労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

人新世

斎藤幸平「人新世」ブームに思う

斎藤幸平「人新世」ブームに思う

――既存〝左翼〟への不信とマンモス資本主義への抵抗と――

 

 斎藤幸平の『人新世の「資本論」』については『海つばめ』1391号(20201122日)でも書評が掲載されたが、この本はその後も好調に売れているようで、書店には山積みで置かれ、中央公論社の2020年新書大賞にも輝いたという。多くの新聞その他で書評や対談等が組まれ、今年1月にはNHK-Eテレ「100de名著」でも斎藤の解説によるマルクスの『資本論』が取り上げられた。

 

NHK-Eテレでは2010年にも『資本論』が取り上げられた(解説者、的場昭弘)。10年前は2008年のリーマンショックから始まる世界金融危機の影響があったのだろうが、今回は格差の一層の拡大や気候変動などの地球環境問題、新型コロナのパンデミック、等々が影響しているのだろう。一種の閉塞状況の中でマルクスの〝新解釈〟(!?)が歓迎されている面もあるかもしれない。

 

 『人新世の「資本論」』では主に気候変動の問題を扱いながらマルクスの(かなり牽強付会な)〝新解釈〟が述べられているが、Eテレの「100de名著」では一応『資本論』(第一巻)の概説をしながら、最後の第4回目に〝新解釈〟や具体的な展望に触れられている。

 

〝新解釈〟については『海つばめ』の書評で既に触れているので、ここでは「100de名著」のテキストに添って、主に斎藤の上げている「具体的な展望」について論じてみたい。

 

 NHKの「100de名著」は一回25分の番組で、一か月(4回)でワンシリーズとなっている。斎藤の『資本論』は、一回目が「商品による物象化」、二回目は「資本と剰余価値、過労死問題」、三回目は「相対的剰余価値の生産(イノベーション)、ブルシェット・ジョブ」等が取り上げられ、資本による土地や“公共物”の「囲い込み」を強調している点が特徴的で、この点が第4回目の「商品化の力を弱めて、人々が参加できる民主主義の領域を経済の領域にも広げよう」、コモン(公共領域)を広げていく抵抗、等々の改良主義的抵抗の美化と結びついている。

 

4回目は上述のように、マルクスの〝新解釈〟や具体的な〝展望〟が述べられていて、ここに斎藤の独りよがりや学者としての立場上の限界、NHKの〝公共〟放送としての限界、等々が特徴的に見られるのである。

 

斎藤があげている具体的な展望例は、電気を地産地消する「市民電力」の取り組み、協同で事業を運営する「ワーカーズコープ」、インターネットアプリを介してスキルやモノをシェアする「シェアリング・エコノミー」、スペインのバルセロナの呼びかけで始まった「ミュニシパリズム」(地域自治主義)、「ドーナツ経済」の考えを導入して公営住宅を拡充したりレアメタル等を生産するアフリカ・コンゴとの連帯を進めるアムステルダム市、等々である。

 

彼はこれらの例を実在する「アソシエーション」への動きとして持ち上げ、何か大きな希望であるかのように言及しているのである(同様の例は、『人新世の「資本論」』でもより詳しく取り上げられている)。

 

これらの例に共通して見られるのは、既存の〝共産主義運動〟や〝社会主義運動〟の枠を破ってグローバル資本主義や独占的大企業の横暴に抵抗する地方的・市民的な運動である。

 

ここには既存〝左翼〟に対する不信とマンモス化する資本主義に対する抵抗が共存しており、斎藤が心惹かれるのもそこにあるのだろう。

 

しかし、「市民電力」のような地域的で小規模な取り組みだけでは巨大電力会社の足元にも及ばないし、バルセロナやアムステルダムの例は日本にもかつてあった革新自治体の現代版にすぎないであろう。

 

日本でも昨年ワーカーズ・コープ法(労働者協同組合法)が成立し、何か労働者の自主的参加による事業が可能になったかに持ち上げられているが、労働者協同組合といっても実際は主としてサービス業の中の隙間的な部門や資本力のない地方での労働力活用策程度のものでしかなく、体のいい派遣会社(最も低賃金の)のようなものでしかないのだ。

 

したがって、このような運動が広がっていったとしても、それで自動的にコミュニズムが成立するわけでは全くない。

 

資本主義のあらゆる矛盾の現れを捉えて幅広く連帯し、協同組合的な運動等により問題の現実的な解決を図っていくことも場合によっては必要であろう。しかし、もっとも重要なのは最終的な権力奪取であり、それによる社会全体の改造である。

 

