労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

朝鮮半島

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

 大阪の『海つばめ』読者から、「12.3 非常戒厳令事件」について投稿がありましたので、全文紹介します。

 

朝鮮韓国史から見た「12.3 非常戒厳令事件」

宋実成(ソン・シルソン)

(社会言語学者・猪飼野セッパラム文庫スタッフ


1.「12.3 非常戒厳令事件」

12322時、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が「非常戒厳令」を発令した。特殊部隊が国会と選挙管理委員会に侵入、職員たちと衝突した。銃口をつかんで「쏘라고!(ソラゴ:撃てよ)」と絶叫した女性の姿は強烈だった。国会では「非常戒厳令撤回」が緊急決議され、尹は44時に撤回に追い込まれた。金竜顕(キム・ヨンヒョン)前国防相をはじめ、警察庁長官・検察総長・ソウル警察長官など政府首脳ぐるみの企てで、尹に批判的な政治家・政党・運動団体・ジャーナリストらの拘束を狙っていた。首謀者たちは逮捕され、金竜顕は拘置所で自殺を図るも未遂に終わった。「開かれたウリ党」ほか野党が提出した7日の「大統領弾劾決議案」は、与党「国民の力」議員らのボイコットで廃案に。拘束を免れている尹錫悦は「非常戒厳令」の正当性を強弁し、いまだ大統領の座に留まる。14日、一部の与党議員の「造反」で「弾劾決議案」は可決されたが、与党議員の大半は大統領を擁護し続ける。若い女性たちをはじめ老若男女が街中に繰り出し、「尹退陣、内乱首謀者処罰」を求めて連日抗議デモを開く。弾劾裁判所は180日以内に大統領罷免の結論を出す。ところで、尹錫悦をはじめとした韓国保守がなぜこのような愚挙に出たのか、そして、なぜ失敗しても権力にしがみつくのか。朝鮮韓国の歴史から事件を考察する。

 

2.韓国保守の淵源と保革対立の本質

 李朝時代(13921910)年、朝鮮農村を支配していたのは貴族「両班(ヤンバン)」だった。ソウルから派遣された代官「郡守(クンス)」が地方行政を司ったが、年貢の徴収など行政を円滑に運ぶには、在地の両班との友好関係が必須だった。そのため在地両班は、広大な農地と奴婢(ぬひ)の保有が認められ、両班が奴婢を殺害しても罪に問われなかった。1894年の「甲午改革」によって両班や奴婢などの身分が法的には廃止されたが、社会的には維持された。旧両班たちは奴婢を引き続き所有すると共に、地主として小作人をも支配した。日本の植民地期(19101945)、朝鮮総督府は旧両班地主による奴婢の所有を黙認していた(金宅圭(キム・テッキュ)『韓国同族村落の研究:両班の文化と生活』、学生社、1981)。旧両班地主層は「面長(ミョンヂャン、村長)」として植民地支配を地域で担うことで、農村に君臨した。官憲との連携の下、あらゆる民衆運動を監視・弾圧し、日本帝国の総力戦体制に協力した。李箕永(イ・ギヨン)の小説『(タン、大地)』(1948)では、面長の身内の若者は徴用対象者から外し、他家の若者たちを徴用工として送り出した様子が描かれる。1945815日の日本敗戦=朝鮮の解放に伴って朝鮮全土に「人民委員会」が組織され、「親日派の清算」と「農地改革」が課題となった。米軍政下の南朝鮮では人民委員会が弾圧されたため、親日派が「反共保守」に衣替えして生き残った。ソ連軍政下の北朝鮮では19463月の「土地改革」で地主の土地が没収されて小作人や零細農民に分配され、両班地主の家の奴婢たちが解放されて市民となった。「8時間労働制・男女同権」も実施され、「民主改革」が急速に進んだ。この北朝鮮での「民主改革」が南朝鮮の民衆運動に波及して1946年の「大邱(テグ)10月抗争」や1948年の「済州(チェヂュ)島4.3事件」が起こり、戦後日本の民衆運動にも影響を与えた。朝鮮戦争(19501953)期に韓国社会から左翼的なものが一掃されて以降、あらゆる運動が「非左翼・反共自由民主主義」を前提にした運動へと変質した。1970年代以降「経済発展」は、民衆に低賃金労働・無権利・言論抑圧を押し付けて実現された。1960年に李承晩(イ・スンマン)大統領を退陣に追い込んだ「4.19革命」、1980年の「光州(クァンヂュ)事件」、1987年の「7月抗争」などの民主化運動は、韓国の保守体制に対する民衆の怒りの爆発であり、韓国の民主化は民衆の多大な犠牲の上に実現してきたのである。

