労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

賃金制度

時効の壁やぶり残業代未払い分獲得ーー団結した闘いの報告

愛媛の医療介護事業所での残業代未払いと闘い、勝利した仲間からの報告が寄せられましたので、紹介します。

 

監督署から指摘されるも隠ぺいした経営に一矢報いる

――団結した闘いで時効の壁やぶり残業代未払い分獲得

 

報告に登場する事業所は生活協同組合という経営形態で医療介護の分野に属する。労働者数はパートを含めて500 名を超え、一般企業の資本金にあたる出資金は3億円以上であり、労基法上も立派な大企業である。

 

経営のトップである理事長は元市長で、現職時代2期目に自民系の対立候補を連合の支援を得て破り、政治的には「革新」系と目された。2019年参院地方区では元立憲民主衆議院議員を応援、自民候補を破る当選に貢献した。護憲運動にも熱心であり集会で講演もしている。

 

「そんな顔」と経営者としての姿勢は違ってもそれは当たり前である。資本主義経済を前提に事業運営をしていくためには、労働者の立場・利益とは敵対し、徹底して事業所の利益(生協資本)の側に立つことが求められている、そんなことは承知している。

 

「そんな顔」が労働者の立場・利益の側に立っていることなのかどうか、は重要なことであり、理事長が求める社会(考えているとしたらだが)では労働者の地位はどうなっているのか、聞きたいところだがそれはさておく。ただし、以下具体例で示されるように 経営者としての質(たち)は決して立派とはいえない。

 

先日、私はこの事業所で組織される労組定期大会参加に参加した。そこで2024年度執行部の特別執行委員に5年連続で選出された。2023年度の労組活動報告で書記長の了承を得て私から以下の補足説明を行った。

 

20197月、時間外手当計算に介護職員手当を算入していないことを監督署監査で指摘され、是正勧告を受けた経営側は、該当者にも職員にも秘密にし、次月(8月分)から「正しい計算」にして済ませていた。

 

202112月労組が事実を知り、過去11年(200810月から20197月まで)分の未払分支払い、経過説明、謝罪、再発防止策提示、就業規則改訂手続き実行(給与支払いの変更は職員に周知徹底義務あるが、怠っていた、監査で指摘された時に職員に知らせると、遡っての差額支給請求を恐れ 、故意に放置したのなら悪質だ)を要求。経営側は「うっかりしていた、隠すつもりはなかった。ただ、請求されても時効であり支払うつもりはない」との返答。

 

労組は納得できず、これを許すと経営側の隠蔽体質を許すことになると、年末一時金、春闘と並行して、労使協議会、団交を経て足掛け2年、20234月に謝罪文と20178月から20197月まで2年分の未払分支給の「確認書」を得た。

 

結果、対象者102人、一人平均25342円、総額258万円を獲得した。もっと組織が大きければ全額取り返せたかも知れない。2年で260万円なら10年分では1300万円だし、この間退職した仲間の分を考えるとそれ以上の金額を、経営側は「不当に」手にしたと言える。労組の粘り強い闘いがあったからこそ勝ち取れた意義を再確認しよう、組織拡大を訴えます、等々。

 

なお、今回、経営側に言い逃れできないと観念させたのは、就職以来20年分以上の給与明細を保管し「計算誤り」の証拠を提供してくれた組合員の存在があります。この方に感謝します云々。大会後は場所を移動して懇親会があり、臨席の新労組員(介護施設栄養士)に私の話は理解できたか聞いてみたところ、よくわかりましたとのこと。

 

なお、経営側のいう「時効」は賃金未払い等を労働者が「知って」遡って請求できるのは2年までを根拠にしたものだった。20204月以降は5年(当面3年)に改訂。しかし、「時効」は裁判で争った場合の判例に過ぎず、労使の力関係で10年でも何年でも遡って支払いさせることは可能である。

 

今回「時効」を持ち出されて諦めていれば1円も取り返せなかった。団交では違反の事実を伏せたことで請求権行使を封じたうえ、暴露されたら「時効」に 逃げるのは許されるのか、と訴えてきた。

 

交渉で経営側からは解決金や寸志で早期解決を提案され、労組執行部の一部は「早く、少額でも手にしたい」との労組員意見を紹介した。私は「払う、払わない」は別にして、経緯、未払いの期間、人数、個々人への未払金額等を明らかにせよ、「あったこと」を「なかったこと」にする経営側の態度を改めさせないと、今後同様な誤りを繰り返させることになる、全事実を詳らか(つまびらか)にさせ、そのうえで不払い分にどう対応するのかと迫るべきだ、と私は意見を言った。労働者は階級的な存在であり、目先だけで満足できないからである。

 

