、香港での国家安全維持法による圧政、チベット自治区の人々やウイグル自治区でのムスリムへの弾圧抑圧、南シナ海での独善的な領海設定や一帯一路路線などの帝国主義的で覇権主義的な海外膨張など――を見るにつけて、1949101日に統一された国民国家として建国された植民地解放の民族解放闘争を闘ってきた以前とそれ以降の国内国外の権威主義的で大国主義的な出来事の推移を比べるとそのように思わざるを得ない。

 

僕は、今日の世界各地で起こる出来事を判断する際には常に、そのそれぞれの人々が置かれている状況が人類の歴史上、経済的・政治的・社会的に、どういった歴史的段階であるのかということを物差しにして行うよう心掛けており(それが唯物史観的な観方だと思っているから)、パレスチナ・イスラエル問題を考える場合もそうしたことを基本的なスタンスにしている。

 

パレスチナに住んでいるアラブ人の民族自決による国民国家(Nation State)建設を主張するのも彼らにとってはそれが現在の彼らが置かれている歴史的発展段階に最も即応していると思うが故である。かつて1910年代、レオン・トロッキーやローザ・ルクセンブルグは帝国主義のもとでは「帝国主義がある限り実現不可能だ」、「社会主義はすべての国境と無縁なのであって、帝国主義によって除去された国境を再現する」からなどという理由で被抑圧民族の「民族自決権」を否定した。

 

これに対してレーニンは、それは「帝国主義的経済主義」であって、民族自決は可能であるばかりではなく不可避であること、それが一つの改良であり、民主主義の実現であるにすぎないとしても世界の諸民族の社会主義的な融合にとって一過程であること、帝国主義による併合や搾取や束縛などの「強制ではなくして、万国のプロレタリアの自由な同盟にもとづく、諸民族の接近」が必要なことを繰り返し強調して、彼らを批判した。

 

レーニンは言う、「あらゆる民族的圧政に対する闘争――これは。無条件にイエスだ。しかし、あらゆる民族的発展のための、『民族文化』一般のための闘争――これらは、無条件にノーだ」(「民族問題における批判的覚書」1913年、『レーニン全集』⑳ p.21)、と。僕はこの言葉を、前半の「イエス」は当然だとしても、後半の「ノー」はまさに“至言”だと思っている。それは、どういうことか。

 

近年小ブル・インテリどもがやたら持て囃している、多様な民族・慣習・言語・文化の共存・共生を唱える多文化主義・文化相対主義が人口に膾炙する今日の状況にあって、とりわけ強調したい。こうした考え―――まさに、第一次大戦前に「人種・民族のるつぼ」と呼ばれたバルカン半島を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国において、民族問題の解決策として、諸民族の独自性・自立性を唱えた上での調和ある併存、平和的な共存・協調を提唱して、帝国内での諸民族の自治権を要求したオットー・バウアーらのオーストリア・マルクス主義者の直系の嫡子なのだ――は民族排外主義を補完するメダルの裏面に過ぎない。

 

純粋で固有な文化や民族という概念は国民国家があるいは国民国家の時代が生み出した“創られた神話”であって、他文化・他民族の尊重や自民族中心主義の克服を目指す多文化主義・文化相対主義ないし多民族主義は文化や民族の多様性を認めるものの文化や民族を単一の孤立し閉じられた体系と見なすこと――この最終的な行先は各民族ごとの「アパルトヘイト」になる以外ではない――によってお互いに垣根をつくって恒常的な交流による相互融合・相互変容がなされていくという積極的な発展を阻害することになりかねない。

 

レーニンが「ノーだ」と言ったのは、そういった意味であると僕は思う。そもそも、いかなる民族・文化といえども決して孤立してもっぱら内在的に自立・自律して成長発展してきたわけではなく、他の民族・文化との間に様々な関係を取り結び、それによって種々多様な作用を受け変化変容し融合しながら発展してきたはずであって、あらかじめ孤立した諸民族・諸文化が存在し、何らかの理由で偶発的に交流が行われたのではなく、逆に交流という現象が先にあって、つまり交流が常態だということである。

