不死鳥の如く

―― 林絋義先生の死を悼む

 

 

 林絋義労働者党代表が今月10日、逝去された。享年82歳。党後援会員として心からの哀悼哀惜の誠を捧げます。

 

 党ホームページとブログが功績を讃える追悼文・経歴を掲載している。

 

 東西世界のマルクス主義理論史の頂点に輝く不世出絶後の天才理論家であり、東大在籍時代から生涯にわたり、日本における科学的共産主義運動・プロレタリア議会主義運動・革命的労働者政党建設運動の最前衛を開拓領導した、唯一無二の革命的英雄であった。(代表は「先生」や「理論家」等々と賛辞で呼ばれることを心から嫌悪しているが、ここでは敢えて無視します。) 

 

 林代表の最期の闘いの舞台の一つとなった2019年の参院選闘争に、代表の立候補を支援する一後援会員として参加できたことは、かえすがえすも光栄だった。代表は参院選準備中の2017年に脳梗塞に倒れたが不死鳥の如く復帰し、2019年夏の参院選闘争の先頭に立ち精力的な活動を担われた。

 

 昭和13年生まれの代表はわが母と同年である。母もまた夏までは元気でいてくれたお陰で、介護の合間に後援会員として選挙活動に参加し、微力ながら宣伝活動の一端を担わせて頂くことができたのである。母を一人家に残しての活動参加は少し心配なところもあったが(任務の合間に携帯で安否確認をしたものだ)、私にとり、久し振りの選挙闘争参加の機会が与えられたことは貴重な、何よりも心から楽しい体験であった。

 

 その後代表は参院選後の2020年4月に再び脳内出血で倒れた。これは奇しくも母の入院とピッタリ重なった。そして母より半年間ほど代表は延命され、母と同じようにコロナ禍による厳しい面会制限の中で亡くなられた。

 

 顧みるに、林代表の復帰のお陰でその最期の闘いの末端に参加する機会を頂いた。そして母もまた参院選までは元気でいてくれて、私にこの貴重な機会を心行くまで享受する自由を与えてくれたのである。最後まで息子に我が儘な好き勝手をさせてくれた母であった。そして代表の最期の闘争が、私のような末端の人間を闘争に召喚したのである。

 

 これらは偶然ではない、何か深い必然が感じられてならない。同じ60年安保世代の林さんも母もギリギリまで余力をふり絞り、そしてわれわれ不肖な息子世代の者に、様々な機会を与えることを最後まで惜しまず、天寿天命を全うしたと思えてならない。

 

 参院選を総括した第五回党大会の報告のタイトルは「労働者党は不死鳥の如し」であった。

 

 🔹労働者党は不死鳥の如し労働者党第5回大会報告――勝利目指しリベンジを決議

 📰労働者党ブログ 

 http://blog.livedoor.jp/marxdoushikai2016/archives/38888678.html

 

 (2019)10月初旬、14名の全国の支部から選出された代議員を結集して開催された労働者党第5回大会は、13名の賛成、保留1という圧倒的な多数をもって、今後も労働者党の原則的な政治闘争を貫徹し、党を再建、強化、拡大して国政選挙闘争に再び参加し、22年の参院選までに、我々の、そして労働者の大きな希望であり、未来でもある国会議員(団)を勝ち取るという方針を決定した」

 「我々は不死鳥のように蘇る」

 「我々の(2019)参院選は形としては完敗であったが、政治闘争の内容としては安倍政権を圧倒して勝ったのであり、そのことに誇りをもって確認する。そして我々の闘いはマルクス主義を思想的、実践的根拠とも基礎ともする、誇り高き労働者の党として、半デマ・ポビュリズム諸党と区別される、事実と真実を実践的な導きの糸として、正々堂々と闘う〝正規戦〟を安倍政権に挑むのであって、安倍政権と同様な、半デマ・ポピュリズム政治に迎合し、追随し、現(うつつ)を抜かすしか能のない、破廉恥な野党共闘派のゴミくず政党らと自らを“区別する”のである」

 

 大会は参院選闘争の敗北の総括に踏まえて「我々は不死鳥のように蘇る」と決意しているが、病いから復帰し、党の先頭に立って最後まで可能性を汲み尽くした老闘士の最期の闘いこそ、まさに「不死鳥」の姿そのものであったと思う。(古代エジプトやメソポタミア起源の不死鳥伝説はアジア地域には鳳凰伝説となって伝播している。鳳凰は不老不死の象徴だが、不死鳥には800年だかの寿命があり終焉がある。香木(ムスク)を集めて自分の身を焚き、自らを弔う。だから火焰鳥の別名がある。終焉からの復活・再生の象徴である。古代の再生思想はキリスト教の復活論に進展した。) 

 

 また一つ、太陽が沈んでしまった。残された者としては、出口のない時代閉塞の中に取り残されたような寂しさがある。闇の先の漆黒はさらに深まった。漆黒が深すぎて荘厳で神聖なほどである。善人どもの美辞麗句に従って空元気を言う気力もない。腐り果てた世界資本主義の断末魔は、場合によっては人類史そのものの断末魔かもしれない(環境問題一つでも明らかだが)。マルクス主義はユートピア思想でも宗教的終末思想でもないから、どんでん返しの一切ない完全な破滅も恐れず予言する。どんな楽観も空元気も許さない破滅と破綻は、確実にあり得ると警告している。宿命は覚悟して直視するほかない。

 

 しかしながら、紫雲の彼方の世界にあって、林先生は我々の心に不死鳥の如く復活蘇生し続け、残された我々と共に歩んで行かれると信じている。

(神奈川・19参院選後援会員・鴉)