労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

腐敗政治との闘い

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く! ②

政治不信が高まる中で、「金権政治も必要悪として我慢するしかない」というような“民主主義”に対して、神奈川で『資本論』などの学習活動をする『横浜労働者くらぶ』の会報で、「ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!」と題して2回目がでましたので、紹介します。(担当)

 

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!

 レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を読もう!

 

★秩序とはブルジョア秩序である!

2章は、「ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義」と題されています。レーニンは続けて次のように述べています。

「いろいろな階級が存在する間は、『純粋民主主義』について語ることはできず、階級的な民主主義について語りうるだけであるのは明らかである。」「近代の代議制国家もまた、資本が賃労働を搾取する道具である」というエンゲルスの言葉を引用しながら、レーニンは続けます。「近代国家の基本法を取り上げてみたまえ。その統治ぶりを取り上げてみたまえ。『法律の前での市民の平等』を取り上げてみたまえ。― そうだとすれば、諸君は、ブルジョア民主主義の偽善を、一歩ごとに、どの国家にも見出すであろう。どんな民主主義の国家であろうと、『秩序が破壊された場合に』 ―― 実際には、被搾取階級が自分の奴隷的地位を『破壊し』、非奴隷的にふるまおうと企てた場合に、労働者に軍隊をさしむけたり、戒厳を宣告したり、等々をする可能性をブルジョアジーに保障している抜け道または但し書きが、憲法の中に設けられていないような国家は、一つもない。」

 

つまり、秩序とは、ブルジョア社会である限り、ブルジョア的秩序のことなのである。国内においてのみならず、国際関係においても秩序とは、ブルジョア国家同士の秩序である。ロシアの十月革命を、世界のブルジョア国家が寄ってたかって圧殺しようとしたことを思い出せばよい。

 

★ブルジョアはあらゆる手をつかって労働者の政治参加を排除する!

レーニンは続ける。「カウツキーは、民主主義は『少数者の保護だ』といったおとぎ話をする。」しかし、カウツキーは、「アメリカまたはスイスのもっとも民主主義的で共和主義的なブルジョアでさえ、ストライキ労働者に対して何をやっているかについては、口をつぐんでいる。…あらゆる重大な、深刻な、根本的な問題のさいにプロレタリアートに与えられるのは、『少数者の保護』ではなくて、戒厳令あるいはポグロム(注、財産の掠奪や大量殺人を伴う反動的な襲撃)であるということである。」(同、p34) 

 

カウツキーは、マルクス主義の基礎である国家の階級性を忘れているのである。「ブルジョア民主主義の下では、資本家は何千というトリックで ―― 『純粋』民主主義が発展していればいるほど、ますます巧妙で効果の確実なトリックで ―― 大衆を統治への参加から押しのけ、集会・出版などの自由から押しのける。……ブルジョア社会への参加を、勤労大衆は何千という垣でさえぎられている。そして労働者は、ブルジョア議会が、無縁な施設であり、ブルジョアジーがプロレタリアを抑圧する道具であり、敵階級である少数の搾取者の施設であることを、素晴らしくよく知っており、感じており、目で見、肌で感じている。」(同、p36)「我々を統治しているのは、ブルジョア官吏、ブルジョア代議士、ブルジョア裁判官である。これは簡単明瞭で、争う余地のない真理であって、最も民主的な国をも含む、あらゆるブルジョア国で、被抑圧階級の何千万、何億の人々が、自分の生活上の体験でこれを知っており、日々これを感じ、肌で感じ取っている。」(同、p37

 

日本の労働者も「これを肌で感じ取って」ほしいのだが。

 

★ブルジョアの平等や自由は口先だけの、形だけの平等や自由だ!

第3章は、「搾取者と被搾取者との平等はありうるか?」である。 レーニンは、そのような平等はない、という。ところが、純粋民主主義者であるカウツキーは、パリ・コンミューンについて被搾取者が多数を占めているコンミューンにどうして暴力が必要なのか、と暴力を批判するのである。彼は、コンミューンは「民主主義を廃止するためにではなく、それを保護するためにしか、暴力を行使しないであろう。……普通選挙権を廃止しようとするならば、それはまことに自殺行為であろう。」と言う。搾取者は少数者であるのだから、多数者である被搾取者に従うべきである、搾取者にも民主主義を保障すべきだ、なぜなら権力が被搾取者の多数者にあるからには、少数者を暴力的に抑圧する必要はない、というわけである。

 

見られるように、このカウツキーの反論には、搾取者、支配者と被搾取者、被支配者との階級関係は全く存在しない。あるのは、多数者と少数者という、単なる数だけである。これに対しレーニンは次のように反論する。