 

その点で言えば、日本史の教科書での平安時代の「国風文化」は894年の遣唐使の廃止以後の日本独自に発展した文化なのだといった解釈は明らかに誤っている。国としての公の正式な相互交流は無くなったにしても、民間交流はそれまで以上に盛んになっていたのである。

 

パレスチナの大地の上に住んでいるすべての人々、ユダヤ人やアラブ人、その他多くの人々がお互いに分け隔てなく交流しながらより一層の融合が行われること、そして、そうした流れの障壁となって妨害し敵対する現在のイスラエルの政治体制の変革──その変革を可能にするために、アメリカ、そしてナチスのホロコーストへの贖罪意識からイスラエルの生存権と自衛権を国是にしているドイツとフランスなどの西欧諸国の財政的・軍事的な援助の即時停止を世界の労働者は掲げるべきである──こそが、現在最も求められていることであると僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

          Ⅲ    


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅳ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《》(宮本   博)

 

──追記──

僕がネットなどで手にしたグローバル・ノースの日本を含む西側諸国の主流メディアでは絶対に報道されていない情報がある。これについて少し述べたい。

 

107日当日ハマスの戦闘員の1人が「越境攻撃の目的」――今回、なぜ「人質を取ったのか」ということ――について以下のような手記を残している。

 

「(イスラエル領内にある)キブツを襲撃し、住民を人質にすることについては、当然、異論もあった。ガザ地区を縁取るパレスチナの村々の土地の上に、その住民たちをガザに放逐したのちに建設されたこれらのキブツは、イスラエル軍のガザ地上進攻に際して、その前哨基地として使われる準軍事施設であり、住民たちは武装しており、多くは戦闘訓練を受けた予備役の兵士だ。だが、そうだとしても、それを襲撃し、戦闘服を着ていない彼らを人質にとることは国際人道法違反だ。しかし、それを戦争犯罪だと批判するなら、世界よ、どうか、教えてほしい。

 

イスラエルの刑務所に、ただ占領の暴力に抵抗したがために何カ月も、何年も、何十年も収監されている5000人ものパレスチナ人の父親たち、母親たち、息子たち、娘たちを解放するのに、ほかにどのような手立てがあるというのか。やむを得ず人質を取る。しかし、彼らには絶対に危害をくわえない。彼らはやがてぼくたちの隣人に、友人に―――もしかしたら恋人に―――なる者たちだ。ぼくたちが撒くのは憎しみの種ではなく、共生の種、友情の種なのだから」(手記の一部)。

 

それを証明するように、キブツで人質になったが生還したヤスミン・ポラットは、「テロリストたち」が終始、人質を人道的に遇していたと証言している。またガザに連行された人質たちを前にハマスの軍事部門のトップ、ヤヒヤ・シンワルはヘブライ語で「絶対に危害を加えない」旨、誓ったという。

 

人質交換において、ガザから解放される人質はパレスチナ人戦闘員と握手して別れたり、アラビア語で「シュクラン(ありがとう)」と言ったり、また、幼い娘と人質になったいた母親は、娘を大切に扱ってくれたことに対してヘブライ語でハマスに感謝の手紙を書いていることからも、この誓約が守られていることが分かる。

 

107日の出来事はイスラエル政府および軍により「ハマスの残忍なテロ」として世界に喧伝され、「自衛権の権利の行使」という直後から始まったイスラエルによる未曾有の攻撃は、時をおかずガザのパレスチナ人に対するジェノサイドとなった。「ハマスの残忍なテロ」は、このジェノサイドを下支えする言説的基盤を提供した。

 

しかし、この数か月のあいだに次々と明らかになった諸事実は、そのようなものとして喧伝された出来事の多くは事実無根であることを示唆している【注:野外音楽祭で起きたとされる集団レイプも、イスラエル警察は一件も指摘していない。目撃者証言が多々「引用」されるものの、被害者はもとより、目撃者による直接証言も存在しなかった(その後、『ニューヨークタイムズ』紙が目撃者の名前入りで証言を報道したが、証言を裏付ける具体的事実は上がっていない)。それが実際に起きたと信じるに足る証拠はいまだ何ひとつ提示されていないのが実情だ】。