理学療法士の執行委員 は、「私は介護手当を支給されないので当事者ではないが、自分だったら、真実を知りたいと思う」と賛同してくれた。労働法規や裁判判例は大いに参考 にして有利な闘いに利用するべきだが、労働者の団結した非妥協的な闘いこそが前進の鍵である。労働者の階級的な団結をさらに押し広げ、労働の解放を目指して闘っていきたい。(愛媛 FY)

「ジョブ型」賛美の裏で真実隠す――濱口桂一郎批判

「ジョブ型」賛美の裏で真実隠す

――労働や賃金の概念ない濱口桂一郎

 

 高級官僚を経て現在、「労働政策研究・研修機構」所長で有らせられる濱口桂一郎氏が労働価値説を批判している。直接には、労働者党の機関紙『海つばめ』で論じたジョブ型雇用の限界と欺まんを暴露した論考に対するものである。

 

「異なる労働異なる賃金」が最上の原理と

 

 濱口は自身のブログで労働者党に対して次の様に断ずる。

  (http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-e5a6ab.html

ジョブ型を敵視する新左翼の方々は、(今やだれも信じていない遠い将来の夢まぼろしのポエムを看板に掲げつつ)現実に目前にある企業のヒト基準の賃金制度に対して、同一労働同一賃金すなわち異なる労働異なる賃金の原理を否定し、子供の養育費や教育費を、賃金として企業に支払わせるメンバーシップ型の断固たる擁護者として立ち現れることとなるわけです」

濱口が推奨し政府と経済界が採用しつつある労働「原理」は「異なる労働異なる賃金」である。この「原理」によって、異なる労働が正当に売買され、賃金が支払われる、従って、同一ジョブ(職種)における労働者の賃金は皆同じであり、年令や性による差別は無くなるかに請け負っている。

安倍政権が「日本から差別労働を追放する」と叫び、非正規労働に対する差別待遇を無くすかに宣伝した「同一労働同一賃金」は、同一労働時間に対する同一賃金ではなく、実際には「同一職種(職務)労働同一賃金」の採用であった。安倍の労働法制改革によって、濱口の「原理」が曲がりなりにも採用され、今後大企業の中でもジョブ型雇用が進みつつあり、将来は欧米と同様にさぞかしバラ色になることであろう。

この濱口の「原理」から出て来る賃金とは、労働者が資本に売った労働(商品)の対価、つまり労働に対する支払いのことである。資本と賃労働の関係について知らない人でも、彼の「原理」が賃労働の本質からではなく賃労働の表象を述べただけの無概念であることは、物事を科学的に思考する人なら直ぐにも分かることである。濱口のような「原理」の持ち主には、労働についての本源的な意味や資本主義で取る形態について説明しなければならない(めんどうなことだ)。

 

労働と労働力の区別を知らない濱口

 

労働とは、抽象的には自然に働きかけ、また自然から与えられる人間生存のための一過程である。労働は自然素材を自分や家族の生活のために、また共同体のために人間の肉体に備わる自然力、つまり腕や脚、頭(脳)や手を動かすことによって行われる。だから、労働は人間に備わっている諸能力の発現であり、何よりもこれら諸能力の生産的支出として現れる。

文化的水準の高まりとともに、また社会的分業の広がりとともに、無数の種類の労働が生まれ、それらの労働は質的に違った形態で支出されるようになる。それらに対応するために、人間労働力(労働能力)そのものは多少とも発達していなければならないとはいえ、人間労働力の生産的支出であることには変わりない。

人間は自然力を利用しまた応用し、生産手段(労働手段と労働対象)を作り、さらに生活手段を生み出す。人々は孤立して労働するのではなく、結合する労働によって生産手段や生活手段に労働を対象化させる。そして、これらの諸手段をつくるための労働は、つまり労働過程をくぐる労働は生産的労働となる。既に、この生産的労働は、家庭での家事や日曜大工という個人的な労働ではなく、これとは区別された社会的労働である。

もちろんこの生産的労働は歴史的に規定される。例えば資本主義では単に商品を作る労働でなく、利潤を生む労働として狭く規定される――他方のサービス労働は、生産的労働による収入によって賄われる労働である。

資本主義の出現とともに、資本(企業)のもとで雇用され働く大量の労働者が生まれ、この労働者は、生産手段から切り離されて裸一貫となり、資本に雇用される間だけ生活でき、雇用されなければ生活できない存在(階級)となる。

雇用とは、資本が労働者自体を買上げることでも、労働を丸ごと買うことでもない。資本が労働者を買上げて自由に労働を発揮させるなら奴隷売買を契機とし、労働を丸ごと買いその対価として賃金を支払うというなら、資本(個別資本として、総資本として)は1円たりとも利潤(剰余価値)を得ることができない。また労働が商品であるというなら、この商品の使用価値と価値を科学的に説明することはできないであろう。