 

「民主主義の『純粋』さにほれ込んだカウツキーは、形式的な平等(資本主義の下では徹頭徹尾いつわりで偽善的な平等)を実際の平等と思っているのである! 全く些細なことだ! 搾取者は、被搾取者と平等ではありえない。」(同、p40) 「ごくまれな特別な場合を除けば、搾取者を一挙に絶滅することはできない。……多くの世代にわたって、教養の点でも、豊かな生活の条件の点でも、習性の点でもまさっていた搾取者と、最も進んだ、最も民主的なブルジョア共和国においてさえ、その大多数が虐げられ、無知無学で、おどしつけられ、ばらばらである被搾取者との間に、平等はあり得ない。搾取者が、変革の行われた後でも、長い間多くの点で大きな実際上の優越を保つことは、避けられない。すなわち、搾取者には、貨幣(貨幣を一挙に廃止することはできない)や、なにがしかの、時にはかなり多額の動産が残っており、手ずるや、組織と管理の技能や、管理のあらゆる『秘訣』(習慣、方法、手段、可能性)についての知識が残っており、より高い教養や、高級技術家連(ブルジョア的に生活し、ものを考える)との緊密な連絡が残っており、はるかに大きな軍事上の技能(これは非常に重要なことだ)、その他いろいろなものが残っている。」(同、p41

 

★ブルジョアジーは死に物狂いでその支配権力を守るであろう!

「こうゆう事情であるのに、いくらかでも深刻で重大な革命の際に、多数者と少数者との関係がいとも簡単に問題を決定すると予想するのは、この上ない愚鈍さであり、ありふれた自由主義者の愚劣極まる偏見である。……あらゆる深刻な革命の際には、なお幾年かの間被搾取者に対して大きな実際上の優越をもつ搾取者は、長期の、頑強な、死に物狂いの抵抗を行うのが通則だということである。甘ったるいばかものカウツキーの甘ったるい空想の中ででもなければ、搾取者が、最後の必死の戦闘、あるいは一連の戦闘で自分の優越性を試してみずに、多数者である被搾取者の決定に服従することは、決してないのである。」(同、p41) カウツキーは、民主主義と独裁を対置し、独裁は民主主義を否定するものだ、という。レーニンは、それに対して、選挙権のような民主主義を制限する問題は、独裁の民族的に特殊の問題であって、ヨーロッパの来るべきプロレタリア諸革命がみな、あるいはその大多数が、ブルジョアジーの選挙権に必ず制限を加えるだろうと、前もって断言するのは誤りであろう。そうなることもありうる。戦争とロシア革命の経験を経た後では、おそらくはそうなるであろうが、しかし、それは、独裁を実現するために必須のものではない。独裁の不可欠の標識、その必須の条件は、階級としての搾取者を暴力的に抑圧することであり、したがって、この階級に関しては『純粋民主主義』、すなわち平等と自由を侵犯することである。」(同、p43

 

★ブルジョア民主主義の幻想から目を覚まそう!

レーニンからの引用ばかりになりましたが、レーニンは労働者に、噛んで含めるように、そして火のような情熱をもって「純粋民主主義」の欺瞞性を暴いています。『背教者カウツキー』は、なお第 8 章まで続きます。皆さんには、ぜひ本書を最後まで読まれて、レーニンのプロレタリア民主主義とプロレタリア独裁の理論を学んでほしいと思います。(K)

 

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

4月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

・4月24日(水)19 時~21 / 県民センター703 号室

*第9章「剰余価値の率と剰余価値の量」から、第4篇「相対的剰余価値の生産」

第12章第2節「部分労働者とその道具」まで学習します。

◆「資本論」第2巻学習会

・4月10日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*第5章「流通期間」から、第2篇「資本の回転」第7章「回転期間と回転度数」まで

を読みます。

◆レーニン「カール・マルクス他18篇」(岩波文庫) 学習会

4 月17日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*論文「帝国主義と社会主義の分裂」他2篇を学習します。

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!

政治不信が高まる中で、“民主主義”である日本だから、「金権政治も必要悪として我慢するしかない」というような“民主主義”について、神奈川で『資本論』などの学習活動をする『横浜労働者くらぶ』の会報で、「ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!」と題して論じていますので、紹介します。(担当)

 

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!

 レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を読もう!