 

107日に関して確実な事実として言えるのは、この奇襲攻撃でイスラエル側に1000人以上の犠牲者が出たことだ【注:当初、1400人と発表された死者数はその後、1200人下方修正され(200人はパレスチナ戦闘員であることが判明したため)、その後さらに、1147人に修正された(理由は不明)。ここにはイスラエル側の数百人の警官や戦闘員も含まれている】。

 

イスラエルのハアレツ紙によれば、身元が判明している902名のイスラエル側の死者のうち民間人は556名、これら民間人には、生還者の証言や証拠から、ガザの戦闘員によって殺された者もたしかに存在する一方、イスラエル軍が、人質として捕われている者たちが中にいるキブツの住宅を砲撃したり、人質・捕虜としてガザに連行される途上の車両を攻撃用アパッチ・ヘリからのミサイル攻撃したりしたことで殺された者たちも多数含まれていることが分かっている。

 

その内訳は不明である。犠牲者の親族は、愛する家族がこの日、どこで、誰によって、どのように殺されたのか明らかにすることをイスラエル政府に求めているが、政府は依然、その公表を拒んでいる。公表すると都合の悪い理由があるからだと考えるのが自然だろう。

 

イスラエル政府が情報公開しない以上、107日の出来事の全容は不明だが、少なくとも言えることは、頭を刎ねられた40人の赤ん坊(あるいは、オーブンで焼かれた、あるいは洗濯紐に吊るされている赤ん坊)がでっち上げであったのと同様、イスラエル当局発表の「ハマスの残忍なテロ」なるものも捏造であるということだ。

 

襲撃された野外音楽祭は当初、前日で終了予定で、土曜日まで延期されることは直前になって決定されたのでガザの戦闘員にとっては想定外だったことが判明している。また、イスラエル軍の攻撃によって、人質や捕虜が多数殺害され、それが自分たちの「残忍なテロ」の証拠されることや、戦闘員の越境に続いてガザから飛び出した非戦闘員がキブツで狼藉を働くということも想定外であったという。

 

はじめに記したハマスの戦闘員の手記は次のような文で終わっている、『白人国家だった南アフリカが虹の国になったように、川から海まで、パレスチナも虹の国になる。この土地の上に、ぼくたちは未来を植える。ああ、母さん、故郷が見えるよ。朝日に照らされたぼくたちの故郷が。ぼくらの娘たち、息子たちがやがて還る、虹色の故郷が』。僕たちが普通TVや新聞などの主流メディアから得る情報はかなり加工され、ブルジョアジーの代弁者である権力者の意図を忖度した情報、都合の悪いものが隠され偏向した一方的な情報だということを改めて確認しなければならないと僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅴ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《》(宮本   博)

 

 改めてこの僕の文章を読み返すと、ハマスによる越境攻撃を少なからず認めるようなニュアンスだったと今更ながら反省しきりです。ハマスによる攻撃はいかなる理由があれ許されるものではありません。今回のハマスによる越境攻撃は彼らにとってもイスラエル政府・軍によるガザへの報復攻撃が予想されるなかで行われました。

 

 どんなに崇高な理念を掲げていようと、結局は、36日現在4万人近く(その7割が女性と未来ある子供)にのぼるイスラエル軍によるジェノサイドに結果しました。たとえそれがイスラエル軍の行った悪逆非道な所業だったとしても、それはハマスが越境攻撃を行なったが故だったのです。

 

 この虐殺された女性たちや子供たちの未来、その他多くの人々の命を奪ったこと、これが「ユダヤ人からのパレスチナ大地の解放」という「大義」のための“尊い犠牲”、いわゆる「人柱」だったとは僕には到底思えません。代表委が「労働者党の考えと必ずしも一致しません」とあるのは多分このことかもしれません。

 