斎藤は、彼の言う〝コミュニズム〟を本気で実現したいと思うのならば上記のような運動の限界をこそ指摘するべきであり、また、体制内化してもはや〝コミュニズム〟の〝コ〟の字も忘れてしまった既存労働運動や既存〝左翼〟運動の批判的な吟味こそが必要ではなかろうか。

 

斎藤の著書やNHKの番組を見て痛快に感じた人も多いだろうが、それだけではせいぜい単なる〝ガス抜き〟程度にしかならない。

 

また、『資本論』や「コミュニズム」に対する関心が高まることは大いに歓迎すべきことではある。しかし、実際に運動を進めていくことは決してそう簡単ではないし、日本や世界の運動の現状は必ずしも楽観できる状況ではないことも冷静に考える必要がある。

 

我が労働者党は各地で資本論読書会や学習会も進めている。斎藤の著書などを通じて『資本論』や「コミュニズム」に関心を持たれた労働者・働く皆さんには是非とも我々の読書会・学習会にも顔を出していただき共に闘いの方途について学習していきたいものだ。

 

(長野・YS) 

【書評】人新世の「資本論」(斎藤幸平著 集英社新書)

【書評】人新世の「資本論」斎藤幸平著 集英社新書)

 ーー温暖化の危機に「脱成長コミュニズム」を対置するが?

 

 菅が所信表明演説中ではほとんど唯一ともいえる“将来ビジョン”として2050年までのカーボンニュートラルを打ち出す中、斎藤幸平の表題の本が話題を呼んでいる。新MEGA等で明らかになった草稿やノートをもとに(特に「資本論」以後の晩期の)マルクスを新解釈し、「脱成長コミュニズム」といった“新しい”マルクス像を提示しているからである。

 西欧諸国等ではこぞって「グリーン・ニューディール」に舵を切る中で、菅の打ち出すカーボンニュートラルは「原子力も安全優先で進める」といった電力資本に配慮した陳腐なものである。それに対して斎藤は、「グリーン・ニューディール」でさえ気候変動を止めることはできない、資本主義がそもそも環境破壊的なのだから資本を廃絶した「脱成長コミュニズム」以外に解決の道はないと極めてラディカルな主張をし、19世紀の“遺物”としてか旧ソ連等によって“手垢にまみれた”マルクス思想の真の姿を提示していると言うのである。

 

◆グリーン・ニューディールではなぜ気候変動を止められないか

 

 まず「人新世」(ひとしんせい)という耳慣れない言葉であるが、これはノーベル化学賞を受賞したオランダのパウエル・クルッツェンが人類が地球に与えた影響があまりに大きいために地質学的に見て新たな年代に突入したとして命名したものである。

 斎藤はさまざまな観点から上記の「グリーン・ニューディール」(気候ケインズ主義)等について論じているが、一つの中心的な観念はイギリスの政治経済学者ケイト・ラワーズの「ドーナツ経済論」である。これは経済発展水準を、地球の環境的上限(プラネタリー・バウンダリー)と衣食住や健康・教育などの最低限の社会的閾値の間に納めなければならないという構想である。しかし、実際には現在の先進国経済は前者の環境的上限をはるかに超える水準にあり、他方、途上国では多くが後者の下限を下回っている。これでは持続可能性もなければグローバルに考えた社会的公平性も確保されないと言うのだ。

 斎藤のもう一つの論拠は、先進国は労働の搾取(収奪)においても環境負荷においてもその矛盾の多くを周辺であるグローバル・サウスに転化し「外部化」してきたということである。先進国の「帝国的生活様式」は、実際にはグローバル・サウスの犠牲の上に成り立っているのだ。だから、例えば「グリーン・ニューディール」等で一見カーボン・ニュートラルが実現したように見えたとしても、「カーボンフットプリント」(原料の生産や廃棄物の行方なども考慮に入れた、CO2の足跡)を見れば、先進国について見ても決して本当のニュートラルではないということである。また、再生可能エネルギーの比率が高まったとしても、その多くは新たな経済成長のためのエネルギーとして使われ、従来の化石燃料の使用量は減少していないとも言う。

 

◆マルクスの新解釈?

