広島県呉市の呉製鉄所全面閉鎖の問題について『海つばめ』で報じましたが、紙面の都合で原稿を一部削除、編集しました。この問題を考えるにあたって、近代の製鉄法の主流である高炉法の概要についてもまとめられている原稿がブログ用に送られてきましたので掲載します。

 

 

工場スクラップ化といかに闘うか

──旧・日新製鋼呉製鉄所の全面閉鎖について──   

(広島 泉安政)

 

(はじめに)

 

広島県呉市にある旧・日新製鋼呉製鉄所が、親会社である日本製鉄から23年9月末での全面閉鎖という方針を受けて4か月が経った。(この4月より新たに日本製鉄・瀬戸内製鉄所・呉地区へと名称変更され、兵庫県姫路市にある広畑製鉄所などとともに瀬戸内製鉄所として合併・統合された。従業員約960名、下請け関連企業を含めると約3300名)

 

この間、日本の製鉄業大手3社(日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼)は3月期決算で大幅な赤字を計上し、各社とも高炉休止を含む大規模な生産設備の整理や縮小に進んでいる。かつて「産業のコメ」と言われ国力の象徴とされた鉄鋼は、プラスチック樹脂やセラミックの台頭によって、素材産業としての比重を低下させたとはいえ、いまなお工業(製造業)の基礎であり、したがってまた資本主義の要でもある。1980年代には世界一の粗鋼生産高を誇った日本の鉄鋼業の急速な凋落は、日本資本主義の凋落と世界資本主義の力関係の急激な変動の象徴でもある。

 

すでに「海つばめ」1375号(20年3月1日)の田口論文で、この問題について大まかな点は触れられている。ここでは、旧・日新製鋼ならびにその本社工場であった呉製鉄所の特徴と、17年の日本製鉄による子会社化前後の経緯を検討することで、一見唐突で迷走したかに見える今回の呉製鉄所の全面閉鎖の意味と、いわば資本による生産設備打ちこわしによって犠牲を余儀なくされる多くの労働者は全面閉鎖とどう闘うのかについて考えてみたい。(なお、この問題を考えるにあたって近代の製鉄法の主流である高炉法の概要をまとめてみた)

 

(0)高炉式製鋼の概要

 

数千年にわたり世界各地で生産・加工・改良され、人々に多大な恵みをもたらし続けている鉄は、地球の恵みであると同時に人類の英知の結晶であり、今後もあり続けるであろう。銑鋼一貫工場としての呉製鉄所の特徴を知るためには、まず近代の製鉄法の主流である高炉法の概要を知っておく必要があるであろう。(もっぱらリサイクルに用いられる電炉法については、ここでは触れない)

 

広く製鉄と呼ばれている製鋼の過程は、大まかに三つの過程に分かれる。その第一は、「製銑」の過程である。ここでは、耐熱煉瓦で覆われた高炉によって、原料の鉄鉱石から溶解した銑鉄が取り出される。銑鉄は炭素分が多くて熱にもろく、そのままでは利用できない。このため、銑鉄(いわゆる鉄)から炭素などの不純物を取り除く作業(精錬)を行なって、はじめて鉄は強度と粘りをもつ加工可能な鉄鋼(鋼=はがね)となる。この鉄を精錬して鋼(鉄鋼)にする過程が第二の「製鋼」である。ここでは、転炉によって銑鉄を撹拌しながら酸素を加えることで、銑鉄中の炭素をさらに取り除くとともに成分を調整(一次精錬)して鉄から鋼をつくり出す。鋼は、さらに二次精錬を兼ねた連続鋳造によって、かまぼこ板状の鋼片(スラブ)に鋳造されるが、このスラブがいわゆる「粗鋼」である。(ちなみに、ステンレス鋼は、鉄にクロムやニッケルを添加して腐食しにくくした合金鋼であるが、その製造には電気炉が用いられることが多い。)そして最後の過程が、この粗鋼を加圧(鍛造)し、薄板などに加工したり、種々の表面加工を施したりする「圧延」である。圧延は、鋼片を再加熱などして一定の厚さに引き延ばしてコイル状の鋼板へと仕上げる「熱間処理」の工程と、さらに薄く引き延ばしたり表面加工などをして最終製品に仕上げる「冷間処理」の工程に分かれる。圧延の結果として、種々の用途に応じた厚板、薄板、形鋼(建築用H鋼など)、鋼管などの鋼材が完成する。なお、これらの製鋼の全過程のうち、製銑から熱間処理までの過程が「上流」部、最終加工をする冷間処理の過程が「下流」部と称される。