 

★ 朝日の投書(1月25日朝刊)

政治パーティー券の裏金づくりに端を発した政治不信は高まっていく一方である。朝日朝刊(1月25日)の投書は次のように怒りをぶつけている。「この怒りは何だろうか。私たち市民だけでなく、公明党も野党も、もっと怒るべきだ。暴れるほどの強い行動が必要だと思う。」(見出し、「絶大な政治不信、もっと怒ろう」) この筆者の怒りは頂点に達している。その怒りは連立を組む公明党ばかりでなく、国民の怒りを内閣打倒や政権交代に結び付けることができない不甲斐ない野党にもおよび、国民に暴力的な行動まで呼びかけているのである。こうした政治と金、派閥の解消等の問題は戦後何度も繰り返されてきた。そこから生じる政治不信は、とりわけ日本では国際的にも高い水準にあるという(1月25日朝日朝刊)。「国の政策に国民の考えや意見が反映されていると思うか」という質問で、「あまり、あるいはほとんど反映されていない」と答えた割合が、現在リクルート事件が発覚した88年度の63%とほとんど同じになっている(民主党政権誕生の直前の09年1月では807%に達したという(内閣府調査))。これは驚くべき数字であり、国民が政治に期待していないという事実が浮き彫りになっている。

しかし、この政治不信、怒りを、どうすればいいのか? どう解決するのか? それについては投書の筆者も「この怒りは何だろうか?」と、政治不信について疑念を持つだけでなく、逆に「こんな政治家を選んだのは自分たちだけに、政治不信はつらく、悲しい。」と、自責の念(!)に駆られているありさまである。

★ 民主主義にも二通りある!

なぜ政治不信はくりかえされるのか? それは現在の政治が、支配階級の、金持ち階級の、資本家階級の政治であるからだ。労働者人民はそれを感づいてはいるが、社会全体が金で動いている社会なのだから(自分も金で動くか!)、妥協しあきらめているのである。したがって、政治不信をなくすためには、こうした金権社会を根本から変えなければならないのであるが、ここで障害が出てくる。それは“民主主義”である。日本には、習近平の中国とは違って、国民には選挙権も被選挙権もあるし言論や集会結社の自由もまあ保障されているから、金権政治も必要悪として我慢するしかないのではないか、というわけだ。しかし“民主主義”とはいかなるものであるか、ということを考えてみなければならない。”民主主義”にも階級性があり、したがってこの階級社会にも民主主義は2種類あるのだ。1つは資本主義社会の民主主義、つまりブルジョア民主主義であり、もう一つはプロレタリア民主主義である。本書『プロレタリア革命と背教者カウツキー』は、直接にはプロレタリアート独裁を否定するカウツキーの日和見主義を批判した著作であるが、レーニンは、「プロレタリアート独裁はプロレタリア民主主義であり、ブルジョア民主主義よりも百万倍も民主的である。」として、ブルジョア民主主義の虚偽性を暴露している。ぜひ本書を読んでブルジョア民主主義の欺瞞性を知ってほしい。本書の国民文庫版は、すでに廃刊になって手に入りにくいので(もちろん全集や 10 巻選集で読めるが)、すこし詳しく紹介したい。

純粋民主主義民主主義一般は金持ち民主主義である

まず第1章(本書には章別はなく見出しだけだが)「カウツキーはどのようにマルクスをありふれた自由主義者に変えたか」では、レーニンは、「『民主主義的方法と独裁的方法』との『根本的区別』というカウツキーの大発見」を問題にする。カウツキーに対しレーニンは、「独裁」とは支配階級の独裁であり、ブルジョア国家はブルジョアジーの独裁でありプロレタリア国家はプロレタリアートの独裁である、として次のように述べている。「プロレタリアートの独裁の問題は、ブルジョア国家に対するプロレタリア国家の関係の問題であり、ブルジョア民主主義に対するプロレタリア民主主義の関係の問題である。」(10巻選集p21)カウツキーは、「ブルジョア民主主義という正確な階級的概念を避けて、『社会主義以前の』民主主義について語ろうと努めている。」つまりカウツキーは「18 世紀に顔を向けて、絶対主義や中世的制度に対するブルジョア民主主義の関係について百遍も言われた古臭いことを、その小冊子(カウツキー著『プロレタリアートの独裁』1918)のほとんど三分の一をブルジョアジーにはなはだ気持ちの良いおしゃべりでみたしている。」(同p21)つまりカウツキーは、封建制や絶対主義の時代に進歩的であったブルジョア民主主義を、20 世紀の帝国主義の時代に叫んでいるのだ。ブルジョア民主主義の歴史性をまったく無視しているのである。そのいい例が、いまのアメリカである。トランプのような極めつけの悪党が大統領に返り咲こうというのである。これがブルジョア民主主義のなれの果てである。誰がこんな民主主義を望むであろうか?


★ 資本主義社会はブルジョア独裁である!

