労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

投稿の紹介

パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅱ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

イスラエルにおいては、民主主義をめぐる議論は建国以来繰り返し論争の焦点であった。「イスラエル独立宣言」(1948年)では、この国が、「宗教、人種、性にかかわりなく、すべての住民に社会的・政治的権利の完全平等を保障する」と言うように「イスラエルは民主主義国家である」と宣言した。

 

しかし、1992年に制定された「人間の尊厳と自由―基本法」――イスラエルには「成文憲法」というものは存在せず、「基本法」が憲法に相当している――の法文は「この法律が保障する諸権利は適当な目的のため、または必要を越えない限度で制定されるユダヤ人国家の諸価値に適合する法律、およびこのような法律の下において発効した規定による例外を除いて、侵害されてはならない」(同法第8条)ことを定めており、意図的にイスラエル国内のパレスチナ人マイノリティを排除する内容であった。

 

まさに、ユダヤ人国家イスラエルの「ユダヤ人」の特権的地位を前提にしているものであったが、さらのその上リクードのネタニヤフが首相時の20187月、イスラエル国会(クネセト)は「基本法―ユダヤ人国家法」を7票の僅差で可決成立させた。「イスラエル国家はユダヤ人の民族国家であって、その主権領域内における民族自決権はユダヤ人によってのみ専権的に行使される」旨を内外に表明したのである。

 

この結果、従来はヘブライ語と並んで公用語とされていたアラビア語はその地位を失いヘブライ語のみが国家公用語と規定され、パレスチナ自治政府の行政地区のヨルダン川西岸におけるユダヤ人入植地の建設・発展・拡大については民族理念の具現化としてイスラエル政府が「推奨して促進する国家的価値」と明記され積極的に推進されることが法規範に明記されるなど、イスラエルはその「ユダヤ性」を著しく強調することとなったのである。それはイスラエル独立宣言の理念(「イスラエルは民主主義国家である」)と全くかけ離れたかつての南アフリカと同様の「アパルトヘイト国家」へと変質していったことを露骨に示している。

 

1993年のイスラエル首相のラビンとPLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長による「オスロ合意」が’95年のユダヤ人過激派の青年によるラビン暗殺によって頓挫破産して以来、政権を握ったリクードの歴代政権はパレスチナ人によるテロ攻撃をフェイクを交えて誇大に強調アジりガザやヨルダン川西岸の入植地に数十キロにわたる高さ8メートルの分離壁――その壁面には覆面画家のバンクシーなど多く画家の描いたイスラエルのやり方を批判する壁画が描かれている――を建設して、ユダヤ人国家イスラエルの生存権と自衛権を声高に喧伝することによって、連立政権に向けられた国民の政治的な批判――107日の直前までネタニヤフは汚職容疑で窮地にあり、さらに司法制度改悪などの批判で連日のデモなどによって政権維持が困難な状況にあった連立内閣が、ハマスの越境攻撃に対して1948年来の「第2次独立戦争だ」と扇動することによって1011日挙国一致の戦時「救国」内閣が改めて組織できたということで辛うじて延命できた――やイスラエル国内に蓄積していく経済的な社会的矛盾からする不平・不満を逸らしてきたのである。

 

現在イスラエル国内のユダヤ人には、西欧出身・東欧出身・ロシア出身(1991年のソ連邦崩壊後には数百万のユダヤ人が入国した)の白人、西北アフリカ出身のアラブ人、アフリカ(特にエチオピア)出身の黒人などがいて、そのそれぞれに経済格差や分断が著しく階層・階級分化も急速に進んでいると言われている。定数120名の国会(クネセト)に議席を持っている政党は10ほどで、建国以来どの政党も過半数を取ることができず、ひとつの政党ではなく常に複数の政党による連立政権でしか行政府が組織できなかったことがその証左である。

 

こうした状況のなかでイスラエル国内において労働者階級がさらに成長してきて彼らのなかから自らの利益を最終的に擁護する労働者政党が形成され、現在のイスラエルの政治体制を根底から変革すること、そしてそれによってその後、パレスチナに住んでいるアラブ人が希求する民族自決の自立した国民国家――現在のパレスチナ自治政府にしてもガザ地区住民にしても、大量の国際的な資金・食料援助なしには存在も生活維持もできない寄生的な状態に置かれている――を創っていくことが重要であると僕は思う。

 

