労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

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黒田日銀の破綻を示す長期金利引き上げ

「『資本論』を読む会」を主宰している仲間からの投稿を紹介します。

研究会終了後に、黒田日銀の20日の政策変更、長期金利の引き上げが論議となり、論議をもとにまとめて整理展開したものということです。

 

黒田日銀の破綻を示す長期金利引き上げ

――財政を劣化させ経済の腐朽、頽廃を招いた黒田日銀の「異次元」金融緩和

 

日銀は12月20日に事実上の長期金利の引き上げを発表した。黒田日銀総裁は、これは日銀がこれまで進めてきた金融緩和政策の「出口戦略の一歩ではない」と強調するが、これまでの金融政策とは異なる大きな転換点となる政策変更である。

 

日銀は金融緩和策として長期金利の上昇を0.25%以下に抑える政策をとってきた。だが、この政策は日米の金利差の拡大もあり大幅な円安を招き、この円安が引き金となってエネルギー高、資源高の中で物価は高騰し、家計、企業財務を直撃し、圧迫することとなった。

 

欧米の中央銀行が相次いで利上げを進めたため、日本でも長期金利が上昇していた。海外ファンドも、今春以降「日銀が金利を抑える政策はいずれ行きつまる」とみて猛烈な日本の国債売りを仕掛けてきていた。

 

「指し値オペ」による国債無制限買い入れの破綻

――金融緩和政策、事実上の国債日銀引き受けの限界が露呈

 

日銀は、海外ファンドなどの動きを阻止して、長期金利を低く抑えるため、今年の4月以降、0.25%程度を越えないよう、国債を無制限に買い入れる「指し値オペ」を異例の毎営業日に行ってきた。その結果、日銀の国債買い入れ長期金利の指標となる10年物国債の利回りだけが下がり、ほかの年度の国債に比べて極端に低下することとなった。

 

国債は発行されるといったん民間金融機関などが買い、それを日銀が市場で買い入れる仕組みだが、この国債売買がなかなか成立しなく滞る事態が生じたことが報道されていた。低金利のもとで財政規律の緩みや市場のゆがみも指摘されてきていた。

 

日銀は声明文の中で「長期金利は、企業が資金調達のために発行する社債の金利を左右する。長期金利の低下で社債のリスクが分かりづらくなるなど、企業の資金調達に悪影響が生じる懸念などが高まり修正する必要があった」との趣旨を述べている。(12/21、朝日)。日銀の政策は行き詰っていたのである。

 

今回の日銀の具体的な政策変更は、国債を無制限に買う「指し値オペ」を0.25%から0.5%に変更するというものである。迫られての、追い込まれた結果としての日銀の政策変更である。黒田は「利上げではない」と強弁するが、マスコミが「長期金利 上限0.5%に引き上げ」と報道するとおりの利上げである。

 

日銀は長期金利の上限をこれまでの「0.25%」から「0.5%」に引き上げたのである。事実、この政策発表の20日には即座に債券市場では0.25%だった長期金利が0.46%の0.5%近くまで直ちに跳ね上がった。

 

今回の政策変更は黒田日銀の「異次元」の金融緩和政策の破綻を示している。日銀が「指し値オペ」で無制限に国債を買い支えるという事実上の日銀による国債引き受けの限界は明らかなものになっている。

 

12年末には国債の日銀保有の占める割合は1割だったものが現在は5割まで増加している。民間金融機関などがまだ保有する低金利の国債の多くが、今回の長期金利の引き上げを受けて、いつ投げ売りに出されたとしても不思議ではない。低金利の国債には買い手がいなくなり、更なる国債の売り圧力が強まれば、国債は暴落し、金利は更に上昇というドロ沼に陥るのではないか。

 

資産の多くを国債が占める日銀の資産の劣化は日本銀行券である日銀発行の「円」の信用失墜にもつながりかねない。黒田の異次元の金融緩和にも見られるカネばら撒きのアベノミクスは財政を劣化させ、経済の腐朽化、頽廃をもたらし、日本の破綻を深化させてきている。

