労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

マルクス主義

『資本論』は難しいか?!

 横浜でマルクス主義の学習会を行っている『横浜労働者くらぶ』発行の『労働者くらぶ』第68号の記事を紹介します。


『資本論』は難しいか?!

 

Aさんが仕事関係の二人を誘ってくれたおかげで、今月から『資本論』の読書会を始めることになりました。お二人は仕事の都合で、定期的に日にちを決めるのが難しいので、月2回の原則を守りつつその都度、開催日を決めていくことになりました。

 

Yさんは『資本論』は初めてといい、Mさんは途中で挫折したと話していました。お二人とも異口同音に、『資本論』の難解さを話していましたので、私の方からは、決してそんなことはない、コツコツしっかり学んでいけば、必ず理解できるから、初めから難解と思い込まないでほしい、と何とか不安を払拭しようとしました。そこでここでは、なぜ『資本論』 が”難解”と言われるのか、その理由を考えてみたいと思います。

 

★資本主義社会は人類史の一通過点!

 

『資本論』は書名ばかり知られていて、その実、読まれることのない書物です。確かに『資本論』が難解と言われるのには根拠があります。最初の第1章から、商品とか貨幣とかがさんざん出てきます。

 

商品や貨幣という言葉、は私たちが日常、何の疑問もなく普通に使っている言葉です。ところが、マルクスはこの商品や貨幣をあれやこれや徹底的に分析するのです。“資本”論なのに、資本については全く扱われないのです。ここで読者は最初につまずいてしまうのです。

 

何のために商品や貨幣をあれこれ問題にするのか?それには理由があります。それは、商品や貨幣とは何なのか、その本質は何なのか、ということが分からなければ、資本というものが分からないからです。

 

資本とは、商品や貨幣が発展したものなのです。商品や貨幣といった資本論に出てくる言葉の多くが、自然科学のような専門用語でなく日常の言語であることが理解を困難にし、誤解を招く原因の一つになっています。

 

現代の経済学(ブルジョア経済学)は、商品や貨幣、資本とは何であるか、などということは頭から問題にしません。それらが存在することを前提にして生産や分配、消費、景気などを論じており、しかもそうした貨幣や資本の存在(当然、この資本主義社会も労働者と資本家という階級の存在も)が永遠に続くものと考えているのです。

 

確かに現代社会は、商品や貨幣、資本がなくては、社会そのものが回りません。しかし今のような発達した資本主義社会になったのは、ヨーロッパに始まった産業革命からといってもよいのです。

 

それ以前の社会は、これほど商品や貨幣が溢れた社会ではありませんでした。何千年、何万年という人類の歴史から見れば、資本主義社会はたかだか数百年にすぎず、このような社会が永遠のものだと考えるのは馬鹿げています。

 

要するにマルクスは、私たちが日常的に当たり前と思っている貨幣や資本の存在を根本から疑い、分析し、この資本主義社会が、人類の長い歴史の中で、一時的な時代であり、働く者や労働者が主体となる社会になるまでの過渡期に過ぎないことを明らかにしたのです。

 

★現象から本質へ!

 

商品、貨幣、資本が、目の前に存在している、これは確かなことです。これらを基礎に資本主義社会は動いているのですから、この現象を否定することはできません。

 

しかし、商品、貨幣、資本も昔から存在したわけではありません。それはある時代に生まれ、発展してきたものです。それを理論的、歴史的に分析した人がマルクスです。そのことが分からなければ、人は商品や貨幣、資本の社会が真理であり、資本主義社会がいつまでも続くと考えるでしょう。

 

17 世紀、ガリレオ·ガリレイは、太陽が地球を回っているという天動説を否定し、地動説を主張しました。現象としては、太陽が地球を回っているように見える、しかし真実は地球が太陽の周りを回っているのです、これが現象と本質との関係です。

 

マルクスは、現象はイコール真理ではない、もし真理が真理として現れているなら学問はいらない、と喝破しました。ブルジョア経済学は、商品、貨幣、資本という現象そのものを何ら問題とせず、表面に現れた数字や統計をいじくり回して、資本主義の経済現象を解明した気になっています。

 

マルクスは資本論の第1章で、商品交換という現象を見て、なぜ見た目がまったく違う商品が対等のものとして交換されるのかを分析し、そこに等しい商品価値(その実体は抽象的労働)であるということを発見しました。

 

その際、経済学には自然科学と違って顕微鏡も試薬もないので、思考の“抽象力”が両者の代わりをするのだと説明しています。どの学問にも特有の専門用語や理論があり、その難解さは資本論と同じです。

 

どの学問も基礎からの地道な積み重ねがあってこそ理解されるものです。ただ資本論ではキーワードとなる商品、貨幣、資本と言った言葉が、日常使われている言葉だけに余計混乱を招くのです。