現在の歴史的段階において、イスラエルに求められているのは、真にマルクス・レーニン主義に基づく「労働の解放をめざす」労働者政党の結成と一時であれユダヤ人、パレスチナ人や他のキリスト教徒の人々の共存・共生とより一層の交わりと融合を唱える民主主義的な勢力との共闘によるパレスチナ人の民族自決権を決して認めようとしない現在の“歯まで武装している”入植型植民地国家イスラエルの変革と、一方ではパレスチナ人の民族自決による統一された国民経済による国民国家(Nation State)の形成、そして、その両者による“川から海までの”パレスチナにおける一国家連邦制あるいは二国家併存しかあるまい。勿論、イスラエルの現在の政治体制の変革が先んじて行われなければならないことは言うまでもない。今のところ僕は、パレスチナ・イスラエル問題の根本的な解決はこれ以外にはないだろうと思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

        Ⅱ      


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅲ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《宮本  

 

最後に改めて言いたい。かつて大日本帝国が中国侵略を推し進めていった時に、「匪賊」――毛沢東率いる共産軍は「共匪」――と呼ばれた日本帝国主義に抵抗し神出鬼没のゲリラ戦によって現地日本軍を大いに苦しめたナショナリスト・民族主義者の武装集団がいた。この頃、大陸各地に点在していた日本人居留地にいた一般の日本人を度々襲って殺傷したのは各地に割拠していた軍閥やその敗残兵だったのだが、当時の日本からすれば一括りにされた彼らは明らかに「残虐非道なテロリスト」だったのだ。

 

20世紀以後におけるナショナリズム・民族主義には二つの歴史的段階があるように思う。つまり、抑圧され無権利状態に置かれた或る民族が民族としての自決権を要求する解放運動の歴史的段階と、すでに自決権も主権国家も保有しており、領土拡大ないし領内の少数民族を排除しようとする植民地主義的な歴史的段階とがある。

 

21世紀に入ってから中国共産党が主導する中華人民共和国の動向――憲法を改悪してまで国家主席3期目の習近平は「偉大なる中華民族の復興」を掲げて、香港での国家安全維持法による圧政、チベット自治区の人々やウイグル自治区でのムスリムへの弾圧抑圧、南シナ海での独善的な領海設定や一帯一路路線などの帝国主義的で覇権主義的な海外膨張など――を見るにつけて、1949101日に統一された国民国家として建国された植民地解放の民族解放闘争を闘ってきた以前とそれ以降の国内国外の権威主義的で大国主義的な出来事の推移を比べるとそのように思わざるを得ない。

 

僕は、今日の世界各地で起こる出来事を判断する際には常に、そのそれぞれの人々が置かれている状況が人類の歴史上、経済的・政治的・社会的に、どういった歴史的段階であるのかということを物差しにして行うよう心掛けており(それが唯物史観的な観方だと思っているから)、パレスチナ・イスラエル問題を考える場合もそうしたことを基本的なスタンスにしている。

 

パレスチナに住んでいるアラブ人の民族自決による国民国家(Nation State)建設を主張するのも彼らにとってはそれが現在の彼らが置かれている歴史的発展段階に最も即応していると思うが故である。かつて1910年代、レオン・トロッキーやローザ・ルクセンブルグは帝国主義のもとでは「帝国主義がある限り実現不可能だ」、「社会主義はすべての国境と無縁なのであって、帝国主義によって除去された国境を再現する」からなどという理由で被抑圧民族の「民族自決権」を否定した。

 

これに対してレーニンは、それは「帝国主義的経済主義」であって、民族自決は可能であるばかりではなく不可避であること、それが一つの改良であり、民主主義の実現であるにすぎないとしても世界の諸民族の社会主義的な融合にとって一過程であること、帝国主義による併合や搾取や束縛などの「強制ではなくして、万国のプロレタリアの自由な同盟にもとづく、諸民族の接近」が必要なことを繰り返し強調して、彼らを批判した。

 

レーニンは言う、「あらゆる民族的圧政に対する闘争――これは。無条件にイエスだ。しかし、あらゆる民族的発展のための、『民族文化』一般のための闘争――これらは、無条件にノーだ」(「民族問題における批判的覚書」1913年、『レーニン全集』⑳ p.21)、と。僕はこの言葉を、前半の「イエス」は当然だとしても、後半の「ノー」はまさに“至言”だと思っている。それは、どういうことか。

 

近年小ブル・インテリどもがやたら持て囃している、多様な民族・慣習・言語・文化の共存・共生を唱える多文化主義・文化相対主義が人口に膾炙する今日の状況にあって、とりわけ強調したい。こうした考え―――まさに、第一次大戦前に「人種・民族のるつぼ」と呼ばれたバルカン半島を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国において、民族問題の解決策として、諸民族の独自性・自立性を唱えた上での調和ある併存、平和的な共存・協調を提唱して、帝国内での諸民族の自治権を要求したオットー・バウアーらのオーストリア・マルクス主義者の直系の嫡子なのだ――は民族排外主義を補完するメダルの裏面に過ぎない。

 

