昭和天皇に15年ほど「仕えた」侍従の日記が見付かり、その中の一部が注目を浴びている。
「仕事を楽にして細く長く生きても仕方ない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸に会い、戦争責任のことなどいわれるなど」。
マスコミなどは、こうした天皇の発言は、天皇が晩年まで、「戦争責任」のことを「気にしておられた」──国民のために?──証拠として重大だと騒ぎ立てている。
確かに天皇にとっては、気になることではあったろう。しかし彼は一体、どんな気持で、意図で、自分の「戦争責任」について言及したのだろうか。いくらかでも、真剣で、まじめな契機があったのだろうか。それが問題である。
自分に決定的な戦争責任があると誠実に反省してのことだ、ときっぱり言い切れる人は少ないだろう。歴代の天皇についてみても、自ら歴史に対して、自らが原因の一つになって国民が不幸や絶望や悲劇の歴史を経験したなどということで、「責任」を感じた天皇がいたということは、はばかりながら我々は浅学にして、そんな知識は余り持ち合わせていない。少なくとも、歴史と政治に直接の責任を負わなくなった、古代以降の──せいぜい平安時代、あるいは武士の時代の初期あたりから後の──天皇は、支配階級の寄生的存在として、歴史に対して基本的に責任を負うというより、自らの地位と生存を保持し、生き延びることに汲々としてきた連中、すでに歴史を前方に推し進める、社会の主役から降りた連中にすぎない、つまり〝無責任な〟、そしてむしろとことん利己的で、〝自己中心的な〟連中として、よく知られている。そんな連中が眞の意味で歴史と国民に対して「責任」を自覚し、それを背負うことはないし、ありえなかった。
昭和天皇も同様であり、彼は例えば1931年から45年までの、内外の諸国民に対して、労働者・働く者に対して露骨に抑圧的、収奪的であり、凶悪だった日本のブルジョア帝国主義の時代について自ら「責任」を感じたり、それを主体的に自覚し、引き受けるどころか、最後には、自らその加害者どころか被害者の役割を演じることで「戦争責任」の罪から逃れ、マッカーサーに助けられるなどして、1945年以降の歴史を生き延びてくることができたにすぎなかった。
彼が例えば東京裁判で「戦犯」として裁かれ、死刑になった、太平洋戦争中の〝盟友〟の東条に対し、その行為や「戦争責任」に対して、どう考えていたかは明らかになっていないが、しかし彼が東条らに対してとった態度は客観的に明らかにされている。
それは、東条ら戦犯が、靖国神社に祭られるようになったときから、天皇がその参拝を一切行わなくなったことからもうかがい知られるのである。この天皇の行為は、戦犯が祭られるようなところには行くことはできないという意思表示として、天皇の〝平和主義〟と15年戦争の歴史に対する反省と否定的意思を表明している証拠として、ブルジョア世論は〝好意的に〟解釈してきたが、そんな評価は余りに卑俗で、ばかげている。つまり天皇は15年戦争の時代を通して、常に、あるいは原則的に〝平和主義者〟だったという、あり得ない、愚劣な神話を彼らはいまだに信奉し、振りまいているのだが、しかし天皇が基本的に15年戦争を肯定し、その戦闘に立ちさえしてきたという事実はあり得ても、一貫して反戦平和の戦士であり、英雄であったなどという証拠はどこにも存在していない(戦争をして大丈夫かといった、〝個人的な〟危惧を表明するといったことはあり得も、である。しかしそんなものも、国民のことを心配してとのこととは全く別で、大規模な戦争を始めて、もし負けたときはどうなるのだといった、天皇としての自分の地位が動揺し、責任を問われることを心配しての、個人的動機からする発言でしかなかったのである。東条らが、大丈夫ですと保証すれば、それで簡単に満足する類の疑惑である)。
東条は東京裁判の当初、自らの戦争責任を問われ、天皇の意思に反して戦争を始めたと非難された時、自分は骨の髄まで天皇制主義者であり、天皇の意思に反して太平洋戦争を始めるはずがないと抗弁したが、しかしすぐに自らがすべての責任を負うかの立場に転向し、その立場を最後まで貫いた。自分の天皇制主義者としての「信念」を貫けば、戦犯の追及が天皇に及ぶことになると悟ったから、あるいはそのように外部からいわれ、強い圧力を加えられたからであろう。かくして天皇は自らの「戦争責任」をほっかむりして明らかにせず、マッカーサーに助けられて、天皇の地位を守り通したのである。
客観的に、東条は天皇の責任まで自ら背負って死刑になったともいえる。天皇にとっては、命と地位までも守ってもらった真の〝忠臣〟であり、大恩人である。
しかし昭和天皇は、自分はアメリカの戦後政策を受け入れ、東京裁判の結果を尊重し、戦後の天皇として生きてきたから、仮に東条らが「戦犯」の汚名をそそがれ、靖国神社に祭られるようになっても、そんなところにお参りできないという態度をとったというわけである。かっこうよく振る舞い、筋を通したかに振る舞ったというわけだが、ある意味で、徹頭徹尾利己的で、これ以上ないない厚顔無恥とさえいえる。昭和天皇の見え透いた態度は空々しく、果たして東条らに対して忘恩の振る舞いではないのか(右翼反動派は、天皇に相応しくない──というのは、天皇は完全無欠の道徳の鏡でなくてはならないから──言動を見過ごして、なぜ告発し、非難しないのか)。
昭和天皇も、自分たちが生き延びるために、ありとあらゆる策略や権謀術数に溺れ、巧みに、陰険に支配的諸勢力を〝手玉にとり〟、利用しながら──そして利用のしがいの無くなった者たちを冷淡に、無造作、無慈悲に切り捨てながら──生き延びてきた、歴代の天皇たちと同じような、卑しい策謀家ではなかったのか。
昭和天皇が、自らの「戦争席に」を気にしていたといっても、それは単に、すでに東京裁判で〝無罪〟となった、自らの「戦争責任」が改めて問題になり、喧喧囂々(ごうごう)の議論と検証の対象となり、自分の「責任」が問われることを恐れてのことだけであって、真摯な反省などといった心象とは何の関係もない。
長い歴史の荒波の中で〝鍛えられ〟、生き延びてきた天皇一家の連中は、そんな〝ヤワな〟連中ではない。
天皇一家は、いま〝平和主義的ぼけ〟に浸りきっている日本のブルジョアやプチブルや遅れた労働者・働く者の中で──今ではブルジョアだけでなく、共産党まで天皇制の有益な役割を持ち上げ、賛美する有様である──、彼らの偽りのアイドルとして、偽善的に〝平和主義者〟を演じることで、その延命を図るに急である。それもまた、天皇一家の歴史的に身につけてきた、〝自然な〟行為もしくは〝深謀遠慮の〟知恵であり、また自らの延命策動である──それ以上のものでは決してない──ということを、労働者・働く者は確認しなくてはならない。
天皇一家は戦後、神でも、その子孫でもなく、単なる「人間」であり、特別の人間でさえないと自ら語ったのだから、今や労働者・働く者は、天皇一家を、欲も煩悩も俗物根性も偽善も人並みに──というより、普通の労働者・働く者以上に、はるかに執拗かつ強烈に──有し、自らの利益や地位を守るためにありとあらゆる努力や策謀にふける、ブルジョア支配階級内に繰り込まれた「ありふれた」人間集団として、汚い偽善者集団として評価し、扱い、処遇することを学ばなくてはならない。