 

国家破綻を準備する「永久国債」

――そのつけは国民の犠牲に、無責任を極める萩生田、自民党議員連盟、国民民主

 

国の国債の利払い費は、低金利のもとではなんとかしのいでいけたが、今後の金利の上昇で国債の利払い費も増加する。利払い費だけ支払う「永久国債」も取りざたされている。国債は、借り替えるとしても、短期であろうと長期であろうと満期で償還期限がきたものは返さなくてはならない。そこでの償還期限のない「永久国債」である。国民民主は「永久国債」を唱え国会で質問すらしている。すでに財政は破綻しているから「永久国債」にして利払いだけで済まそうとの魂胆である。

 

だが、これまでの国債も「借り替え」で債券・債務の関係の継続が繰り返しされてきた。2020年には、借換債を合わせると250兆円を超える国債が発行されている。満期を迎えた国債の98.4%は借り換えされている。このことはこれまで発行の国債の多くは事実上の「永久国債」であったことを示している。それをより野放図に露骨に行おうというのである。結局は国債という名の借金を膨ませるだけである。

 

建設国債及び特例国債の償還については、借換債を含め、全体として60年で 償還し終えるという、いわゆる「60年償還ルール」がある。元本の返済がわずかといえ1.6%でもあるのは60年ルールのためでもある。

 

自民党の「責任ある積極財政を推進する議員連盟自民党議員連盟」(国会議員85名)はこの60年ルールの撤廃を言い、萩生田もそれを受けている。だが、今後は、この国債の利子の支払いさえ困難になるのではないか。国債利払いのための国債発行の累進的拡大という悪循環にさえいきつかねない。まさに、本末転倒の自転車操業さえも予測される。

 

こんな国債を一時的としても引き受ける民間金融機関などは今後なくなるかもしれない、ましてや「永久国債」など償還期限もなく返されるあてもないものを民間金融機関などが持つメリットはない。民間の引き受け手がなければ、戦前と同じの直接の国債の日銀引き受けしかうつ手がなくなるだろう。

 

行きつく先はハイパーインフレか、恐慌、スタグフレーション、はたまた戦争か、借金まみれの国家に未来はなく、破滅、破綻の道を歩んでいる。このことはいずれも労働者、人民、国民に塗炭の苦しみを味あわせことになる。

 

日銀の有害無益な「マイナス金利」政策、株買い「上場投資信託」(ETF)

――経済の停滞、腐朽、頽廃と格差の拡大をもたらす

 

日銀は、労働者、国民にとって無益な全くナンセンスな「2%の物価上昇の達成」を目的として掲げてきた。今、物価上昇率は3%台半ばで「物価上昇は達成」できたというのに、日銀は、賃上げを伴う物価上昇ではないと、まだ今後とも金融緩和を取り続ける姿勢を見せている。

 

日銀は2016年1月にはマイナス金利政策をとった。これは金融機関が企業への貸し出しや投資に資金を回すように促進することを名目としてきた。マイナス金利とは、民間の金融機関が日銀に預ける当座預金残高の一部にマイナス0.1%の金利が適用され、金融機関は日銀に利子を支払うというものであった。

 

このときには市場は混乱し、金利は急低下し、長期金利もマイナスになり、利ザヤを稼ぐことが難しくなった金融機関は日銀の政策の批判をすることになる。追い込まれた日銀は16年9月、下がり過ぎた長期金利を調整し操作する政策に踏み切らざるをえなかった。

 

日銀のこのマイナス金利政策などは金融機関の経営体力を奪い弱体化させてきている。日銀の政策は経済を活性化させるどころか腐朽、停滞、衰弱を招いてきた。この政策は企業、資本が競争せずとも、新たな分野への挑戦、工夫、新技術の開発をせずとも、生きながらえることを可能にした。

 

経済実態を反映しないカネ余り中での株高は一部のブルジョア層、プチブルを富ませただけであり、格差は拡大する一方である。富めるものは一層富み、貧しいものは一層の貧困におちいる。

 