 

3.歴史の反動としての「12.3 非常戒厳令事件」

 尹錫悦は、ソウルの南、公州(コンヂュ)の「代々、儒学者を輩出してきた名門の家柄」の出である(「朝日新聞」2021111111面)。すなわち「両班」の一族だ。両親ともに大学教授で、父親は「韓国経済学会会長」も務めた。尹は1960年ソウル生まれで、ハイソな子弟が通う名門進学校を経てソウル大学法学部を卒業、検察総長を務めた際に文在寅(ムン・ヂェイン)政権と対立して保守のヒーローに祭り上げられた。大統領選挙本部を自身の幼なじみや知人らで固め、大統領に就任するや彼らを政権中枢に据えた。進歩(革新)政権が実現した成果を覆し、保守・対北強硬・親米親日政策を推し進め、労働・市民運動を弾圧した。「女性家族省の廃止」を公約に掲げて青壮年男性の「女性嫌悪」を煽った(「朝日新聞」20223117面)。その結果、昨今韓国では、男性による女性への殺傷・性被害が頻発している。家父長制と男尊女卑の家庭環境で育った尹ならではの振る舞いだ。「徴用工問題」では、過去の清算を握りつぶして日本政府と妥協した。尹の祖父らが村の有力者として植民地支配を担った事実を隠蔽するのと、先の戦争と植民地支配を推し進めた共犯同士の同盟が目的である。尹錫悦の政治、ひいては、韓国保守の政治は、政治的主権、社会的富の所有と分配をめぐる経済的主権、教育と情報をめぐる知的主権を歴史的支配層出身者たちが独占してきた寡頭政治である。それらを民衆たちが奪い取る過程こそが、1920年代から50年代までの朝鮮の民衆運動であり、50年代から今に至る韓国の民衆運動と言える。5歩進んで3歩戻り、さらに5歩進む…。尹錫悦時代は3歩戻る反動期であり、次に5歩進むことは明らかだ。韓国の民衆はそうやって民主主義を実現してきた。アイドルグループ「New Jeans」の所属事務所に対する労働争議はこのような風土だからこそ起こったのだ。韓国でもほかの国でも市民たちは「労働者としての意識、民衆としての意識」を強く持っている。一方で、日本の市民たちの「労働者意識、民衆意識」はどうだろうか?

課題はすべて先送り――トランプと金正恩の首脳会談――

トランプと金正恩の〝世紀の〟歴史的会談は、大した具体的な成果もなく、たった1日で終了した。2人は声を合わせて、そのすばらしい意義について語るが、もちろん、世界の労働者・働く者にとっては、2人の専制的な支配者が、それぞれの利益と野望のために顔を合わせ、取り引きをし、満足したという以上の意味を持ちえない。こうした会談から、世界の、アメリカの、南北朝鮮の労働者・働く者が何らかの有益なものを勝ち取ることができるとしても、それはまた別の話であって、自らの努力と闘いという契機を欠いて、それ自体によって可能になるものではない。

 

金正恩の〝懺悔〟は本物か

 

会談の二つの課題、トランプ側が持ち出した、北朝鮮の核兵器の「完全で、検証可能で、不可逆的な核廃棄」と、金正恩が持ち出した「体制保証」という課題についていえば、いずれも言葉としては合意されたかだが、具体的で、疑いもなく実行され得るという実際的で、確かな保証は事実上何もないし、確認されてもいない。

朝鮮戦争の終結という課題──容易に合意され得て、実現すれば、両者にとってはもちろん、南北朝鮮国民と、世界にとってさえ積極的な意義を持ちえる課題──さえ実現できなかったとするなら、一体何のための鳴り物入りの会談だったのか。