さらに進んでカウツキーは、「マルクスは 1875 年に一度手紙の中でやったプロレタリアートの独裁という片言を」ボルシェヴィキが思い出したのだと述べて、マルクス主義にとって重要な概念である「プロレタリアート独裁」(マルクスは著作の随所でこれについて述べているのに)を、マルクスの単なる思い付きであったかのように述べたうえさらに、「残念なことに、マルクスは、彼がこの独裁をどう考えていたか、をもっと説明することを怠った。…文字通りに取れば、”独裁“ということばは、民主主義の廃棄を意味する。」(同)と述べるのである。このカウツキーの独裁と民主主義を対立させる概念の中には、マルクス主義者としての階級性は一切なく、単なる純粋民主主義者としてのカウツキーが現れているだけである。そしてカウツキーは、独裁とは「一個人の全一的な権力を意味する。」というのであるが、レーニンは、カウツキーに反対して、独裁は一握りの人間の独裁もあれば、寡頭制の場合も、一階級の場合もあるとして、次のように定義する。「独裁とは直接に暴力をよりどころにし、どんな法律にも拘束されない権力である。」「プロレタリアートの革命的独裁とは、ブルジョアジーに対するプロレタリアートの暴力によってたたかいとられ維持され、どんな法律にも拘束されない権力である。」(同p25) レーニンは、カウツキーを次のように断罪する。「自由主義者ならば、『民主主義』一般をうんぬんするのは、当然である。マルクス主義者は、『どの階級のための?』という質問を提出することをけっして忘れないであろう。」(p24) レーニンは、カウツキーが、「マルクスが、イギリスやアメリカでは、平和的変革、すなわち民主主義的な方法による変革が可能だと考えていたことで、証明される。」と語っていることを引用し、レーニンは、カウツキーが、独裁を個人の権力を意味するというのは、プロレタリアートという階級の独裁を否定し、「平和的な変革、すなわち民主主義的な方法による変革」を考えているからであるとし、「ここに問題の眼目がある。すべての逃げ口上、詭弁、ペテン師的偽造がカウツキーに必要なのは、まさに暴力革命を拒否するためであり、自分が暴力革命を放棄したことを、自由主義的労働者の側へ、すなわちブルジョアジーの側へ移ったことを覆い隠すためなのだ。」(p28)と述べている。


資本家民主主義よ、さらば!

働く者の民主主義を実現しよう!

カウツキーは、自説を強調してパリ・コミューンをひきあいに出して次のように述べる。「パリ・コミューンは、プロレタリアートの独裁であったが、このコミューンは普通選挙によって、民主主義的に選出された。…マルクスにとっては、プロレタリアート独裁は、プロレタリアートが多数をなす場合、純粋民主主義から必然的に生まれてくる状況であった。」(p28) カウツキーは、何としてでもプロレタリアート独裁を純粋民主主義と結び付けたいのである。しかしエンゲルスは、パリ・コミューンについて次のように述べている。「革命は、たしかに、およそあらゆるもののなかで最も権威的な事柄である。革命は、住民の一部が、小銃や銃剣や大砲、つまりきわめて権威的な手段を使って、住民の他の部分に自分の意志を押し付ける行為である。…パリ・コミューンが武装した人民のこの権威をブルジョアに対して行使しなかったなら、それは、ただの一日でも持ちこたえたであろうか? それどころか、われわれはコンミューンがこの権威を行使しなさ過ぎたこと(注、ヴェルサイユへ即時進撃しなかったこと、銀行の接収を躊躇したこと等)で、責めてよいのではなかろうか?」(p29) エンゲルスは、ここで純粋民主主義など全く問題にしていない。問題は革命を成功させるか否か、ということである。1918年当時、ドイツなど西ヨーロッパ中が革命に沸き立っていた時に、カウツキーは、民主主義だ、多数決だなどとお説教を垂れるのであるが、第1次大戦の開戦直後に(1914 年8月)に、ローザ・ルクセンブルクが、ドイツ社会民主党(カウツキーはその理論的指導者の一人)は、いまや悪臭紛々たる屍である、と言ったのも当然である。

レーニンは第1章を要約して次のように述べている。「カウツキーは、プロレタリアートの独裁の概念をまったく前代未聞のやり方でゆがめ、マルクスをありふれた自由主義者に変えてしまった。すなわち『純粋民主主義』についての俗悪な文句をしゃべりたてて、ブルジョア民主主義の階級的内容を美化し、あいまいにし、被抑圧階級による革命的暴力をなによりも忌み嫌う、あの自由主義の水準に、彼自身ころがり落ちてしまった。」(p30

