政府の棄民策、今も昔と変わらず

──アフガン、日本の現地スタッフ置き去り

 

8月31日、米国政府はタリバンとの約束通り、アフガンからの米軍の撤退が完了したと発表した。しかし、タリバンの野蛮な〝報復〟を恐れ、国外に移住を望む多くのアフガン現地スタッフや住民が取り残されたままである。

 

  とりわけ、日本の〝救出〟行動の立ち遅れが目立つ。政府が自衛隊機派遣を決めたのは8月23日、アフガン政権が崩壊してから8日もたってからである。バイデンは、アフガン政府があっという間に崩壊、政府軍も何の抵抗もなくカブール空港周辺はタリバンに占領され、思うような救出が出来なかったと言い訳したが、日本政府はすべて米国任せで自主的になにも主体的に準備していなかったのである。

 

結果、31日に岸防衛相は自衛隊機の撤収を発表し、自衛隊機が運んだのは、日本人1人と、米国から要請を受けたアフガン人14人、僅か15人にとどまり、日本大使館や国際協力機構の現地スタッフとその家族約500人は取り残されることとなった。

 

  一方、日本大使館員12人は全員、政権崩壊後2日、英軍機で脱出しているのである。大使館員が早々と国外に脱出したということは、大使館が危機を察知していた証拠である。にも拘わらず自分たちの安全さえ確保できれば、これまで協力していた現地のスタッフのことなどどうなっても構わないということか。恐るべき無責任というしかない。

 

  こうした政府の態度は、戦前から一向に変わっていない。戦前には、満州に100万戸の移住計画を立て、27万人の満蒙開拓団が送り込まれた。現地に行けば農地も家もあると言われたが、実際には中国人から軍が収奪したものであった。

 

開拓団は日本がでっちあげた「満州国」へ送られ、食糧増産、農業建て直し、さらには満州防衛の役割を担わせた。そして、彼らは敗戦時には「居留民はできる限り定着の方針を執る」とされ、また「満鮮に土着する者は日本国籍を離るるも支障なきものとする」とされたのである。

 

国策として満州に送り込まれた開拓団民は、敗戦によって余計者として国から見放され、「棄民」とされた。国から見放された開拓団員たちがいかに悲惨な状況に貶められたかは、敗戦による逃避行で8万人が命を失い、数多くの幼子たちが中国に置き去りにされたことにも示されている。(以上、寺沢秀文、「満蒙開拓の『真実』」、朝日8・31参照)

 

 アフガンに取り残された500人もの現地スタッフも「棄民」そのものである。彼らは、「民主的」国家を建設するという日本政府の呼びかけで、教育や保健、生活指導などの分野で活動してきた。現地に取り残された彼らは、米国を中心とするアフガン駐留軍への積極的協力者として、報復を受ける可能性は大きい。

 

既に、駐留軍の通訳であった者とその家族は〝裏切者〟として惨殺されたという報道もある。身の危険を感じて出国を望むアフガンのスタッフに対して、政府は責任をもって対応すべきである。

 

 アフガン政府崩壊後の状況を予測して、韓国のように素早く何百人もの国外移住希望者を外国に送ることに成功した国もある。しかし、日本の政府は、大使館員だけは早々と国外に脱出させておきながら、現地スタッフのことはまじめに考えていなかったのだ。さんざん協力させておきながら、後は置き去りとは満州開拓団と同じではないか。今の政府のやり方は、戦時中の政府と何も変わってはいない。

 (T)