 北の核廃絶については、トランプは金正恩が誠心誠意約束したし、その約束は信用できるといい、金正恩も、それを裏打ちするが、しかしそれを現実に可能にするのはかなりの長い時間がかかるし、それはやむを得ないと、トランプは、会談後はいうが、もちろんそれは会談前に言っていたことと180度ほども違っている。


 北が5年のち、10年のちやはり核兵器保有国であり、しかもインドやパキスタン、あるいはイスラエルのように、世界中の国家から、核保有国として公然と、あるいは暗黙に承認される国家となっている可能性もまた否定できない。


 そしてそんな場合、北朝鮮が〝欧米型の〟民主主義国家ではなく、依然として金正恩のもと、現実と大差のない、金王朝の専制国家として存在しているということさえあり得るだろう。


 金正恩は会談の冒頭で、硬い表情でトランプに向かい、「我々には足を引っ張る過去があり、誤った偏見と慣行が時に目と耳をふさいできたが、あらゆることを乗り越えて、この場にたどり着いた」と、取りようによっては重大な意味を持つ、懺悔ともとれる発言をしたが、こうした発言が具体的に何を意味しているのか、祖父の金日成以来、70年ほどの金王朝の体制とその歴史自体のことなのか、その国民を奴隷化してきた専制体制と、朝鮮戦争を含む、多くの歴史への大罪についてのことなのか──あるいは30年にもなんなんとしたスターリン体制を告発し、否定した1953年のフルシチョフの演説にも匹敵するような意味を持つ反省の弁なのか──は、まだ何ともいえない。


 今のところは、金正恩の懺悔は抽象的なものであって、フルシチョフ演説ほどの全般的で、具体的で、否定的なものではなく、また金王朝の中心にあり、またその体制を代表してきた金正恩が、自らフルシチョフほどの徹底した批判をなし得るとも思われない。


 金正恩は今後の北朝鮮国家の課題は、核兵器による強国ではなく、経済の発展を、したがってまた国民の経済生活の向上や豊かさであるかに語るが、しかし金正恩が一方で、これまで演じてきた毛沢東の役割──これには、専制国家の維持と強大化も含まれた──と決別して、今度は鄧小平の役割を、1人で巧みにやり得るという保証は何もない。

 

トランプに北朝鮮の核廃棄を謳う資格はない

 

 トランプは一方で北朝鮮の核廃棄を強調し、他方で、イランとの核合意は、イランの核保有を制約するのではなく、むしろそれを助長するものだと断じ、単独でもイランとの核合意を破棄し、力の政策、制裁強化の政策に戻ると主張している。イランは反発し、制裁などあれば、公然と核開発を行うと反発を強め、中東における核兵器による新しい軍拡競争の恐怖が高まっている。イスラエルはこれを歓迎し、イラクの核施設の破壊を口にするが、アメリカはなぜ中東の核兵器競争の大本である、イスラエルの核兵器に対して沈黙を守るのか、それを擁護するのか、できるのか。


 自ら歯まで核兵器で武装しながら、そしてロシアや中国などと核兵器の増大強化の競争にさえふけりながら、自分の覇権に異議を唱え、抵抗する小国にだけ、核廃棄を強要する国家は醜悪な国家、横暴で、野蛮な帝国主義の国家ではないのか。


 そしてそんな大国の核政策に追随するだけの、安倍政権の日本もまた同様に、卑しいキツネ――トラの威を借りて、空威張りするキツネ――同然の国家ではないのか。


 周知のように、トランプは今年の初め、ロシアや中国の、核兵器〝近代化〟の策動を口実に、アメリカも負けてはいられないと、新しい、より効率的で、機能的な核兵器の採用を謳い、核兵器による軍事力強化の競争に乗り出すと宣言した。


 アメリカは一貫して、核廃棄の国連の決議に反対を表明し、抵抗してきたが、そんな国家が、北朝鮮に核廃棄を、強大な力を背景に押し付け、そんな資格や権利まであると考えるのである。

 

金正恩の「体制保証」

 

首脳会談では、金正恩はトランプに自らの「体制の保証」を求め、トランプはそれを保証したということになったが、金正恩の願望はナンセンスだし、トランプは一体何を金正恩に「保証」したのか、できたのか。まさか米韓の軍事演習の中止が、金正恩の「体制保証」ではあるまい。