従って雇用とは、資本が原材料などの一般商品の購入と同様に労働者の労働力を購入することである。反対に労働者は労働力を売り、一時的に労働力の処分権を売った相手に手放すのである。

製造会社が経理帳簿に「労務費」と記載するが、彼らはこのことを、製品を製造するときにかかってくる「総原価」のうち「製造原価」における「労働力の消費によって発生する原価」として把握している。製造会社の方が現実的であり、かつ濱口よりも科学的である。

 

賃金とは「労働の価値」ではない

 

 労働と労働力の違いを簡単に述べた。

他方、濱口は労働と労働力を区別しないし、できない。だから濱口は「賃金を労働の価値」だと考えるのであるが、こうした言動は今から150年以上も前から言われて来た、今でも流布されている無概念な「原理」である。

 かつて産業革命の時期に、既に労働組合が結成され、労働者達は賃金を要求する根拠として、「労働の価値」を掲げていた。労働者には、自分達が毎日売っているのは労働に見え、だから「労働の価値」というものが存在すると思い込み、「労働の価値」を最低限の賃金として要求できると考えていたのである(かのリカードさえそう考えていたのだから、現在のブルジョア学徒には真実は見えないのだろう)。

 この理屈では、18時間労働の価値は8時間労働の賃金=価格であると言うことになり、同義反復どころか、全くナンセンスな代物となる。150年も前の労働者が言うならまだしも、労働問題のプロである濱口がこうした無概念を並べるのでは情けない。

 実際、「労働の価値」は現象として見えるだけで、どこにも存在しないのである。労働者が売るのは労働ではなく、労働者の肉体のうちに備わっている労働力である。労働力は一般商品と同様に労働市場で売買される。労働力の商品所有者は労働力を資本に売り、その価値を賃金として受取る契約をして資本の労働過程に入る。既に労働力を如何に使うかは資本の権原であり、労働力商品の使用価値、つまり生きた労働は資本のものになった。この生きた労働こそ、労働力の価値(必要労働)を超える剰余価値(剰余労働)の源泉なのである。

労働力の価値は、この価値の再生産に必要な、つまり労働者の生活維持に必要な生活手段に対象化されている労働時間で規定されるのであるが、さらに労働力の価値は資本主義的生産の目的であり推進動機でもある剰余価値の生産によって制約される。そのため労働者は常に最低限の生かさず殺さずの生活と労働条件のもとに置かれるのである。

資本主義の初期には、資本は労働力を破壊するような12時間労働や15時間労働を強要し、さらに子供さえ無慈悲にも大量動員し、成人労働者の賃金低下を謀ったのである。労働者の団結と闘いが行われるようになって初めて、資本は労働力の再生産が可能となる労働時間と賃金を施すようになったに過ぎない。

当時、イギリスでは(他の欧州諸国も)マニュファクチュア時代からの親方・高級労働者たちの同職賃金の伝統があり、単純労働者は親方の数分の一の賃金であった(当初、親方から弟子・単純労働者の賃金が支給された)が、これらは前時代からの同職組合が生き残り、高級労働は単純労働の倍化された労働として賃金に反映されていたのである。

だが、資本主義の広範な発展は、急速に大量の単純労働者を生み出した。S・ラングによれば、19世紀半ばのイングランド(ウエールズを含む)では、人口1800万人のうち1100万人が単純労働者であった(『国民的困窮』)。従って現在の資本主義では、圧倒的多数の単純労働者によって食料品をはじめ自動車やスマホや設備機器などの商品が生産され、彼らの労働力の支出は、平均的人間労働、いわゆる抽象的人間労働として現実に実在している。

 

労働力の価値規定は「メンバーシップ」のみならず、ジョブ型雇用にも当てはまる

 

濱口は戦前の日本では、戦時体制のもとで日本型雇用が作られ、賃金は「生活給」であったと言う(『働く女子の運命』文春新書、他)。しかし当時の家庭では長期化する戦争によって極貧生活を強いられ、生きていく為に着物や反物などを米や芋などと交換して食つないで来たように、当時の賃金は濱口の言う「生活給」以下の飢餓賃金であった。しかも多くの人々が栄養失調や病気で死んでいったのではなかったのか。

戦後も引き続いて労働組合と企業とが年功序列型の「生活給」賃金を要望し、現代まで続いて来たと濱口は述べ、続いて、マルクス主義はこれらの「生活給」賃金を支持し、従って戦前の「皇国勤労観」のもとでの「生活給」という古い思想を唱えていると決めつけている。