我々の周りには、純数民主主義者がうようよいる。純粋民主主義、一般民主主義に騙されてはいけない。労働者階級は、純粋民主主義=ブルジョア民主主義にたいし、働くものの民主主義を対置し、プロレタリア国家の実現をめざさなければならないのである。(第2章の「ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義」は次号に回します)(K)

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

 3月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

・3月27日(水)19 時~21 / 県民センター703 号室

*第8章「労働日」第5節「14世紀から17世紀末」~第7節「イギリス工場立法」まで学習します。

◆「資本論」第2巻学習会

・3月13日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*第5章「流通期間」~第6章「流通費」まで読みます。


◆レーニン「カール・マルクス他18篇」(岩波文庫) 学習会

・3月20日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*論文「マルクス主義と改良主義」他3篇を学習します。

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp

安倍・菅政権の戦犯者の権力争い──始まった自民党総裁選

安倍・菅政権の戦犯者の権力争い

──始まった自民党総裁選

 

自民党総裁選の立補者が決まった。立候補者に名乗りを上げたのは、河野行政改革、ワクチン接種担当相、岸田前政調会長、高市前総務相、野田幹事長代行の4人である。いずれも安部・菅政権の閣僚として政権を支えてきたメンバーである。

 

河野は「実行力・突破力」を看板にアピールしているが、菅政権の下での新型コロナ準備・接種の立ち遅れ、混乱についての責任については口を閉ざしている。かつて、「脱原発」や「女性天皇制」容認など「改革」派を名乗ったことはあるが、保守派の反発を意識してか、「女性天皇」については封印、「日本の一番の礎になっているものが、長い伝統と歴史と文化に裏付けられている皇室」と天皇の意義を強調、原発についても「安全が確認された原発を当面は再稼働させていく」と方向転換した。その一方では、安倍への批判派である石破の協力をとりつけるなど、自民党の〝新しい顔〟をアピール、総裁の座を獲得しようとしている。

 

こうした河野の行動は、小泉純一郎(小泉進次郎の父親)を思い起させる。

 

 かつて金権腐敗で自民党が世論の激しい批判にあっている中、小泉は「自民党をぶっ壊す」と言って首相となったが、「自民党をぶっ壊す」どころか、非正規労働者の容認など新自由主義政策の導入、日米安保体制を強化し、米国の中東への軍事介入への協力などを行ったのである。

 

 河野は、防衛相の時には沖縄辺野古基地建設を推進したし、岸田、高市も軍拡路線では皆同じだ。岸田は、自衛隊の憲法への明文化、緊急事態事条項など4項目の憲法改定、敵地攻撃能力の保持を掲げ、高市に至ってはミサイル攻撃などを受ける前に敵地攻撃を無力化する能力を持つことは必要と先制攻撃のための軍事力整備を謳っている。

 

 安倍政権の下で内閣人事局がつくられ、官僚の人事権を官邸が一手に握るなど権力の集中が行われたが、森友・加計学園問題、「桜を見る会」問題など権力の私物化、それにかかわる公文書の改竄など安倍・菅による権力犯罪の未解決問題については、いずれの候補も「再調査」は不要とのとの態度だ。

 

 安倍・菅政権よる強権政治の下で、政治腐敗、軍備増強が進んだ。そしてまた労働者・働く者の生活もますます酷くなった。「格差社会」と言われるように、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなった。新型コロナが「格差」をもたらしたのではなく、それをさらに拡大したのである。

 

 いま問われているのは、破綻した自民党政治を根底から打倒していく労働者の階級的な闘いである。  
  (T)

政府の棄民策──アフガン、日本の現地スタッフ置き去り

  政府の棄民策、今も昔と変わらず

──アフガン、日本の現地スタッフ置き去り

 

8月31日、米国政府はタリバンとの約束通り、アフガンからの米軍の撤退が完了したと発表した。しかし、タリバンの野蛮な〝報復〟を恐れ、国外に移住を望む多くのアフガン現地スタッフや住民が取り残されたままである。

 

  とりわけ、日本の〝救出〟行動の立ち遅れが目立つ。政府が自衛隊機派遣を決めたのは8月23日、アフガン政権が崩壊してから8日もたってからである。バイデンは、アフガン政府があっという間に崩壊、政府軍も何の抵抗もなくカブール空港周辺はタリバンに占領され、思うような救出が出来なかったと言い訳したが、日本政府はすべて米国任せで自主的になにも主体的に準備していなかったのである。

 

