政治不信が高まる中で、「金権政治も必要悪として我慢するしかない」というような“民主主義”に対して、神奈川で『資本論』などの学習活動をする『横浜労働者くらぶ』の会報で、「ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!」と題して2回目がでましたので、紹介します。(担当)

 

ブルジョア民主主義の欺瞞を暴く!

 レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』を読もう!

 

★秩序とはブルジョア秩序である!

2章は、「ブルジョア民主主義とプロレタリア民主主義」と題されています。レーニンは続けて次のように述べています。

「いろいろな階級が存在する間は、『純粋民主主義』について語ることはできず、階級的な民主主義について語りうるだけであるのは明らかである。」「近代の代議制国家もまた、資本が賃労働を搾取する道具である」というエンゲルスの言葉を引用しながら、レーニンは続けます。「近代国家の基本法を取り上げてみたまえ。その統治ぶりを取り上げてみたまえ。『法律の前での市民の平等』を取り上げてみたまえ。― そうだとすれば、諸君は、ブルジョア民主主義の偽善を、一歩ごとに、どの国家にも見出すであろう。どんな民主主義の国家であろうと、『秩序が破壊された場合に』 ―― 実際には、被搾取階級が自分の奴隷的地位を『破壊し』、非奴隷的にふるまおうと企てた場合に、労働者に軍隊をさしむけたり、戒厳を宣告したり、等々をする可能性をブルジョアジーに保障している抜け道または但し書きが、憲法の中に設けられていないような国家は、一つもない。」

 

つまり、秩序とは、ブルジョア社会である限り、ブルジョア的秩序のことなのである。国内においてのみならず、国際関係においても秩序とは、ブルジョア国家同士の秩序である。ロシアの十月革命を、世界のブルジョア国家が寄ってたかって圧殺しようとしたことを思い出せばよい。

 

★ブルジョアはあらゆる手をつかって労働者の政治参加を排除する!

レーニンは続ける。「カウツキーは、民主主義は『少数者の保護だ』といったおとぎ話をする。」しかし、カウツキーは、「アメリカまたはスイスのもっとも民主主義的で共和主義的なブルジョアでさえ、ストライキ労働者に対して何をやっているかについては、口をつぐんでいる。…あらゆる重大な、深刻な、根本的な問題のさいにプロレタリアートに与えられるのは、『少数者の保護』ではなくて、戒厳令あるいはポグロム(注、財産の掠奪や大量殺人を伴う反動的な襲撃)であるということである。」(同、p34) 

 

カウツキーは、マルクス主義の基礎である国家の階級性を忘れているのである。「ブルジョア民主主義の下では、資本家は何千というトリックで ―― 『純粋』民主主義が発展していればいるほど、ますます巧妙で効果の確実なトリックで ―― 大衆を統治への参加から押しのけ、集会・出版などの自由から押しのける。……ブルジョア社会への参加を、勤労大衆は何千という垣でさえぎられている。そして労働者は、ブルジョア議会が、無縁な施設であり、ブルジョアジーがプロレタリアを抑圧する道具であり、敵階級である少数の搾取者の施設であることを、素晴らしくよく知っており、感じており、目で見、肌で感じている。」(同、p36)「我々を統治しているのは、ブルジョア官吏、ブルジョア代議士、ブルジョア裁判官である。これは簡単明瞭で、争う余地のない真理であって、最も民主的な国をも含む、あらゆるブルジョア国で、被抑圧階級の何千万、何億の人々が、自分の生活上の体験でこれを知っており、日々これを感じ、肌で感じ取っている。」(同、p37

 

日本の労働者も「これを肌で感じ取って」ほしいのだが。

 

★ブルジョアの平等や自由は口先だけの、形だけの平等や自由だ!

第3章は、「搾取者と被搾取者との平等はありうるか?」である。 レーニンは、そのような平等はない、という。ところが、純粋民主主義者であるカウツキーは、パリ・コンミューンについて被搾取者が多数を占めているコンミューンにどうして暴力が必要なのか、と暴力を批判するのである。彼は、コンミューンは「民主主義を廃止するためにではなく、それを保護するためにしか、暴力を行使しないであろう。……普通選挙権を廃止しようとするならば、それはまことに自殺行為であろう。」と言う。搾取者は少数者であるのだから、多数者である被搾取者に従うべきである、搾取者にも民主主義を保障すべきだ、なぜなら権力が被搾取者の多数者にあるからには、少数者を暴力的に抑圧する必要はない、というわけである。