株高には、日銀の幅広い株に投資する上場投資信託(ETF)も一役かっている。ETFのような、値下がりして損失を被るリスクの大きい資産を中央銀行が買い入れることは「禁じ手」とされてきた。

 

日銀が保有するETFの時価は今年3月末時点で51兆円3109億円、時価総額の7%を占める。巨大な資金力から「クジラ」とも呼ばれる年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)も巨額の株を保有している。

 

このETFを日銀が処分しようすれば、株価の大幅下落につながっていく。株価が下がれば。日銀も損失をこうむり、ひいては実質的に国民負担につながる。日銀は国民にひいては犠牲をしいる政策を多々行ってきたのだ。

 

一般予算案で国債頼みの軍事費膨張      

――亡国への道へひた走り

 

世界でも最悪の借金地獄にある日本政府が第2次補正予算で23兆円に近い国債増発を伴う総合経済対策が立てられるのも、「防衛力の抜本的強化」のため防衛費を5年間で43兆円増額しようとするのも、日銀という「打ち出の小づち」があってこそのことである。

 

黒田日銀の低金利の政策は、国債の利払い費を少なくして、政府の巨額の財政赤字を支えるための政策だったともいえる。だが、当初は「黒田バズーカ砲」ともてはやされた日銀の政策の限界が今日ではより露わとなっている。

 

こうした状況のもとで、またもや、国債を財源の多くのあてにした過去最大の巨額の114兆円の一般予算案が閣議決定された。特に「防衛費」、軍事費の財源は「『実質的に赤字国債と変わらない』(政府関係者)……戦前に軍事費をまかなうために戦時国債の発行を続け、敗戦時に超インフレを招いて、国債が紙切れ同然となった歴史を踏まえ、戦後は認めてこなかったものだ」(12/24、朝日)というものである。国債頼みの巨額予算を組みながらも岸田らには危機意識のひとかけらもない。まさに亡国への道である。

 

ウルトラ右派反動派の月刊誌「Will」2月号で安倍派御用達のブルジョア経済学者高橋洋一は「増税? 防衛国債をなぜ出さない!」のタイトルでの対談を行っている。1,000兆円を超える国債借金で首が回らないというのに、自民党、右派反動派、支配者達はいつかきた奈落の道を再び歩もうとしている。

(M)

これこそ正に「表現の不自由展」――会場使用許可取り消し

エル大阪で行われる予定だった「表現の不自由展」の会場使用許可が取り消されたことについて、「よく考え、行動していこう」という呼びかけがありましたので紹介します。

 

 

これこそ正に「表現の不自由展」

――「表現の不自由展」の会場使用許可取り消し

 

 

問題は、エル大阪で行われる予定だった「表現の不自由展」の会場使用許可が取り消されたことである。吉村府知事は「取り消しに賛成だ」と述べている。名古屋でも同様の事例が起きていたし、東京でも開催が延期に追い込まれている。

 

何とも胸の痛くなる事案で、今の日本社会の存在を如実に実感させられ、何をどうすればいいのかが問われている。

 

問題になっているのは「天皇に対する冒瀆」や「従軍慰安婦」などである。さらには「原発事故」も話題に上っているが、天皇の戦争責任などを考えるなら、いずれも先の戦争に日本が参戦し、敗北したことと関連し、更には、電力資本の不備によって、多くの人が移住せざるを得なくされたことと関連している。

 

それにしても、かつてなら、こうした問題はそれほど深刻化しただろうか。確かに、長崎の市長が「天皇には戦争責任がある」と発言し、右翼が襲った事例がある。しかし、他方では、河野談話や、村山総理の振る舞いなど、むしろ「過去の誤りを認める」という姿勢があった。天皇自ら、自己反省していた位であった。

 

考えられる客観的な問題は、今、現在の日本社会が陥っている深刻な資本主義の矛盾である。コロナ禍をキッカケにして広がっている格差拡大、そこに見られる労資の対立が深刻化しているのである。実際に展示に反対している人の意見を聞くと、展示の内容は「日本人」として許せないと云った声がある。それ程、何かに縋(スガ)りつきたい気分を醸成する程、階級対立は深刻化していると言わざるを得ない。