 

★「資本論」の階級性

 

さらに『資本論』の階級性という問題があります。もちろん真理は誰にとっても真理です。どの階級に属していようと地球は太陽の周りを回っているという真理は動かすことはできません。

 

しかし現代は資本主義社会です。そこには様々な利害関係が渦を巻いており、この利害関係が真理の認識を妨げるのです。この利害関係(その根本は階級関係)が、真理を真理として認めることを妨げるのです。

 

その中心は、資本家による労働者の搾取という関係です。 『資本論』はまさにこの搾取関係、階級関係の構造を、理論的に歴史的に徹底的に何人にも完膚なきまでに明らかにしたものです。

 

しかし、この真実ほど資本家にとって不都合なことはありません。何しろ、いかに資本家が労働者から剰余価値(利潤)を搾りとり、食うや食わずの賃金を与え、長時間の、耐え難い労働を強いているか、そして資本主義社会は、 競争によって資本家にそれを強制しているかを理路整然と明らかにしているのです。

 

この資本主義社会の根本的構造が明らかにされることを資本家階級は嫌い、『資本論』は間違っているとか、『資本論』 はもう古い、などと言って『資本論』を非難したり無視したりするのです。

 

しかし労働者階級は違います。労働者階級は『資本論』が明らかにしてくれた真理を認めることにどんな不都合もありません。むしろ真理が明らかになることを望み、『資本論』を自分たちの未来の社会を切り開く闘いの武器にするのです。


★“革命的”な『資本論』を学習しよう!

 

『資本論』は、もう古くなった、そんなことは全くありません。一見、複雑になった現代の資本主義も、19、20世紀に生まれた資本主義にその本質は変わりなく、その根本原理は同じものです。

 

労働者に対する過酷な搾取、非人道的な扱いや支配階級の堕落した政治も、当時より一層ひどくなっただけです。現代はこれらを一掃する労働者階級の闘いをますます必要としているのです。

 

そのためにマルクスの、革命的な『資本論』(斎藤幸平や白井聡、佐藤優のような革命性を意図的に無視した『資本論』解釈でなく)を学ぶ必要がますます高まっているのです。

 

そして『資本論』は、現代の分化した個別科学とは違って、単に経済だけでなく法律や政治、科学や芸術まで論じた著作であり、それは人間の生き方までを教える真にラディカル(根本的な)著作です。これこそ個別の現象を全体の中で、相互関連の中でとらえる弁証法の真髄ではないでしょうか。

 

『資本論』を真剣に読むことによって、マルクスの資本主義社会の分析に目が洗われる思いがすることでしょう。これこそ『資本論』がその誕生以来、百数十年にわたって人々を、なかんずく労働者階級を励まし続け、労働者のバイブルと言われてきた理由です。

 

皆さんが『資本論』から革命的精神を学び取り、資本の支配を一掃する労働者の闘いに参加することを切に願います。最後に、以前にも引用しましたが、20 世紀のドイツの劇作家ブレヒトの詩を掲げたいと思います。(K)

  

『学習を讃える』 ~ベルトルト·ブレヒト~

 

学ぶのだ、誰でも知るべきものを。

時代を今、担いとろうとする者が学ばずにいていいものか。

学ぶのだ、ABC を。それだけでは足りないがまず学ぶのだ!

今さら、などと言わないで

はじめよう! きみは全てを知らねばならぬ、

きみは前衛とならねばならぬ。

 

学べ、ドヤにいるひとよ

学べ、監獄にいるひとよ

学べ、台所の女よ

学べ、六十の老婆よ

君は前衛とならねばならぬ。

学校へ行け、家を持たぬ者よ

知識を手に入れろ、凍える者よ

飢える者よ、本を手に取れ、本も武器のひとつ、

君は前衛とならねばならぬ。   (野村 修訳、後半省略)

 

 

「横浜労働者くらぶ学習会案内 ― 10 月の予定

 

◆ 『資本論』第1巻学習会 (第4水曜日開催)

日 時:10 月 28 日(水)18 時 30 分~20 時 30 分

場 所:県民センター703 号室

学習範囲:第17 章「労働力の価値または価格の労働賃金への転化」から第20 章「労賃の国民的差異」まで

 

◆ 『資本論』第3巻学習会 (第2水曜日開催)

日 時:10 月 14 日(水)18 時 30 分~20 時 30 分

場 所:県民センター703 号室

学習範囲:第41 章「差額地代II第1の場合」から第44 章「最劣等耕作地でも生まれる差額地代」まで

 

◆マルクス主義文献学習会 (第3水曜日開催)

― マルクス『普及版マルクス·レキシコン3』久留間鮫造編

日 時:10 月 21 日(水)18 時 30 分~20 時 30 分

場 所:県民センター703 号室

学習範囲:3 唯物史観 (テキストは用意します)