 

見られるように、このカウツキーの反論には、搾取者、支配者と被搾取者、被支配者との階級関係は全く存在しない。あるのは、多数者と少数者という、単なる数だけである。これに対しレーニンは次のように反論する。

 

「民主主義の『純粋』さにほれ込んだカウツキーは、形式的な平等(資本主義の下では徹頭徹尾いつわりで偽善的な平等)を実際の平等と思っているのである! 全く些細なことだ! 搾取者は、被搾取者と平等ではありえない。」(同、p40) 「ごくまれな特別な場合を除けば、搾取者を一挙に絶滅することはできない。……多くの世代にわたって、教養の点でも、豊かな生活の条件の点でも、習性の点でもまさっていた搾取者と、最も進んだ、最も民主的なブルジョア共和国においてさえ、その大多数が虐げられ、無知無学で、おどしつけられ、ばらばらである被搾取者との間に、平等はあり得ない。搾取者が、変革の行われた後でも、長い間多くの点で大きな実際上の優越を保つことは、避けられない。すなわち、搾取者には、貨幣(貨幣を一挙に廃止することはできない)や、なにがしかの、時にはかなり多額の動産が残っており、手ずるや、組織と管理の技能や、管理のあらゆる『秘訣』(習慣、方法、手段、可能性)についての知識が残っており、より高い教養や、高級技術家連(ブルジョア的に生活し、ものを考える)との緊密な連絡が残っており、はるかに大きな軍事上の技能(これは非常に重要なことだ)、その他いろいろなものが残っている。」(同、p41

 

★ブルジョアジーは死に物狂いでその支配権力を守るであろう!

「こうゆう事情であるのに、いくらかでも深刻で重大な革命の際に、多数者と少数者との関係がいとも簡単に問題を決定すると予想するのは、この上ない愚鈍さであり、ありふれた自由主義者の愚劣極まる偏見である。……あらゆる深刻な革命の際には、なお幾年かの間被搾取者に対して大きな実際上の優越をもつ搾取者は、長期の、頑強な、死に物狂いの抵抗を行うのが通則だということである。甘ったるいばかものカウツキーの甘ったるい空想の中ででもなければ、搾取者が、最後の必死の戦闘、あるいは一連の戦闘で自分の優越性を試してみずに、多数者である被搾取者の決定に服従することは、決してないのである。」(同、p41) カウツキーは、民主主義と独裁を対置し、独裁は民主主義を否定するものだ、という。レーニンは、それに対して、選挙権のような民主主義を制限する問題は、独裁の民族的に特殊の問題であって、ヨーロッパの来るべきプロレタリア諸革命がみな、あるいはその大多数が、ブルジョアジーの選挙権に必ず制限を加えるだろうと、前もって断言するのは誤りであろう。そうなることもありうる。戦争とロシア革命の経験を経た後では、おそらくはそうなるであろうが、しかし、それは、独裁を実現するために必須のものではない。独裁の不可欠の標識、その必須の条件は、階級としての搾取者を暴力的に抑圧することであり、したがって、この階級に関しては『純粋民主主義』、すなわち平等と自由を侵犯することである。」(同、p43

 

★ブルジョア民主主義の幻想から目を覚まそう!

レーニンからの引用ばかりになりましたが、レーニンは労働者に、噛んで含めるように、そして火のような情熱をもって「純粋民主主義」の欺瞞性を暴いています。『背教者カウツキー』は、なお第 8 章まで続きます。皆さんには、ぜひ本書を最後まで読まれて、レーニンのプロレタリア民主主義とプロレタリア独裁の理論を学んでほしいと思います。(K)

 

 

「横浜労働者くらぶ」学習会案内

4月の予定

◆「資本論」第1巻学習会

・4月24日(水)19 時~21 / 県民センター703 号室

*第9章「剰余価値の率と剰余価値の量」から、第4篇「相対的剰余価値の生産」

第12章第2節「部分労働者とその道具」まで学習します。

◆「資本論」第2巻学習会

・4月10日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*第5章「流通期間」から、第2篇「資本の回転」第7章「回転期間と回転度数」まで

を読みます。

◆レーニン「カール・マルクス他18篇」(岩波文庫) 学習会

4 月17日(水)1830分~2030 / 県民センター703 号室

*論文「帝国主義と社会主義の分裂」他2篇を学習します。

 

連絡先

Tel080-4406-1941(菊池)

Mailkikuchi.satoshi@jcom.home.ne.jp