 

自らが生まれ育った「日本」に愛着を抱き、それを傷つけるかの展示物に反発心を抱くのは自然な感情ではあるが、しかし冷静に考えるべきは、その人は日本の何に愛着を抱いているのか?である。一から十まですべてにわたって、日本を無批判に肯定しているのか、という問題がある。

 

例えば、山口県生まれで22歳まで山口育ちの者にとって、吉田松陰は我が誇りであり、それを傷つけるかの言動には「腹が立つ」とは、よく言われる話である。しかし、いくら松下村塾が明治維新の立役者であったとしても、明治維新は(依然として、封建的な土地所有を伴った)ブルジョア革命以上ではなく、社会主義革命ではなかった。したがって、現在から見れば、あれこれと「難癖」を付ける人がおり、それが気になるとしても、それはそれと認めざるを得ない。

 

もし、その難癖にいたたまれないとするなら、歴史を前向きに考え、未来社会を変革していく必要があるのではないか。そして国際紛争が、戦争に発展する事態や、儲けだけの為に電力炉利用する資本の支配を克服していくことが必要である。

 

今の日本は、未だ、ブルジョア社会を克服できてはいない。戦前も、戦後も、資本の支配の下で歴史を歩んできたのであって、それに伴ういろいろな矛盾は避けられなかったのである。問題は戦争責任だけに止まらないで、公害・バブル経済など、挙げればきりがない。そうした問題は問題として、見つめ考えて行くことが必要である。

 

確かに「嫌なものは見たくない」と言う気持ちはある。しかし、コロナ禍の経験は、そんな子供っぽいことに対する反省を、逆に教えてくれたのではないか。同じ日本人だとしても、その日本が抱える問題は問題として認めた上で、冷静に考えるべきではないのか。

 

税金の使い道についても批判は出ているが、公金を担う政治にあれこれ意見するのは大賛成だ。しかし政治は一筋縄ではいかないのであって、意見の相違はつきものである。違った人の意見は聞かないと言うのでは、独裁に陥ってしまうのではないか。

 

それとも今の日本社会は、独裁体制を引かざるを得ないほど、深刻な危機に直面していることを、この事案は示しているのだろうか。いずれにせよ、今回の事案こそ、表現の不自由展を、身を以て体現する、日本の歴史的事案と言えないか。

 

十分観察し、よく考え、行動していこう。 (大阪 Sg)

ルポ べトナム技能実習生の実態(一)

静岡で活動しているKさんから、日本に出稼ぎに来ているベトナム技能実習生の「ルポ」が送られてきました。興味深い内容ですので紹介します。


ルポ べトナム技能実習生の実態(一)

 昨年10月、イギリスで起きたベトナム人の〝コンテナ大量死〟は、日本にも大きな衝撃を与えた。ロンドン郊外で大型トラックのコンテナ内から39人のベトナム人の遺体が発見された。死因は窒息死であった。ヨーロッパでの高賃金を夢見て渡航した若い労働者たちが、悪徳ブローカーによって、輸送手段としてコンテナ内に詰め込まれたものと思われた。日本への技能実習生という名の出稼ぎ労働者の数は日増しに増えている。日本で語学研修を受けているというベトナム人労働者へのルポを試みた。

 

生活苦と100万円の借金

 フンさん(36歳)は、ベトナム中部の出身で、昨12月の末に妻子をベトナムに残して技能実習生として来日した。現在、日本語の研修に励む。

 フンさんの出身地である中部ゲアン省はベトナムの中でも最も経済発展が遅れ、平均収入は北部のハノイや南部ホーチミンの半分以下というから、月収1.5~2万円程であろうか。ベトナムでも北・中・南部の経済格差が広がっており、フンさんは、ベトナムではトビ職の労働者として働いてきたが、長時間のきつい労働の割には低賃金で、また毎日仕事があるわけではなく、家族を養うのが苦しく、一大決意をして来日したという。「ベトナムでの賃金はいくらでしたか?」と尋ねると、たどたどしい日本語で、「1日ハタライテ、40万ドン(約2千円)デス」と答えてくれた。(※1万ドン=約50円)。

