(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について《Ⅲ》(宮本 博)
最後に改めて言いたい。かつて大日本帝国が中国侵略を推し進めていった時に、「匪賊」――毛沢東率いる共産軍は「共匪」――と呼ばれた日本帝国主義に抵抗し神出鬼没のゲリラ戦によって現地日本軍を大いに苦しめたナショナリスト・民族主義者の武装集団がいた。この頃、大陸各地に点在していた日本人居留地にいた一般の日本人を度々襲って殺傷したのは各地に割拠していた軍閥やその敗残兵だったのだが、当時の日本からすれば一括りにされた彼らは明らかに「残虐非道なテロリスト」だったのだ。
20世紀以後におけるナショナリズム・民族主義には二つの歴史的段階があるように思う。つまり、抑圧され無権利状態に置かれた或る民族が民族としての自決権を要求する解放運動の歴史的段階と、すでに自決権も主権国家も保有しており、領土拡大ないし領内の少数民族を排除しようとする植民地主義的な歴史的段階とがある。
21世紀に入ってから中国共産党が主導する中華人民共和国の動向――憲法を改悪してまで国家主席3期目の習近平は「偉大なる中華民族の復興」を掲げて、香港での国家安全維持法による圧政、チベット自治区の人々やウイグル自治区でのムスリムへの弾圧抑圧、南シナ海での独善的な領海設定や一帯一路路線などの帝国主義的で覇権主義的な海外膨張など――を見るにつけて、1949年10月1日に統一された国民国家として建国された植民地解放の民族解放闘争を闘ってきた以前とそれ以降の国内国外の権威主義的で大国主義的な出来事の推移を比べるとそのように思わざるを得ない。
僕は、今日の世界各地で起こる出来事を判断する際には常に、そのそれぞれの人々が置かれている状況が人類の歴史上、経済的・政治的・社会的に、どういった歴史的段階であるのかということを物差しにして行うよう心掛けており(それが唯物史観的な観方だと思っているから)、パレスチナ・イスラエル問題を考える場合もそうしたことを基本的なスタンスにしている。
パレスチナに住んでいるアラブ人の民族自決による国民国家(Nation State)建設を主張するのも彼らにとってはそれが現在の彼らが置かれている歴史的発展段階に最も即応していると思うが故である。かつて1910年代、レオン・トロッキーやローザ・ルクセンブルグは帝国主義のもとでは「帝国主義がある限り実現不可能だ」、「社会主義はすべての国境と無縁なのであって、帝国主義によって除去された国境を再現する」からなどという理由で被抑圧民族の「民族自決権」を否定した。
これに対してレーニンは、それは「帝国主義的経済主義」であって、民族自決は可能であるばかりではなく不可避であること、それが一つの改良であり、民主主義の実現であるにすぎないとしても世界の諸民族の社会主義的な融合にとって一過程であること、帝国主義による併合や搾取や束縛などの「強制ではなくして、万国のプロレタリアの自由な同盟にもとづく、諸民族の接近」が必要なことを繰り返し強調して、彼らを批判した。
レーニンは言う、「あらゆる民族的圧政に対する闘争――これは。無条件にイエスだ。しかし、あらゆる民族的発展のための、『民族文化』一般のための闘争――これらは、無条件にノーだ」(「民族問題における批判的覚書」1913年、『レーニン全集』⑳ p.21)、と。僕はこの言葉を、前半の「イエス」は当然だとしても、後半の「ノー」はまさに“至言”だと思っている。それは、どういうことか。
近年小ブル・インテリどもがやたら持て囃している、多様な民族・慣習・言語・文化の共存・共生を唱える多文化主義・文化相対主義が人口に膾炙する今日の状況にあって、とりわけ強調したい。こうした考え―――まさに、第一次大戦前に「人種・民族のるつぼ」と呼ばれたバルカン半島を支配していたオーストリア=ハンガリー帝国において、民族問題の解決策として、諸民族の独自性・自立性を唱えた上での調和ある併存、平和的な共存・協調を提唱して、帝国内での諸民族の自治権を要求したオットー・バウアーらのオーストリア・マルクス主義者の直系の嫡子なのだ――は民族排外主義を補完するメダルの裏面に過ぎない。
純粋で固有な文化や民族という概念は国民国家があるいは国民国家の時代が生み出した“創られた神話”であって、他文化・他民族の尊重や自民族中心主義の克服を目指す多文化主義・文化相対主義ないし多民族主義は文化や民族の多様性を認めるものの文化や民族を単一の孤立し閉じられた体系と見なすこと――この最終的な行先は各民族ごとの「アパルトヘイト」になる以外ではない――によってお互いに垣根をつくって恒常的な交流による相互融合・相互変容がなされていくという積極的な発展を阻害することになりかねない。
レーニンが「ノーだ」と言ったのは、そういった意味であると僕は思う。そもそも、いかなる民族・文化といえども決して孤立してもっぱら内在的に自立・自律して成長発展してきたわけではなく、他の民族・文化との間に様々な関係を取り結び、それによって種々多様な作用を受け変化変容し融合しながら発展してきたはずであって、あらかじめ孤立した諸民族・諸文化が存在し、何らかの理由で偶発的に交流が行われたのではなく、逆に交流という現象が先にあって、つまり交流が常態だということである。
その点で言えば、日本史の教科書での平安時代の「国風文化」は894年の遣唐使の廃止以後の日本独自に発展した文化なのだといった解釈は明らかに誤っている。国としての公の正式な相互交流は無くなったにしても、民間交流はそれまで以上に盛んになっていたのである。
パレスチナの大地の上に住んでいるすべての人々、ユダヤ人やアラブ人、その他多くの人々がお互いに分け隔てなく交流しながらより一層の融合が行われること、そして、そうした流れの障壁となって妨害し敵対する現在のイスラエルの政治体制の変革──その変革を可能にするためにも、アメリカ、そしてナチスのホロコーストへの贖罪意識からイスラエルの生存権と自衛権を国是にしているドイツとフランスなどの西欧諸国の財政的・軍事的な援助の即時停止を世界の労働者は掲げるべきである──こそが、現在最も求められていることであると僕は思っている。
(読者からの投稿)パレスチナ・イスラエル問題について(宮本 博)