純粋で固有な文化や民族という概念は国民国家があるいは国民国家の時代が生み出した“創られた神話”であって、他文化・他民族の尊重や自民族中心主義の克服を目指す多文化主義・文化相対主義ないし多民族主義は文化や民族の多様性を認めるものの文化や民族を単一の孤立し閉じられた体系と見なすこと――この最終的な行先は各民族ごとの「アパルトヘイト」になる以外ではない――によってお互いに垣根をつくって恒常的な交流による相互融合・相互変容がなされていくという積極的な発展を阻害することになりかねない。

 

レーニンが「ノーだ」と言ったのは、そういった意味であると僕は思う。そもそも、いかなる民族・文化といえども決して孤立してもっぱら内在的に自立・自律して成長発展してきたわけではなく、他の民族・文化との間に様々な関係を取り結び、それによって種々多様な作用を受け変化変容し融合しながら発展してきたはずであって、あらかじめ孤立した諸民族・諸文化が存在し、何らかの理由で偶発的に交流が行われたのではなく、逆に交流という現象が先にあって、つまり交流が常態だということである。

 

その点で言えば、日本史の教科書での平安時代の「国風文化」は894年の遣唐使の廃止以後の日本独自に発展した文化なのだといった解釈は明らかに誤っている。国としての公の正式な相互交流は無くなったにしても、民間交流はそれまで以上に盛んになっていたのである。

 

パレスチナの大地の上に住んでいるすべての人々、ユダヤ人やアラブ人、その他多くの人々がお互いに分け隔てなく交流しながらより一層の融合が行われること、そして、そうした流れの障壁となって妨害し敵対する現在のイスラエルの政治体制の変革──その変革を可能にするために、アメリカ、そしてナチスのホロコーストへの贖罪意識からイスラエルの生存権と自衛権を国是にしているドイツとフランスなどの西欧諸国の財政的・軍事的な援助の即時停止を世界の労働者は掲げるべきである──こそが、現在最も求められていることであると僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

          Ⅲ    


パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅳ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《》(宮本   博)

 

──追記──

僕がネットなどで手にしたグローバル・ノースの日本を含む西側諸国の主流メディアでは絶対に報道されていない情報がある。これについて少し述べたい。

 

107日当日ハマスの戦闘員の1人が「越境攻撃の目的」――今回、なぜ「人質を取ったのか」ということ――について以下のような手記を残している。

 

「(イスラエル領内にある)キブツを襲撃し、住民を人質にすることについては、当然、異論もあった。ガザ地区を縁取るパレスチナの村々の土地の上に、その住民たちをガザに放逐したのちに建設されたこれらのキブツは、イスラエル軍のガザ地上進攻に際して、その前哨基地として使われる準軍事施設であり、住民たちは武装しており、多くは戦闘訓練を受けた予備役の兵士だ。だが、そうだとしても、それを襲撃し、戦闘服を着ていない彼らを人質にとることは国際人道法違反だ。しかし、それを戦争犯罪だと批判するなら、世界よ、どうか、教えてほしい。

 

イスラエルの刑務所に、ただ占領の暴力に抵抗したがために何カ月も、何年も、何十年も収監されている5000人ものパレスチナ人の父親たち、母親たち、息子たち、娘たちを解放するのに、ほかにどのような手立てがあるというのか。やむを得ず人質を取る。しかし、彼らには絶対に危害をくわえない。彼らはやがてぼくたちの隣人に、友人に―――もしかしたら恋人に―――なる者たちだ。ぼくたちが撒くのは憎しみの種ではなく、共生の種、友情の種なのだから」(手記の一部)。

 

それを証明するように、キブツで人質になったが生還したヤスミン・ポラットは、「テロリストたち」が終始、人質を人道的に遇していたと証言している。またガザに連行された人質たちを前にハマスの軍事部門のトップ、ヤヒヤ・シンワルはヘブライ語で「絶対に危害を加えない」旨、誓ったという。

 

人質交換において、ガザから解放される人質はパレスチナ人戦闘員と握手して別れたり、アラビア語で「シュクラン(ありがとう)」と言ったり、また、幼い娘と人質になったいた母親は、娘を大切に扱ってくれたことに対してヘブライ語でハマスに感謝の手紙を書いていることからも、この誓約が守られていることが分かる。

 

107日の出来事はイスラエル政府および軍により「ハマスの残忍なテロ」として世界に喧伝され、「自衛権の権利の行使」という直後から始まったイスラエルによる未曾有の攻撃は、時をおかずガザのパレスチナ人に対するジェノサイドとなった。「ハマスの残忍なテロ」は、このジェノサイドを下支えする言説的基盤を提供した。

 