また、最後の方で「パレスチナ人の国民国家形成」というところまでしか述べていない舌足らずの点もあるのかもしれません。他の箇所もあるのかもしれません。どういった点で「労働者党の考えと必ずしも一致しません」とあるのか、Iさんが知りうる範囲でいいですから僕に教えていただきたいと思っております。いろいろ農作業の傍らに「或るパレスチナの若者のテクスト」を読んで僕自身心がふるえ胸に迫るものがあり、何か書かなければと急に思い立って文章にしたものだったのです。後悔先に立たずで、かなり反省しているところです。(宮本博)

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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介護問題に関する投稿の紹介

介護問題に関する2つの投稿がありましたので紹介します。ひとつは介護の現場が非常に厳しいという生々しい現実を暴露するもので、もうひとつは医療・介護職場での労組の闘いの報告です。労働者党は介護問題について、2019年の参院選で「困難な介護問題の解決には共同体原理の適用以外にない」と訴えて闘いました。投稿紹介の後、労働者党の介護問題のパンフレットを紹介します。

 

投稿1)どうなる?介護保険制度

 

2023830日の、厚労省の社会保障審議会・介護給付費分科会は、「2040年には訪問介護事業所を約5000増やし、訪問介護員(ホームヘルパー)を約32000人追加確保する必要かある」といった試算を示しました。20年には約114万人だった在宅介護利用者は、40年には152万人に増加するといわれています。

 

ヘルパー不足は深刻で有効求人倍率は全職業の平均が21年、103 倍だったのに対し、介護の求人は364倍になっています。

 

高齢者の在宅生活を支えるヘルパーは減少を続け「最期まで在宅一といったケアが続けていけなくなっているのが現状です。

 

これまで1%前後のプラスを維持してきた介護労働者の入職超過率(常用労働者で割った入職率と離職率の差を示す)が23年の秋、初めてマイナスを記録(マイナス16%)したのです。——548000人が介護分野の仕事に就いたが61700人が離職。離職者が増加する原因は、何と言っても3K職場で、賃金は低く、雇用が不安定といったところにあるのではないでしょうか。

 

神戸市のkWユニオンでは、介護関連の労働者の交流会を定期的に行なっていますが、そこへ参加してみると、大変な状況の中で働いているヘルパーたちの声が上がっていました。グループホームで働く20代の男性は、「人手不足で、8日連勤や月12回の夜勤がしんどい。」また別の訪問介護の20代の男性は「9時、17時の基本勤務だが、早朝や夜の訪問の仕事を入れてかろうじて生活費を維持している。平均すると一日10時間ぐらい働いている。」と話していました。

 

交流会では、大阪市の特養で、組合を失敗も経て結成したという、頼もしい報告もありました。 (42年間の国労書記を経て、母親の介護の経験から、67歳で特養に就職)総職員300名中、パートと正社員計 9名で労組結成。地道に交渉を重ねているということです。私は登録ヘルバーで、移動時の困難さを報告しました。

 

2024年度の介護報酬は159%引き上げられました。(6年に一度の診療報酬と司時改定)2000年度の制度発足時から、1割負担の原則だった介護保険の利用料は、2015年には一定以上の所得の人は2割負担になり、2018年には、単身で年収340万円以上の人には3割負担も導入され、今後2割、3割の対象者が増やされようとしています。介護の社会化がうたわれた介護保険制度のもとで、介護難民といわれる人たちはさらに増えていきそうです。金持ちしか介護を受けられなくなるといったことが、現実のものとなろうとしています。

(兵庫・A)

 

投稿2医療・介護職場の2023年末の闘い

労組無視の賃金表改訂策動を阻止、勝負はこれから

 

医療・介護事業所を市内外に 30 数か所運営、パートを含む総職員 500 名を抱える職場の昨年末一時金交渉はクリスマス前の 12/22 に妥結、支給は正月目前の 12/28。一方、月 172時間労働の職員(2016 年までは一年契約の非正規だったが、労使交渉で無期雇用となる)138 名の受け取る一時金は基本給の 1.01 倍、平均 20 万円にも届かない。コロナ対策補助金がなくなる一方、新型コロナ感染は依然収まらず事業所閉鎖も相次ぎ上半期は赤字決算だ、「原資がない」との経営側を突き崩しての大幅譲歩は勝ち取れなかった。