濱口という〝高級国民〟は何といやらしいのか。賃金が労働力の価値として現れるのは、労働力を売る以外に生きていけない労働者の大群が片方の極に存在し、他方の極に労働力を買って価値増殖を行う階級が存在するからである。このことを濱口は敢えて隠しているのだ。マルクス主義をいくらか紐解いたらしいが、濱口の本には資本の本性を明らかにする文章は一つもないのだ。結論を先に言えば、濱口の客観的な役割は、日本の雇用形態(我々はこれを擁護したことは一度もない!)が現在の非正規労働や女性の差別賃金の根本原因であるかに装い、彼ら彼女らの怒りや闘いの方向を逸らすことにある。非正規労働や女性労働の多くはジョブ型雇用にあるのだから、そのままでいろと。

しかも「生活給」は子供の養育費や教育費をも賃金として企業に押し付けることになると、労働者党を非難している。育児や教育や医療や職業学校施設が公的に完備されていない現状では、労働者の負担分は賃金に反映されるのは当然なことである。そうでなければ、賃金は実質的に大幅な値下げとなり、労働者の生活は相当に苦しくなる。

さらに濱口は日本型雇用による「生活給」(年齢給)が公的施設の完備を遅らせた原因であり、その日本型を擁護する労働者党(そしてマルクス)はまるで福祉の社会化に反対する思想の持主かに歪曲する。労働者の賃金は労働力の価値であったが、このことと福祉の社会化は全く別のことである。福祉がおざなりであるのは、資本の国家の問題、ひいては資本主義の本性の問題に帰着する。

それとも濱口は、ジョブ型雇用が福祉の社会化を自動的に進めるとでも言うつもりか? だが、ジョブ型雇用を率先して採用してきたアメリカは公的医療保険さえ整備されない徹底した個人主義と自己責任と自助の国家、搾取自由の国家である。資本主義は私的所有を基礎に置く、だからアメリカはもちろん資本主義の国家では、人々の生活は自己責任とされるのだ。

資本主義の高度な発展とともに、多少とも〝余裕のある〟国家は労働者の要求を受け入れ、義務教育以外においても福祉の社会化を進めてきた。それは資本にとっても拡大再生産を進める上でプラスであると考えたからである。だが、国家による福祉の社会化は保育でも教育でも医療でも極めて中途半端であり、むしろ公的施設を後退させ、代わりに私的資本の参入を認め、私的資本に財政支援を行うまでに堕している。およそ福祉の社会化とは大きくかけ離れているのではないか、濱口よ。

従って、過去何度も主張したように、労働者は当面、福祉の全面的な社会化を要求し、女性の社会進出の条件を整備し、その上で年令や性や人種や職種(職務)による差別の無い同一労働時間による同一賃金を要求するのである。

「労働の価値」について濱口は語ったが、濱口の「原理」は理論的でも現実的でもなかった。もし、ジョブ型雇用おいて「労働の価値」が現実に通用するのであれば、資本の剰余価値から経営者の利得と次期再生産のための前貸し資本を除いた部分は全て賃金となり、労働者の賃金は今よりずっと高くなるはずである。しかし、ジョブ型雇用のアメリカ労働者の平均賃金と日本型雇用のそれとは相違がない。

間違った「原理」にしがみつく濱口には見えないのであるが、要するにジョブ型雇用のもとでも、労働者の賃金は労働力の価値によって規定されているのである(資本の利潤運動によって制約されるが)。

 

非正規労働も女性差別も資本の本性から発生

 

ジョブ型雇用でありながら、賃金と労働条件が最悪であるのは人材派遣(とりわけ登録型)であり、生産や流通の請負である。

人材派遣が欧米をはじめ世界で広がったのは、資本主義がかつて(1960年代~70年代)の様に拡大再生産が進み高利潤を獲得できなくなり、労働力の流動化を図ることによって資本の利潤率低下傾向に歯止めをかけようと策動してきたことによる。つまり総資本と彼らの政府は、人材派遣を合法化することによって、安価でいつでも解雇できる重宝な労働力を大量に生み出して来たのである。

こうした人材派遣などの非正規労働は今や総資本にとって必要不可欠な存在となり、資本主義のもとで将来これらが無くなるとか(竹中平蔵は正社員を自由に解雇可能にすれば非正規は無くなると言う)、非正規に対する賃金差別が解消することは考えられない。現にヨーロッパでも、非正規に対する賃金差別や女性の社会進出を抑制する力が根強く働いているのである。

人材派遣とは、いわば労働力を〝レンタル(賃貸し)〟することであり、レンタル料の中からピンハネして派遣労働者に賃金として支払う。派遣労働者は当然に派遣先で働く正規労働者よりはるかに低賃金を強いられ、登録型の場合は派遣会社による社会保険や労災の補償はなく、必要ならば自己負担で加入するしかない。