しかし、この数か月のあいだに次々と明らかになった諸事実は、そのようなものとして喧伝された出来事の多くは事実無根であることを示唆している【注:野外音楽祭で起きたとされる集団レイプも、イスラエル警察は一件も指摘していない。目撃者証言が多々「引用」されるものの、被害者はもとより、目撃者による直接証言も存在しなかった(その後、『ニューヨークタイムズ』紙が目撃者の名前入りで証言を報道したが、証言を裏付ける具体的事実は上がっていない)。それが実際に起きたと信じるに足る証拠はいまだ何ひとつ提示されていないのが実情だ】。

 

107日に関して確実な事実として言えるのは、この奇襲攻撃でイスラエル側に1000人以上の犠牲者が出たことだ【注:当初、1400人と発表された死者数はその後、1200人下方修正され(200人はパレスチナ戦闘員であることが判明したため)、その後さらに、1147人に修正された(理由は不明)。ここにはイスラエル側の数百人の警官や戦闘員も含まれている】。

 

イスラエルのハアレツ紙によれば、身元が判明している902名のイスラエル側の死者のうち民間人は556名、これら民間人には、生還者の証言や証拠から、ガザの戦闘員によって殺された者もたしかに存在する一方、イスラエル軍が、人質として捕われている者たちが中にいるキブツの住宅を砲撃したり、人質・捕虜としてガザに連行される途上の車両を攻撃用アパッチ・ヘリからのミサイル攻撃したりしたことで殺された者たちも多数含まれていることが分かっている。

 

その内訳は不明である。犠牲者の親族は、愛する家族がこの日、どこで、誰によって、どのように殺されたのか明らかにすることをイスラエル政府に求めているが、政府は依然、その公表を拒んでいる。公表すると都合の悪い理由があるからだと考えるのが自然だろう。

 

イスラエル政府が情報公開しない以上、107日の出来事の全容は不明だが、少なくとも言えることは、頭を刎ねられた40人の赤ん坊(あるいは、オーブンで焼かれた、あるいは洗濯紐に吊るされている赤ん坊)がでっち上げであったのと同様、イスラエル当局発表の「ハマスの残忍なテロ」なるものも捏造であるということだ。

 

襲撃された野外音楽祭は当初、前日で終了予定で、土曜日まで延期されることは直前になって決定されたのでガザの戦闘員にとっては想定外だったことが判明している。また、イスラエル軍の攻撃によって、人質や捕虜が多数殺害され、それが自分たちの「残忍なテロ」の証拠されることや、戦闘員の越境に続いてガザから飛び出した非戦闘員がキブツで狼藉を働くということも想定外であったという。

 

はじめに記したハマスの戦闘員の手記は次のような文で終わっている、『白人国家だった南アフリカが虹の国になったように、川から海まで、パレスチナも虹の国になる。この土地の上に、ぼくたちは未来を植える。ああ、母さん、故郷が見えるよ。朝日に照らされたぼくたちの故郷が。ぼくらの娘たち、息子たちがやがて還る、虹色の故郷が』。僕たちが普通TVや新聞などの主流メディアから得る情報はかなり加工され、ブルジョアジーの代弁者である権力者の意図を忖度した情報、都合の悪いものが隠され偏向した一方的な情報だということを改めて確認しなければならないと僕は思っている。

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅴ》

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《》(宮本   博)

 

 改めてこの僕の文章を読み返すと、ハマスによる越境攻撃を少なからず認めるようなニュアンスだったと今更ながら反省しきりです。ハマスによる攻撃はいかなる理由があれ許されるものではありません。今回のハマスによる越境攻撃は彼らにとってもイスラエル政府・軍によるガザへの報復攻撃が予想されるなかで行われました。

 

 どんなに崇高な理念を掲げていようと、結局は、36日現在4万人近く(その7割が女性と未来ある子供)にのぼるイスラエル軍によるジェノサイドに結果しました。たとえそれがイスラエル軍の行った悪逆非道な所業だったとしても、それはハマスが越境攻撃を行なったが故だったのです。

 

 この虐殺された女性たちや子供たちの未来、その他多くの人々の命を奪ったこと、これが「ユダヤ人からのパレスチナ大地の解放」という「大義」のための“尊い犠牲”、いわゆる「人柱」だったとは僕には到底思えません。代表委が「労働者党の考えと必ずしも一致しません」とあるのは多分このことかもしれません。

 

また、最後の方で「パレスチナ人の国民国家形成」というところまでしか述べていない舌足らずの点もあるのかもしれません。他の箇所もあるのかもしれません。どういった点で「労働者党の考えと必ずしも一致しません」とあるのか、Iさんが知りうる範囲でいいですから僕に教えていただきたいと思っております。いろいろ農作業の傍らに「或るパレスチナの若者のテクスト」を読んで僕自身心がふるえ胸に迫るものがあり、何か書かなければと急に思い立って文章にしたものだったのです。後悔先に立たずで、かなり反省しているところです。(宮本博)