 

このうち、もっとも基本的な技術である製銑(いわゆる製鉄)の原理は、かつて日本では「たたら」と呼ばれた古代の工法と原理的には変わるところはない。それは、鉄鋼の原料となる鉄鉱石(酸化鉄を主成分とする)を燃料でもあり還元剤でもある石炭(たたらでは木炭)とともに、空気(ないし酸素)を送り込みながら2千度近くの高温で燃焼させて化学反応をひき起し、一方で原料炭の炭素Cを一酸化炭素ガスCO(または二酸化炭素ガスCO2)へと酸化するとともに、他方では鉄鉱石の酸化鉄を鉄Feに還元(脱酸素)することで、鉄を高温の溶銑として取り出すという技術である。イギリスで18世紀初頭から実用化された高炉法において変化したのは、リンなどの石炭の不純物が銑鉄に混入するのを減らすためにコークス炉を設け、石炭を蒸し焼き・乾燥させたコークスを燃料兼還元剤に用いたこと、粉状の鉄鉱石を還元促進剤としての石灰石とともに、高炉が目詰まりしないように塊状(ペレット)に加工する焼結炉を設けたこと、大量の鉄を生産するために炉を従来の平炉から高炉とし、高炉上部から鉄鉱石やコークスを投入できるようなコンベア等の機械設備を設けたこと等の、工法の高度化・大規模化であった。現在も工法の高度化はさまざまに進んでいるが、連続鋳造にいたるまでの上流部では基本的な技術はほぼ完成したと言われる。また、高熱下で行われる鉄鋼生産では、人間が直接に状況確認できないために、鉄鋼業はコンピュータ化が早くから進んだ産業でもある。また高炉をはじめとする製鉄施設は、巨大な設備が熱管理を必要とするという性質上、停止や再開が簡単ではなく、また製品や原材料がいわゆる重厚長大なため、運搬等を含めて、生産の連続性・効率化が鉄鋼業においては極めて重要になる。

 

(1)旧・日新製鋼ならびに呉製鉄所の特徴

 

製銑・製鋼・圧延という製鉄の全過程のうち、製銑から製品加工までの一連の設備をもつ工場は、銑鋼一貫製鉄所と呼ばれる。17年10月に神戸製鋼神戸製鉄所の高炉が廃止されて以来、銑鋼一貫製鉄所は現在、国内に呉製鉄所を含め計13か所(日本製鉄8、JFEスチール4、神鋼1、)あるのみである。ちなみに、製銑から熱間圧延処理までの過程を「上流」、最終加工をする冷間圧延処理の過程を「下流」と称する。

 

銑鋼一貫製鉄所の新設には、高炉と転炉の1ペアだけで1000億円単位の資金と数年におよぶ建設期間がかかると言われる。そればかりでない。俗に鉄1トンに水100トンと言われるように、諸設備や加工品の冷却には膨大な水とそれを再利用するためのプールが必要とされる。また発生ガスを熱源として再利用するための貯蔵タンク、発生ガスを利用した発電施設をはじめ、膨大な量の原材料や加工品の貯蔵や輸送のためのヤードや鉄道などの構内運搬施設、さらには港湾設備といった、一連の大規模設備や広大な土地、そしてそれらを動かしたり保守点検するための多くの企業や人間を具えねばならない。「製鉄所は街を作る」と言われる所以である。さらにそれは水利・港湾設備一つとっても国や自治体の関与・利益供与なしには生まれない。それは大規模であるがゆえに、作るのも困難だが閉鎖するのも困難な代物なのである。他方でそれはかつての日本がそうであったように、後発国に“国策”として導入されることで、いっそう国際交易と国際分業を促進していく、まさに国家独占資本主義と国家資本主義の時代を代表する産業なのである。

 

さて、呉製鉄所は戦前の呉海軍工廠の跡地の半分を譲り受けることから出発したが、その銑鋼一貫工場としての特徴は、第一に圧延過程のなかに表面処理や極薄板製造などの冷間処理設備を持たず、熱間処理された厚めの熱延材は他の事業所に運搬されて最終加工されていたことであろう。また第二には、全般に旧式で規模が小さく(第1高炉は62年、第2高炉は66年に完成。粗鋼生産高は、18年実績で273万トン)、また高炉燃料としてコークスに加えて重油を使うことで、独立したコークス炉をもたないという特殊な構造であった。溶銑による火災は製鉄所において珍しいことではないが、19年8月の連続火災による電気系統の故障で、高炉の一つが使用不能になるほどのダメージを受けてしまったのはこのためであろう。