 ベトナムでは、1986年の改革・解放路線(ドイモイ(刷新))にともない、貧困の克服や国内の失業対策の名のもとに、海外への労働者派遣を積極的に進めてきた。その結果、2019年度で日本への技能実習生は40万人(全体の24.2%)を超え、中国の41万人(全体の25.2%)に迫る勢いで増加している。その増加率は前年同期の26.7%で、国内の賃金上昇に伴う中国人労働者の相対的減少に対して、ベトナム人は年々増加の傾向にある。ちなみに第3位はフィリピンで17万人であり、外国人労働者全体では165万人をはるかに超えている。

 フンさんは、来日する前の約6か月間、ベトナムの日本語学校で学んだ。そこは全寮制で、19~30歳代の若者たちが学ぶ。授業は朝7時~夜9時過ぎまでの詰め込み教育で、日本式?の礼儀もたたき込まれたらしい。その礼儀とは、正しいお辞儀の仕方や言葉遣い、面接の作法、「ほうれんそう」など、日本で賃金労働者として会社に忠誠を尽くし、会社に従順に従う訓練であったようだ。費用は多額で、日本への渡航費を含めると、ゆうに百万円はかかったとフンさんは言う。「そのお金はどうしたか?」と聞くと、親戚に借りたり、借金をして何とか工面したらしい。


日本は安全で、便利な国 お金ももらえる

フンさんに、「どうして日本を選んだのか?」と聞くと、「日本ハ、アンゼン、キレイ、オ金タカーイ」と答える。出稼ぎ先は、日本が断然トップで過半数を超え、続いて台湾、シンガポールなどが続く。

 日本企業への採用面接は、ベトナム当地で行われ、日本の仲介業者または雇い主の社長が直々に出向いて行われる。採用はかなりの倍率で、彼らには職種を選択する権利はない。仲介業者の話によると、「ベトナム北部や中部の農村に住む若い労働者や妻帯者が好ましい」と言う。理由は当地での賃金が低く、低賃金でも従順に働く労働者が多いこと、また近年問題となっている技能実習生の「失踪」が、妻帯者の場合、比較的少ないという理由によるらしい。日本での実習生の在日期間は3年と決められているが。最低賃金ギリギリや差別待遇などに我慢できず「失踪」する者が増加している。

 フンさんは、何度も面接で落ち、ようやく採用数3人の内のひとりに採用された。採用先は、G県の小さな建設会社で、トビ職の経験者であったことが評価されたようだ。

 内戦やテロ、貧困や劣悪な社会環境からくる治安の悪化に苦しむ人々に比較すれば、なるほど日本は「安全」な国かもしれない。かつてベトナムは、フランスの植民地として苦しめられ、またベトナム戦争により国土や人命が徹底的に破壊された。まだその傷跡が各地に残っていると言われ、社会資本の整備も遅々として進んでいない。例えば、交通面で言えば、ハノイからホーチミン間には旧式の線路は引かれているが、電車は週に1、2便しか走っていない。だから、フンさんは電車に乗ったことがなく、また駅というものを知らない。フンさんの交通手段はどこへ行くにも中古の日本製バイクで、家族3人を前後に乗せて買い物に行くのだという。しかし、考えてみれば、日本も戦後すぐ、1950年代は同じようなものであった。アパートの水道の蛇口から「オ湯ガデル!トテモベンリ」とフンさんは言うが、筆者が幼い頃は水道は冬でも冷たいポンプ式井戸水であった。

