―かく闘いたり、 一闘争委員の報告―
運動員が増してくると、宿泊の問題が起きてきた。事務所は闘争委で満員(最大六人)で、それ以上泊まれないので、事務所から歩いて数百㍍のところの新アパートの一室を、一ヶ月程借りることにした。契約はIさん(闘争委長)や圷さんがやってくれた。
最初は、事務所が六人だと狭いので、闘争委の宿泊に利用する予定だったが、動員が増えるに従い、新たに来て頂いた運動員や代表委の宿泊所として利用された(ちなみに、闘争委が利用したのは筆者の二泊のみで、他の闘争委は最後まで宿泊できなかった。写真は選挙事務所の様子、右があくつ候補)。
また「新アパ」は、後に日中はポスターの裏打ち、葉書の修正、ビラの証紙貼り等の作業場として大いに活用された。しかし、そこには、北久里浜のニトリから仕入れてきた三組の布団(レンタル料より安く買えた)しかなく、それでも収容できないので、横浜駅前のカプセルを三つ予約して使用して頂いた。中には、事前に自分でホテルを予約して来て頂いた方々もおり、大変な迷惑をかけた。特に女性の方々は、長期にわたり宿泊先を確保(横浜や鎌倉等に)して頂き感謝申し上げたい。「宿泊先は確保できた」ということであったが、宿泊の問題も今後の課題として残った。
ビラの宅配は、十月八日をもって終了した。この宅配には、神奈川や埼玉のシンパ、Mさん(静岡)の娘さんにも参加して頂き、連日、精力的に続けることができた。特に神奈川のシンパのYさんは、街宣時のビラ撒きやポスター裏打ち、証紙貼り、葉書修正など、長期間にわたり党員と代わらぬ労力を頂き感謝したい。また、Mさんは静岡から(明け方始発のJRに乗って)、夫婦交代で幾度も駆けつけて頂き、娘さんも土日を利用して三度も手伝ったもらうなど、まさに家族総出の闘いであった。その他、この記には載せられなかった多くの各支部の党員の方々にも感謝します。
ビラの宅配総数は、街宣ビラも含めて、約七万枚(正式な枚数は後ほど出るとして)程であった。十万枚という目標には到達できなかったが、猛暑の中を「やりきった」という感が強い。Sさん(闘争委)の緻密な計画に基づいて、横須賀市に初めて大量の「労働者党」の主張が届けられた。
一方、政党ポスター(大と小の二種類)はかなり早くから事務所に届けられ、その計画も考えられたが、手間暇がかかるということで全て断念し、ビラ配布に集中したことを併せて記しておきたい。
最後に、宅配の中で筆者が今でも思い出す景色がある。それはどこであったか忘れたが、高台の坂道を息せききって登りながらビラを撒きつつ、行き止まった所から目に飛び込んできた光景。―鮮やかな紺碧の海に浮かぶ濃緑の小さな島の光景―思わず疲れを忘れた瞬間!美しい相模湾の「絵葉書」に、筆者は思わず微笑んだ。三浦海岸といい、ここはまさに観光地なのである。
宅配は終ったが、宣伝カーによる朝晩の駅頭街宣とビラ配布、その後の流し、小演説は間断なく続けられた。一日には、林議長が乗車し、二日には三浦駅と長沢駅で、三日には朝晩とも衣笠駅で、四日には朝晩とも横須賀中央駅で、五日には久里浜駅と衣笠駅で、六日には追浜駅でというふうに。
一方、事務所や「新アパ」で仕事をしている闘争委や運動員は、その時間になると中断して、筆者の車(さいわい七人乗り)で、或いはバスや電車を乗り継いで、その日の駅頭に集合し、圷候補の演説を聴きながら、ビラを撒いた。
特に二十代、三十代の若い労働者(男女とも)は受け取りが悪い。ある者は、身体をよじって拒否し、すり抜けていく。四十代以降は、時々受け取る。受け取りの良いのは、ある程度年配の労働者たちで、特に女性はよく受け取ってくれる。
ある時、若い女性労働者がわざわざ来て、「下さい」と言って取っていった。珍しいと思いながら、圷さんが今訴えている「非正規労働者」だろうかと思ったりもした。朝は皆急いでいるので、夕方の方が受け取る率は高い。中には、がんばってと千円をカンパしてくれた年配の労働者もいた。
十月八日の夕方からは、ポスター(約八百枚)の裏打ち作業が始まった。両面テープで囲い込む方式が採用された。Tさん(代表委)が段ボールの切れ端で作った物差しを使って一人がテープをカットし、もう一人がポスターに貼り付ける分担作業である。大阪からは新たにKさんやMさんが新幹線で、静岡からはTさんやMさんが車で駆けつけ、運動員は最大となった。
作業の中心は「新アパ」で行ったが、ネットで注文したテープが少量しか届かず、夕刻に市内の店を何軒か回って買い占めに走った。静岡組はホテルに持ち込んで作業を続けた。余談ではあるが、大阪組は、豪快で愉快な人たちが多く、作業中も話題に事欠かかなかったが、作業は順調に進み、九日夜には、明日十日告示分(約六百枚)は完成した。
また、ネットで注文するはずだった候補者タスキは間に合わず、筆者が急遽手作りすることになった。Wさん(代表委)が買ってきてくれた赤布(白タスキの逆をとって赤タスキに)を圷さんサイズに切って、アイロンで白テープを貼り付けた。「あくつ」の上部に、圷さんのイラスト画を配置した。後で、Iさん(福山)が布を二重にし、M娘さんが持ってきてくれた赤糸でタスキの形に仕上げてくれた。ついでに、残った生地で、「あくつ」と白で大書きした赤旗(あくつ旗)を作った。タスキは選挙中最後までもったし、赤旗は選挙中活躍した。
九日夜には、明日の告示後のポスター掲示隊の集まりを「新アパ」 でもった。二日間で七六三か所(横須賀六三〇、三浦一三三)を貼るのを目標とした。
まずレンタカー五台(軽四、小普一台)を二日間借り受け、K車(静岡)と併せて六組とした。①K、Uさん(静岡組)、②筆者、Sさん(筆者組)、③K、Sさん(大阪組)④K、Mさん(大阪・堺組)⑤D、Iさん(福山組)、⑥H、Yさん(京都組)※前者が運転手。
次に配分に移ったが、神奈川支部が作成してくれた横須賀市の七枚の掲示板地図を参考にして配分した。筆者組は、心強いSナビさんがいるので、横須賀の一番の密集地を受け持った。その他、注意事項等を確認し合った。
十月十日、いよいよ告示日がやって来た。これから十二日間の熱き闘いが始まる。 続く