 

旧・日新製鋼が、これまで国内最下位ながら一貫製鉄会社として独立し得たのは、メッキ処理建材やステンレス精密薄板における技術力と、小さな資金力を補うための徹底した分業体制で主に国内市場に足場を得ていたことによる。旧・日新製鋼の本社工場としての呉製鉄所は、薄板製造の堺製造所(大阪)、メッキ鋼板製造の東予製造所(愛媛)、ステンレス鋼板製造の周南製造所(山口)、建材製造の市川製造所(千葉)などの親工場として、各製造所や製鋼専業他社に中間財を供給する上流の役目を担っていたのである。主力製品は、ZAMと呼ばれる高耐食性の表面処理鋼板ならびにステンレス鋼材であったが、これらはともに呉製鉄所自身の製品ではなく、下流の各事業所の製品であった。だからこそ日本製鉄は旧・日新製鋼の各事業所を狙い撃ちにした、「いいとこ盗り」が可能だったのである。

 

(2)日本製鉄による子会社化の経緯とその狙い

 

日本製鉄(当時は新日鉄住金)による旧・日新製鋼の子会社化の狙いは、両者名で出された16年2月1日付けの「日新製鋼の子会社化等の検討開始について」のニュース・リリースでも明らかである。

そこにはこうある。「17年3月をめどに新日鉄住金が日新製鋼を子会社化する」ことを前提に、「日新製鋼に鋼片(いわゆる粗鋼であり、スラブと呼ばれるかまぼこ状の鋼片……筆者)を継続的に供給する」が、これは日新製鋼側の要請に基づいて両社で検討した結果である、と。また「鉄鋼業を取り巻く国内外の事業環境は極めて厳しく」、その要因は「アジアを中心とする過剰な生産能力と中国経済の減速に伴う鋼材需要の減退」である、とされている。すでに田口論文で触れられているとおり、19年には日本の粗鋼生産が年1億トンを割り込み世界シェアを5%にまで落とす中で、中国は96年以来四半世紀にわたって世界一の座に就き続け、いまや年11億トン、世界シェアを53%にまで伸ばして、輸出量も日本の総生産量に匹敵する年1億トンを越えるまでに強大化した。しかも中国企業は、これまで強い国内需要に支えられて強弱混在の乱立状態にあるが(16年の鉄鋼世界ランキング50社のうち実に半数の25社を中国企業が占めている)、このさきコロナ禍をきっかけにした世界的な生産停滞に伴って合従連衡が進めば、輸出量の急増と、それに伴う粗鋼価格の価格崩落が避けられないであろう。

 

事実、15年11月時点のアセアン向け鋼材の価格は、12年年初に比較して半値以下にまで低下し、新日鉄住金の利益は前年の2142億円から180億円に、日新製鋼の利益は169億円から45億円と激減したが、これが子会社化の引き金になったのである。なお、この16年の子会社化(株式の50%以上を取得……筆者)発表の時点では「日新製鋼は、上場を維持する」と付言されており、完全子会社(株式の100%を取得……筆者)になるのではないとされていた。しかし実際には、17年4月に子会社化されてわずか1年後の18年5月には19年1月をもって完全子会社とすることが発表され、また完全子会社となってわずか1年後の今年20年4月には、日新製鋼は日本製鉄への吸収合併により企業としては消滅したのであった。ちなみに日新製鋼は、官営八幡製鉄所の指定問屋であった岩井商店(日商岩井を経て現在は双日)の岩井勝次郎が1916年に操業を始めた徳山鉄板を母体にもつため、従来から日本製鉄と関係が深く、筆頭株主も日本製鉄であった。

 

また、そこには子会社化の狙いもいくつか述べられている。一つには、ステンレス事業においては「各々のグループはステンレス粗鋼生産規模で世界10位圏外となっており」、「海外の大規模なステンレスメーカーからの輸入品が増加するなど、国内外で競争がいっそう激化」しているため、生産規模の拡大が焦眉の課題であること。二つには、12年に新日鉄と住友金属とを新日鉄住金に統合して粗鋼生産世界第3位となることで、世界的な過剰供給能力や、人口減少による国内の需要縮小に備えたが(19年4月には日新製鋼を吸収合併して日本製鉄に社名変更)、高品質・高価格の国内向け需要において自動車部門に次いで重要な建材部門を取り込むためには、さらに日新製鋼の「需要家のニーズに即したきめ細かな」顧客市場対応力が必要だ、と言うのである。