 

『労働者くらぶ』通算第68号2026年9月23 日発行

発行 横浜労働者くらぶ

Mail:kikuchisatoshi@jcom.home.ne.jp

連絡先 TEL:080-4406-1941(菊池)

レーニンの論文に学ぶ『カール・マルクスの学説の歴史的運命』

兵庫県西部で活動する労働者からの投稿を紹介します。

 

労働者に進むべき道を示す羅針盤

――レーニンの論文に学ぶ

 

過日、レーニン著『カール・マルクスの学説の歴史的運命』を再読した。同論文は簡潔な小品ながら、現代の我々に対して勇気と励ましを与える類稀なる論考であり、ここに改めて紹介したい。

 

本稿は、マルクス没後30周年を記念し、1913年3月1日付の『プラウダ』紙に掲載されたものである。レーニンは冒頭において「マルクスの学説の主要な点は、社会主義社会の創造者であるプロレタリアートの世界史的役割を解明したことにある」(レーニン『マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分 カール・マルクス ほか』新日本出版社、199頁)とした上で、その後の「全世界の諸事件の経過」(同)がマルクスの学説をいかに確証したかという問いを立て、歴史を三つの時期に区分して考察している。

 

すなわち、第一期は1848年の革命から1871年のパリ・コミューンまで、第二期はパリ・コミューンから1905年のロシア革命まで、第三期は1905年以降の時代である。

 

第一の時期について、当初マルクスの学説は支配的な地位にはなく、「ひじょうにたくさんあった社会主義の諸分派または諸流派の1つ」(200頁)に過ぎなかった。当時は「ナロードニキ主義」(注)に似通った形態の社会主義が支配的だったが、1848年の革命によりマルクス以前の社会主義は打撃を受け、1871年のパリ・コミューンを画期としてそれらは最終的に死滅した。その結果、この時期の終焉とともに「自主的なプロレタリアの諸政党」(201頁)の誕生を見るに至ったのである。

 

(注)ナロードニキ主義とは、19世紀後半にロシアで活動した「ナロードニキ」(人民主義者)の主張のことある。彼らは、ロシアには「ミール」という「社会主義的要素」を持った農村共同体があるから、資本主義を避けつつ直接に社会主義に到達できると考えた。彼らは、ロシアの封建制社会に資本主義的工業が誕生していたことを知っていたが、資本主義的生産の歴史的役割を見ることができずに、「農村家内工業」(クスターリ)を「人民的生産」と呼んで賛美した。したがって、「ナロードニキ」たちは、資本主義社会に移行して後に無産の労働者階級が誕生すること、この労働者階級によって初めて、搾取の無い高度な共同体社会(共産主義社会)をかちとることができることを理解しなかった。

マルクスの時代にも、こうした「ナロードニキ主義」に似通った社会主義思想が多かったのである。

 

第二の時期は、社会主義政党が成立・拡大し、「マルクスの学説は完全な勝利をおさめ(た)」(202頁)時代である。マルクス主義は名実ともに普及したが、レーニンはここで「マルクス主義が理論的に勝利すると、その敵はマルクス主義者に変装せずにおれなくなるものである」(同)と指摘し、「内部的に腐ってしまった自由主義」が「社会主義的な日和見主義のかたちで生きかえろうと」(同)したことを指摘した。

 

これらマルクス主義を偽装する勢力は、「臆病にも『社会平和』(すなわち奴隷所有者との平和)や階級闘争の否認、等々を説教」(203頁)したのである。レーニンが「社会主義的な国会議員や、労働運動のさまざまな役員や、インテリゲンツィアの『同情者』たちのなかには、彼らの支持者がひじょうにおおい」(同)と叙述した当時の状況は、1913年の執筆から1世紀以上を経た2026年現在の日本における社民党、共産党、それらに従属する組合官僚や野党共闘を盲信する知識人(大学教授等)、市民派に酷似しており、驚嘆を禁じ得ない。

 

第三の時期については、ロシア革命につづいて、トルコ、イラン、中国へと革命の火の手が波及した。レーニンは「われわれはいまちょうどこれらの嵐の時代、そしてそれがヨーロッパに『はねかえって反射する』時代に生きている」(同)とし、「アジアにつづいてヨーロッパも動きはじめた」(204-205頁)と欧州労働者の闘争の例を列挙。

 

総括として、それまでの歴史によってマルクス主義の正しさが確認されたと強調し、「きたるべき歴史的時代は、プロレタリアートの学説としてのマルクス主義にいっそう大きい勝利をもたらすであろう」(205頁)という大局的な展望を提示して結んでいる。

 