 
 金正恩の「体制保証」とは、一体何であろうか。核兵器こそが「体制保証」を確実にするというのが、これまでの金正恩の戦略であり、考えではなかったのか。もしアメリカとの「対話」で「体制保証」が可能だというなら、最初からそうすればよかったのであって、それが不都合であるとか、可能性がないというのであれば、核武装に走る前に、それを可能とする方法や戦略について反省し、熟考すべきではなかったのか。トランプのような悪党、アメリカ第一主義で、国家利益しか考えないトランプにすがって、核兵器がなくても「体制保証」が可能と考えることは果たして正しく、まともなことなのか。


 北朝鮮を〝民主化〟するというなら、もっと早くやればよかったし、経済自由化が「体制保証」を可能にすると考えるなら、さっさとやればよかっただけである。

 
 核兵器で「体制保証」できないから、核兵器無しで「体制保証」を求めるということは、トランプの強大な軍事力に全面的に従属し、屈従することであり、アメリカに頭を下げ、その従属国家になることによって、自らの「体制保証」を手にしようということでしかない。つまり奴隷の「体制保証」であり、安倍の立場と似たようなものである。

 
 それに、いくらトランプが金正恩の専制体制の「保証」をしても何の意味もない、というのは、北朝鮮の労働者・働く者が決起し、金王朝を一掃してしまうなら、あるいはそこまで行かなくても、労働者・働く者の強烈な不満や怒りの圧力を受けて、金王朝が内的に分裂したり、自ら崩壊して行くなら、誰がその「体制保証」をしようとしても無意味であるのは、例えば1990年代、ソ連共産党と、その帝国主義体制も崩壊して行ったとき、東欧や中央アジアの多くの国家の〝スターリン主義体制〟が持ちこたえられなかった事実からも明らかであろう。

 

金王朝の行方

 

そもそも金正恩が核廃棄と結びつけてかどうかは知らないが、今さらのように“経済改革”や、ひょっとして何らかの〝政治改革〟をやろうとすること自体、僭越であり、途方もないことでないのか、一体金正恩にそんなことを実行に移す、どんな資格があるというのか、能力や可能性があるというのか。


 彼は専制体制の中心にして、絶対的権力を握ってきた万能の〝君主〟であり、反体制の労働者・働く者はもちろん、反体制のもしくは反体制に見えただけの、多くの人々さえ逮捕し、拘束し、牢屋にぶち込み、抑圧してきた人物、自分の叔父であれ、兄弟であれ、殺害さえ辞さなかった人物──もちろん肉親殺しは、野蛮な君主制の本性であって、全世界の王政や君主制の歴史は、日本の天皇制も含めて、そんな多くの実例で満ち満ちている──であって、そんな人間が今、どんな政治改革や〝民主制〟について語れるというのか(金正恩が今、そんな〝改革〟を口にしているということではないが、もし今後も語らない、語れないというなら、彼の新しい立場はますます矛盾したものとなり、金王朝を内部から分解、解体する要因の一つに転化していくだろう)

 
 そして南北朝鮮の融和や接近や経済的関係や結びつきの深化発展は、分裂した国民の再統一と統一国家建設に至るまで留まることはないだろうが、しかし北朝鮮が王政──にわか作りの、たまたま形成された、お粗末な王政であれ、三代も続くなら、すでに概念として天皇制と同様、立派に王政である──のままでは、朝鮮民族の単一の国民的形成は不可能であろう、というのは、かつての東西ドイツの国民的再統合を見ても明らかなように、それがただ民主化されたドイツとしてのみ可能だったのは、決して偶然ではないからである。

 
 とするなら、金王朝の一掃は、統一国家形成を希求する朝鮮の労働者、勤労者の不可避的な要求となるのであり、朝鮮が再び国民的統合を成し遂げるための不可欠の契機、前提である。朝鮮の国民的統合は、金正恩の手によって成し遂げられるのではなく、ただ彼がいなくなることによってこそ可能になる。