 

ここにあるとおり、日本製鉄の狙いは旧・日新製鋼がもっていた収益性の高いステンレス鋼板部門と建材部門の吸収であった。事実19年1月の日新製鋼の完全子会社化の後、4月には、ステンレス鋼板部門では、日新製鋼のステンレス事業部門、新日鉄住金ステンレス、新日鉄住金のステンレス鋼板事業部門の3社を日鉄ステンレスに統合し、ステンレス鋼管部門においても日新製鋼ステンレス鋼管、日鉄住金鋼管、新日鉄住金のステンレス鋼管部門の3社を日鉄住金鋼管に統合した。また建材部門についても、旧・日新製鋼・市川工場を中心とした日新製鋼建材を日鉄日新製鋼建材に鞍替えして、材料供給を日本製鉄に置き替えた。これによって旧・日新製鋼のもっていた収益性の高い部門はすっかり日本製鉄の子会社へと吸収されてしまったのである。

 

それに対して、旧・日新製鉄の親工場として上流の製銑・粗鋼生産を担っていた呉製鉄所(すでに旧・日新製鋼自身が高炉2基を1基に削減することにしていた)は、日本製鉄にとって魅力がなかったばかりか社内効率化にとっての“お荷物”でさえあったのだ。たとえば粗鋼生産高でみると、同じ瀬戸内海沿いにある日本製鉄のなかで最大の九州製鉄所・大分地区(第1高炉は72年、第2高炉は76年に完成)の18年実績875万トンに比して、呉地区は高炉1基体制になればそのわずか5分の1ほどの規模にすぎず、基幹工場足りえないのだ。

 

(3)日本製鉄の縮小再編の意味

 

旧・日新製鋼は小規模ながら、いや小規模であったからこそ、上流部と下流部を専業化して高品質な建材とスチール製品に特化して生き残るほかなかった。19年11月に日本製鉄が発表した組織再編もまた、より大規模な形で社内分業を行なうというものである。新日鉄住金として統合後も、日本製鉄は粗鋼生産規模の拡大と一貫製鉄所の維持にこだわってきたが、米中貿易摩擦で先が見えない中、今回は呉製鉄所の全面閉鎖と高炉をはじめとする全国的な生産縮小に踏み込み、実に4900億円もの減損を積み上げて全国16拠点を6製鉄所に再編することにしたのである。

 

ここで触れておかねばならないことは、19年11月の再編計画発表のさいには、呉製鉄所は5か所ある瀬戸内製鉄所管内唯一の一貫製鉄所と位置づけられていたということである。このために、高炉1基体制でも呉は基幹工場として維持されるだろうと労働者をはじめ、関連会社や県や市も信じ込んでしまったのだ。そのためこの発表からわずか3か月後、今度は一転して呉工場全面閉鎖の方針が出されると、「いや聞いてない、」「急転だ」「裏切りだ」「あの高炉火災さえなければ」、等々の非難や戸惑いの声が噴出したのである。しかし全面閉鎖の方針が、どれほど意図的に行われたか、などと詮索するのは無駄というものであろう。なぜならいつでも資本こそが、つまり生産拡大のための利潤増殖の強制こそが資本家を突き動かすのであって、資本家の意図は従属的にすぎないないからである。今回の日本製鉄による日新製鋼の吸収合併は、ついこの間、09年から15年にかけてのパナソニックによるサンヨーの吸収合併を思い出させる。サンヨー所属の10万人もの労働者は、一括吸収してしまうと年間給与が少ない分の補填が大変だという理由で出向扱いにされ、次々と事業所ごとに人間もろとも切り売りにされて、最後に残った7千人ほどがパナソニックに転籍したのである。この“無慈悲な”経営陣は、誰あろう「従業員は家族である」と説き、今なお「経営の神様」と持ち上げられる創業者・松下幸之助の後継者たちだった。ここ10年繰り返されている日本製鉄の合併劇自体が、この真実を教えてもいる。

 