 

 斎藤は、マルクスは1867年の『資本論』(第一巻)の出版後にその思想を大きく変えたと言っている。彼によれば、従来のマルクス解釈ではマルクスは「生産力至上主義」であり「ヨーロッパ中心主義的で単線的な進歩史観」をもっていた、マルクスは資本論の中でも、人間の労働は自然と人間との「物質代謝」を媒介することによって人類の生存を可能としている、しかし、資本主義は利潤優先でその場かぎりの「略奪的」生産を行うことによって「物質代謝を撹乱」し「修復不可能な亀裂」を生み出すとも言っている。しかし、晩年のマルクスはロシアのミールやドイツのマルク共同体の研究を通じて、あるいはメソポタミアやエジプト、インドの古代文明滅亡の研究(当時のドイツの農学者フラーツはこうした古代文明が森林の過伐採によって滅亡したと論じていた)を通じて、脱成長的(持続可能な定常型経済)で複線的な歴史観に大きく変化したと言うのだ。

彼は、その証拠としてロシアのナロードニキであった「ザスーリッチへの手紙」や「ゴータ綱領批判」の記述、さらには上掲フラーツの「研究ノート」等々を上げている。しかし、そもそもマルクスが「生産力至上主義」的であり「ヨーロッパ中心主義的で単線的な進歩史観」を持っていた等々の解釈は、旧ソ連のスターリン派の解釈(その意味で世界の“正統”マルクス主義の解釈)でしかないのではないか。マルクスが晩年その関心をより広げ深めていったのは事実であるとしても、上記文献等についての斎藤の解釈はいかにも牽強付会の観を否めない。

 

◆「コモン」という観念

 

 斎藤の「脱成長コミュニズム」で中心的な観念を占めているのは「コモン」という観念である。「コモン」とは「社会的に人々によって共有され、管理されるべき富」であり、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートが『帝国』で提起した概念であるという。彼は、この観念を用いて「収奪者が収奪される」という『資本論』の有名な個所(第1巻第23章の末尾)を解釈し直しているのであるが、要は「土地と生産手段の共有」のことなのである。これを「コモン」と言い換えたところで、所詮は物事を曖昧化し、我々がなすべきことをぼかす効果しかないと言うべきであろう。『帝国』は世の識者が好んで言及する本であり、先にあげた「帝国的生活様式」とか「周辺と中核」、「外部化」等々もそうであるが欧米の学者や識者が使う言葉をありがたがって無批判に使うのは日本の学者の悪い癖である(あるいは、世界の学者や識者のそれ自身疎外された狭い世界のネットワークではそんなことでしか独自性を誇示できないということか)。

 

◆本源的蓄積とは「コモンの解体と希少性の増大」?

 

  斎藤はマルクスのいう本源的蓄積を解釈して、「本当は、この囲い込みの過程を『潤沢さと『希少性という視点からとらえ返したのが、マルクスの『本源的蓄積論なのである。」(p.237)「コモンズから私的所有になって変わるのは、希少性なのだ。希少性の増大が、商品としての『価値を増やすのである。」(p.251)などと言っている。土地や水、等々の場合は確かにそうだ。しかし、それは(本来は価値をもたないものの)擬制的価値(地代、等)であって、(彼がそれを理解していないわけではないとは思うが)本来的な価値の増大は労働の搾取によっているのだ。また、「私的所有になる」のはマルクスの言う土地(大地)だけではなく、既に人間によって作り出された生産手段(とりわけ労働手段)でもあり、しかもそれらは単なる私的所有ではなく資本の所有であり資本そのものとなるのだ。だから、それは単なる希少性ではない。彼が「価値」というものを本当に理解しているのか大いに疑問を持たざるを得ないのであるが、同時に、彼の言うコミュニズムにおいてはそもそも「価値」とか商品交換等々はなくなるのか、なくならないのか、彼の本を読む限りでははなはだ心もとないのである。

 

◆アソシエーションや生産手段の「自律的・水平的管理」の強調

 

  彼もまた多くの識者と同様にアソシエーション論を強調し、生産手段の「自律的・水平的管理」の強調している。しかし、それはよく考えてみると、彼の旧ソ連等の“社会主義”への否定的評価からきているのだということがわかる。

彼は次のように言っている。「従来のマルクス主義が成長の論理にとらわれ続けてきた…実際、ソ連の場合は、官僚が国営企業を管理しようとして、結果的には、『国家資本主義と呼ぶべき代物になってしまった。」(p.351-52)ここで彼はある種の「国家資本主義」といったものを持ち出しているが、その経済的内容を理解しているかどうかは不分明だ。しかし、「官僚が国営企業を管理」することによって権力主義的・独裁的になり「参加型民主主義」が実現していないことを言っているのである。そうした「垂直的」管理ではなく「自律的・水平的管理」が必要だと言いたいのである。

しかし、細部の管理は地方や個々の生産体に任されるとしても国民経済的規模での共同管理(計画化、等)の側面は少なからず必要である。また、「労働に応じて分配」するためには個々の製品がどれだけの労働によって作られているのかを算出しなければならず、そのためには全国規模の集計と計算も必要となる。だから、もちろん「参加型民主主義」が最大限保障されるような仕組みは考えられなければならないとしても、分散した協同組合のようなものだけでコミュニズムが成立することはあり得ないのである。

(長野、YS

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