神奈川で『資本論』学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」のチラシから、参加者の感想を紹介します。

 

『資本論』第1巻学習会第8章「労働日」を終えて

 

『資本論』第1巻学習会では、第8 章の「労働日」を終えた。そこで議論になったひとつに、現在の日本もこの章で紹介されているような過酷な労働者の状況があるのではないか、その一証左が過労死のようなこと、そんなことがあってはならないことがあるということである。労基法では18 時間という労働時間の制限が法的に規定されているにもかかわらず、資本側はへいきでこの法規を無視しているのが現実だということである。

 

24時間体制の工場現場での体験から》

 

私は、労働現場の状況を体験するために、20189月から翌年の3月まで、コンビニにおろすパスタ類やサンドイッチ・サラダ類などを製造する工場で派遣社員として週2回働いた。

 

この工場は、正社員よりもはるかに多い非常勤社員によって運営されていた。7社の派遣

会社が入っており、派遣社員の総数は700 人以上いる24時間体制の工場である。この工場には20歳代の多くの外国人労働者(ベトナムなど東南アジアの)が派遣社員として働いている。その多くは仲介会社をつうじての来日であり、日本語学校に通いながらの通勤であり、この外国人労働者によってこの工場がもっている感があった。

 

決まった衛生服に着替えるロッカールームはなんと小さくロッカーも2段になっている一つが小さなもので、そのロッカーによって食堂と仕切られていた簡易なものであった。頭からすっぽり白い衛生服に着替え、安全靴を履き、家庭用のゴミ取りローラーで髪の毛などをきれいにとり、出勤機に入力し、さらに社員によって体温とローラーでチェックをされ、髪の毛がついていると、その人の派遣会社に報告されるのである。私も23度髪の毛が1本ついていたということで派遣会社に報告されたことと思われる。衛生管理の徹底には感心したものである。

 

工場への通勤は、自家用車や徒歩以外は定期的に最寄りの駅の送迎されるマイクロバスによってなされる。私は17 時にその送迎マイクロバスに乗って通勤した。最初の2か月は補助要員で18 時から勤務にはいり、翌朝(4時から7時)まで働いた。

 

20時までは乾麺をボイルする機械(長さ6m)のところでそこを専門に働いている非常勤の人と2人で担当した。私は、大きなボールにオイルと味付けする汁をカップであけて、ボイルされたパスタが大きな篭に落ちてきたものをボールにあけて、厚手の手袋をつけ二人で、油と味付けをなじませていき、いくつかの大きなトレーに盛って、そのまだ暖かいパスタを冷凍機(長さ8m)のベルトに流し込み、その冷凍したパスタを冷蔵室に保管するのである。

 

20時には私のかわりに他の非常勤社員がきて、私は欠員の出ている部署にまわされた。ある時は、①野菜(玉ねぎなど)を非常に切れる包丁でさばいたり、②カップに入れるスティック状のキュウリやニンジン、大根などを手早くカップ(スティックサラダ)に入れる流れ作業や、③コッペパンに切れ目を機械で入れる作業や、④サンドイッチをつくるために、長い食パンのミミを機械が切り落としたのが、大きな四角いカゴにいっぱいになったものを他のところにまとめて積み上げる作業などに従事した。

 

①では一人で黙々と作業し、②では10人の東南アジアなど外国人労働者と一緒に行なって、楽しかったのを覚えている。日本語の上手な一人(ベトナム人)がそこのリーダーをまかされ、指示し、次から次へとベルトに乗ったカップに手際よく自分の入れるべき野菜スティックを入れていく。

 

不慣れな私はどうしても遅れがちになるのだが、それをブータンから来たという女性は臨機応変に私がやるべきことをかわりにやってくれるのだ。なんと速いことか、うれしかった。

 

それが終わると今度は、正社員はその日本語の上手なベトナム人に他のベルトに移るように命じ、今度はサンドイッチに挟む薄切りされたハムを三角形に折りたたむ作業になった。これも慣れてないとなかなかうまくいかないが、皆、てっとり速く行なっていく。

 