 
 この面からしても、金王朝の「体制保証」は、第二次世界大戦敗北後の、英米諸国に対する、日本の天皇制の「体制保証」の要求にも負けず劣らず、破廉恥であり、ナンセンスであり、反動的であろう。あの時、日本が「体制(国体=天皇制)の保証」を求めて、終戦を1週間も2週間も引き延ばしたため、日本の若者や国民が何十万もあたら無為に、余計に死ななくてはならなかったのだが、金王朝の延命のためにも、朝鮮の労働者・働く者の多くの命が無駄に失われるかも知れないのである。

 
 南北に分断され、分裂した朝鮮の国民的再統合は、東アジアにおける、一つの進歩的な要因であり、歴史的過程である、というのは、それは朝鮮の労働者、勤労者が一つのより強大で、団結した勢力として登場するということだからであり、少なくとも日中韓の労働者・働く者の接近と連帯と共同の闘いを促進し、発展・深化させ、強化する一つの契機となるからである。

 

みっともない安倍の周章狼狽

 

 北朝鮮に対する「危険」や「恐怖」をあおり立て、それを政権の浮揚と維持のために利用しようと大騒ぎし、「最大限の圧力」や武力攻撃も辞さずと叫んできた安倍政権は、トランプのまさかの「対話方針」、融和方針への転換に驚愕し、茫然自失したが、しかしやむを得ず、トランプに追随し、雷同することによって体面を保ち、らち問題で得点を上げることで、何とか国民の支持を取りもどすべく、乾坤一擲の?策動に走るしかなくなっている。


 しかしトランプは安倍のためにことさら金正恩に金正恩に圧力をかけたり、何か特別の働きかけをする必要は感じず、らち問題は当事者同士で、金正恩と安倍の話し合いで解決すべきといったそっけない態度をとり続けた。


 アベノミクスの化けの皮もすでに大方はがれ、権力の腐敗と政治的頽廃は行くところまで行きつき、すでに国家主義──日本ファースト──と外交・防衛政策でのみ自己の存在意義を誇示し、延命を策するしかなくなっている安倍は、今やその最後のよりどころさえ失いかねない危機的段階を迎えようとしている。らち問題の「解決」で浮揚しなければ、できないなら、11月の自民党総裁選で勝つ目もなくし、権力を失うのである。勝負時を迎える安倍に、幸運が微笑むかどうかはまだ見えていない。


統一朝鮮国家の可能性

HPで、「統一朝鮮国家の可能性」というメッセージが掲載されました。そこに2月に発行した『海つばめ』1321号参照という指摘があります。ここに、その記事を掲載します。

 『海つばめ』のバックナンバーは党HPで閲覧できますので、ぜひ「労働の解放をめざす労働者党」サイトをご覧ください。

 

2018年2月25日発行『海つばめ』1321号トップ記事紹介

五輪を舞台に〝世界は踊る〟
安倍は〝南北融和〟をなぜ憎む

 

北朝鮮問題や北朝鮮の核問題と関連して、朝鮮の平昌冬季オリンピックを舞台に、主として南北朝鮮の国家(金正恩天皇と文在寅政権)の主導で派手な〝外交〟戦が行われ、米日の〝外野席〟の大国も絡んで、てんやわんやの政治騒動が繰り広げられている。

一方で平和主義者、自由主義者や市民派、共産党などが、南北朝鮮の融和だ、トランプと金正恩の会談だ、平昌五輪をきっかけに「潮目が変わる」と希望的観測にふければ、他方で、トランプや安倍一派は、潮目は変わっていない、これまで通りの圧力路線でやるべきだ、金正恩が屈服して核放棄に転じるまでは会談とか圧力の後退とかはあり得ない、とわめいている。

なぜ憎悪するのか、しなくてはならないのか 

突如五輪をきっかけに始まった南北朝鮮国家の急接近、融和路線の展開にうろたえ、動揺したトランプや安倍は、金正恩にいい顔をするな、そんなことをしてもいいことは何もない、かつての「対話」路線とか、協調・融和の試みはすべて金王朝の時間稼ぎとなり、結局はその核開発・核武装の戦略を利しただけであって、核放棄の努力を失敗させてきたのだ、今は「あらゆる選択肢──つまり武力攻撃も含めて──でもって圧力を最大限に強めていくべきだ」、金正恩の方から頭を下げて「会談」を──もちろん、核放棄もやむを得ないと決意し、折れて──提起してくるまで、日米韓を中心に一致して圧力をかけ続けなくてはならず、ここで妥協したり、甘い顔をしたり、〝融和路線〟──これさえも問題なのに──ならぬ、〝宥和路線〟──譲歩路線、妥協路線──に転換してはならないと叫んでいる。