この場合、濱口の「原理」では「労働の価値」として派遣労働者に賃金を支払うことになり、次に派遣業者は労働者に備わった労働力でなくて労働力の発現である生きた労働をレンタルすることになるが、現実に存在しえない不可能事である。もはや濱口は人間自体をレンタルすると逃げ口上するしかないが、濱口の「原理」の破綻は明らかである。

請負の中でも個人請負がコロナ禍の影響もあり配送などの分野で広がってきている。しかし請負は自営業者として位置付けられるため、個人請負を行う人は労働者ではなく、労働災害の補償も受けられない奴隷以下の存在である。一時的な労働ではなく、比較的長期間をこれにて生活を支えなければならない人にとっては、まさに生き地獄である。この請負業もまた、資本主義が行き詰まり政府の無策もあって、労働者の就職先が減る中で増えてきたのである。

こうした派遣や個人請負の労働者に対する一切の生活と保障は政府と総資本が負うべきである。

ジョブ型雇用が喧伝され企業の対応にも日本型雇用からの切替が見られるが、ジョブ型雇用が大きな流れになるのかは明確でない。しかも、ジョブ型雇用の欧米などでは若者の高失業率や生活難への不満が高まる傾向にあり、日本では世論調査でも明らかなように、若者や女性の将来への不安が高まっている。要するに、ジョブ型や日本型の雇用形態は資本主義の歴史的発展の違いによって形成されてきたものであり、どっちが労働者にとって有利かをおしゃべりすることではない。

労働者にとって重要なことは、非正規雇用や女性差別や職種(職務)差別や実質賃金の長期低下や若者たちの将来の不安などの根源が資本主義的生産様式(賃労働と資本)そのものにあることを科学的に認識し、同時に現実のあらゆる差別や労働者に対する資本の攻撃と断固闘っていくことである。  (W)

トヨタは今どうなっているのか?――加速する労資一体化!

トヨタは今どうなっているのか?

――加速する労資一体化!

 

 

1、様変わりしたトヨタの「春闘」

デジタル化・カーボンニュートラル経営の課題を背負う労働組合

 

愛知県の産業を支えるのは、言わずと知れたトヨタ自動車を中心とする自動車産業の集積にある。今回の労働者党支部ビラ4月号は、100年に一度の変革期の只中にある自動車産業の中で、トヨタと労組の現状について明らかにし、搾取の廃絶=労働の解放を訴える海つばめ号外発行しました。

 

日本の春闘相場をリードしてきたトヨタ(トヨタでは春闘とは言わず、春交渉と呼ぶ)は2019年以降ベアを非公表とし、春闘からこっそりと姿を隠した。2021年のトヨタの「春闘」の結果は賃上げ月額9200円アップ、賞与は年間6.5ヶ月と、組合の要求に対して満額回答で会社側は応じた。

 

トヨタの春闘で何が論じられたのかを紹介します。

 

トヨタの春闘は今年の場合は、2月に一回目の労使交渉が行われ、組合から「トヨタの持続的成長に向けて、下記観点で議論をしていく。①働きがいや能力の、最大発揮を阻害する全社的課題②自動車産業のさらなる発展に貢献するため、オールトヨタの力を最大化し、さらに取り組むべきこと」、「本年の労使協議会では、厳しい環境下でも働き続けられていることへの感謝を労使で共有」、そして賃金、賞与の要求書が会社に渡された。会社側は「賃金・賞与について、会社と労働組合が対立軸で闘うことが目的ではない。組合員一人ひとりの能力を最大限に活かし、オールトヨタの競争力を最大化するため、賃金・賞与に限らず本音で話し合うという特徴がある。」

 

昨今のトヨタにおいては、賃上げや賞与、リストラなどをめぐって労使が対立することはほとんどない。トヨタの経営陣が強調するように、賃金や賞与で対立し争わないのは、トヨタがケタ違いの儲けを上げているからである。20年度の利益は2.07兆円。21年度もコロナ禍で、操業停止や世界的な需要の後退で未曾有の危機に見舞われたが、当初予想をはるかに上回る2.0兆円の利益が予想されている。トヨタの内部留保は24兆円と他の企業をはるかに凌駕している。豊富な資本と強固な競争力が、賃金や賞与で組合の要求を受け入れる背景である。

 

今年の春闘において労使交渉で「家族の会話」が繰り返され、「『豊田綱領』『労使宣言』『円錐形』というトヨタの原点を確認し、現場の声に耳を傾け、労使ともに、悩み、苦しみながら今日という日にたどり着いたと思います。労使双方が、『会社は従業員の幸せを願い、組合は会社の発展を考える』この共通の基盤に立ち、『幸せとは何か』、『誰かのためにとはどういうことか』を真摯に、真剣に議論していただいたことに対し、改めて感謝申し上げます」(豊田章男)と組合の労使協調の立場を持ち上げている。