いかがだろうか。

引用が多くなったが、これが『カール・マルクスの学説の歴史的運命』の要旨である。レーニンは以上のように時代を3つに分け、緻密な考察を行い、マルクス主義の歴史的な正しさを我々に噛んで含めるように教えている。我々はこのような古典的論考を繙くことで、マルクス主義の歴史的正当性を改めて確信することができるのである。

 

困難な時代にあって、マルクス主義を学び、実践せんとする労働者にとって、本書は力強い鼓舞となり、またマルクス主義を知らない労働者や社民党、共産党、市民派に騙されている労働者にとっては進むべき道を示す羅針盤となるだろう。全ての労働者・学生に、この不朽の名著を精読することを切に推奨する。

 (レーニンの「カール・マルクスの学説の歴史的運命」は、『レーニン10巻選集』第5巻や岩波文庫「カール・マルクス/レーニン」に収録されています。)

大月書店版の
『レーニン10巻選集』第5巻はインターネットで検索するとPDF版が閲覧できます。

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図書館にも見当たらないことが多く、現物は入手困難ですので、インターネットは便利です。
そこで、この選集の宣伝を兼ねて
『カール・マルクスの学説の歴史的運命』部分をご覧頂きましょう。

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マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅦ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅦ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

おわりに

 アメリカ第一主義を唱え「Make America Great Again」を標榜するトランプがアメリカ大統領になったことによって、世界がますます欧米や日本などの帝国主義諸国、偉大な中華民族の復興を目指す習近平の中国、新ユーラシア主義を唱えるプーチンのロシア、そしてインドやブラジルなどのグローバルサウス諸国、これら各々のブルジョア国家がお互いに覇を競い自らの国益(ナショナル・インタレスト)をめぐって「合従連衡」しながらも激しく角逐する新たな時代に入ったと言っていいだろう。

 

こうしたなかにあってそれぞれの国内では、国民のあいだに経済的な格差が拡がり同じ国民なのかと思えるほどの埋めようのない分断が急速に進んでいる。そして既成秩序に見捨てられていると不満を抱く人々の心情に寄り添う振りをしながら彼らを取り込もうとする右翼的なポピュリストたちが跳梁跋扈している(日本でも、天皇中心の国体思想を理念にする参政党や日本保守党が国会の議席を持つようになっている)。

 

日本帝国主義も世界中(とりわけ、東南アジア)にある権益を守り、他の国家との競争戦に勝ち抜きさらなる拡大を図るために制定された‘22年12月の「反撃能力(敵基地攻撃能力)」などを明文化した「安保三文書」――熾烈な戦いの死命を制するのは人類史が示す通り、結局のところ、軍事力なのである──閣議決定以来、中国・北朝鮮を仮想敵国とした沖縄西南諸島などへの自衛隊の常駐、ミサイル配備、防衛費のさらなる増額、等々が進んでいる。

 

 こうした状況にあって、そもそも革命派であるべきマルクス主義者を自認している人々の大多数は、マルクス本来の革命思想を骨抜きにして日本の帝国主義国家やブルジョアジーにとってまったく危険のない無害なマルクス思想を振りまいている。マルクスを前期と後期とに「切断」し、マルクスはエコロジストに仕立て上げた斎藤幸平氏もその代表的な一人である。最近一見左翼風の書籍などに「『人新世の資本論』の著者斎藤幸平氏推薦」という帯紙があるのをよく目にする。彼のマルクス思想解釈が斬新なマルクス思想の提示者として何の問題も抵抗なくブルジョア論壇に受け入れられたことの証である。

 

「(労働の解放をめざす)労働者党」の闘いはいまだに日本の労働者階級の深部にまで届いていない。かつて1905年ロシア革命が頓挫した時点でレーニンは自分が生きている間には革命はロシアに起きないだろうと亡命していたスイスで思っていたそうだ――ボルシェビキの党としての闘いはロシア国内で続けていた――が1917年2月突然、まさに突然ロマノフ王朝打倒の革命が起こり臨時革命政府が樹立された。急遽封印列車でロシアに戻ったレーニンは当時極少数だったボルシェビキを率い、臨時革命政府と労農兵士ソビエトとの二重権力状態だったロシアで「全権力をソビエトへ!」というスローガンを掲げ行動することによって労働者・農民・兵士の間で多数派になって10月ロシア革命を成功させた。

 

私は、数年前に後期高齢者になったが依然として「身体が資本」の力仕事に汗を流すの農業に携わっており、体力的な衰えを理由に現在は党を離れてシンパの一員(少額ながらカンパをする党友)として労働者党の活動を支援している。しかし、心はいつも労働者党の皆さんと共にあると思っている。世界最強の帝国主義国家の一つであるこの日本においても今後将来、いつ何時何が起こるか分からない、いつか分からないその日のための準備を常にしていくこと、賃金奴隷制の廃絶という労働の解放をめざす闘いを「 倦まず弛まず」やり抜き、マルクス・レーニン主義に基づいた国際主義的な革命党としての闘いが次の世代に何としても受け継がれていくようにしなければならない、そのためにささやかなりとも手助けしたいと私は思っている。