安倍らは南北の接近や融和の雰囲気に苦虫をかみ砕いたかに顔をしかめ、文在寅は「微笑み外交」などすべきではない、南北の融和などあり得ないし、あってはならない、金正恩と馴れ合ってもまた裏切られるだけだ、止めるべきだといらだつが、しかし南北の朝鮮国民にとっては、南北の接近と融合、統一は南北の労働者・働く者にとって、一つの〝悲願〟であって、他国がそれについてとやかく言ったり、反対する権利も資格もあるはずがない。

安倍らの南北融合に走る文在寅に対する焦りや反発は、朝鮮半島に統一された、強力な国民国家が再建され、登場することに対する、日本のブルジョアや国家主義者たちの警戒といらだちが見え隠れするのだが、彼らの自国第一主義の態度や言動はただ醜く、卑しいだけである。

東西ドイツの統一に賛成し、祝福したというなら、彼らが南北朝鮮の統一に賛成してもいいし、当然と思えるのだが、自らの利害が絡むと、それに反対するのであり、反対せざるを得ないのである。

ブルジョアたちはすでに第一次世界大戦後、レーニンの声に怯えて、またウイルソンの口を借りて、とりわけ後進国家の〝民族自決権〟を承認したのではなかったのか、とするなら、朝鮮国民の、あるいはクルド民族の〝統一〟になぜ反感や憎しみを持つのか、持たなくてはならないのか。

もちろん金王朝の存続を前提とするなら、南北朝鮮の統一はあり得ないだろうが、しかし南北朝鮮の(労働者・働く者の)接近や融和や融合や、統一さえにも反対する理由を、日本の、そして世界の労働者・働く者は持たないのである。

かつて東ドイツのスターリン主義体制の解体が、統一ドイツを生み出したが、近い将来、金王朝の崩壊が、民主的な統一国家を朝鮮にもたらす可能性もまた大きい。そしてそれが日本と統一朝鮮の労働者・働く者の接近や共同、共通の闘いと団結にとって大きな前進をもたらすこともまた明らかである。

悪党は金や習やプーチンだけでない  

北の核所有は許さないと叫ぶトランプや安倍らは、「核廃絶」もしくは核拡散防止という大義名分を掲げ、至極もっともに見えるが、しかし自ら強大な核兵器を所有しながら──あるいはその「傘」に、虎の威を借る狐よろしく安住しながら──核廃絶をいっても何の説得力も正当性もなく、そんな理屈で金正恩を納得させることができないのは当然である。

そして仮に金正恩のような弱小国に非核を強要することができたとしても、イスラエルや中国やインド等々への「核拡散」を阻止することができなかったことはどうなのか、なぜできなかったのか、しなかったのか。 米露が、英仏が、中国やインドやイスラエルや、日本さえも核兵器で武装していいというなら、北朝鮮がそうして悪い理由は何もない。

米日が北朝鮮に非核(核兵器廃棄)を強要したいなら、自らの非核を実行し、核兵器を一掃してから、また一掃する決意や確かな展望を示してから、そうすべきであるのは、コトの道理というものである。

自ら頭のてっぺんからつま先まで核で武装しながら、しかもトランプもプーチンも習近平もみな、核兵器の〝近代化〟だ、効率化=実践化だ、即戦化=小型化だと、ある意味で一層強大な核兵器保有国の地位を目ざしながら、北朝鮮の核保有を許さないなどと、まさに茶番の中でもとびっきりの茶番にすぎない。

あれこれの弱小国は強大国の横暴や圧迫や、強国による奴隷的支配を免れようと、対抗するに有効な核兵器で自ら武装することを決意するかも知れず、また北朝鮮はそうするのである。それが金王朝を守るためであるからといって否定しても、だからといって、金王朝国家に非核を武力でもって強要していいということには必ずしもならない、というのは、トランプ政権のアメリカもまた、自国を守るためと称して核兵器で武装しているからである、イスラエルなどには核武装を認めてきたからである。