 

そして、「上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙(あ)ぐべし」、「神仏を尊崇し、報恩感謝の生活をなすべし」を謳う「豊田綱領」や「生産の向上を通じて企業の繁栄と、労働条件の維持改善を図る」を明記する「労使宣言」を繰り返す社長の豊田章男から、「『デジタル化』と『カーボンニュートラル』の2本柱において、トヨタの労使が『自動車産業のリード役』を務める」とか、「550万人の自動車産業の仲間」や「日本の未来」「生まれてくる子供たちのため」、労使一体となって「デジタル化」「カーボンニュートラル」「日本の未来」に向けて、「成り行きの10年後と、戦い続けて迎える10年後は、全く違う」という〝過激〟な「戦闘継続宣言」で、トヨタの21春闘は幕を閉じた。

 

2、トヨタを取り巻く自動車業界の状況

 

完成車メーカー相関図 自動車産業は「100年に一度の変革期」の荒波の中で「生きるか死ぬかの戦い」に明け暮れている。豊田社長が言うように「デジタル化(自動運転やネットワーク化)や「カーボンニュートラル」をめぐって、各国が熾烈な競争を行っている。菅は2050年カーボンニュートラル社会実現を公約した。このような脱炭素社会への急激な変化に各国が舵を切った理由は、地球温暖化=環境問題が人類が安定的に生存していく上で無視できない問題になってきたということ。そして、環境問題を解決していく技術開発やエネルギー開発が資本にとって資本の発展を阻害するのではなく逆に、100年に一度の変革期に象徴されるような技術的なブレークスルーを生み出し、競争に勝ち残った者が独占的に利益を占有することができるからである。


自動車産業では電気自動車の勝者を決める下克上の戦いが、各国政府を巻き込みながら業界の再編=資本提携、業務提携を繰り返しながら昼夜戦われている。

 

自動車産業のEV化を巡る競争はとりわけ激烈。なぜならエンジンやHV車など内燃機関を動力源とする車両の部品点数は3万点であるのに対して、EV車の場合は十分の一の3千点と言われている。自動車生産の技術的蓄積がなくても部品を仕入れて組み立てれば容易に自動車を生産することができる(テスラを見れば一目瞭然)。最も重要なコアな技術をなすのは、自動車の全てを制御するソフトウエアでありソフトウエアを処理する半導体と各種センサーである。

そしてEV車を究極的に規定するのはエネルギー=電池である。主流のリチウムイオン電池は当面のEV車のエネルギー源であり、VWGMや中国は電池の開発、生産に多額の資金を投入し一気に主導権を握りトヨタや日本の電池メーカーを引き離そうとしている。しかしリチウム電池は、充電時間や安全性、使用する原材料の価格と供給源の問題から、新しい電池の開発をめぐっても激しい開発競争が進められている。特に全個体電池は充電時間、航続距離、安全性を大きく向上させることが確実で実用化されると、EV車のゲームチェンジになる技術と言われているし、燃料電池車=ミライがトヨタから発売されたように電動車の主導権争いは苛烈である。

 

3、成果主義賃金制度に自民党支持。労組であることを放棄し、会社に従属することで存在を許されるトヨタ労組!労組幹部は豊田章男の宣教師だ!!

 

 トヨタでは今年から成果賃金制度が全面的に導入されようとしている。これまでの職能基準給+職能個人給の賃金体系から全面的に職能個人給に一本化し、評価も事技職(事務、技術職)はこれまでの4段階からA,B,C,D1,D2,Eまでの6段階に評価を細分化し、工場現場はADまでの4段階に変わりはないが、D2D評価は昇給ゼロで配置転換やリストラ対象者扱いに等しい。

 

トヨタイムズに盲従し会社に全面的に協力し、QCサークルをはじめとする会社行事や、カイゼン活動に自発的、積極的に取り組むことがA評価を受ける踏み絵である。

 

成果賃金制度を導入したトヨタ労組は昨年の11月に、選挙での推薦候補に政権与党である自民党と公明党の候補者を新たに追加する方針であることを発表した。

 

組合は賃金制度で組合員の間に差別と分断を持ち込むことによって、会社側の労務管理に屈服したが、政治においては自民党や公明党の候補者を推薦することによって、自民党政権との闘いも放棄したのである。

 

