2月27日、安倍首相が唐突にー何の計画も展望もなくー「学校の一斉休校」を発してから、もう3ヶ月がたとうとしている。地方によっては、徐々に学校が再開されつつあるが、「緊急事態宣言」が解除されるまで、まだ休校は続きそうである。
この突然の「休校要請」は子供をもつ親や教育現場に大きな混乱をもたらせた。安倍にしてみれば、2週間ほどの腹づもりであったろうに、自らの愚かな対策によって1が月、2ヶ月にも及ぶと、子供たちや親や教育労働者に耐えがたい苦難を押しつけることとなった。
子供らを家庭に押しつけて、自主的に勉強させるといっても限度がある-特に低学年の子供らは無理というものだ-従って自然とゲームやテレビで一日を過ごし、学習離れが進み、心身のバランスが崩れストレスばかりが溜まる。一方、幼児や低学年の子をもつ親は仕事とのギャップに悩み、求職(無給)するか、時短(給与半減)にするかという現実に直面する。スーパーの冷凍食品や即席麺が売り切れになるのも子らへの食事のためであるが、その費用もすこぶるかさむ。
学校現場はどうかというと、この時期(2月末~3、4月)は一年の締めくくりと新年度への準備の時であり、学期末の成績や指導要録の作成、高校入試の願書提出と入学試験、卒業式や入学式、新たな学年学級の編成と最も多忙な時である。結局、卒業式や入学式は実施できず、学校によっては、新しい教科書(一人10冊以上)を子供らに渡すことすらもできず、教師が家庭訪問をして渡したという学校もあったようだ。
休校が長引くと、文科省は次のような通達を出した(4月10日)。『臨時休業期間中に・・・・学習に著しい遅れが生じることのないよう・・・・可能な限り紙の教材やテレビ放送等を活用した学習、オンライン教材を活用した学習などの適切な家庭学習を課す等、必要な措置を講ずること。』”紙の教材”とは、いわゆる教師作成のプリントによる宿題やドリル等の副教材を指し、”テレビ放送”は、NHKの教育チャンネルや教育委員会等が作成したビデオ教材の活用などを言うのだろうが、それをどうやって家にいる、しかも学年の違う子供らに見せるのかその手立ては語らない。
”オンライン教育”に至っては、その普及率は全国で5%にも満たない。オンライン教育は、一部の私立小中学校や学習塾等で実施されているが、公立校ではそんな通信設備はない。(私立小の62、5%、私立中の52%の親の年収は1000万円以上である。)
こんなことしか「必要な処置」を語れない文科省官僚たちの「机上の空論」、思考の貧困さもさることながら、今日までいかに教育環境の整備が置き去りにされてきたかがわかる。この休校にあたっての最善策はオンラインによる学習であろうが、それが不可能であることは文科省は百も承知である。例えば、学校におけるデジタル機器使用率は、OECD加盟国37ヶ国中、何と日本は最下位である。従って教師のプリント学習( ”紙の教育”だ)に頼るしかないとは、何と教育後進国なのだろうか。「普通教育の実施」「教育の機会均等」(憲法)を謳いながら、その多くは教育労働者の献身的な教育活動―過度の長時間労働を伴いながらーや家庭にー学習塾通いー押しつけてきたのである。
2020年度の教育に関わる予算は5、5兆円であるが、20年前より1兆円も削られており、国家予算に占める割合はほんの2、2%で、先の37ヶ国中のまたもや最下位(平均は4%)である。確かに学校の現実を見るに、校舎の外観は耐震性を備えて立派になったが、中身は旧態依然たるもので、我々が何十年も前に学んだと同じサイズの狭い教室、物がよく落ちる小さな机と椅子、ロッカーや更衣室はなく、清掃は昔風の箒とちりとり、雑巾がけ、日本式のトイレ(これらは子らが初めて体験する)、不衛生な教室での給食等々、近年ようやく教室にエアコンが入り、夏のうだるような猛暑―涼しく快適で居眠りには最適な国会とは違って―から解放されたが、学習機器はようやく2023年までに、生徒一人に1台のパソコンがあてがわれることになっている。
文科省の萩生田は、オンライン教育の推進を問われて、「各地方の実情に合わせて」などと曖昧な答弁をしているが、本音は「(森友・加計への多額の補助はばれかかったが)そんな金のかかる事業は必要ない。学校教育は旧来通り愛国的な教科書と黒板さえあれば十分だ。あとは、聖職者たる教師の熱意と規律ある生徒の学習意欲の向上だ。そんな機器に金をかけなくとも、日本の伝統・文化を学ばせ、国を愛する愛国心を育成するには十分だ。(戦前のような)徳育教育や愛国心教育こそめざすべきものだ。」とでも思っているのだろう。君が代・日の丸の強制や教育基本法の改悪、教科書の国定化、教員免許の10年更新などには有無を言わせず国家権力をいかんなく発揮させるのに、こうしたことには及び腰なのである。
ついでに話題となっている「9月入学・始業」について、東京の小池や大阪の吉村、それに安倍までもが大いに乗り気で、欧米とのグローバルスタンダード(世界基準)にあい、留学なども容易だなどと持ち上げているが、いったい誰が留学できると考えているのか。彼らのような金持ちやその子弟ならともかく、一般の賃金労働者・市民にとっては縁のないことであろう。毎日マスコミの前で、商店や小売業等の小経営者への補償が何百万円だとか、それが休業補償の全てであるかに自慢げに語っているが、最も困難を極めているのは、解雇・雇い止めにあい、休業補償もない賃金労働者、とりわけ非正規労働者であって、明日の食う米にも困り、アパート代も払えず困窮している労働者である。どさくさに紛れて、そうした思いつきの提案を「教育格差」の解消にしようなどと言うこと自体、彼らが中産階級の立場やポピュリズム(大衆に迎合し人気とりに走る立場)に立っている証であろう。(元教育労働者)