(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本   博)

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「無限発話」を読んで――セックスワーク論の残忍性も告発

【『海つばめ』読者からの投稿】

 

無限発話 買われた私たちが語る性売買の現場」(性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ著)を読んで

 

暴力と搾取にみちた性売買の現実、性売買女性の非犯罪化し、買春者・性的売買業者を処罰する北欧モデルの導入を、上野千鶴子氏らが唱えるセックスワーク論の残忍性も告発

 

韓国の「性売買経験当事者ネットワーク・ムンチ」著「無限発話―買われた私たちが語る性売買の現場(梨の木舎)が発刊されました。韓国では性売買女性火災死亡事件をきっかけに女性運動が力を結集して「淪落行為防止法」(1961年)を廃止させ、2004年、買春者、斡旋業者への処罰強化、脱・性売買を望む女性への国の支援強化を盛り込んだ「性売買防止法」が制定させました。

 

性売買集結地がある地域では女性活動家による性売買経験者当事者による支援が始まり2006年に「ムンチ」が結成されました。「ムンチ」とは「団結してできないことはない」「一致団結」という意味です。「無限発話」は、「ムンチ」のメンバーたちが経験した現場、彼女たちが業者や買春者から投げつけられた実際の言葉が、座談会も活用しながら生生しく語られています。性売買は性暴力や性搾取に満ちた世界です。

 

この著では性売買を経験してきた女性達が同僚の女性たち、暴力と搾取にみちたひどい雇い主や斡旋人、借金のシステム、性売買の集結地、買春男たちの姿態、このすべてを振り返って綴っています。

 

桐野夏生さん(作家)は、「性売買の現場は、女たちの暴力と搾取にみちたむごい現場だというのに、買う男の話は、そして自己責任だと笑う人々の話は、なぜ誰もしないのか?」と問うています。

 

性売買、性搾取にあふれる日本の現実も告発

 

この著の序文「日本の読者のみなさんへ」の中で彼女たちは語っています。「何人もの当事者の経験を通じて日本の状況を聞いていたにもかかわらず、『ムンチ』のメンバーたちで日本の性風俗街を訪れたとき、私たちは驚愕を禁じえませんでした。そこでは、一歩足を踏みいれた場所の何もかもが性売買と結びついていました。買春斡旋紹介所【無料案内所のこと】、女性たちを陳列した広告や看板、街角で客引きする男性たち、ガルーズバーの宣伝をする若い女性たち、女性の身体を部位ごとに分けてモノ扱いにする店、ファッションヘルス店など、ことばでは言い尽くせないほどの性搾取の連鎖を見せつけられました。いつも手軽に買春できる『文化』がすでにできあがっていました。ぞっとします。恐ろしくもあります。韓国の性搾取『文化』は日本の性搾取『文化』を踏襲したものです。それゆえ『ムンチ』は伝えたかったのです。当時者の声が聞こえてこない社会に、私たちの経験を通じて変化がおきることを望んでいます」。今でも歌舞伎町などで買春者、女性に金を使わせ売春へ誘うホストなどが野放し状態で横行しています。

 

長年韓国で性売買の当事者が驚くほど性売買があふれているところ、それが日本です。彼女たちの言うように日本では当たり前のような日常的光景となっている性売買・性搾取の打破も大きな課題です。

 

性売買は性的搾取業者、買春者の方が問題だ

 

8月18日号の「週刊金曜日」の記事の中でムンチの彼女たちは東京の歌舞伎町で買春者が横行する性売買の現場を見て言っています。「路地裏では中年男性たちが若い女性たちに声をかけている姿に鳥肌が立った。こうした場面を見て、日本の女性たち、フェミニストたちは腹が立たないのか聞きたい」「若い女性たちが性売買をしたいかしたくないかが問題ではなく、彼女たちがここに出てこざるを得なかったことに多くの人が思いを寄せてほしい」。

 

彼女たちが問題なのではなく、彼女たちを追いやる、虐待、ネグレクト、貧困などの方が問題であり、それ以上に、AV、風俗などの性的搾取業者、買春者の方が問題なのです。

 

若い女性が店前を横行する男の客に顔と着物姿をさらして、多くの店の女性と比較選択してもらったうえで、性を売らされている大阪の今の飛田新地も今の現実です。維新の元代表橋下徹氏はこの飛田新地の売春業者の団体、飛田新地料理組合の顧問弁護士を務めていました。橋下徹氏は大阪市長をしていた2013年に沖縄に行った際、アメリカ兵の性犯罪の横行に対して、アメリカ軍司令官に風俗を活用すべきだ、風俗産業は法律で認められているとの発言を行い、多くの沖縄県民から反発の声が上がりました。