リーマンショックや大規模リコール、東日本大震災、そしてコロナ禍を乗り越えて世界最強の自動車メーカーに上り詰めた社長の豊田章男は、トヨタイズムの教祖として君臨し、豊田章男に追従する労組幹部はトヨタイズムを拡散し実践する宣教師の役割を果たそうとしている。

 

日本から労働運動の息吹が消えかかってから長い年月が経過した。労使協調の連合が発足し、会社と馴れ合うことが組合運動であるかの状況を呈している。ストライキは一部の組合を除いてほとんど行われることはなく。ストライキを通告したJR東日本の労働組合は、逆に会社側から労組解体の攻撃を受け組合員数が激減した。

 

資本が容認するのは労使協調で資本に忠実なトヨタ労組のような労働組合である。トヨタが賃上げや賞与で対立することなく満額回答を行うのは、好調な業績を支えるトヨタイズムに絡め取られた宣教師=労組幹部を養育するためである。イズムや精神的結びつきによる関係は、金銭的な関係よりも強固でさえある。

 

資本家が繰り返す「家族の話し合い」や「共通の立場」は、会社に滅私奉仕を強要する、都合の良い言葉でしかなく断固拒否し、搾取の廃絶=労働の解放を掲げて共に闘おう!

 

(労働の解放をめざす労働者党愛知支部の4月ビラでの訴えを一部修正)

 

トヨタ新「成果主義賃金」へ!——攻める資本に、服従する労組

『海つばめ』1386号に掲載した記事ですが、紙面の都合で一部省略しましたので、ここに全文を掲載します。トヨタイズムの実態を暴露しています。

トヨタ新「成果主義賃金」へ!

——攻める資本に、服従する労組

トヨタ自動車は2021年1月から新賃金制度に移行しようとしている。9月30日に行われるトヨタ労組の大会で新賃金制度導入が決定されると、トヨタ自動車において「成果賃金制度」が本格的に導入されることになる。トヨタにおいて「成果賃金制度」が導入されるとその影響は大きい、今後多くの会社がトヨタに倣って「成果賃金制度」を導入するだろう。会社側は「成果賃金制度」を根拠に、賃下げや労働条件全般の引き下げを行い利潤を搾り取るだろうし。労働者に分断をもたらし、資本による労働者支配は制度化され、組合は組合員に会社への忠誠と会社が期待する仕事の取組みの旗を振るだろう。

新賃金制度(成果賃金制度)の具体的内容と目的

新賃金制度の内容についてトヨタ労組の発行する「評議会ニュース」(8月5日発行)によれば「第15回労使専門委員会」で、事務技術職(事技職)では、賃金水準の見直しを行い、これまで「上限」を設けていたのをやめて、「頑張り続ければ上限なく昇給し続ける」に変更されたと報じられている。

トヨタの基本給は2種類の基本給で構成されている。一つは「職能基準給」と評価によって決まる「職能個人給」で今後は「職能個人給」に一本化したうえで、定期昇給を従来の事技職(主任職)の評価がA~Dまでの4段階であった考課を6段階に細分化する。

A~C評価は全体の90%(資格期待通りかそれ以上)D1、D2評価は10%(資格期待を下回る、FB[フィードバック=教育しても改善せず)、D2評価はゼロ昇給、以上までで5段階。6段階目のE評価(周囲に悪影響を及ぼしているorFBしても改善の努力が見られない)はゼロ昇給に止まらない配置転換や解雇を会社側が考えていることを予想させる(明示されてはいない)。

工場で働く労働者(技能職)の考課は4段階でA~C評価は全体の90%(A期待を大きく上回る10%、B一部上回る30%、C期待通り60%)D評価(資格の期待を下回りチームワークやルールを遵守に問題あり。FBしても改善が見られない)としてゼロ昇給。

新賃金制度が何を目論んでいるのかは明確である。会社に盲目的に従い会社の期待通りかそれ以上の成果を生み出す者には、青天井の昇給を行う。チームワークやルールを遵守しない者(QC活動や労務管理、会社や組合の方針に異議を唱える労働者)は根こそぎ刈り取り、「トヨタマン」として疑うことなく会社に忠実に従う労働者を作り出そうとすることにある。

驚くべきことに新賃金制度(成果賃金制度)を正式に申し入れたのは会社側からではなく、組合側からの申し入れという事である。組合は新賃金制度を提案し、春闘恒例の会社側回答日直前の大集会(19年は5100名参加)を取りやめ、組合員の団結を鼓舞し資本に要求を突きつけるガンバローを唱和(たとえ形だけとはいえ)することさえ中止して(コロナ対策が表向き)、資本の軍門に下った。