(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   Ⅴ   Ⅵ   Ⅶ

マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅥ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅥ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

マルクスの「ザスーリチへの手紙」(1881年)について

「ザスーリチへの手紙」の内容については、林紘義氏の前掲書のp.87~99で詳細に論じられているし、斎藤氏の解釈に対する批判は『プロメテウス』63号の田口騏一郎氏の「斎藤幸平の“脱成長コミュニズム”論批判 」の第4項“停滞的なミール共同体の美化”(p.67~73)に詳しいので、「ザスーリチへの手紙」をどのように評価するかはこの前二者に任すとして、ここではそれとは異なった視点から少し述べたい。

 

 斎藤氏はマルクスの立場が、社会主義・共産主義へ至るには必ず資本主義を経なければならないという「単線的歴史観」から、当時ロシアに残存していた土地の共同体所有である農村(農耕)共同体だった「ミール共同体」を積極的に評価することによって資本主義の成長発展期である西欧とは異なり資本主義を経なくても社会主義・共産主義に至ることが可能であるという「複線的歴史観」へと変化したのだ、と述べている(『マルクス解体』p. 290,『人新生』p.176)。

 

 その証拠として彼が提示するのは、1875年フランス語第2版発行に際してマルクスが編集部に送った手紙である。そこには「(本源的蓄積による)資本主義体制の根底には、生産者と生産手段との根源的な分離が存在する。・・・この発展全体のすべての基礎は、耕作者の所有剥奪(収奪)である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである・・・だが、西ヨーロッパのすべての国もこれと同一の運動を経過する」(全集⑲ p.116)、「(上述の引用の後に)だから、この運動の『歴史的宿命性』は、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです」(全集⑲ p.238 、『ザスーリチの手紙への回答の下書き』に再録、〈第一稿〉p.386、〈第二稿〉p.399 、〈第3稿〉p.404)と、「ロシアの共同体に反対して人々が言い立てている論拠のうちで、最も真面目なものは、次のことに帰着する。西洋の諸社会の起源にまでさかのぼると、西洋のどこでも、土地の共同所有が見いだされるであろう。それは、どこにおいても、社会的進歩とともに、私的所有に席をゆずって姿を消した。だから、それが、ロシアにおいてのみこの同じ運命を免れることはできないはずである、と。私は、この議論が〈ヨーロッパに関係するかぎりで〉ヨーロッパの経験に立脚しているかぎりで、これを考察するであろう」(全集⑲ p.404)である。

 

ここで、現行版『資本論』(1867年)とフランス語第2版(1875年)の当該箇所(第一巻第第24章第1節「本源的蓄積の秘密」の最終部分)を比較してみよう。現行版では「農村の生産者すなわち農民からの土地収奪は、この全過程をなしている。この収奪の歴史は国によって違った色合いをもっており、この歴史がいろいろな段階を通る順序も歴史上の時代によって違っている。それが典型的な形をとって現れるのはただイギリスだけであって、それだからこそわれわれもイギリスを例にとるのである」(全集㉓b p.935~6)に対して、フランス語第2版では「こうした発展全体の基礎をなすもの、それは、耕作者の収奪である。この収奪が徹底的なかたちで遂行されたのは、今のところイギリスにおいてだけである。したがって、われわれの素描においては、当然、この国が主役を演じるであろう。だが、西ヨーロッパの他のすべての国々もすべて同じ運動を通過しているのであって、ただ異なるのは、この運動は、環境によってその地域的色合いが変わり、あるところではそれがより狭い範囲にとじこめられたり、あるところではあまり目だたない特徴を示したり、またあるところでは違った順序をたどったりすることだけなのである」(林直道編訳『マルクス資本論第一巻フランス語版』p.131)となっている。

 

ザスーリチへの手紙のなかでマルクスは、フランス語版の上の箇所を引用し、「この過程(耕作者の収奪)の『歴史的宿命性』は西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されている」点を強調したのである。その意味は、西欧ではすでに私有の一形態=自己労働にもとづく個人的私有が確立していたので、それの資本主義的私有への転嫁が問題となっていたのに対し、ロシアではそもそも農民による土地私有はないのだから耕作者の収奪の必然性という問題は問題として成り立たない、というのであった。

 

そして、勿論ロシアが西欧にならって資本主義国民たろうと目指すならば、その場合には共同体農民を収奪しプロレタリア化することが必要になってくるけれども、あなた方はロシアを共産主義へ進めようとしているのだから、農民収奪は何ら歴史的宿命でないばかりか、共同体自体を「社会的再生の拠点として」発展させることが可能である(ただし大工業と西欧の労働者階級の援助のもとに)と答えたのであった。