 

風俗、AVなどの性的搾取業者、ポルノ業者が狙うのはできるだけ若く、しばしば未成年の少女、親がいないか虐待的な親を持つ少女、知的障害を持つ女性、性被害を受け自暴自棄になっている女性、ホスト推しなどさまざまな依存と嗜癖に陥り多額の現金を必要としている女性、経済的弱者のシングルマー、親世帯が仕送り余力をなくし高額な学費・高い利子の奨学金にあえぐ女子大生などです。

 

現在放映中の軽度知的障害の女性が主人公のテレビドラマ「初恋ざらり」の初回では、主人公はコンパニオンのアルバイトで、男性から体の関係を求められると拒むことができず応じてしまうことが多々ありそのシーンがありました。今では法的成人年齢に達してはいるが、未熟な18歳に達したばかりの少女、女子高生すらもAV、性売買の対象となっています。

 

若い女性、少女の関係性の貧困もつけこまれています。今、現在「ホストクラブ」などは多くの若い女性に多額の金を使わせ女性を「風俗」に誘う道具・装置となっています。女性を性産業に導く最大の理由は貧困ですが、性産業に入っても貧困から抜けられることはほとんどありません。

 

(最近では、女子小学生向けのおしゃれ雑誌「ニコ☆プチ」8月号の付録に「ボクが姫をエッチにさせてあげようか?」なる性暴力肯定マンガがありました。)

 

AVも今では上野千鶴子氏が朝日新聞の人生相談で「ヌクためのおかず」と推奨するほど日本であふれかえっています。このAVについてムンチの女性は語っています。韓国ではAVは禁止されているが「日本のAVが要求をエスカレート」させる。「日本のAVを見て同じようなことを要求する。そのレベルがどんどん上がっている」。「日本は女性嫌悪の文化があるのかと思う」。(週刊金曜日、8月18日号)

 

AVはどこの国にもあるものではなく、東アジアの中では、日本のみが、商業的なポルノ大国です。日本でのジェンダーギャップ指数が低く、女性の社会的地位が低いのは日本でAVなどのポルノの蔓延、風俗の横行にも一因があります。

 

ある有名AV女優のAVの最新作の表題は「学生時代のセクハラが忘れられなくて~」、「僕は、妻がレ×プされている所が見たい」です。AVは女性を性的な対象としてしかみず、まさにセクハラ、性暴力、男尊女卑、女性蔑視、女性差別の世界にほかなりません。維新は仁藤夢乃さん、Colaboが性売買を合法化するとして反対してきたAV新法、AV業界、ポルノ産業の意向を受けこのAV新法をヨリ骨抜きにする法案を国会に提出しています。

 

NHKの日本の性教育の問題点を取り上げた番組でも風俗・性売買の存在を当たり前で普通にある日常的なこととして取り扱っていました。ムンチのこの著「韓国でも日本でも買春はさほど悪い行為とは思われてこず、世間の注目は性売買女性ばかりに集まっていた」。ムンチのこの著では買春者の方にスポット、重点を当てその実態を暴いています。

 

性的搾取業者、買春者を免罪する「自発性論」「セックスワーク論」――買春者、性的搾取産業の理論的代弁者としての上野千鶴子氏

 

ムンチのこの著には性売買女性の「自発性」論批判があります。これは、上野千鶴子氏らが言う性売買女性の「自己決定」「自発性」論の批判でもあります。ムンチの彼女たちがいうとおり、この「自発性」論は「自発的に性売買を選択したのだから、自己責任」だという論理に転化します。これは性売買業者、買春者の言い分に、また、その性暴力に免罪符を与えるものです。ムンチのこの著で、「自発/非自発などという区分はない」と指摘する通りです。

 

またムンチのこの著には「セックスワーク論」への批判があります。「セックスワーク論とは、性を売る行為を他の職業と同様の労働とみなし、性売買業は普通の職業、買春はただの消費行動とみなす論である」(上野千鶴子氏がまさに言いはなってきたセックスワーク論のことです)。「どうして世間には『セックスワーク』などという言い方ができる人々がいるのか理解できない。本当に残忍だと思う」。

 

セックスワーク論は性売買業者と買春者を免罪する机上の空論であることも明らかにされています。「性売買と性犯罪には紙一重の差もない」「セックスワーク論は暴力性を無視している」。これも上野千鶴子氏らのセックスワーク論の虚妄な反動的な本質を、ある意味では女性を陥れ痛みつける残忍な性格をついています。

 

事実、1998年8月の朝日新聞発行の「論座」で「社会学者」の宮台真司氏とので対談において、宮台氏がバクシー山下監督の女性を恐怖に陥れる残忍な拷問・暴力レイプAVを持ち上げるのを上野千鶴子氏は容認し評価さえしていました。