結果、31日に岸防衛相は自衛隊機の撤収を発表し、自衛隊機が運んだのは、日本人1人と、米国から要請を受けたアフガン人14人、僅か15人にとどまり、日本大使館や国際協力機構の現地スタッフとその家族約500人は取り残されることとなった。

 

  一方、日本大使館員12人は全員、政権崩壊後2日、英軍機で脱出しているのである。大使館員が早々と国外に脱出したということは、大使館が危機を察知していた証拠である。にも拘わらず自分たちの安全さえ確保できれば、これまで協力していた現地のスタッフのことなどどうなっても構わないということか。恐るべき無責任というしかない。

 

  こうした政府の態度は、戦前から一向に変わっていない。戦前には、満州に100万戸の移住計画を立て、27万人の満蒙開拓団が送り込まれた。現地に行けば農地も家もあると言われたが、実際には中国人から軍が収奪したものであった。

 

開拓団は日本がでっちあげた「満州国」へ送られ、食糧増産、農業建て直し、さらには満州防衛の役割を担わせた。そして、彼らは敗戦時には「居留民はできる限り定着の方針を執る」とされ、また「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとする」とされたのである。

 

国策として満州に送り込まれた開拓団民は、敗戦によって余計者として国から見放され、「棄民」とされた。国から見放された開拓団員たちがいかに悲惨な状況に貶められたかは、敗戦による逃避行で8万人が命を失い、数多くの幼子たちが中国に置き去りにされたことにも示されている。(以上、寺沢秀文、「満蒙開拓の『真実』」、朝日8・31参照)

 

 アフガンに取り残された500人もの現地スタッフも「棄民」そのものである。彼らは、「民主的」国家を建設するという日本政府の呼びかけで、教育や保健、生活指導などの分野で活動してきた。現地に取り残された彼らは、米国を中心とするアフガン駐留軍への積極的協力者として、報復を受ける可能性は大きい。

 

既に、駐留軍の通訳であった者とその家族は〝裏切者〟として惨殺されたという報道もある。身の危険を感じて出国を望むアフガンのスタッフに対して、政府は責任をもって対応すべきである。

 

 アフガン政府崩壊後の状況を予測して、韓国のように素早く何百人もの国外移住希望者を外国に送ることに成功した国もある。しかし、日本の政府は、大使館員だけは早々と国外に脱出させておきながら、現地スタッフのことはまじめに考えていなかったのだ。さんざん協力させておきながら、後は置き去りとは満州開拓団と同じではないか。今の政府のやり方は、戦時中の政府と何も変わってはいない。

 (T) 

腐敗堕落を深める菅政権を明るみにする総務省接待事件

腐敗堕落を深める菅政権を明るみにする総務省接待事件

労働者大衆は直ちに菅政権打倒の烽火を掲げなければならない

 

 総務省の高級官僚らが、利害関係のある業者「東北新社」と「NTT」から接待を受けていたことが「週刊文春」によって報じられ、資本家、政治家、官僚等ブルジョアのとどまるところを知らない腐敗が、またまた明らかにされている。

それは、菅首相の長男正剛氏が係わる東北新社との問題であり、菅政権が看板政策の一つとする携帯料金値下げに係わるNTTとの問題である。菅首相と菅政権が直接係わる権力の私物化、腐敗・退廃を如実に示している。労働者・大衆は彼らにその真実を明らかにすることを要求するとともに、この虚偽で塗り固められた菅政権打倒の闘いを強めていかなければならない。

 

菅首相と総務省、長男正剛氏、そして東北新社が絡む腐敗した接待事件

 

 東北新社の接待の実態と目的は、この間の報道や国会の質疑、総務省の調査で明らかにされつつある。東北新社が20167月から202012月に総務省の衛星放送業務を担当する山田内閣広報官(当時総務審議官)、谷脇総務審議官、吉田総務審議官、秋本情報流通行政局長、湯本大臣官房審議官や総務省幹部13人を延べ39回にわたり高級料亭で接待を行い、そのほとんどに菅首相の長男正剛氏が参加していた。接待を受けた幹部らは、全員が「相手が利害関係者と思わなかった」と言っているが、そういわなければ利害関係者が費用を負担する接待を禁じている「国家公務員倫理規程」に反する行為となるからである。

東北新社は、テレビ番組・CM制作、BSCS放送事業、映画製作などの放送関連会社である。総務省が旗を振る4K放送への参入による衛星の運営会社に払う衛星料金の低減、衛星放送への新規参入の拡大のなかで利用者が多いBS右旋のスロット(電波周波数の帯域幅)への進出などで、衛星放送の許認可権を持つ総務省に有利な便宜を図ってもらいたい狙いがあり、また、BS4K放送「ザ・シネマ4K」の認定では、申請時(201610月)で放送法施行規則の外資比率20%を超えていたが、それを見逃して認定してもらいたい明白な動機があったことなどが明らかにされている。