アメリカが後援するイスラエルもまたアラブ諸国に囲まれ、国家滅亡の危機を意識して核兵器で武装するのだが、それを黙認しつつ、北朝鮮はだめだなどというのは一貫しているとはお世辞にもいえない。今さらのように、北朝鮮に核兵器を許さないというなら、中国にも、イスラエルにもインドにもいうべきだったのであり、あるいはむしろまず自らにこそ、そういうべきだったのである。

すでに北朝鮮国家の核兵器保有が既成事実になったとするなら、そんな国家を武力で攻撃するということは核戦争を挑発するに等しく、そしてそんな選択肢があり得ないとするなら、トランプにはすでに核武装した金正恩の国家を受け入れつつも、理性も道理もある民主的国家──それがどんな国家であるかは、ここでは厳密に論じない、というのは、トランプや安倍の国家も〝民主的〟国家だといわれているからである──に改革され、変革されることを期待するしかないのである、そして中国やイスラエルやインド等々にそうしてきたのだから、北朝鮮にもそうして悪い理由はないし、そうしたからといって間違っているということもない。

悪玉、善玉の問題ではない  

トランプや安倍は、政治や外交を論じるに、悪党や悪玉と、正義派や善玉という区別に立って議論し、政治外交を行おうとする(そして共産党も善悪の観念を持ち出して、政治的評価に変え、安倍らと同じ思考様式、つまり一種の観念論から出発する)

つまりアメリカファースト、日本ファーストで考え、政治を行うのが、善玉であり、正義であり、他方北朝鮮も中国も米国や日本の利益を損なうかに見える国家や勢力は存在そのものからして悪玉であり、不正義だというのだが、そんな理屈は第一歩から矛盾し、破綻している、というのは、北朝鮮も習近平の中国も、プーチンのロシアも、否、すべての〝国民国家〟、ブルジョア国家はみな根本的には自国ファーストであり、あるからこそ、そしてその限り、安倍らの概念によれば、善玉である──あるいは他国から見れば、悪玉である──、つまりは形や程度や特性が違いつつも、基本的に〝近代国家〟、国民国家、そしてブルジョア国家だからである。

国家とは抽象的、観念的な概念ではなく、歴史的、具体的な概念として国家であり、また歴史的な生産的、社会的な関係の総括として国家であって、諸々の階級関係、支配関係を除いて、その概念を規定することはできないのである。

安倍はトランプに追随して──あるいはその先兵として──、北朝鮮の時間稼ぎ外交、偽りの微笑み外交に惑わされてはならない、断固たる強硬外交、〝武断〟外交に徹することによってのみ、北朝鮮の核武装を阻止することができるのだ、と主張する。

彼らは思いあがって、北朝鮮の方から妥協させるべきであって、こちらからは間違っても譲歩や妥協をしてはならない、話し合いになど応じてはならない、交渉や話し合いは、「ただ北に核を断念させるためだけにやるべき」、あるいは「2トラック」路線(従来の言い方では、〝二股路線〟ということか)もダメだ、それまではただひたすら、動揺することなく、「制裁」や「圧力」を強めていくべきだなどと居丈高にはやし立てている、つまり正義と善は自分たちにあると盲信するのだが、基本的に、トランプも安倍も金正恩とそれほど違った立場に立っていないこと──実際には、アメリカなどが大国であるだけ、一層〝危険で〟、不当な立場であり得る──に気が付いていない、あるいは気が付かない振りをしているだけである。

金正恩が現在、アメリカと「コトを構えたい」といった意思を持っているとか、現実にそんな意思を実行に移そうと考えているといった証拠は何も無いのであって、また金正恩にその実力がないことも余りに明らかである。

切迫した〝国難〟が迫っているかにいう安倍は悪党であって、そんな発言で国民を扇動したいだけである、というのは、そんな悪しき扇動が安倍政権への国民の求心力や依存心を強めることをよく知っているからである。

労働者・働く者は金正恩だけではなく、トランプにも安倍にも挑発的な発言や脅迫的な言辞、軍国主義的策動や軍拡主義を直ちに止めよと要求し、悪者は金正恩だけでなく、またプーチンや習近平だけでなく、トランプも安倍もまた同様であるとして糺弾する。

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