 

宮台真司氏が援交少女など性の商品化を賛美した上での論議に上野千鶴子氏はなんの異議もはさまず、「まったくそう思います」と同調していました。また、この対談について森田成也氏は1998年9月「論座」、「読者の広場」の投稿「上野・宮台対談に見る性的リベラリズムの隘路」の中で書いています。

 

「上野氏は、この『性的弱者論』(宮台氏の買う側の男性の方が性的弱者であると言う主張)に関し、私たちに迷惑が掛からない範囲で性産業を利用して、してくださいと言うのみである。つまり強姦やセクハラという形で自分の身に害が及ぶのは困るが、自分と別次元の人間であるセックスワーカーを使って性欲を満足させるのは結構、というわけだ」

 

上野千鶴子氏は1994年6月22日の朝日新聞でも「性労働はマッサージ師と変わらない」「セックスというお仕事」は「あまたある労働の一つ」「性労働が強制ではなく、選択の結果」と主張し、「売春」をマッサージ師と変わらない「性労働」、最近の共著「往復書簡 限界から始まる」(幻冬舎)の中でも、「セックスワークは女性にとっての経済行為です」と言ってきました。

 

性売買をめぐっては、旧東欧諸国が崩壊した際、ドイツ・オランダでは売買春が合法化されており、旧東欧諸国の数百万の若い女性が人身売買業者を通じて流れて行きました。特にルーマニア女性には悲惨な悲劇が襲いました。東欧の中でも最貧国であったルーマニアでは、50万人もの若い女性が人身売買され、ヨーロッパ各国に運ばれていきました。この数はルーマニアの生殖可能年齢女性人口の四分の一にあたります。(森田成也著「マルクス主義、フェミニズム、セックスワーク論」慶応義塾大学出版会、典拠資料は明示されている)。この事実も上野千鶴子氏らのセックスワーク論の反動的本質を教えています。

 

上野千鶴子氏は「売春」を「性労働」「セックスワーク」と学問的、理論的、に昇華する高尚な美しい言葉で粉飾し、買春者、風俗などの性的搾取産業、AVなどのポルノ産業の理論的代弁者として現れたのです。

 

北欧モデルの日本への導入、買春禁止法の制定は緊急の課題

 

ムンチのこの著の中での紹介。「スウェーデンでは買春を『女性への暴力』とみなし、1999年に『買春』を処罰する法を世界で初めて施行した。この法では性売買女性は処罰されず、さまざまな支援を受ける。同国から始まったので北欧モデルと言われ、その後ノルウェー、アイスランド、カナダ、北アイルランド、フランス、アイルランド共和国、イスラエル、米国ハワイ州に次々と導入された。スウェーデンでは同法制定10年後、性売買による性搾取が減少したと評価され国民の支持率も70%と高い」。日本でほとんど報じられることがない北欧モデルは今日の世界では大きな流れとなっています。

 

性売買を女性への搾取と暴力、性差別の一形態ととらえ、性売買女性を非犯罪化し、保護・支援の対象とし、買春者、性的搾取業者を処罰する北欧モデルの日本での導入、買春禁止法の制定は緊急の課題です。ムンチも韓国で北欧モデルの性平等モデルへの転換をめざしています。

 

「買春は人間の尊厳への冒瀆であり、性売買は凶悪犯罪である。それは人間社会の中に居場所を持っていてはならない。―アイルランドの売買春サバイバーの証言」、「契約書があるかぎり私には自由など存在しないと思っていました―あるAV強要被害者の手記」(森田成也著の前掲書)

 

ムンチは灯火とColabo に連帯する

 

「暇空茜」などネット右翼はColaboを貧困ビジネスなどと誹謗中傷し、今もしています。「公金の不正使用」とのデマを今も流し続けています。この「暇空茜」が東京都に行ったColabo会計の住民監査請求はことごとく退けられ、一部、都の担当部局の清算方法に不適切なものがあると指摘されたが、これは、より透明性の高い行政に向けた、担当部局に対する改善の指摘というものにすぎず、Colaboの会計不正は全く認定されませんでした。

 

「暇空茜」の監査請求の主張の大半は退けられたのです。この不適切とされた一部も少女を保護し、その安全を、個人情報を守るためのものです。彼らはこの監査結果を歪曲して今も中傷を繰り返しています。維新もネット右翼に加担し、参院で維新の音喜多駿議員(政務調査会長)は、1月27日に参院で「Colabo不正会計問題」として質問し、岸田首相が「再調査踏まえ必要な対応」をすると回答しています。

 