 

1882年1月の「『共産党宣言』ロシア語第2版序文」(マルクスは翌年の3月に亡くなっているので、エンゲルスとの連名ではあるが、これがマルクスの最後の言葉だろう)にはロシアについて、次のような文章がある。「・・・ロシアはどうか?・・・『共産党宣言』の課題は、近代のブルジョア的所有の解体が不可避的にせまっていることを宣言することであった。ところが、ロシアでは、資本主義の思惑が急速に開花し、ブルジョア的土地所有がようやく発展しかけているその半面で、土地の大半が農民の共有になっていることが見られる。そこで、次のような問題が生まれる。ロシアの農民共同体(オプシチナ)は、ひどくくずれてはいても、太古の土地共有制の一形態であるが、これから直接に、共産主義的な共同所有という、より高度の形態に移行できるであろうか? それとも反対に、農民共同体は、そのまえに、西欧の歴史的発展で行われたのと同じ解体過程をたどらなければならないであろうか? この問題にたいして今日あたえることのできるただ一つの答えは、次のとおりである。もし、ロシア革命が西欧のプロレタリア革命にたいする合図となって、両者がたがいに補いあうなら、現在のロシアの土地共有制は共産主義的発展の出発点となることができる」(全集⑲ p.288)。

 

斎藤氏は、ロシアの農村(農耕)共同体が資本主義的近代化の破壊的過程を経ることなく、既にある共同体的所有に基づいて社会主義・共産主義へと飛躍できる可能性に言及しているザスーリチへの手紙を根拠に、マルクスの歴史観は1881年までに大きく変化したのだと主張する。そして上述の「ロシア語第2版序文」を引用した後、次のように言う。

 

「マルクスとエンゲルスは、ロシアの共同体が資本主義段階への移行を避けることができるだけでなく、『西欧のプロレタリア革命にたいする合図』を送ることで、コミュニズムの発展を開始すべきだとさえ言う。ここでも彼らは、歴史の原動力として、ロシア社会の積極的な主体性を認めているのである〔この箇所で彼は〈注〉として、(かつてマルクスは「アジア的またはインド的な所有形態がどこでも端緒をなしている」と主張していたが、ここでその見解を訂正したのだ)と述べているが、どこをどのように読めばそういった解釈が出てくるのか、まさしく神のみぞ知りたもう──引用者〕」。更に続けて『全集』⑲ p.389を例証にして言う、「この議論を、ロシアに限定する必要はない。同じ論理は、当時マルクスが集中的に研究していたアジア、アフリカ、ラテンアメリカといった地域の他の農耕共同体にも適用できるだろう。事実、マルクスは、アジア的共同体を、戦争や侵略による破壊を免れた最も新しいタイプの農耕共同体としてとらえていたからである」(『マルクス解体』p.292)。

 

マルクスがここで意図した内容をまったく無視して、自分の興味と関心の赴くままに「牽強付会」した見本がここにある。当時のマルクスの関心は、人類の歴史的発展段階が無階級社会だった原始共産主義社会から土地の共同所有と私的所有とが混在していた最初の階級社会である「古代的生産様式」(前掲の林氏にならって“アジア”という狭い地域に限定される印象のある「アジア的生産様式」に替えて、この名称を使っている)を当時新しく解明されつつあった古代社会の知見をノートに書き留めて深く研究することによって、唯物論的な歴史観を完成させることにあったと考えられる。

 

斎藤氏によると、晩年のマルクスはかつてあった構成員全員が土地や森林などのコモンを共同所有することによって大地にやさしい定常型の脱成長コミュニズムを研究するために亡くなるまでの数年を送ったのだと言うのである。現代の「人新世」における地球温暖化などの自然環境破壊をこれ以上進行させないためにも、今こそ、大いなる自然と共生共存していた原古の共同体の研究をしていた晩年のマルクスの諸作業を掘り起こすことによってマルクスを再生復活させなければならない、斎藤氏のこの間の試みはすべてこの一点に集約できる。

 

 的場浩司氏も斎藤氏と同じように言う、「マルクスの1870年代以降の態度の変化と研究の変化をマルクスの研究ノートの編集が新MEGA(新マルクス・エンゲルス全集)の中で進められている。マルクスのアジア、ロシアに対する視点の変化について、この時代のマルクスの研究ノートは重要な示唆を与えているといってよいかもしれない」、と。

 