 この接待の積極的な役割を担っていたのが、菅首相の長男正剛氏である。菅首相は、贈賄の役割を担った長男を、自分と切り離したいのであるが、長男の東北新社での役割は深く菅首相とかかわっている。2006年に菅は総務大臣に就任すると、大臣の権限で任命できる大臣秘書官に長男をつけた。菅首相は、「ルールをもとに秘書官にしている」と国会では反論しているが、菅首相の選挙を手伝った経験しかない長男の秘書官就任は、縁故就職そのもので権力の私物化以外のなにものでもない。総務省を辞めた後の東北新社への就職は、お決まりの利害関係のある業者への「天下り」である。東北新社は総務省出身で首相の長男である正剛氏を徹底的に利用し、正剛氏自身は東北新社で会社の役員で部長という有利な待遇を得て、自らの人脈を活用し接待をして会社のために尽くした。総務省の官僚は、東北新社の意図を汲んで、接待を受けたのである。

東北新社中島社長は、正剛氏は「総務省との接待の要因のためにいたのではない」、官僚らは「懇親会」「意見交換」の会食で「相手が利害関係者と思わなかった」、武田大臣は「放送行政自体がゆがめられているとは一切考えていない」、正剛氏の影響は「確認できなかった」、菅首相は長男は「全くの別人格」などと言い、会社、官僚、武田大臣そして菅首相は、接待の事実を隠蔽したのである。

外資違反を巡る問題では、東北新社社長が外資違反を総務省鈴木電波部長に報告したのに、国会の参考人招致で鈴木電波部長は「そういった報告を受けるという趣旨であった記憶はございません」と言い逃れ、そのとき同席した武田大臣は「記憶にない」との答弁をそそのかし、彼らは虚偽答弁の内幕を暴露するものになったのである。

 

菅政権と総務省、NTTが絡む接待事件

 

 NTTグループ幹部からの総務省との接待は、週刊文春が谷脇総務審議官に3回約58万円、山田内閣広報官(当時総務審議官)に1回約30万円と報じ、総務省の調査で、谷脇総務審議官、巻口国際戦略局長が、NTT側から20182020年に少なくとも4回、計15万円超の接待を受け、秋本前情報流通行政局長(当時総合通信機基盤局電気通信事業部長)と鈴木事務次官(当時総務審議官)の2人が、NTTの澤田社長と2018.11.8に会食したことを認めた。

NTT側がこの総務省を接待した理由として考えられるのが、菅首相が政策に掲げる携帯料金引き下げと、NTTが求めるドコモ完全子会社化である。菅首相は、官房長官だった20188月に携帯料金は4割程度下げる余地があるとし、所信表明演説でも携帯料金値下げに言及し、菅政権の看板政策の一つとして、大衆の支持をかすめ取ろうとした。

値下げの推進力のような役割を果たした谷脇氏は、国会でNTT側との会食が応分負担と主張したが実際は5千円1回を払っただけであり、「支払った記憶だった」「5千円と提示されのたで相当だと思った」と言い訳をした。NTT澤田社長は、「値下げは事業者の戦略。私が料金の話を出すことはない」、利害関係が明らかな総務省を高額接待することを「賄賂に当たるとは考えていない」などと言い逃れた。接待の場で話さなくても、別の場で「意見交換」することはいくらでもできるのであり、客観的に賄賂に当たるのである。

また、週刊文春は、201711月~20209月に野田幹事長代行と高市衆議員(当時総務相)、坂井官房副長官と寺田衆議員(当時副大臣)の4人に、延べ6回の接待をNTT澤田社長が行ったことを報じた。野党が求めた彼らの国会への参考人招致を、自民党青木党筆頭理事は、「週刊誌報道だけで国会議員を招致することは、国会の権威を傷つける」といって拒否したが、これまでその週刊誌報道で報じられた接待をすでに総務省と本人らも認め、しかも、野田らは「接待ではない」と言いながら、不足分をNTTに返しているのだから、言い訳に過ぎないことを自ら語っている。「国会の権威を傷つける」というなら、彼らこそが国会を「おしゃべりの場」としているのである。