③は速さが勝負、手際よくコッペパンに機械できりみをいれ、ベルトに流しいれる、それをオバサマたちが何かをぬったり挟んだりするのだが、コッペパンの流しいれが遅いと怒鳴られるのである。「遅いよ、なにやってるの」などと何度となく言われた。

 

④は重労働、普段は若い外国人労働者が担当しているのだが、たまたま休みで、私がやる羽目になった。三台の機械が次から次へと長い食パンのミミを切り落として、次から次へと四角いカゴにたまる。それを空のと替えて、いっぱいになったカゴを他の所へ積み上げていくのである。

 

22時から始まったその作業は朝の5時まで続いた。そこでそこの責任者が休憩にはいってよいと言ってくれたので、トイレにいき、食堂で休んで、作業場に戻ると、片付けが終わっており、もう帰っていいよとなった。

 

こういった補助作業が2か月ほど続いたのちに、パスタのボイルのところ専門になり、勤務時間も20時から、その時の仕事が終わるまでとなった。休憩は切りのいいところで(深夜1時前後)、食堂には飲み物やカップ麺の自販機が設置されている。他の部署と休憩時間が重なると、食堂は賑やかである。オバサマたちは、なぜこうも元気なのかと思わせるくらいべちゃくちゃしゃべりまくっている。

 

それも持参してあるお菓子など食べながら。また食堂に隣接してある喫煙所には多くの人が入り、吸い殻はいつもあふれている。ベトナムの若者たちは元気に仲間としゃべりながらカップ麺などを食べているが、そのうちに気が付くと、皆、テーブルにうつぶせになって寝てしまっている。私もソファーがあいている時はそこで休むこともできたが、たいがいは他の人に占領されていた。

 

私の仕事は、日によって終わる時間がまちまちである。早い時は、4時に終わってしまう。そんな時はまだ定期の送迎マイクロバスが運行されていないので、駅まで40 分ぐらいかけて始発の電車で帰ってくるか、食堂でバスが運行される時間まで休んでいるかである。家に帰ってきても、朝食をとったら疲れで直ぐに寝てしまい、起きるのは夕方で、あわてて再び出勤の途につくことも、当たり前のようにあった。

 

私が勤務する数か月前までは、たいがいの人が残業60 時間以上していたという。私が勤務してからも、残業40 時間以上の労働者が多くいるという。乾麺をボイルする担当の人も、月の中ごろには、すでに残業40 時間になってしまって、途中で帰ることがあった。そんな時は、正社員が代わりに来るのだが、仕事がまるでできないのだ。次の日は、私のような仕事をしている人が、機械の操作をおそわってきてやるようになる。この人のほうが正社員より、よっぽど仕事がはかどった。

 

若い20 歳代の外国人労働者たちの多くも、法定以上に残業(いやそんな意識も持てない)しているのは確かなようだ。それに多額の仲介手数料を払ってここで働いている外国人労働者も多くいるという。こういう情報は、送迎マイクロバスの運転手から聞かされた。

 

職場には掲示板があり、ある時、利潤率がいまなん%で、もっと引き上げるように社員

の鼓舞する内容や、派遣会社ごとに、その日の欠席状況などが発表されていたこともある。コンビニにおろすこのような工場は全国無数にあるのではないだろうか。

 

私はこの週2回の仕事を半年間、休まずに勤務した。派遣会社からは辞めないで続けて

ほしいとい言われたが、辞めた。そし2019年の参議院議員通常選挙に臨む決意を固めた。(A

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「横浜労働者くらぶ」学習会 —12月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

1214日(水)18 30 分~20 30

・かながわ県民センター 702 号室

・絶対的剰余価値の生産(残り)と相対的剰余価値の生産(その1)

 

◆「プロメテウス」61号学習会

・12月21日(水)18 30 分~20 30

・県民センター702 号室

・特集「激化する帝国主義的対立」の中の渡辺論文

「資本輸出を急増させる日本資本主義」

 

※ 第4週の学習会「経済学批判」学習会と「資本論」第3巻学習会は、県民センターが休館のため、1月に延期となります。

 

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