1991年ソ連邦崩壊を転機に「死せる犬」としてマルクスを扱う“送葬派”に対して、ほとんどすべてのマルクス思想を研究している――むしろ、大学でマルクス研究を飯のタネにしている──“再生派”は、マルクスはその西欧中心主義的な世界把握や単線的歴史観を1881年の「ザスーリチへの手紙」において決定的に放棄し、その後のマルクスが本来のマルクスなのだ、と言い募るのを常としている。(斎藤氏を絶賛している佐々木隆治氏――彼はこの1月『なぜ働いても豊かになれないのか―マルクスと考える資本と労働の経済学』という新著を出しているが、それは12年前の『私たちはなぜ働くのか』という著書に若干加筆修正したもので、相も変わらず前著と同様、「マルクスは(資本という)物象の力を弱め労働の自由を拡大する」手段として、「第一に労働時間の短縮、・・・第二に生産の私的性格を弱める」こと、「第三に、労働者の生産手段にたいする従属的な関わりを変容させていくことである。・・・賃労働においては、このような生産者と生産手段の自由な結合の可能性は剥奪されているが、部分的に取り戻すことが可能である。それは、現代では、労働組合による経営権への関与というかたちで実際に実現されている」(p.219~224)と言うのである、なんという能天気な物言いだろう――もその仲間で、彼らは構造改革的な「アソシエーション」という言葉を好んで多用する特徴がある。)まったくもって、「小さな親切、大きなお世話」なのだ!

 

(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

Ⅰ   Ⅱ   Ⅲ   Ⅳ   Ⅴ   Ⅵ   Ⅶ

マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅤ

労働者党党友から「マルクスは『オリエンタリスト(西欧中心主義者)』だったのか」という「斎藤幸平批判」の投稿がありました。労働者党の理論誌『プロメテウス』63号で「斎藤幸平“理論”を撃つ」の特集をしましたが、投稿は意義ある内容ですので紹介します。(担当)(改行、頁分けは担当が編集)


マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)だったのかⅤ

―― 1868年頃を境にマルクスを前期と後期とに「切断」した斎藤幸平

                                                                宮 本 博

 

「アジア的生産様式」をめぐって

 マルクス批判家だけでなく、前期と後期とを峻別して前期のマルクスを否定して後期しか評価しないマルクス「再生派」にあってもこの「アジア的」という形容詞そのものが、マルクスがアジアを見下し蔑視した証拠とされている。

 

ある論者に言わせると、「アジア的生産様式」論=「アジア停滞」論というわけだ。とりわけ、この概念を使ったのは生涯にただ一度だけ、1869年に出版した『経済学批判序言』においてだけであったことからもなおさらであり、「資本の普遍化傾向」を唱え、「西洋」対「東洋」ないし「進んだヨーロッパ」対「遅れたアジア」という自分の認識図式の誤りに気付いたマルクスは自己批判的に修正して、それ以後二度と「アジア的生産様式」という言葉を使用しなかったのだ、とマルクス思想を前期と後期とを「切断」する彼らはマルクス弁護を買って出る。全くもって余計なお世話である。

 

 「アジア的生産様式」という概念については、林紘義著『人類社会の出発点、古代的清算様式―ー「アジア的生産様式」論の復活を』において詳細に述べられている。「悪名高い言葉であって、無視しなければならない」と多くのマルクス思想解釈者が言っているのとは真逆に、林氏はこの生産様式を「共同体から階級社会への第一歩を踏み出した人類最初の社会」であり、「人類史にとって普遍的なものである」とし、この社会を「古代的生産様式」と呼んでいる(前掲書 p.8)。

 

そして言う、「我々は、マルクスの『アジア的生産様式』の概念を断固として擁護するのだが、その概念は決して“アジア“の歴史に限定されるのではなく、人類史にとって普遍的であると主張する。アジア的生産様式は共同体所有から私的所有への第一歩として現れるが、同時にそれは、また人類が”未開“から”文明“へと足を踏み入れ、歴史的に前進し、進化していく第一歩でもある。共同体所有から出発したばかりの社会として、この生産様式は一つの共同体をまだ根底としているが、しかしこの共同体はすでに支配階級になり上がった──なり上がりつつあった──首長層によって簒奪され、収奪されている。そしてこれらの首長層の頂点に立ったのが、世界中のどの地域においても、歴史の初期に出現した古代の王権である。小規模な共同体権力はより大規模な共同体権力によって従属、支配され、あるいは吸収され、より大きな共同体権力に統合されたのである」(同書p.15)。「文明の出発点として、そしてまた同時に私的所有の出発点として,『アジア的生産様式』は人類史の必然的な一つの、そして最初の社会経済構成体もしくは最初の階級社会として位置づけられるのであり、またマルクスによって最初に位置付けられたのである」(同書p.17)。

 

 マルクスが「アジア的生産様式」という言葉を使ったのは上述したように生涯で一度だけではあるが、しかしだからといってこの概念を軽視していたとか、いわんや”アジア蔑視“という誤りに気付き自己批判的に反省して以後使用しなくなったということは全くありえない。