ドコモ完全子会社化は、菅首相の提唱する料金値下げ密接に絡んでいる。ドコモは携帯大手3社の中でシェアの低下が続き、収益で3割に落ち込んで、反転攻勢が課題であった。NTTは値下げを実現するために、ドコモ完全子会社化によってこれまで株主に配当していた利益を会社に取り込もうとしているのである。そして完全子会社とするには、総額4兆円の株式公開買い付けで、一般投資家株式を買い取る必要があり、NTTはその資金を国や銀行の融資に頼らなくてはならない。NTTの株は3割以上国が保有し、政権と政府に密接な関係があり、値下げおよび完全子会社化を巡って総務省の有利な計らいが必要だったのである。

菅政権は携帯料金の値下げを掲げるが、格安スマホや格安SIMがあり、わざわざ菅政権が携帯値下げにしゃしゃり出ることはない。自由主義政策を標榜する菅政権にとっては、値下げは矛盾する政策である。菅政権は、むしろ規制を撤廃し、競争原理によって、料金値下げを実現する環境を整備すべきなのである。料金値下げの提唱は、大衆受けを狙った政権維持のための姑息な政策で、政策の私物化の何ものでもない。

もっとも、競争で料金を引き下げるといっても、それぞれの携帯電話会社が、「基地局」や「交換機」といった通信設備が必要となり、同じ空間にこれらが林立すればかえって費用が課題になるという非効率が生まれる。通信設備などを資本としてではなく、社会的共有生産財として設けられれば、値下げの本来の意味となる必要に応じた設備となり、携帯電話は効率よく労働者大衆に提供されるであろう。

菅政権は、そして菅政権に腰巾着のようにくっ付いている維新などは、「既得権益の打破」といって大衆の支持を得ようとするが、最大の既得権益は私有財産であり、金や生産財、土地などが資本や金持ちに私有され、既得権益となっていることを黙して語らない。「既得権益の打破」というなら、私有財産こそを全労働者・大衆、すなわち社会の共有物とすることであり、それは労働者・大衆が目指す社会主義社会である。

 

菅政権、官僚、資本家の腐敗は、労働者・大衆の菅政権打倒の闘いで一掃を

 

東北新社問題もNTT問題も官僚、および政治家への接待事件であり、菅政権および菅首相本人が深くかかわっている。資本家、政治家、官僚は一体となって、資本の支配の維持を図り、自分たちの権益を守っている。実務では、資本家に雇われている技術者が実務に精通し、官僚は行政のためにもその知識が必要であるが、資本家もその技術を通して会社に有利なような働きかけをすることになる。資本家の利益を貫く政策を政治家が担うことになる。また、技術の基礎となる科学的知見を有する学校などの研究者が、この構造に絡んで、支配階級のヒエラルキーが形成される。こういう構造では、実際的にも互いの知識・技術・科学的知見を「意見交換」する必要も生まれるが、彼らがお互いに便宜を図りあい、そこに金に絡む贈収賄などの犯罪が必然化し腐敗が生まれる。そして、資本が技術革新で利益をあげることが困難になっている資本の行き詰まりは、利益を追求するために官僚、政治家と資本との結びつきが生まれる、腐敗腐朽の根源である。

今日の東北新社問題およびNTT問題を巡って明らかにされた、官僚の目に余る腐敗・堕落を見るにつけても、官僚が身分の安定と高収入(高額接待を受けた谷脇元審議官の退職金は5千万円という)という特権に甘んじることができる資本主義社会を告発せざるを得ない。我々はここでも、「古い官僚装置を粉砕しこれを同じ労働者と勤務員からなる新しい装置でおきかえる」コミューン原則の必要性を痛感する。「彼らの官僚への転化を防ぐために、選挙制だけでなく随時の解任性、労働者の賃金を超えない俸給、すべての人が統制と監督の職務を遂行し、すべての人がある期間「官僚」になり、したがってまた、だれも「官僚」になれない状態へただちに移行すること」(『国家と革命』レーニン)である。これは、すでに労働者が権力を掌握した社会主義社会でのことであるが、我々はこのような社会をめざさざるを得ない。

国会でののらりくらりとした嘘偽りで野党の追及をかわしている菅首相、武田大臣、官僚、NTTや東北新社の社長のやり取りを見ていても、国会が「おしゃべりの場所」になっていると言わざるを得ない。しかし議会は、「支配階級の主要な支配形態」となっており、また諸階級の「主要な闘争舞台」でもある。「ブルジョア議会の議員となってはじめて一定の歴史的条件にもとづいて、ブルジョア社会と議会制度とに対してたたかうことができる」。われわれは、「労働者党が、このブルジョア民主主義体制のなかで選挙闘争に参加する必要性」(『労働者派・社会主義派の代表を国会へ』)を認める。われわれはこのような展望をもって、現在の政治課題として、腐敗堕落を深める菅政権打倒の闘いを強めていかなければならないのである。
(大阪・佐々木)

 

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