 

マスコミ報道でご存知のとおり、介護職の低賃金は他の職種と比べ平均月7万円少ないと言われており、当職場でもそれが裏付けられる。138名には看護師も含まれるので介護職に限れば月給はもっと少ない。

 

現在の介護職給与表の一部を紹介する。

1号棒「132,500 円~142,500円」、2号棒「133,500 円~149,500円」・・・・25号棒「156,500円~210,500円」。なお入職1年目の賃金は1号棒、2年目の賃金は2号棒が適用される。公務員なら3か月で号棒がひとつ上がり、一年後は5号棒から始まる。

 

202310月から適用された県最低賃金は時給897円で、事業所の義務的月労働時間172 を乗ずれば月額154,284円。この額は22号棒「153,500 円~208,500 円」適用者でも最低賃金を下回る労働者が出る。2008 年作成の賃金表は 2019 年には最賃額に追いつかれている、と労組は指摘してきたが、ここ数年の最低賃金増額(労働者にとっては小幅だが)で全くの違法(最低賃金法)状態になった。

 

額の低さも問題だが、同じ号棒に〝幅〟があり、号棒が増すごとにその幅は大きくなり、1号棒で10,000円、25号棒では実に54,000円の差がある。そしてその差に関する客観的な根拠は明示されていない。

 

団交ではこの点について「他の事業所からベテランさんに来てもらうために入所一年目でも差をつけたいため」と口頭説明があった。労組側は、「前歴換算表を作成して、号棒適用を上げればよいだけだ、ただし、一つの号棒には一つの賃金額が対応する〝当たり前〟の賃金表に戻す必要がある」と指摘してきた。

 

賃金は労働条件の最も重要な要件であり、労資の敵対的利害を反映する。労働基準法第2条では「労働条件は労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである」とあるが、実際は「絵にかいた餅」である。資本の支配する体制では資本側(経営側)が圧倒的に優位であり、労働者は「合法的」に不利な条件を飲まされることになる。賃金額決定についても、この第2条の「労使対等」は労働者の組織力や団結力、実力行使(ストライキ)の闘う態勢があって初めて「同じリング」に上がれる、そして初めて譲歩を勝ち取ることができる。

 

現行法上、就業規則の一部である賃金規定は労働者の意見を聞いたうえで、それが「賛成でも反対でも」に関わらず、労働基準監督署に届けられて受理されれば、職場の法律としてまかり通ることになる。

 

2008年の賃金規定は当時の経営側に「してやられた」のであり、まんまと監督署に受理され、その低賃金のもとで15年にわたり職員は呻吟を強いられてきた。

 

昨年12/13の団体交渉にて、最低賃金に抵触する賃金表改訂にむけて経営側具体案が配布された。介護職賃金表は1号棒「154,800 円~206,400 円」(時給900円~1200円)・・・40号棒「162,000 円~409,400円」(時給942円~2380円)。最賃を3円上回る低賃金、幅のある体系は相変わらず、16号棒「154,800円~311,400円」まで同一号俸での最低額は同じ、つまり最賃額を僅か3円!上回る時給900円を16年続けるのか!?

 

当然、労組が問題点を指摘すると、経営側は改定案を回収し、再検討を匂わせた。ところが後日、経営側が各職場(事業所)に改定案を配布し労働者代表の意見を集約しようとしていたことが判明。労組は職場委員会で検討し、12/19に「抗議及び申し入れ」(労組無視の対応は不当労働行為であり厳重に抗議、謝罪と労組との誠実な協議を求める。無視の場合は県労働委員会に不当労働行為として救済申し立てする旨)を行った。そして、冒頭の12/22団交席上経営側から「謝罪と回収」の言質をとるに至る。

 

