「新しい風」はなぜ吹かない?
――インテリたちの衆院選総括
朝日新聞に毎月一回掲載される「論壇時評」というのがある。そこで林香理という東大の先生が「選挙と日本」というテーマで、今回の衆院選に絡んだ八つの論文や記事を紹介(11月25日)している。論者たちは、世襲議員や現職の重視、女性議員の少なさ、あるいは「べからず集」になっている公選法等が、「新たな風」を起こすのに弊害となっている、と嘆いている。
しかし不思議なのは、供託金のことについては、どの論者も一言も触れていないことだ。一体、彼らは一人の国民がどれだけの収入があるのか分かっているのか?国政選挙に立候補するだけで、選挙区で300万円、比例区で600万円の〝立候補料‴を払わなければならない。
新党や新人の場合(法定の得票率に達しないから)これがほとんど没収されるのだ。普通の国民が数百万円をドブに捨てる覚悟で、立候補できるか?こんなハードル(これがために我が労働者党は今回の衆院選を見送った)を設けているのは、つまり一般の国民は政治に口を出すなということである。事実上被選挙権を奪われているのだ。
こんなひどい供託金制度は、外国にはほとんど存在しない(あっても数万円程度の供託金だ)。日本の国会は「国権の最高機関」(憲法)であり、我が国の民主政治の根幹である。その国会に国民が参加する権利を奪われているということは、封建時代の〝民は依らしむべし知らしむべからず〟と同じだ!世襲議員ばかりまた女性議員が少ないのも、あるいは「新しい風」が吹かないで政治が自民党独占なのも、最大の原因の一つがここにある。
国会議員は「全体の奉仕者」(憲法)と規定されている。言ってみれば国民にこき使われるべき「使用人」であるはずだ。その使用人の年収が、使用者である国民の年収より、数倍も上で、しかも数人の公設・私設の秘書という使用人まで雇っているのだ。こんな金持ちが国民に奉仕すべきとは!
その上、既成政党は、お手盛りで何億円、何十億円の政党助成金(国民の税金だ!)を山分けしている(共産党はもらってないが)。彼ら既成政党は、国会を囲い込み独占し、新しい政党や新人が国会に登場することを恐れているのだ。
要するに、今の国会には民主主義など存在しないのだ。維新は〝議員も身を切る改革を〟などと言っているが、パリ・コミューン政府がやったように、一度、〝議員も労働者並みの賃金を〟と言ってみたらどうだ?受けること、請け合いである。序でに、いつでも議員をクビにできるリコール制も実施してみたらどうだ?彼らの特権をすべて剥奪するのだ!そうしたら議員も今のようにエバらず、「国民の使用人」の自覚を少しは持つかもしれない。
いまの既成政党には、民主主義を発展させようとする気はサラサラない。むしろ逆に政治に参加させまいとする姿勢ばかりだ。政党交付金を交付するなら、既成政党ではなく資金のない新しい政党や新人にこそ交付すべきなのだ。
しかしブルジョアたちにとっては、民主主義が発展して労働者が階級的な要求を掲げて国会に進出してきては困るのだ。こんな状態だから投票率が低いのも当たり前なのである。国会には労働者が投票したい政党も人物もいないのである。形骸化した国会に誰が期待するというのか?
議会制度は、ブルジョア階級が封建階級と闘争するために作った制度だが、今では労働者階級を支配する道具になっている。労働者は議会制度を利用はするが、マスコミやインテリたちのように(彼らはこれを飯の種にしている)、これを永遠の制度とは思っていない。労働者党に結集し、腐った国会に風穴を開けよう! (神奈川K)