 実習生の賃金は、一部月給制もあるが、ほとんどが時間給である。フンさんの場合も時間給で、およそ平均月収11万円程になるという(何と言う低賃金か!)。確かにベトナムでの賃金の5倍ではあるが、その半分を家族に仕送りし、残りを生活費に充てたとしても、5倍をはるかに超える「日本ノ物価タカイネ!」(ちなみに国民食のインスタント・フォーが一袋20円、煙草50円程)という生活の中で、いかに切り詰めたとしても、いくらも残らないであろう。フンさんはまだ働いていないのでその現実がわかっていないようだが、1か月後には厳しい現実に向き合うことになるだろう。
                                   (続く)

                                   静岡・K

『海つばめ』沖縄の米軍基地をめぐる政治闘争

『海つばめ』第1262号(2015.10.18発行)


【主張】沖縄の米軍基地をめぐる政治闘争

――帝国主義の発展は国民全体の反乱を惹起する


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 沖縄の基地移転問題をめぐって、沖縄の翁長知事と、安倍政権の間で、抜き差しならない対立と闘争が生まれ、深化している。翁長は辺野古の埋め立て承認を正式に取り消し、他方、安倍政権は国土交通相に、不服審査と、取り消し措置の効力の一時停止の申し立てを行おうとしている。

 

 両者が譲らなければ法廷で争うということになるが、その間も、政権は埋め立て工事を強行し、継続する構えを崩していない。

 

 沖縄の基地問題の根底は、自民党政権が、そしてまた安倍政権が、軍国主義と祖国防衛の立場に立ちながら、それを米国に依存し、米国の力を借りて貫こうとしているところにある。

 

 もちろん一般的には、沖縄の基地はブルジョア大国の帝国主義の存在と発展の結果であり、その意味では、日本の、沖縄の基地問題の解決も、ブルジョア大国の帝国主義の粉砕と一掃なくてはあり得ない。しかし他方では、日本に、とりわけ沖縄に米国の基地が集中する現実は、特殊的に日本と沖縄の関係であり、また自民政権が、安倍政権が、米国に対する、徹底的な迎合政策を採用し、またそんな立場によって、自らの軍国主義的発展や「祖国防衛」を実現しようとしてきたこと、今もしようとしていることの結果でもある。

 

 彼らは新安保法でも明らかになったように、自らの国家主義的、帝国主義的野望のためにも、米国の支えを必要と考えるのであり、そのためには自ら米国に媚を売り、迎合するのである。

 

 安倍政権は米軍基地を日本からすべて無くすことによっても、米国との同盟関係を維持することはいくらでもできるだろう、しかし彼はこうした主体的で、尊厳のある、相互的な同盟関係にふさわしい態度を決して取らないのであり、取ろうともしないのである。

 

 米国の海兵隊が、日本の防衛のために沖縄に駐留しているのではないという事実は、第二次世界大戦後のアジアと世界の多くの戦争や戦闘によって、そのたびごとに、すでに完全に明らかになっている。

 

 世界の覇権を求め、維持しようとする米国の帝国主義のお先棒を担ぎ、基地まで提供することによって、そんな迎合外交によって、日本の「安全」を買おうと考えるとは、何という情けない、さもしい商人根性であろうか。

 

 それにしても、米国に媚を売り、迎合することで保持される同盟関係とは何であろうか、そんなものは、信頼に値する、本当の同盟関係でないのは明らかではないのか、歪んだ、いびつな、不健全な同盟関係、“主従の”関係ともいえる、不実の同盟関係ではないのか。

 

 尖閣諸島問題一つとっても、日中で、その帰属をめぐって、仮に武力衝突が起こったとしても、米国の軍隊が無条件で駆けつける保障さえない、というのは、米国は、領土問題は当事者同士で解決すべしという立場を取り、それをしばしば公言しているから、米国にとっては尖閣諸島問題は「極東における些事」でしかないからである。

 

 そしてまた、沖縄県民と翁長は、もし日本防衛のために米国の基地が本当に必要だというなら、なぜ基地負担を沖縄県だけに負わせるのか、普天間基地の移設先を基地の集積していて、適切な場所のない沖縄に国家権力の力で押しつけるのか、それは沖縄県民に対する“差別”ではないのか、という問題も突きつけている。

 