新賃金制度導入の背景

2018年、豊田章男社長は自動車業界が「100年に一度の大変革期」にあり、「生きるか死ぬかの瀬戸際にある」と危機感を強調し、トヨタは自動車会社からモビリティカンパニーにチェンジすると宣言し、19年には東富士工場を閉鎖した跡地に水素エネルギーや自動運転、コネクティツド技術を実証する2000人が住み生活する「コネクティツド・シティ」を2021年末から建設すると発表し、CASE(コネクティツド、自動運転、シェアリング、電動化)関連の新会社を相次いで立ち上げ、新たな競合相手=GAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)との戦いに乗り出している。

コロナ禍の中でも21年度の第1四半期に1588億円の黒字を生み出した。世界中の自動車会社が赤字を強いられる中で、売り上げを前年比マイナス41%まで落とす中でも1588億円もの利益を上げる事が出来た理由の一つが、労使一体化や運命共同体のトヨタイムズの徹底的な浸透(洗脳)を組合や社員に行ってきたことにある。

新賃金制度導入の背景は、「百年に一度の変革期」の危機とそれに対するトヨタイズムのトヨタ資本の回答である。

〝家族としての助け合い〟や〝産業報国会〟を持ち出す資本に、恭順の体で従うトヨタ労組

今回の新賃金制度を導入するに先駆けて19年には豊田社長は「雇用を続ける企業などへのインセンティブがもう少し出てこないと、なかなか終身雇用を守っていくのは難しい局面に入ってきた」と記者会見で発表。トヨタの春闘(トヨタ春交渉と彼らは呼ぶ)でも18年以降賃上げ額が非公表になり、19年はベア要求額も非公表、冬のボーナス回答が秋季交渉まで保留された、19年3月13日の労使交渉では「皆さんが『仕事のやり方を変える』事が出来なければ、トヨタは終焉を迎えることになると思う。『生きるか死ぬかの闘い』というものは、そういうことである」(豊田社長)

「トヨタ資本が100年に一度の変革期で生きるか死ぬかの瀬戸際にあると危機感を強調し、モビリティカンパニーにチェンジする必要がある。家族として助け合い結束しなければならない。」という会社側の要求に対して、「組合も自分たちの認識が甘かった。よそを向いている組合員も同じ方向を向くようにする。と約束した。」(トヨタ春交渉2019より)その結果19年6月にQC運動(「カイゼン」「創意くふう」)に参加した社員の参加率が60%だったのが9月には90%まで上昇したと報じられた。

今年の春闘では19年に会社が「『頑張った人がより報われる』『お天道様が見ている』会社を目指す」という要求にこたえて、新賃金制度で基本給を職能個人給に一本化することを組合側から要求し、資本の期待に応えた割合で賃金を決定するという分断と差別、恭順の姿勢を明らかにした。会社との運命共同体、労使一体を中心軸に据えるトヨタ労組にとっては、それに反発する社員や会社の利益に貢献しない社員は、組合にとっても排除すべき社員とみなしている。

トヨタでは最近、トヨタ自動車創業者の豊田佐吉が提唱した「豊田綱領」(1935年)や1962年に締結した「労使宣言3つの誓い」を取り上げ豊田社長による社員に向けた発信が繰り返されている。

「労使宣言3つの誓い」では第3項の「生産の向上を通じて企業の繁栄と、労働条件の維持改善を図る、の中にある『共通の基盤』に立つ意味は『会社は従業員の幸せを願い、従業員は会社の発展を願う。そのためにも、従業員の雇用を何よりも大切に考え、労使で守り抜いていく』と労資交渉の中でも繰り返した。

雇用を大切に考えることに異論はない、しかし労資で守り抜いていくことではない。労働者は自らの雇用を会社と一体化することによってではなく、労働者の団結した力で守り抜く、ストライキや実力行使によって資本に要求し貫徹するのだ。

「豊田綱領」からは最初に挙げられている「上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙(あ)ぐべし」を社長の豊田は「『産業報国』の精神はあるか、……『お国のため、社会のため』となれているか、この価値観を全員が共有できているか」「『至福』とはきわめて誠実であること、……誠実に業務に向き合い、最後の最後まで、業務を遂行しようと努めているか。やる気のある人や、努力を続けている人に、ぶら下がっている人はいないか」「この2つの認識について、会社も組合も、上司も部下も、トヨタで働くすべての人が一致していなければならない」。

社長の豊田はリーマンショックとリコールを乗り越えトヨタを強靭な競争力を持つ資本に作り替えたことで、絶対的権力者として、戦前の「大産業報国会」を思い起こすような発言を繰り返している。豊田綱領の最後には「神仏を尊崇し、報恩感謝の生活をなすべし」。トヨタ労組の西野委員長は答える「……労働組合としても、この豊田綱領をベースに原点に立ち返って取り組んでまいりたい」。

(愛知 古川)

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