神奈川で『資本論』学習会を行っている「横浜労働者くらぶ」の会報で、「プーチンだけが悪者か?」と論じられています。「労働者くらぶ 第15 号」から紹介します。
ブルジョア世論は、プーチンが核兵器の使用をほのめかし、実際にザポリージャ原発を攻撃したことから、核兵器使用が現実になったと大騒ぎである。「プーチンは狂った」「プーチンの性格は常軌を逸している」等々、ウクライナ侵攻や原発攻撃の責任をプーチン個人に帰せようとしているのだ。
しかしプーチンが核兵器の使用をチラつかせ始めたのは今回が初めてではない。すでにクリミア侵攻の時から核の準備に言及していた。そもそも大国が、なぜ核兵器を保有するかといえば、核の抑止力によって相手の戦意をくじき、力関係で優位に立つためである。核の抑止力は、核使用の可能性があるからこそ威力がある。プーチンのウクライナ侵略によって、それが現実味を帯びてきたというに過ぎない。
プーチンの核使用の言及は、彼が追い詰められてきた結果である。ロシアに限らず、欧米や中国などの核大国も窮地に陥れば核使用は現実のものとなる。これは指導者の性格の問題ではない。バイデンにしても習近平にしても、追い詰められればプーチンと同じ行動をとるだろう。これら指導者は帝国主義の人格化である。仮に、彼らではなく他の人間が指導者であっても同じである。
核兵器の威嚇を、プーチン個人の性格や資質に帰せようとするのは、ウクライナ侵攻の本質を隠蔽するものである。ブルジョアマスコミは、連日のようにウクライナの惨状を報じて、あたかもプーチンやロシアだけを悪者に仕立てている。問題は、この世界を大小の帝国主義国家が牛耳っていることである。ロシアのウクライナ侵攻は、ウクライナを盾にした欧米の帝国主義(ウクライナに多大の武器援助をしている)とロシアの帝国主義の覇権争いであり、どちらが悪いと言った問題ではない(両方とも悪党だ)。
ブルジョア国家同士の争いに決まって登場してくるのは、民族主義や国家主義の愛国イデオロギーである。日本でもここぞとばかりに安倍や高市などの国家主義者がしゃしゃり出てきて、米国との核兵器の共同使用を主張し始めた。ブルジョア支配がなくならない限り、世界から戦争をなくすことはできない。労働者は、プーチンの侵略と果敢に戦っているウクライナ人民と連帯すると同時に、自国のブルジョア支配の打倒のために立ち上がらなければならない。 (K)