 

マルクスにこの概念を与えたのは、1850年代初め、イギリスのインド(ムガール帝国)侵略と支配の現状についてアメリカの新聞への寄稿文を書いたり、当時のインドの経済的社会構成体の研究を深めていく過程で、インドの(中国など、広くアジアの)社会を根底から規定している土地の共同体所有を発見したことにある。

 

1853年6月のエンゲルスあての手紙のなかで「(インドの『ムガール帝国に記述を含む旅行記』を著した)ペルニエは、正当に、オリエントのすべての現象についての基礎形態を──彼はトルコやペルシアやヒンドスタンについて語っている──土地の私的所有が存在していない、ということのうちに見いだしている。これこそがオリエントの天国に至るためにも現実の鍵なのだ」(全集㉘ p.210)とアジア的生産様式の基本的特徴を述べている。

 

『要綱』でも「生産者と生産手段との本源的所有」の諸形態としてではあるが「アジア的な・・・形態にあっては、個々人の所有ではなく占有だけがある。・・・古典古代人・・・にあっては、国家的土地所有と私的土地所有との対立的解体《があり》、・・・ゲルマン的形態では、・・・そのものとしての共同体所有は、・・・個人の土地領有にたいする共同の付属物としてのみ現れる(『要綱』Ⅲ p.417 『資本主義生産に先行する諸形態』国民文庫版p.24)」と述べている。またマルクスは言う、「種族共同社会、自然的共同団体は、土地の共同的領有(一時的な)と利用の結果としてではなく、その前提として現れる」(同書p.408)、と。

 

林氏は前掲書で次のように述べている。「マルクスが共同体に根底を置く『アジア的生産様式』と呼んだ社会経済構成体は、古代の一つの社会経済構成体の残滓であって、それは決してアジアだけに固有なものではなく、その存在自体は、すべての人類の諸集団の歴史的な──社会的において歴史的な──初期の段階、その出発点において普遍的であったという認識に到達しつつあったのであり、『先行する諸形態』ではそれを一般的な形で、一定の意味で共同体所有と関連する他の二つの社会経済構成体――古典・古代的(ギリシャ・ローマ的)及びゲルマン的な所有――との区別と比較の中で検討しているのである。彼はますます『アジア的生産様式』は人類の歴史的な出発点において普遍的なものであったという確信を強めて行ったのであ」る(p.56)。このことは1859年の『経済学批判』の中で、「原生的な共有の形態は、とくにスラブ的な、しかももっぱらロシア的な形態だというのは、近ごろひろまっている笑うべき偏見である。それは、われわれがローマ人、ゲルマン人、ケルト人のあいだで指摘することができる原初的形態であるが、これについては、さまざまな見本をそなえたりっぱな見本帳が、いまでも、一部分は廃墟としてではあるとはいえ、インド人のあいだに見いだされる。アジア的な、ことにインド的な諸共有形態のいっそうの詳しい研究は、原生的共有の種々の形態からどのようにしてその崩壊の種々の形態が出てくるかを示すであろう。こうして、たとえばローマ的およびゲルマン的私有の種々の原型が、インド的共有の種々の形態からみちびきだされるのである」(国民文庫版p.23~4の〈注〉、この文章は、全集㉓a p.104『資本論』でも〈注〉として再録されている)と述べていることからも明らかである。更にまた1868年3月のエンゲルスあてのマルクスの手紙には次のように書かれている。「(僕は老マウラーの)最近の著書を読んでドイツのマルクや村落などの制度について勉強した。彼は、土地の私的所有が後代に至ってはじめて発生した、ということなどをくわしく論証している。・・・ちょうどいま興味があるのは、一定の期間(ドイツでは当初は毎年)における土地の再分配というロシア的な風習がドイツでは所によっては18世紀にいたるまで、また19世紀にさえ至るまでも、保存されていた、ということだ。アジア的またはインド的な所有形態がヨーロッパのどこでも端緒をなしている、という僕の主張した見解が、ここでも(マウラーはこの見解についてなにも知らなかったのに)新たな証拠を与えられている」(『全集』㉜p.36~7 下線部強調は引用者)、と。

 

この「アジア的生産様式」の詳しい内容については、林氏の前掲書を読んでもらうとして、ここで指摘したかったのは、従来からほとんど顧みられることなく無視され足ざまに扱われてきたこの概念は、“アジア“だけに限定されたものではなくて、「それを一つの歴史的社会として、人類が原始共産主義(氏族共同体)の社会から一歩踏み出し、前進するや否や陥った最初の階級社会」(林氏前掲書.同箇所)だったということである。



(党友からの投稿)マルクスは「オリエンタリスト(西欧中心主義者)」だったのか

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