ネットのデマの拡散に煽られた連中がColaboの活動を現実に妨害するなどColaboの運営に支障をきたす事態すら生じています。ネットでのデマの拡散は支援を必要とする少女などを怖がらせています。居場所のない少女などの性的搾取等に会う彼女らの支援は彼らにとってはどうでもよいことなのです。

 

Colabo問題」をネットで報じる「文春オンライン」「デイリー新潮」の報道内容は公平、両論併記をよそおって、ネット右翼、「暇空茜」などの主張が妥当であり、Colaboの東京都の委託事業の会計や経費のすべてが「不適切」であるかの印象を与える内容となっています。

 

Colaboは今では、東京都が妨害に屈したため、Colaboは補助金等には申請せず、財政的にはかなり苦しい状況となっています。

 

 ムンチの彼女たちは言います。「歌舞伎町でアウトリーチにより性搾取される若年女性たちの支援活動するColabo(コラボ)が現在、執拗な攻撃を受けている。にもかかわらず、東京都や警察は傍観しています。ジンさんは『安全な場を提供するのは国家や自治体の責任』。それを放置し、Colaboを手助けしないのはあまりにひどい」(8月18日「週刊金曜日」)

 

Colabo、仁藤夢乃さんがあれほどまでに、ネット右翼などから誹謗中傷の攻撃を受け今も受け続けているのは、巨大な産業と化した風俗、パパ活、AVなどのポルノ産業,性的搾取業者、金を持ち、性を搾取する多くの買春者の利権、利益に反し彼らの利権、利益を害し損なうからではなかったか。

 

日本でも灯火という反性搾取の性売買当事者のグループが昨年に誕生し、自らの言葉で発信しようとしています。(ネットで検索できます)。だが,その矢先の灯火とつながるColabo、仁藤夢乃さんが激しい誹謗中傷と攻撃。ムンチの女性達はこの著の中で灯火とColabo に心からの連帯の意を表しています。

 

(Colaboのネット右翼からの攻撃については、雑誌「世界」6月号に「『Colabo』バッシングとは何なのかーSNSから溢れ出すデマと陰謀論」との記事が、週刊誌「週刊女性」(4月11日号)に「はびこる虐待・性被害やまないネットリンチ」との7ページに渡る記事があります。「週刊金曜日」にも適宜に掲載されています。)

 

 

日本の性売買当事者からの貴重な証言―誰もが心にとめおくべき

 

最後に、昨年の5月22日、仁藤夢乃さん、Colaboが「AV業界に有利なAV新法に反対する緊急アクション」を開催され、その中で性売買当事者からのメッセージが代読されています。この証言をここでぜひとも紹介しておきたいと思います。これは誰もが心にとめておくべき貴重な証言だと思います。

 

「安全に働けるようにすることが、暴力をなくす道だというフェミニストも多くいますが、現実を全くわかっていません。性売買の現場で起こっていることは、自由な性の可能性などではありません。そこにあるのは昔ながらの男性の欲望です。

買春男がなんにお金を払っているのか、私は体で知っています。記憶は消えることはありません。私の心は死んでしまったような気もしています。今までたくさんの女性の涙、絶望した顔、諦めた顔を見てきました。なぜなかったことにしようとするのか。現実を直視してください。女性の命と尊厳にもっと目を向けてください。

性売買は人身取引です。男性の欲望を煽ることであまりに巨大になったビジネスです。業界の人達が守りたいのは、そこにいる女性の人権などではありません。男性の買う権利を維持することはフェミニズムではありません。女性の権利を訴えることを当事者に対する差別と言い換え、被害を訴える当事者の声を消すことはシスターフッドではありません。

私は『かわいそうな被害者』ではありません。1人の人間です。そしてその尊厳をかけて、性売買は女性への人権侵害であり暴力であると訴えます。どうかなかったことにしないでください。」

 

「私は約20年間、性売買の現場にいました。皆さんにお知らせしたいのは、そこで起こっていたことは決して普通の労働とは言えないということです。嫌なことは断ることができる、安全に働くことができる、そんな人も中にはいるでしょう。しかし多くの実態とは、あまりにもかけ離れています。

ほとんどの客は、罪悪感などありません。そして、接客の態度、体の反応など、意に沿わないことがあれば不機嫌になります。時には暴言、暴力で脅します。楽しむことを当然の権利だと思っているからです。お金を払ったからです。

この世界ではお金を払えば、暴力を正当化できます。なぜそんなことが当たり前に行われてきたのでしょうか。なぜ、それが続いてきたのか。文化だからでしょうか。必要だからでしょうか。いいえ、皆が無関心だったからです。そこで起こっている女性への暴力に無関心だったからです。

性売買の現場を知らない方々に伝えたい。それは決して『サービス』などという言葉では言い表せないことを。起こっているのは暴力です。なかったことにしないでください。」

(M)

(2023/9/21 一部修正)

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