 安倍政権は、この問いに何ら答えることができないばかりか――できないからこそ――、権力の力で反対の声や運動を弾圧し、強引につっ走るしかないのである。

 

 帝国主義、軍国主義の発展は、労働者だけではなく、国民の全体にさえその抑圧と野蛮を押しつけるのであり、従ってまた国民の多くの層の反発や抵抗を呼び覚ますのである。

 

 だからこそ、帝国主義、軍国主義の発展は、同時に専制主義の発展やファシズム勢力の台頭であり、そうでなくてはならないのである、あるいは専制政治やファシズム勢力の台頭や力なくして、帝国主義や軍国主義も十分に発展することはできないのである。

名護市長選の敗北(3)

一歩後退迫られる辺野古新基地建設反対の闘い

     ――名護市長選の敗北――(3)

 

とにもかくにも、今度の名護市の市長選の敗北は、辺野古の新基地建設反対の闘いが一歩後退を迫られた、という事である。そして、11月に予定される県知事選までに態勢の立て直しができるかという事が問われているが、それこそが問題である。

 

だが、「オール沖縄」という寄せ集めの勢力では的確な選挙戦略を期待するのはかなり困難であろう。すでに、選挙前から「オール沖縄」のほころびは明らかでもあった。

 

それは、副知事の教員人事への介入から辞職に追い込まれた問題においてもそうであった。この人物は元自民党那覇市議の粗野な人物であるが、保守系をまとめるという駆け引きと、押しがあるとして副知事に引き上げられた人物である。しかし、こうした人事を推し進めたこと自体が翁長知事の間違いであったろう。この件が翁長県政に与えたダメージも決して軽くはなかったのである。

 

また、先日「オール沖縄会議」の共同代表を務める金秀グループ会長の呉屋氏の辞任が明らかとなった。名護市長選の敗北の責任をとったとか、自身の新たな県民投票の提案が拒否されたからだと言っているが、企業経営者として潮目の変化を嗅ぎ取り、後方へ退いたという方が妥当なところであろう。いずれにせよ「オール沖縄会議」の弱体化が表面化してきたという事ではある。

 

県民投票に関して言えば、前回の県民投票の成果を軽視することになり、県民投票自体を弄ぶことにもなりかねないであろう。自衛隊配備をめぐる与那国島の住民投票の敗北を見ても、闘いに勝つためには、その実施は戦略的な判断を要するものであり、むやみにやればよいというものでもない。

 

一方、沖縄の我が労働者階級はと言えば、組織労働者が大きく数を減らして、未組織の非正規労働者が5割を超えるまでになり、「貧困問題」が深刻化して久しい。この「非正規の労働者の組織化」という課題は、連合や全労連といった労働者の組織の存立をかけた地を這うような取り組みが要求されるにもかかわらず、これらの組合指導部は、官公労や民間大手の金融・電力等の労使協調の労組の上に胡坐をかき、自らの組織率が低下する一方にもかかわらず、この非正規労働者の組織化をサボタージュして、貧困問題をも対岸のこととして事実上看做しているのが現状である。当然かつてのような選挙闘争への動員も期待すべくもない。こうした堕落した幹部は糺さねばならないだろう。

 

労働者階級が組織力を減らし、闘争力を後退させている限り、熱気が冷めれば分断された個だけとなり、反軍事基地等の運動も後退するのは避けられない。労働者の責任はそれだけ重いのである。

 

沖縄の労働者も現今の苦境を突破するためには、この非正規労働者の急拡大と貧困化という事態を深刻に受け止め、労働運動の強化に向けて能力を最大限に発揮し、あらゆる方策でもって何度でも挑戦しなければならないのだ!

 

まさに、力強い労働者階級の勢力の登場こそが資本の政府に譲歩を迫ることもできるのであり、労働者の未来を切り開く事もできるのである。

 

危険な軍拡政策を強引に推進して火遊びにふける安倍自公政権を退場させるためにも、労働運動の再建と団結の回復に取り組み、力強い労働者階級の政治勢力の登場をも目指す必要があろう!! (沖縄 K

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