大規模な縮小再編によるスクラップ&ビルドは今後の日本鉄鋼業界全体の姿でもあろう。すでに神戸製鋼の日本製鉄入りがささやかれているが、事態はそれにとどまらないであろう。現在(19年)、日本の鉄鋼輸入は普通鋼を中心に487万トン(主に韓国より)、これにたいして鉄鋼輸出は特殊鋼を中心に3379万トン(主に韓国、タイ、中国向け)となっている。しかし中国の圧倒的な生産力やすでに日本を追い越したインドの急速な追い上げを考えれば、国内鉄鋼業は銑鋼一貫体制を守ることをいずれ放棄せざるを得ないであろう。日本の鉄鋼資本は、資本として存続するためには、中国を中心とする国際的な分業体制に甘んじるか、そうでなければ中国に対峙できるほどの国際的な分業体制に自分を組み込まなければ、資本として生きていけないと自覚し始めたのである。(すでに19年12月に日本製鉄と世界最大手ミタルとがインドの鉄鋼大手を共同買収したことが知られている)。それは国内においては、シームレス・ステンレス鋼管などの高級製品製造といった役割に特化する道であり、また電炉方式の拡大と鉄スクラップのリサイクル事業へのシフトであるように見える。

 

(4)全面閉鎖といかに闘うか

 

これまで“国策”産業として生き延びてきた鉄鋼資本は、呉製鉄所の全面閉鎖に見られるように、旧い生産設備をスクラップ化し、すべてのツケを労働者に押し付けることでこの危機を乗り越えようというのだ。しかしそれは労働者とりわけ下請や関連企業の労働者にとっては、大量失業として現れる。事実、日本製鉄は「従業員の解雇はしない、配置転換によって雇用は守る」と言うが、下請労働者の救済などは自分の責任外で、国や自治体の施策の問題だと言わんばかりである。本工の労働者においても、呉製鉄所は市内に住みながら仕事に通うことのできる数少ない民間大企業だったから転勤を嫌う者が少なくない。当初は地元商工会を中心に工場存続の署名運動が取り沙汰されたが、結局は日本製鉄からの報復に尻込みして見送られてしまう始末だ。現場は219月予定の高炉閉鎖と配置転換に向けて半ば諦めが支配している。

 

われわれ労働者は、いかに闘うべきであろうか。呉工場をこれまで通りに存続させよという要求は、客観的にも主体的にも正しいものではないであろう。転職を余儀なくされる労働者にとって、これまで培った知識や技能を活かしたいということは当然だし、配慮されるべきである。しかし、労働者は自らを特定の職業に固定することに利益をもつものではない。われわれはまず、工場閉鎖に伴って不利益を受ける労働者、とりわけ失職する労働者は、関連会社を含め日本製鉄の都合で配転、解雇されるのだから、日本製鉄は責任をもって労働者の就労と生活を保障せよと要求する。当然であろう。下請企業の労働者は、雇用先の企業だけでなくて親会社にも搾取されており、だからこそ本工よりも安い賃金しか受け取ってこなかったし、本工も搾取されてきたのだ。これは“法律的な”問題ではなくて事実の問題だ。資本とその国家がいかに労働者の“自己責任”を説こうとも、この大量失業は労働者の自己責任などでは絶対にない。

 

労働者が旧い生産設備もろともにスクラップ化され失業してしまうのは、富を生み出す生産手段が生産階級から切り離され、他人の労働を吸収する“資本”として存在するからに他ならない。資本にとって労働者は、利潤を生むためにぜひとも必要な“材料”ではあるが、しかしそれは生産手段に労働を吸収させるための搾取材料としてなのだ。個々の労働者は個々の資本に雇われるとはいえ、生産階級である労働者の全体は生産手段を独占する階級としての資本家(すなわち資本の国家)に雇われている。労働者こそがその労働によって資本家を養っているのであって、その逆では決してない。われわれには正々堂々と闘うべき根拠があるのだ。

 

しかしながらこの闘いは、日本製鉄といった個別資本に対する闘いにとどまるものでもなければ、いわゆる合理化反対の闘いでもないし、また企業の社会的責任の問題に矮小化することもできない。それは一言で言って階級闘争なのであり、だからこそ労働者の階級的な団結なしには闘い抜くことはできないのだ。失業や生活不安を根絶するためには、利潤に先導される無政府的で野放図な生産の全体を、労働者の協働に基づく労働の配分として再編成せねばならない。時至らば労働者は自らが生みだした資本を収奪し、生産手段を社会化することによって不労階級をも一掃するであろう。しかしそのような資本とその国家との闘いは、労働者が自らを階級としてすなわち労働者政党として組織して、政治権力を目指す闘いと結びつくときにはじめて発展できるであろう。階級的な団結を強めて断固闘い抜こう。