労組の執行委員連絡網より、12/31A職場2120○○理事より回覧している賃金表を中止するよう指示あり」、B職場2123賃金表中止、再検討、新たな賃金表だすと事務者から言われた」、2127C職場「回覧はもともと中止を所長に求め、待ってもらっていた」、私 2327「事務、運転、調理、清掃の職種を一つの賃金表で済ませている、賃金額の低さをはじめ、2008年の賃金表の体系は変わっていない、つっこみどころ満載だ、一年後に改訂必至の短命賃金表だ、理事の方は、もし自分の子や孫が、こんな賃金表のもとで働いていたならどんな思いをもつのでしょうか?出入り業者に納入額を買い叩くのと同じ感覚で賃金を抑え、かつ恣意的に(基準や決まりに拘束されず、つまり説明できず、好き勝手に)賃金額を決めることができるように〝幅〟を大きくしておきたいと考えているように思います。それでは透明性も客観性も保証されず、認める訳にはいきません」、委員長「皆さん、来年も力を合わせて頑張っていきましょう」。資本の労組無視の賃金表改訂策動を阻止し、生活改善のために労働者の闘いは続く。 団結を固めて労働者の階級的な闘いを前進させていこう。(愛媛 FY)

 

 

労働者党「困難な介護問題の解決に向けて」パンフレットの紹介

(序文から抜粋)

https://wpll-j.org/japan/books/books1.html#senkyopannhu1

 

 現在、社会保障の問題、その中でもとりわけ「介護」の問題は今後10年、20年の日本の国家、国民にとって最大の、そして最重要な困難な課題の一つになっています。この問題を賢明に、そしていくらかでも正しく解決できるかどうかは、日本の近い将来の経済、社会、さらには国民の生活を大きく左右するといって決して過言ではありません。

 

この小パンフは、まさにそうした課題に応えるために、19参院選を前にして提出されるものです。私が、介護保険制度が発足した2000年以降、20年足らずの間に、時に応じて、また我々のなかでの議論中で執筆し6つの小論文を収めてあります。

 

しかし執筆された時は前後しています。冒頭の文章は、病を得て病院に入院していた昨年の暮、難しい介護問題に対する解決の道を明らかにしようとして記した、いわば我が党の基本的考えを、綱領的観念を素描したもので、その後の5つの小論は、その観念を一層具体的に、あるいは深めて展開したものです。基本的な観念を擁護しつつ、その上に立って、内容はそれぞれ別個の課題に応えるもので区別されます。

 

「介護の担い手を家族から社会全体へ」の合言葉と共に発足した2000年の介護保険制度から20年、介護問題の現実は解決に向かうどころか、一層の難しい状況に直面しており、少子高齢化のさらなる進行の中で、財政の面からも、それを担う“人材”の面からも崩壊に瀕しているのが現状です。

 

発足時の介護制度の総費用は3・6兆円でしたが昨18年には11兆円を越え、要介護認定者は約20年で、218万人から644万人の3倍に急増し、さらに敗戦後の三年間に、数百万の規模で生まれたいわゆる「団塊の世代」が75歳以上の後期高齢者になる25年以降には介護問題は危機の頂点を迎え、費用の点でも担い手の面でも崩壊に瀕します。

 

何と25年には認知症の高齢者は700万(高齢者の5人に1人)という、空恐ろしい数字に跳ね上がると想定されています。介護の担い手は245万人が必要と算定されていますが、数十万も不足し、安倍政権も目先のことに場当たりに対応するだけで、なすすべも知らず、てんやわんや右往左往するだけです。海外から数十万の“人材”を導入し、依存するしかないと大騒ぎですが、これも確実な見通しのあってのことではありません。

 

 私たちはそんなときに、参院選に向けての闘いの中で、この問題に対する一つの解決策を提出し、労働者・働く者にその信を問うことにしました。

 2019年3月6日 林 紘義(参院選比例区候補)

困難な介護問題の解決に向けて

【目次】

一、困難な介護問題の解決――共同体原理の適用以外にない

二、問題だらけの見切り発車――2004年実施の介護保険制度

三、カネと賃労働で解決可能か――資本の下での〝高齢者介護〟の限界

四、破綻する現行介護制度――苦悩する介護労働者たち

五、介護問題の真の解決のために――〝介護の社会化〟を超えて

六、社会保障制度の真の解決の前提――労働の解放とその合理的、全般的な再組織、再編成

 

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