相も変わらず社民主義を鼓吹

――『世界』(4月号)の福島・大椿論文

 

 社民党は昨年11月の臨時党大会で立民への合流組と残留組に事実上分裂し、国会議員の二人(吉田忠智、吉川元)が立民に合流、社民党の現職国会議員は福島瑞穂と照屋寛徳の二名のみとなった。地方組織においては、継続を決めたところと合流を決めたところ、事実上分裂したところ、まだ討議中のところとあるようだが、ますます先細りし党消滅の危機にあることに変わりはない。

 

221日にはオンラインの全国代表者会議が開かれ、新役員と当面の方針(次期衆院選では比例代表の得票率2%、4議席の獲得を目指す、等)を決めた。先ごろ、『世界』(4月号)に党首の福島と副党首の大椿の「私たちは社会民主主義を選ぶ」という論文が掲載され、社民党が先細りしてきた原因や自分たちが立民に行かなかった理由、今後の運動の方向などについて書かれているので、これを中心としてこの党の現状を批判的に考察してみたい。

 

◇社民党衰退の原因

 

 『世界』論文では、「きっかけは、村山富市首相時代の自衛隊合憲・日米安保条約堅持への方針転換と、衆議院選挙での小選挙区制導入であった」として、幻滅した有権者の離反と選挙での小政党の不利が重なったことを挙げている。かつて社会党時代には綱領(「日本における社会主義への道」、1964年)で政権への参画やましてや首班を務めることについてその条件を事細かに決めていたにもかかわらず、そんなことはつゆほども考慮せず偶然の幸運にホイホイと乗り、こともあろうに保守の自民党と連立し、今まで否定してきた安保や自衛隊まで容認したのだから多くの人が反発したのは当然であろう。

 

もっとも、1970年代後半からは協会派を中心とする党内左派への抑圧を強め、1986年には綱領を改正して(「日本社会党の新宣言」)、文字通り社民主義の政党に変わっていたのであるからこれもまた彼らの本質的“体質”であるというべきか。また、小選挙区制の導入も、1993年成立の細川内閣に社会党が第一党として参画し政党助成法などとともに自ら関与して決めたものなのだから、他人事のように言っている場合ではない。

 

 福島らは「私たちの側の原因」として、自分たちは基本的に「労働者の政党」であることを自覚してきたが、特に小泉構造改革以後の新自由主義的改編により「非正規」労働者が増大し、労働組合の基盤が掘り崩されるとともに労組の社民離れが進んだことを挙げている。

 

大企業や公共部門の労働組合に依存しすぎていた、今後は非正規労働者も含めた「数千万の働く市民による政党として再生を果たしたい」というのだ。また、「男性役員が圧倒的多数を占める大労組に依存した政党運営」が行われ、社民党そのものも「男社会」であり「リベラルなことを言っていても、組織は保守的である」というありかたは多くの市民に失望を与えたとも言っている。

 

 「労働者の政党」であることを自覚してきたといえば聞こえはいいが、社会党全盛時代の60年代から70年代前半の時期においてさえも、実際は労働組合の組合主義的要求にそのまま乗っかり改良主義的な政治にうつつを抜かしてきただけであり、体制変革のための闘いや労働者の階級的団結の強化はおざなりにしてきたのではなかったのか。

 

だからこそ、70年代の後半以後の資本主義の危機の進化とともに社会党・社民党の党勢も衰退してきたのである。そして今度は、非正規を含めた「数千万の働く市民による政党」などと言うのであるが、労働者を「市民」に解体しておいてそれを代表するなどというのは初めから敗北が約束されているといってもいいだろう。

 

非正規も含めて労働者をいかに組織し階級的団結を強化していくのか、そのことが問われているのだ。社民党が「男社会」かどうかは本質的な問題ではない。社民党の政治の質が問われているのだ。

 

◇社民主義を選ぶ?

 

 論文では、「私たちには私たちの理念があり、政策がある」、私たちは社会民主主義を「社会のあらゆる領域において民主主義を拡大し、『平和・自由・平等・共生』という理念を具体化する不断の改革運動」として捉えている。そして、現代において、この社会民主主義に求められるのは、なによりも新自由主義との徹底した対決姿勢である」などと言って、立民に合流しない理由を述べている。

 

『平和・自由・平等・共生』とは、なるほど立派な理念ではある。しかし、これは西欧社民にも共通するが、彼らに欠けているものはその理念を実現できる社会的条件というものを全く考慮していないという点である(そもそも、こうしたアプローチそのものが純然たる観念論だ)。

 

彼らのスローガンは「理念を具体化する不断の改革運動」であるが、これは19世紀末のベルンシュタイン以来の改良主義的で空論的なスローガンでしかない。

 

福島瑞穂はスウェーデンのような社会が理想だと言ったそうだが、西欧社民で最も“成功”しているといわれるスウェーデンは、二度の大戦にも巻き込まれず、少なくともここ何年か前までは数十年に渡って(あるいは100年以上も)順調に経済が発展できたという特殊な条件があった。

 

その証拠に、他の西欧社民は軒並み停滞を強めるか、半ば新自由主義的な政策を取り入れざるを得なくなってきている(ブレア英労働党、シューレーダー独社民党、あるいはミッテラン、オランド仏社会党、等)。そして、その反面の現実として、どの国においても反移民などを唱える極右の伸長を許しているのであり、これはスウェーデンでも例外ではない。社民主義では、新自由主義ともまともに闘えないことを示しているのだ。

 

◇日米安保反対を再掲するが

 

 論文は、立民の綱領は「健全な日米同盟を軸に」とあるが、社民党宣言(村山内閣時の「95年宣言」を2006年に改訂)では「日米安全保障条約は、最終的に平和友好条約へと転換させ、日米軍事基地の整理、縮小、撤去を進めます」とある通り、立民とは基本的立場が違う、「日米軍事同盟を基軸とする方向では、東アジアにおける平和を構想できないと考える」などと言っている。村山内閣の時はたまたま少し気が振れてしまったのだとでも言わんばかりである。

 

 しかし、現在の東アジアの状況を少しでもリアルに考えてみれば、「日米軍事基地の整理、縮小、撤去を進めます」などと簡単に言えるのか?米中対立はますます激しくなってきており、北朝鮮問題なども決して楽観できないのではないか?かつての社会党時代もそうであるが、安保条約を廃棄して非武装中立でやっていく、等々は全くの絵空事、小ブルジョアの淡い願望でしかなかったのではないか?

 

だからこそ、村山は政権につくや否や急いで安保や自衛隊を容認したのである。唯一の活路は、労働者の国際主義を貫いてアジアや世界の労働者との連帯を深め、日米帝国主義や中国の国家資本主義的帝国主義等を共に打倒する以外にない。自国の帝国主義やその基盤である独占資本主義と徹底的に闘わずして、平和も労働者の生活の確保もあり得ないのだ。

 

論文では、先にも少し触れた「ジェンダーの平等」や気候変動問題(「緑の社会民主主義」)なども取り上げ、今後特に重視していくと言っている。社民党の市民主義政党としての特質がここにも現れているが、その内容については既に述べたことで「推して知るべし」なので割愛する。
(長野、YS